裏士官学校物語
6
 その日、ハーレムは珍しく授業に参加していた。普段はどこで何をしているのかさっぱり知られていない彼である。時たまふらりと学校に来ては、またふらりとどこかへ行ってしまう。
 隣のA組との合同体育の授業の日であった。
 学校も、授業も好きではない彼だが、体を動かすのは嫌いではなかった。
 どこか鬱屈した気持ちをぶつけるかのように、彼は黙々とメニューをこなしていった。それをクラスメート達は、半ば遠巻きに、半ば感嘆したかのように見ているのだった。
 彼は何かに苛立っていた。それが何に対してであるかは、自分でもわからない。ただ、これだけは強く思っていた。
(ここは俺のいる場所じゃない――)
 ここ、とはどこであるのか。学校のことであるのかもしれないし、自分を取り巻く世界全体であったのかもしれない。彼の求めているのは、己にとってもっと命を燃やせる場所だった。
 彼は、狭い檻の中で乱暴に羽根を動かす、猛禽だった。
 長い脚が大地を蹴ってハードルを飛ぶ。A組のジャンの伸びやかさとはまた違った意味で、ハーレムもダイナミックで人目を引く動きをする男だった。
 後続の競争相手が離されて行く。A組のジャンやサービスと走ったら、いったい勝つのは誰だろうか。そんなことまで囁き合っている生徒達もいたが、残念ながら、直接対決はなく、授業もそこで終わってしまった。
 六時限目なので、次の授業の準備はしなくていい。といっても、部活もある者が大半だったが。
 ハーレムは気分次第で、授業に出たり出なかったりする。少しでもかったるいな、と思えば、どこかにフケてしまえばいいのだ。そして、彼はどこの部にも所属していない。
 ハーレムは講堂の像よろしく、傲然と立っていた。――いや、他の人間からはそう見えるだけだった。
 グラウンドから、ふと、視線を移す。その先に、己の双子の弟と、ジャンがいる。
(また、あいつと一緒なのか)
 サービスとジャンと高松は、この頃よく一緒にいるようだ。今は高松はいないが。たまにしか来ないハーレムにもそれが伺えるぐらいだ。仲はいいのだろう。
 だが、ジャンとサービスがいる所は、何となく彼を落ち着かなくさせた。それは、ジャンの第一印象のせいなのかもしれない。はたまた、弟と仲良くしている者に対する嫉妬でもあったのだろうか。それはハーレムが絶対に認めないだろう感情だし、第一、同じ仲良くしているのでも、高松相手にはそんなことは感じないのだった。
 苛々したハーレムは、二人の方に足を踏み出しかけた。その時、後ろから、
「ハーレムくん」
 ふわっと空気に溶けいるような声が彼を呼んだ。男にしては、少し高めの声。振り向くと、裾が軽く肩にかかるぐらいの長めの黒髪、フレームレスの眼鏡をかけた男が、にこにこ笑っていた。
「……ああ?」
 拍子抜けしたハーレムが我ながら間抜けだと思う返答をする。
「……誰だ、おまえ」
「あ、僕は川原史朗と言います。1年B組、君と同じクラスだよ。もしかして、知らなかった?」
 やっぱり日本人か。
 学校生活が始まって一ヶ月が経った今も、全員の名前を覚えているわけではないハーレムだった。しかし、確かにこの男はどこかで見たことがある。名前も聞いたことがあるような気がする。
「知らなかった。興味もないしな」
「ひどいなぁ」
 言葉とは裏腹に、のんびりと答えを返す。
「僕のことはカワハラって呼んでくれる?」
「何の用だ? カワハラ」
「特に用はないんだけど。用がなきゃ話し掛けちゃいけない?」
「あまり話し掛けられたくないな」
「もうちょっと愛想良くした方がいいよ。せっかく君と話したい人も、僕の他にいるんだからさ」
「うっせぇな。知るかよ」
「どうして学校あんまり来ないんだい?」
「関係ねぇだろ。あっちへ行けよ」
「――君は人を寄せ付けないね。みんな、君を怖がってる」
「そうかい。そんなのそっちの勝手だろうが」
 だから、愛想良くしろってことかい。最悪だ。こんなお説教野郎につかまってしまうとは。
「君、見てると、まるで何かに苛立ってるようだ」
「ああ、苛立ってるよ。特におまえにな!」
 ハーレムは背を向けて行ってしまおうと思った。カワハラの、呟きに似た声が聞こえるまでは。
「――ここにいたくないんだ」
 見透かされたような気がして、ぎくりとして足を止め、ハーレムはまた振り返る。
「今、なんか言ったか?」
「ああ。僕のこと。――僕、本当は殺し屋になんかなりたくないんだ。人殺しなんてしたくないよ」
「なら、なんでここにいる?」
「ああ、タダで勉強できるのがここしかなかったもんで」
 カワハラがまたにこっと笑う。
「ふぅん」
 ガンマ団士官学校には、いろんなやつが様々な事情でここに流れてくる。中には、どうしてもここにしか来れなかったと言う人も。こいつもその一人だ。驚くことでもない。
「――で、なんで俺にそんなことを?」
 このセリフには、様々な言外の思いが込められている。そんなことを聞いても俺に何ができるわけでもないぞ、とか、もしかして同情ひくつもりか、とか、どうしてそんなおまえにとって重大であるだろうことを、ぽんと他人に話すんだとか――まさか、俺を信頼しているからではあるまい。初めて会ったやつなのに。
「だって、こんなこと教官に相談するわけにはいかないだろ。クラスメートだって、ここではライバルみたいなもんだし――君だったら、あまり学校来ないから、言っても構わないと思ってさ」
 あっさり言ってのけるカワハラに、頭が痛くなってきたハーレムはこめかみを押さえた。
「だからって、俺に話してどうしようというんだ。俺には何もできんぞ」
「別にどうもしないさ。ただ、聞いてくれただけで嬉しいんだ。じゃあ、僕行くから。また会えるといいね。今度は忘れないでよ」
 手を振りながら、カワハラは去ってしまった。
 勝手なことを言って、勝手に消えてしまった。基本的に笑顔の似合う奴というのは好きではない。腹の底では何を考えているかわからない、そう思うからだ。だが、カワサキはそういった今までのやつらとはどこか違う気がした。
 先程、ジャン達がいた所を見ると、サービスが何かを言って、立ち上がるのが見えた。

裏士官学校物語 第七話
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