裏士官学校物語
18
 こここここん――思いきりノッカーを叩くと、Gが現れた。
「よっ」
 革ジャンを着て、思いきり胸をはだけたハーレムが、軽く片手を上げた。
「ハーレム……」
「会いたかったぜG!」
 ハーレムはGに抱きつき、二人はもつれながらベッドに倒れこんだ。
「今日、ここに泊っていいか?」
「外泊届は出してきたか?」
「もちろん」
 ルームメイトのカワハラも、
「僕が寝ているとき、君が何をしようと、どこへ行こうと、見なかったことにしてあげる」
と、柔らかい笑顔で言った。
(案外なかなか話のわかる奴じゃねぇの)
とハーレムは感心した。無論、
「もちろん、ばれないように気をつけなきゃいけないことは――わかってるよね」
ときっちり念を押されてしまったが。
「外泊届は出して来たか?」
 Gの問いに、ハーレムはもちろん、と答えた。
「なぁ、俺、アンタ見てると、アツシを思い出すんだ」
 Gの耳元で、ハーレムが囁く。
「アツシ……?」
「中学時代の先輩でさ、日本人の後藤篤。みんなアツシって呼んでたけど」
「どんな男だ?」
「無口でね――まぁ、必要なことは喋るけど。そいつがあるとき言ったんだ」
 ハーレムは一呼吸置いた。
「俺の愛車だ。預かっててくれ、って、バイクを。間もなく、事故で死んだ」
 ハーレムは、Gにしがみついたまま、あれがアツシの形見だったんだな、と、ぽつんと呟いた。
 二人は、しばらく、何も言わなかった。
 Gの体臭は男臭かった。
 考えてみると、人はいろいろな匂いに取り巻かれて生きている。Gの家の乾いた木の匂い、ガンマ団内の無機質な匂い。黒鳥館の新築の家に似た匂い。
 アツシの臭いはどんなだったろう。日本人は魚臭いというが、アツシはそうでもなかった気がする。いずれにせよ、もう忘れかけている。 
 ――ハーレムは、再び口を開いた。
「アツシって、そんな虫の知らせに敏感な奴だった。自分が死ぬこと、どこかではわかっていたかもしれない。そんな気がする。――そのバイクで駆けたら、風になったようで気持ちよかった。兄貴に取り上げられそうになって、それは勘弁してもらったけど。無免許なのに道路でバイク転がすって、そんなにヤバいのかな」
「さあな」
「世の中理不尽だらけだぜ」
 Gとハーレムの視線と視線が絡み合う。
「大人になったら、どんなことでも、していいんだよな。人殺しだって――ガンマ団は殺し屋軍団だし」
 ガンマ団は、優秀な者に自由を与える。士官学校生には、原則的にそれは認められていない(それも建前だけだ、という説もあるが)。Gが一ヵ月の大半をここで過ごすことも、そんな訳で、許されている。仕事や遠征などの折には、団員寮やテントで我慢しなくてはならないが。
「ハーレム……」
 Gの息が生暖かい。バーボンの匂いがした。
「それ以上近づくな――理性がもたんぞ」
「へぇ。アンタでも、そういうことあるんだ」
「当たり前だ。俺だって男だ。図に乗って挑発するな」
「俺も男だよ。アンタ、女いないの?」
「――女友達なら、いる」
「へぇっ、どんなお友達ですかね」
 ハーレムは口を尖らせた。
「勝手に想像してくれ」
「なぁ、その女、美人か?」
「美人だ」
「なら、俺にくれ」
 Gが、珍しく虚を衝かれた顔をした。
 あっはははは、とハーレムが笑い出した。悲しみは紛れたが、涙が目元に浮かんだ。この少年は切り替えも早い。
「冗談だよ。じょ・う・だ・ん。どうもおまえは固っ苦しくていけねぇ。その女も――こんな朴念仁のどこがいいのかねぇ」
「――物好きなんだろ?」
「俺、さっきからわざと隙見せてるのに、襲わないしさぁ」
「据え膳は食う気になれん」
「つまんねぇ奴」
「それに、未成年に手を出したら、後々面倒だからな」
「しかも、総帥の弟に――か?」
「そうだ。だから、今はこれで我慢しておく」
 Gはハーレムの腕を取って、自分の体に乗り上げさせた。
「これだけ? 他には何もしない?」
「ああ」
 やはり、こいつは真面目だな、とハーレムは思った。心密かに合格点をやった。
 ハーレムは、いい加減色恋沙汰には鈍い方だが、何故か、Gには好意を寄せられているのがわかる。付き合いが深いからだろうか。時々しか会えなくても、お互いのことがはっきりとわかる。心の奥底では繋がっている。――それを、人は縁と呼ぶのだろう。
「なぁ、訊くの忘れてたけどよ」
「なんだ?」
「『無憂宮』のマスター達、Gにも酒贈ったって言うんだけど、何もらった?」
「ビールとバーボン1ダースずつ、それに煙草1カートン」
「へぇ……随分安上がりだな」
「以前、俺が、『ビールとバーボンより旨い酒は他にない』と言ったからだろうな」
「その意趣返しかな?」
「とも思えんが」
「俺はクリュグだったぜ」
「そうか」
 Gは興味なさそうだった。
 本当にビールとバーボンより旨い酒はないと思っているのだろう。
「――で、煙草1カートンってのは、何だ?」
「――教えん」
「何でだよ」
「秘密の符丁だからだ」
「煙草がか?」
「ああ」
「ふぅん――なぁ、一本くれよ」
「……一本だけだぞ」
 Gからもらった煙草に、ハーレムは火をつけて旨そうに吸った。
 二筋の紫煙が、空中で溶けて混じり合った。
 ふと、そこにアツシもいるような気がした。
「安心したよ」と言いたげに、笑っていた。ハーレムがそれを感じ取れたのは、おそらく、ハーレム自身も――霊感めいたものがあったせいであろう。
(アツシ、元気でいろよ。俺には――仲間がいるからさ)
 アツシの霊は、満足そうな表情を浮かべたが、背を向けて見せた姿には少し淋しさを漂わせて、そのまま消えていった。

裏士官学校物語 第十九話
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