裏士官学校物語
8
「ほら」
 ハーレムの表情は、明瞭に変わっていたらしい。ルーザーが揶揄うように言った。
「おおかた、心当たりの人物でも、いるんじゃないのかい?」
「違う。あれは、ただ単に……総帥の弟だから、近付いて来ただけなんだ、きっと」
 ハーレムは寂しそうに否定した。
「それでも、その方が扱いやすいんじゃないかな」
「……てめぇは、そういうとこでしか人を判断できねぇのか」
「冗談だよ。――時に、あのギデオンとかいう男は、同性愛者じゃないのかい?」
「何?」
「君を見る目が違ってた」
「何を馬鹿なことを」
「馬鹿なこと? 僕にはわかるんだ。だって、僕は――」
 言いかけて、ルーザーは口を噤んだ。
「何だよ。まさか、兄貴、俺のこと好きだっていうんじゃねぇだろうな」
 今度は、ハーレムが揶揄する番だった。
「好きだよ」
「え?」
 ハーレムは、一瞬ドキッとした。
(何言ってんだ? こいつ)
「僕はハーレムのことも、兄弟として、平等に好きだよ」
(あ、なんだ……)
 ハーレムは、自分でも明らかに、ほっとした。
「勉強よりも、腕っ節の方が、強そうな男だな」
 話がギデオンのことに戻ったらしい。ルーザーは、よく聞いていないと、話をよく、飛躍させる。
「何個上だい?」
「聞いたことねぇけど、二つか三つぐらいじゃねぇの? 見た目は老けてるけど」
「ガンマ団員だったよね。確か。だとしても――危ないな」
 ルーザーが、真顔で思案する。
「出会いは酒場だってね?」
「ああ」
「いよいよ危ないな。ああいう男がもしゲイだったとすれば――君も範疇に入るかもしれないよ――過ちが起こるとも限らないね」
 ハーレムは、怒りを覚えた。怒りで、頭がぐるぐるしてくる。握り締めた拳が、ぶるぶる震えた。
「Gは――Gは、おまえなんかとは違う!」
 優しくて、頼りになるG。ぽつぽつと、ハーレムの話に、相槌代わりの返答をするG。相手の美点を見つけると、照れくさそうに、それを褒めるG。ハーレムにしかわからない、口元を綻ばせた、Gの笑顔。
 Gのことを思い出すにつれて、遣る瀬無く、目の前の兄を殴りたくなった。それをしなかったのは、自分にも、責任があるということが、わかっていたからだ。
(こんな――こんな真似、しなけりゃよかった)
 片や、酒場が似合う無頼漢。片や、エリートの研究員。住む世界が違い過ぎる。
(一生合わなければよかったんだ。こんな奴ら)
 ハーレムは、わざとドスドスと足音を立てながら、扉に向かった。
「どうしたんだい?」
 ルーザーの問いに、
「もう寝る」
と簡潔に答え、ハーレムは出て行った。

(ルーザーの奴、ルーザーの奴、ルーザーの奴――!)
 考えは、結局、そこに行き着く。こうなったのも、ルーザーのせいだと、責任転嫁でもしたくなってくる。
 腸が煮えくり返りそうで、眠れそうになかった。
 その時である!
 ノックの音がした。
(サービスかな。まぁいいや。起きていくのもめんどくせぇ)
「ハーレム……寝た?」
 ルーザーの声だった。ハーレムは、我知らず、ぎくりとなった。
「ハーレム……」
(謝りに来たって、遅ぇよ)
 ハーレムは、狸寝入りを決め込むつもりでいた。
 が、ルーザーはすぐには帰らず、部屋の椅子に座った。
(どっか行け! どっか行け! 早く!)
 ハーレムは、心の中で、毒づくというのとも違う、祈りに似た思いで、寝返りを打つ真似をした。
「う……ううん……」
 思わず、声が出た。
 ルーザーは、まだいる。
 食い入るように見つめているのが、反対側からでもわかる。
(どうしろというんだ、畜生!)
 今すぐ起き出して、丁重に訳を言って帰ってもらう、というのは、出来そうになかった。あまりにも、緊迫度が上がり過ぎている。
 ルーザーは、何しにここへ来たんだろう?と、ハーレムが訝しみ始めたその時。
「父さん!」
 ルーザーは、ハーレムのベッドに駆け寄って、彼を抱きしめた。
「父さん! 父さん! 父さん!」
 兄は、泣いていた。
 この兄は、密かに、自分と父とを同一視していたのだろうか。それはいい。だが――
(俺は――俺は、親父じゃねぇっ!)
 思春期の少年特有の、潔癖感と残酷さから、ハーレムは、次兄に嫌悪を覚えた。
「離せッ! 離せよ! 兄貴ッ!」
「父さん……父さん……」
「親父は死んだんだ! 兄貴!」
「ハー……レム……」
 ルーザーは、初めて我に返った人間のように、呆然としていた。
「ハーレム、どうして起きるんだい? いつもは死んだように眠っているのに」
 確かに、何か虫の知らせか、騒動がある他は、いつだって、朝が来るまで目覚めないハーレムだった。
「起きちゃ悪いかよ」
「い……いや……、ただ、父さんと会いたいときは、ここで、ずっと……」
(つまり、俺は、兄貴にとって、父の代わりだったというわけか)
「あーっはっはっはっ! あーっはっはっはっ!」
 今まで気がつかないなんて、なんて間抜けだったんだ。
「ハーレム……酷いじゃないか。笑うなんて。僕は本気で悲しんでいるのに。もし、父さんを生き返らせることができるのなら、そうしようとしていたのに、おまえには、笑うことしかできないんだね……」
「おまえだって、俺を親父に見かえた!」
 ハーレムは怒鳴った。
「俺は俺で、親父は親父だ! それを認めないおまえは、俺以上に残酷だ!」
「ハーレム……」
「出て行け!」
 ハーレムは、羽根枕を投げつけた。そして、机に飾ってあった花(ルーザーが飾った花だ)を花瓶からむしり取って、そこら中に花弁を舞い散らせた。
「ハーレム、落ち着いて、ね」
「これが落ち着かずにいられるか!」
 ハーレムは、羽毛布団を、ルーザーへの目くらましにでもするように投げ、窓から飛び降りた。部屋は二階である。
 屋敷のセキュリティシステムが、どんなに活躍しても、ハーレムは見当たらなかった。彼は前にも家出をしたことがあり、そのときは捕まって、システムも強化されたが、いずれ、また家出をする機会もあるだろうからと、前から弱点を調べておいたのだ。

「G! しばらく泊めてくれ!」
 マスターに聞いた手掛かりを元に、Gの住処に着いたハーレムは、開口一番、そう言った。
「な……家族の承諾は得たのか?」
(ああ! こいつはなんて気を回してくれるんだ!)
 Gには、他人の心を、家族を思いやる優しい心がある。それがわからないルーザーに、ハーレムは改めて怒りが込み上げた。
「家族なんていい! あいつら家族じゃねぇ! 友人にでも何でもなるから、取り敢えず泊めてくれ」
「それは本当の友人じゃない」
 Gが重々しく言った。
「なんだ。おまえも本当の友人というものを知らんのか。じゃあ教えてやるよ。俺が訳も言わず転がり込んでも、余計な詮索をしない奴のことだ!」
 勢いよく、ハーレムは、バスルームと思われる部屋の扉を開けた。
 ハーレムが、Gの家に来た理由は二つある。
 ひとつは、ルーザーから逃れたかったため――これは、ハーレム自身は認めたくなかっただろうが。
 そして――、あとひとつは、ハーレムのことを探し回っているという、変な親爺を、取り押さえるため。
 目的が何であろうが、絶対に許さない!
 今の彼には、ルーザーへの腹立ちも加わっていた。
 ハーレムはシャワーを浴びながら、ぱんっと拳を掌に打ちつけた。

裏士官学校物語 第九話
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