裏士官学校物語 「よっ」 革ジャンを着て、思いきり胸をはだけたハーレムが、軽く片手を上げた。 「ハーレム……」 「会いたかったぜG!」 ハーレムはGに抱きつき、二人はもつれながらベッドに倒れこんだ。 「今日、ここに泊っていいか?」 「外泊届は出してきたか?」 「もちろん」 ルームメイトのカワハラも、 「僕が寝ているとき、君が何をしようと、どこへ行こうと、見なかったことにしてあげる」 と、柔らかい笑顔で言った。 (案外なかなか話のわかる奴じゃねぇの) とハーレムは感心した。無論、 「もちろん、ばれないように気をつけなきゃいけないことは――わかってるよね」 ときっちり念を押されてしまったが。 「外泊届は出して来たか?」 Gの問いに、ハーレムはもちろん、と答えた。 「なぁ、俺、アンタ見てると、アツシを思い出すんだ」 Gの耳元で、ハーレムが囁く。 「アツシ……?」 「中学時代の先輩でさ、日本人の後藤篤。みんなアツシって呼んでたけど」 「どんな男だ?」 「無口でね――まぁ、必要なことは喋るけど。そいつがあるとき言ったんだ」 ハーレムは一呼吸置いた。 「俺の愛車だ。預かっててくれ、って、バイクを。間もなく、事故で死んだ」 ハーレムは、Gにしがみついたまま、あれがアツシの形見だったんだな、と、ぽつんと呟いた。 二人は、しばらく、何も言わなかった。 Gの体臭は男臭かった。 考えてみると、人はいろいろな匂いに取り巻かれて生きている。Gの家の乾いた木の匂い、ガンマ団内の無機質な匂い。黒鳥館の新築の家に似た匂い。 アツシの臭いはどんなだったろう。日本人は魚臭いというが、アツシはそうでもなかった気がする。いずれにせよ、もう忘れかけている。 ――ハーレムは、再び口を開いた。 「アツシって、そんな虫の知らせに敏感な奴だった。自分が死ぬこと、どこかではわかっていたかもしれない。そんな気がする。――そのバイクで駆けたら、風になったようで気持ちよかった。兄貴に取り上げられそうになって、それは勘弁してもらったけど。無免許なのに道路でバイク転がすって、そんなにヤバいのかな」 「さあな」 「世の中理不尽だらけだぜ」 Gとハーレムの視線と視線が絡み合う。 「大人になったら、どんなことでも、していいんだよな。人殺しだって――ガンマ団は殺し屋軍団だし」 ガンマ団は、優秀な者に自由を与える。士官学校生には、原則的にそれは認められていない(それも建前だけだ、という説もあるが)。Gが一ヵ月の大半をここで過ごすことも、そんな訳で、許されている。仕事や遠征などの折には、団員寮やテントで我慢しなくてはならないが。 「ハーレム……」 Gの息が生暖かい。バーボンの匂いがした。 「それ以上近づくな――理性がもたんぞ」 「へぇ。アンタでも、そういうことあるんだ」 「当たり前だ。俺だって男だ。図に乗って挑発するな」 「俺も男だよ。アンタ、女いないの?」 「――女友達なら、いる」 「へぇっ、どんなお友達ですかね」 ハーレムは口を尖らせた。 「勝手に想像してくれ」 「なぁ、その女、美人か?」 「美人だ」 「なら、俺にくれ」 Gが、珍しく虚を衝かれた顔をした。 あっはははは、とハーレムが笑い出した。悲しみは紛れたが、涙が目元に浮かんだ。この少年は切り替えも早い。 「冗談だよ。じょ・う・だ・ん。どうもおまえは固っ苦しくていけねぇ。その女も――こんな朴念仁のどこがいいのかねぇ」 「――物好きなんだろ?」 「俺、さっきからわざと隙見せてるのに、襲わないしさぁ」 「据え膳は食う気になれん」 「つまんねぇ奴」 「それに、未成年に手を出したら、後々面倒だからな」 「しかも、総帥の弟に――か?」 「そうだ。だから、今はこれで我慢しておく」 Gはハーレムの腕を取って、自分の体に乗り上げさせた。 「これだけ? 他には何もしない?」 「ああ」 やはり、こいつは真面目だな、とハーレムは思った。心密かに合格点をやった。 ハーレムは、いい加減色恋沙汰には鈍い方だが、何故か、Gには好意を寄せられているのがわかる。付き合いが深いからだろうか。時々しか会えなくても、お互いのことがはっきりとわかる。心の奥底では繋がっている。――それを、人は縁と呼ぶのだろう。 「なぁ、訊くの忘れてたけどよ」 「なんだ?」 「『無憂宮』のマスター達、Gにも酒贈ったって言うんだけど、何もらった?」 「ビールとバーボン1ダースずつ、それに煙草1カートン」 「へぇ……随分安上がりだな」 「以前、俺が、『ビールとバーボンより旨い酒は他にない』と言ったからだろうな」 「その意趣返しかな?」 「とも思えんが」 「俺はクリュグだったぜ」 「そうか」 Gは興味なさそうだった。 本当にビールとバーボンより旨い酒はないと思っているのだろう。 「――で、煙草1カートンってのは、何だ?」 「――教えん」 「何でだよ」 「秘密の符丁だからだ」 「煙草がか?」 「ああ」 「ふぅん――なぁ、一本くれよ」 「……一本だけだぞ」 Gからもらった煙草に、ハーレムは火をつけて旨そうに吸った。 二筋の紫煙が、空中で溶けて混じり合った。 ふと、そこにアツシもいるような気がした。 「安心したよ」と言いたげに、笑っていた。ハーレムがそれを感じ取れたのは、おそらく、ハーレム自身も――霊感めいたものがあったせいであろう。 (アツシ、元気でいろよ。俺には――仲間がいるからさ) アツシの霊は、満足そうな表情を浮かべたが、背を向けて見せた姿には少し淋しさを漂わせて、そのまま消えていった。 裏士官学校物語 第十九話 BACK/HOME |