裏士官学校物語
5
「どうしてこんなことをやったんだ」
 詰問口調で問う相手。無視するようにあらぬ方を向くハーレム。お馴染みの情景だが、今回は些か勝手が違った。
 相手はマジックではなく、ハーレムが最も苦手とする次兄、ルーザー。いつもはハーレムを注意するのはマジックの役目である。滅多にルーザーが出てくることはない。
 大きく溜息をついたルーザーは、考え考え、どうやって話を切り出そうか、迷っている所だった。
 ハーレムは、気取られぬように薄く笑った。
 そうやってそっぽを向くハーレムには、どうせわかりっこないと云う見くびる気持ちと相手に対するにある種の恐れが、ないまぜになっていた。
 原因は、ハーレムの家出である。
 彼は一晩中、バイクを駆っていた。しかも、まだ無免許の身で。そのバイクは、仲が良かった中学時代からの先輩から譲り受けたものだ――その男は、最近死んだ。
 ルーザーは、何かあったのか、と、ハーレムに云う。
「全く――しょうがないね。おまえは」
(しょうもないのは、どっちだよ)
 ハーレムはルーザーを横目で睨みながら、肘をついて、手の上に顎を乗せた。
 ハーレムがゆうべ体験した衝動に似た気持ちなど、ルーザーには理解できっこないだろう。
「俺、疲れてんだけどな」
「朝帰りだものね」
 皮肉げにそう云ったルーザーはしかし、一秒後には不機嫌そうに厳しく鼻の頭に皺を寄せ、首を振った。
「ハーレム。どうしてそんな馬鹿なことをするんだい。君の行動は、僕達に心配をかけさせてるとしか思えない。わざと」
(はん。心配するのはそっちの勝手さ)
 ハーレムはゆうべの風と、暗闇に包まれ、ぽつぽつと明かりの点在していたハイウェイ、そしてものすごく浮き立つ気持ちを思い出していた。
(走れ、走れ、もっともっと早く。駆けろ、駆けろ、もっともっと――)
 まるで空を飛んでいるかのようだった。スピードへの希求が膨れ上がり、空気のように流れて自動車を何台も追い抜き、気が付くと、知らない場所にいた。
(わかるまい。あの充実感は。あの風は――)
 ルーザーは感じることを感じず、いつも上から自分を見下ろしている。そうやって自分を遠くから見つめ、偽善者の仮面がはがされるのを死ぬ程怖がっている――とハーレムは感じていた。
 それだったら、ほっといてくれても良さそうなものだが、やはり心配なのか、己に関わろうとする。
(兄貴、どだいアンタと俺じゃ、生きている世界が違うんだよ)
 まぁ、でも、怒っているうちはまだましかもしれない、とハーレムは思う。本当に怖いのは、天使のように罪のない、綺麗な微笑みを、その顔に浮かべた時だ。そうなったら、どんな残酷なことも平気でやる。そう思うのは、あながち幼少時のトラウマだけではない。
 だが、大丈夫だ。今は。まだ本気じゃない。
 ハーレムは、もうルーザーの話など、聞いてはいなかった。
(あの風は、また俺をどこかへ連れて行ってくれるだろうか――)


裏士官学校物語 第六話
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