裏士官学校物語
3
「ルーザー兄貴、これ、忘れてたろう」
 ハーレムがジャンを二度目に見、初の対面をした時から、少し時間は戻る。
 なんてここは植物が多いのだろう。兄貴のサンルームもいい加減ジャングルだが――そう思いながら、ハーレムは所内に足を踏み入れる。
 ルーザーが忘れていったのは、携帯用食料――つまり、お弁当のことであった。
「わざわざありがとう。これから空腹で作業に取りかからなくちゃいけないとこだったよ。お礼をしなくちゃね」
 お礼と聞いて、ハーレムの心は、少し、期待で弾んだ。
「なんだ? 礼って」
 ルーザーはハーレムをぐいと引き寄せると、その額にキスをした。
「な……やめろよ。なんなんだよこれは」
 ハーレムは唇の痕を手の甲で拭った。
「なにって、ごほうび」
「あのなぁ、兄貴。ごほうびってのは、相手が貰って嬉しいものをやるもんだぜ。嬉しくねぇよ。こんなもん」 
「こんなもん? 僕のキスを欲しがる人は、男でも女でもたくさんいるんだけどなぁ」
「気が知れねぇぜ」
「じゃあ、君は何が欲しいんだい」
「金」
「却下」
 ルーザーは言下にいなした。
「ご褒美のキスと相手の役に立ったという満足感――それで我慢なさい」
「うまく誤魔化されたような気がするぜ」
「じゃ、もう一つキスしてあげよう」
「たくさんだよもう。何もいらねぇ。金もいらねぇ。俺帰る」
「まぁ待ちなよ。珍しい物見せてあげるから。友人に貰った物なんだ」
 『珍しい物』その言葉に好奇心が刺激され、ハーレムはぴたりと立ち止まる。あまり懲りるということを知らない質のようである。
「さぁこちらへ」
 ルーザーはハーレムの手を取って、ある鉱物――石――の前に誘う。
「何だよこれ。ただの石じゃねぇか」
「と、思うだろ。ところが違うんだ。……明かりを消すよ」
 パチリ、とスイッチが押され、蛍光灯の明かりは消える。
 今まで、表面にでこぼこのあるだけに見えたただの鉱岩から、青い光が漏れ出す。岩に開いてあった全ての穴から。まるでライトの様に辺りを照らす。
「ルーザー兄貴……これ……」
「ああ、綺麗だろう」
「これも研究対象なのか?」
「いいや。僕は鉱物学者じゃないからね。下手にいじくって、光らなくなってしまったら困るだろう。だからこれは、ロマンの一つとして、そっとしておくんだ。オパールなんかだと、照明を当てると光るけど、これは自ら光るんだ」
「へぇ……」
「もう一つ、不思議なことがある。これは他人に見せる度に、少しずつ、光の強度を失っていくんだよ。友人が初めて見た時は、それこそ直視もできないくらい眩しかったんだ。僕が見た時も、もうちょっと明るかったよ」
「俺に見せたの、勿体なかったんじゃねぇの?」
「……少しね。あれ、こんなに光が弱まっちゃったよ。大丈夫かな。あと三人には見せたいのに」
「三人って?」
「サービスに高松君。それにマジック兄さんだよ。ああ、マジック兄さんは必要ないかな。世界最高の秘宝を持っているんだものね」
「そんなことないさ。見せてあげれば喜ぶぜ」
「いや、こんな物、秘石に比べれば、どうってことないよ」
 こころもち、声のトーンが落ちる。
 ハーレムの肩に手が置かれた。
「……兄貴?」
「……ハーレム。すぐに帰った方がいい」
「あ、ああ。そうするつもりだったけど、兄貴が引き止めたんじゃないか」
「そうだね。悪かったよ。とにかく、これから研究があるんだ。なんなら、その石は持って行ってもいいから」
「え? でも、これ、兄貴のだろ?」
「いいから! 行ってくれ! 早く!」
 ハーレムは訝しんだが、ルーザー兄貴の気の変わりやすいのはいつものことだと、あまり気に止めずに出ていった。石は、置いていった。

裏士官学校物語 第四話
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