裏士官学校物語
7
 ハーレムは、すっかりお馴染みとなったバア『無憂宮』(むゆうきゅう)に、今日もまた来ていた。
「……ハーレム」
 隣のスツールに腰掛けたのは、G――ギデオンであった。
 相変わらず、妙な迫力のある男だ。それは、体格の逞しさだけではあるまい。本当は、気は優しくて力持ちなのだが。
 口下手だが、言わんとしていることはわかる。ハーレムとの距離が、それだけ縮まったということか。この酒場で、ハーレムとGは、何度も会っている。
(ギデオン――聖書からか?)
(ああ。士師記からだ)
(親がつけたのか?)
(ああ)
(不満そうだな。もっとも、おまえはいつもそうか)
(少し、恥ずかしくてな)
(何が)
(この名前が)
(いい名前だと思うんだがなぁ――じゃあ、俺は、これからは、ギデオンの頭文字を取って、Gと呼ぶことにするよ。それで、文句ないだろ?)
(ああ)
(あ、笑った。おまえでも、笑うことあるんだなぁ)
 そういった会話を交わしたことを、ハーレムもGも覚えている。その日から、ハーレムにとって、ギデオンはGになった。
「どうした? 元気ねぇな」
 ハーレムの言葉に、Gは溜息をつく。
「実は、変な奴が現れてな――」
「へぇ。どういう風に」
「おまえを探し回っている奴がいる」
「この間の野郎どもか?」
「いや、違う。老人だった」
「どんな?」
「どことなく、おかしな感じだったな――写真を出しながら、人相、風体を尋ねられたので、適当に誤魔化しておいたが――」
「ふぅん。誰だろうな」
「――その、友人として忠告するが……これ以上、ここに深入りしない方がいい」
「ふん」
 ハーレムは、マジックの言ったことを思い出していた。
(人を信用するな。徒党は組むな。友は――作るな)
「悪いが、滅多なことで友は作らん主義でな。友人なんて、一人二人ぐらいしかいねぇよ。それも、殺されても死なねぇような奴さ」
「では、陰ながらおまえのことを心配する者からの忠告と取っていい」
「断る」
 ハーレムはきっぱりと答えた。
「誰であろうと、俺の行動の自由を奪う権限はない」
「だったら……俺が離れたところからでも守ってやろう」
「俺は、一人でも、じゅうぶん強い」
「――だが、一人で飲む酒は、うまくないだろう」
「…………」
 ハーレムは考え込んだ。そして、言った。
「そうだな。おまえ、結構信用できそうだし、酒飲み友達としてなら、つきあってやるよ」
「――どうも」
 Gは、この頃、よく喋るようになった、とハーレムは思った。自分に心を開いているからかもしれない。
 それに――ハーレムも、Gのことは嫌いではない。少し思いが計りかねるところがあるが、充分、いい男だ。
「――おまえの友達というのは、誰なんだ?」
「知りたいか?」
「――ああ」
「レナード・オルセンって奴でさ。世界中を飛び回ってるよ。結構、有名なんじゃないかな。ルーザーとも仲が良いのは、気に入らんけど」
「そのルーザーというのは、確か……」
「俺の二番目の兄貴。レナードより有名だけど、どこか、ズレてる奴。っつーか、偽善者だな。サービスは騙されてるけど、俺は騙されないぜ。怒ると、暴れて怖いんだ。俺も酷い目に合って――笑顔が綺麗なくせに、めちゃめちゃ残酷だもんな。マジック兄貴も、ルーザーには、あまり注意しないし、そもそも、遠慮しているようなところがあるもんな。ルーザーも、俺のことばっか怒って、マジック兄貴やサービスの前では、猫かぶってるんだ――なんだよ」
「よく喋るな、と思って。ルーザーというのは、おまえにとっては、特別な存在なんだな」
「よしてくれよ。あんな奴」
「会ってみたいな」
「ルーザー兄貴にか」
「ああ」
「物好きな奴もいたもんだぜ。もっとも、他にも物好きな奴はたくさんいるけどな。よし! せっかくだから、これから研究所に行くか」
「ルーザーに会わせる気か」
「そうだ」
 ハーレムには、ある試みがあった。
 弟が優等生であることを願い、学友もまた、同じようであることを望むルーザーは、Gを見たら、どんな反応をするだろう。
 優しいが、それが表に出てこない、一見やくざな、ヒラのガンマ団員を、紹介してみれば――。
 だが、Gにとってはいい面の皮である。
 
 研究所――
 Gは予想通り、警備員に止められた。だが、ハーレムが口利きで、通してもらえた。
 ハーレムは、ルーザーにGを紹介した。
 ルーザーは、一目で相手に好意を抱かせるような笑顔で「よろしく」と言った。
「よろしく」
 Gは、低い声で、ぼそっと挨拶した。
 当然のことながら、話は弾まない。ハーレムは、わざと無口でいたからだ。
 Gは、この後、家に帰る予定だそうだ。
 Gがいなくなると、ルーザーは、ハーレムに訊いた。
「今のが、君の友達?」
「悪いかよ」
 ハーレムは、特に肯定も否定もしなかった。
「兄さんは、もう少し、いい友達と付き合ってもらいたいんだけどな」
 ほら来た。
「いい友達って、何だよ」
「たとえば、もう少し、真面目――いや、今の男性が真面目ではない、というわけではないけど。一緒に勉学に励めるような友の方がいいんじゃないかな。サービスに対する、高松のような」
「レナードだって、世界中ふらふらしているフーテンじゃねぇか」
「レナードとあの男の人は違うよ。レナードは、立派な鉱物学者だし」
「それに、高松は、おまえに夢中だぜ」
「ハーレム。からかうもんじゃないよ」
「からかってなんかいねぇよ」
「君には、学校には友達いないのかい?」
「友達ねぇ……」
(そういえば、俺に近づく変な奴がいたっけ)
 カワハラと言ったな。あいつとだったら、ルーザーとも、話が合うだろうか。
(ハーレムくん)
 不意に、カワハラのソフトな口調と、柔らかい笑顔を思い出した。
(はん。あんな奴――)
 ハーレムは、脳裏を過ぎったカワハラの面影を消そうとした。

裏士官学校物語 第八話
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