裏士官学校物語 ハーレムの表情は、明瞭に変わっていたらしい。ルーザーが揶揄うように言った。 「おおかた、心当たりの人物でも、いるんじゃないのかい?」 「違う。あれは、ただ単に……総帥の弟だから、近付いて来ただけなんだ、きっと」 ハーレムは寂しそうに否定した。 「それでも、その方が扱いやすいんじゃないかな」 「……てめぇは、そういうとこでしか人を判断できねぇのか」 「冗談だよ。――時に、あのギデオンとかいう男は、同性愛者じゃないのかい?」 「何?」 「君を見る目が違ってた」 「何を馬鹿なことを」 「馬鹿なこと? 僕にはわかるんだ。だって、僕は――」 言いかけて、ルーザーは口を噤んだ。 「何だよ。まさか、兄貴、俺のこと好きだっていうんじゃねぇだろうな」 今度は、ハーレムが揶揄する番だった。 「好きだよ」 「え?」 ハーレムは、一瞬ドキッとした。 (何言ってんだ? こいつ) 「僕はハーレムのことも、兄弟として、平等に好きだよ」 (あ、なんだ……) ハーレムは、自分でも明らかに、ほっとした。 「勉強よりも、腕っ節の方が、強そうな男だな」 話がギデオンのことに戻ったらしい。ルーザーは、よく聞いていないと、話をよく、飛躍させる。 「何個上だい?」 「聞いたことねぇけど、二つか三つぐらいじゃねぇの? 見た目は老けてるけど」 「ガンマ団員だったよね。確か。だとしても――危ないな」 ルーザーが、真顔で思案する。 「出会いは酒場だってね?」 「ああ」 「いよいよ危ないな。ああいう男がもしゲイだったとすれば――君も範疇に入るかもしれないよ――過ちが起こるとも限らないね」 ハーレムは、怒りを覚えた。怒りで、頭がぐるぐるしてくる。握り締めた拳が、ぶるぶる震えた。 「Gは――Gは、おまえなんかとは違う!」 優しくて、頼りになるG。ぽつぽつと、ハーレムの話に、相槌代わりの返答をするG。相手の美点を見つけると、照れくさそうに、それを褒めるG。ハーレムにしかわからない、口元を綻ばせた、Gの笑顔。 Gのことを思い出すにつれて、遣る瀬無く、目の前の兄を殴りたくなった。それをしなかったのは、自分にも、責任があるということが、わかっていたからだ。 (こんな――こんな真似、しなけりゃよかった) 片や、酒場が似合う無頼漢。片や、エリートの研究員。住む世界が違い過ぎる。 (一生合わなければよかったんだ。こんな奴ら) ハーレムは、わざとドスドスと足音を立てながら、扉に向かった。 「どうしたんだい?」 ルーザーの問いに、 「もう寝る」 と簡潔に答え、ハーレムは出て行った。 (ルーザーの奴、ルーザーの奴、ルーザーの奴――!) 考えは、結局、そこに行き着く。こうなったのも、ルーザーのせいだと、責任転嫁でもしたくなってくる。 腸が煮えくり返りそうで、眠れそうになかった。 その時である! ノックの音がした。 (サービスかな。まぁいいや。起きていくのもめんどくせぇ) 「ハーレム……寝た?」 ルーザーの声だった。ハーレムは、我知らず、ぎくりとなった。 「ハーレム……」 (謝りに来たって、遅ぇよ) ハーレムは、狸寝入りを決め込むつもりでいた。 が、ルーザーはすぐには帰らず、部屋の椅子に座った。 (どっか行け! どっか行け! 早く!) ハーレムは、心の中で、毒づくというのとも違う、祈りに似た思いで、寝返りを打つ真似をした。 「う……ううん……」 思わず、声が出た。 ルーザーは、まだいる。 食い入るように見つめているのが、反対側からでもわかる。 (どうしろというんだ、畜生!) 今すぐ起き出して、丁重に訳を言って帰ってもらう、というのは、出来そうになかった。あまりにも、緊迫度が上がり過ぎている。 ルーザーは、何しにここへ来たんだろう?と、ハーレムが訝しみ始めたその時。 「父さん!」 ルーザーは、ハーレムのベッドに駆け寄って、彼を抱きしめた。 「父さん! 父さん! 父さん!」 兄は、泣いていた。 この兄は、密かに、自分と父とを同一視していたのだろうか。それはいい。だが―― (俺は――俺は、親父じゃねぇっ!) 思春期の少年特有の、潔癖感と残酷さから、ハーレムは、次兄に嫌悪を覚えた。 「離せッ! 離せよ! 兄貴ッ!」 「父さん……父さん……」 「親父は死んだんだ! 兄貴!」 「ハー……レム……」 ルーザーは、初めて我に返った人間のように、呆然としていた。 「ハーレム、どうして起きるんだい? いつもは死んだように眠っているのに」 確かに、何か虫の知らせか、騒動がある他は、いつだって、朝が来るまで目覚めないハーレムだった。 「起きちゃ悪いかよ」 「い……いや……、ただ、父さんと会いたいときは、ここで、ずっと……」 (つまり、俺は、兄貴にとって、父の代わりだったというわけか) 「あーっはっはっはっ! あーっはっはっはっ!」 今まで気がつかないなんて、なんて間抜けだったんだ。 「ハーレム……酷いじゃないか。笑うなんて。僕は本気で悲しんでいるのに。もし、父さんを生き返らせることができるのなら、そうしようとしていたのに、おまえには、笑うことしかできないんだね……」 「おまえだって、俺を親父に見かえた!」 ハーレムは怒鳴った。 「俺は俺で、親父は親父だ! それを認めないおまえは、俺以上に残酷だ!」 「ハーレム……」 「出て行け!」 ハーレムは、羽根枕を投げつけた。そして、机に飾ってあった花(ルーザーが飾った花だ)を花瓶からむしり取って、そこら中に花弁を舞い散らせた。 「ハーレム、落ち着いて、ね」 「これが落ち着かずにいられるか!」 ハーレムは、羽毛布団を、ルーザーへの目くらましにでもするように投げ、窓から飛び降りた。部屋は二階である。 屋敷のセキュリティシステムが、どんなに活躍しても、ハーレムは見当たらなかった。彼は前にも家出をしたことがあり、そのときは捕まって、システムも強化されたが、いずれ、また家出をする機会もあるだろうからと、前から弱点を調べておいたのだ。 「G! しばらく泊めてくれ!」 マスターに聞いた手掛かりを元に、Gの住処に着いたハーレムは、開口一番、そう言った。 「な……家族の承諾は得たのか?」 (ああ! こいつはなんて気を回してくれるんだ!) Gには、他人の心を、家族を思いやる優しい心がある。それがわからないルーザーに、ハーレムは改めて怒りが込み上げた。 「家族なんていい! あいつら家族じゃねぇ! 友人にでも何でもなるから、取り敢えず泊めてくれ」 「それは本当の友人じゃない」 Gが重々しく言った。 「なんだ。おまえも本当の友人というものを知らんのか。じゃあ教えてやるよ。俺が訳も言わず転がり込んでも、余計な詮索をしない奴のことだ!」 勢いよく、ハーレムは、バスルームと思われる部屋の扉を開けた。 ハーレムが、Gの家に来た理由は二つある。 ひとつは、ルーザーから逃れたかったため――これは、ハーレム自身は認めたくなかっただろうが。 そして――、あとひとつは、ハーレムのことを探し回っているという、変な親爺を、取り押さえるため。 目的が何であろうが、絶対に許さない! 今の彼には、ルーザーへの腹立ちも加わっていた。 ハーレムはシャワーを浴びながら、ぱんっと拳を掌に打ちつけた。 裏士官学校物語 第九話 BACK/HOME |