裏士官学校物語
16
「やあ」
 新しい寮の部屋にいたのは、フレームレスの眼鏡も似合う、カワハラだった。
 ハーレムは、バタンと、乱暴にドアを閉めた。
(間違えたかな……)
 でも、確かに104と――。
「ハーレムくん。何もあんなに勢いよく閉めなくても」
 カワハラがひょこっと顔を出した。
「か――カワハラ」
「僕がこれから、君のルームメイトだよ。よろしく」
「何がルームメイトだ。どうせ、監視役にマジック兄貴に頼まれたんだろ」
「なるほど。そうだったのか。初めて知った」
「なめてんのか」
「鋭いねぇ、君は」
「そう考える方が普通だろ」
「普通か……う~ん。僕はまた、てっきり、ハーレムくんが寂しがるから、友達の僕が移動することになったのかな、と思ったんだけど」
「誰が友達だ、誰が。俺は一人でも生きていける」
「そんなこと言って。本当は寂しがり屋のくせに」
「だから、誰がだ」
「君が」
「そう云う直接的な答えを期待していたわけではねぇんだよ」
 そう言って、ハーレムは部屋を離れようとする。
「どこ行くの?」
「兄貴に抗議してやる」
 ハーレムがガニ股で歩いて行く。ポニーテールがゆらゆらと揺れた。
「悪かった。僕の本心も語らないでいて」
 カワハラの声に、ハーレムが振り向いた。
「僕も、寂しかったんだ。だから、僕達、似た者同士だよ」
「俺は、一人でも大丈夫だって言ってるだろうが」
 だが、今のカワハラは、少し憂いを帯びた顔で俯いていて、冗談を口にしそうでないところが、ハーレムの目をひいた。
「わかった。わかったよ。ルームメイト付きでも、コブ付きでも勘弁してやる。だがな」
 ハーレムが、にっと笑った。
「今夜、この部屋で起こることは、誰にも言うなよ」

「おい、高松。黒鳥館の104号室だ」
 ハーレムは、電話で陽気な声を出した。
「はぁ……あなたですか。私は忙しいんですよ」
「何を言う。研究室に連絡したら、今日はもう帰った、と言ってたぞ」
「時間帯が非常識ですよ。なんですか、夜中の二時の呼び出しって」
「まぁ、来い。いいもんやる。ついでにジャンの野郎も起こしてきな。サービスは……あいつはいいか。いろいろとうるせぇしな」
「あなたがサービスを呼ばないなんて、珍しいですねぇ」
「そうか? まぁいいだろ。ジョージとポールの約束を果たしたいと思ってな」
「『無憂宮』の二人のですか?」
 案の定、高松は食いついてきた。
「そうだ。ジャンと高松と分けてくれって、酒置いていったんだよ」
「それを早く言いなさい!」
 高松は居丈高にびしっと言った。
「なんだよ……急に」
「アンタのことなんかこれっぽっちも信用していませんが、『無憂宮』のマスター達のことだったら、話は別です。今すぐジャンも呼んで、飛んで行きますからね」
「もう一人、邪魔なやつがいるけど、いいか?」
「どうせカワハラでしょう? 構いませんよ」
 そして、電話はがちゃんと切れた。
「なんなんだ、あいつ。それに、俺のこと信用してないって、どういう意味だ?」
 ハーレムは、心外そうに口をへの字に曲げながら、受話器を置いた。

「高松くん、来るって?」
 カワハラがベッドの中でもぞもぞと体勢を立て直す。
「ああ。ジャンも来るだろ。眠かったら、寝てていいぞ」
「ありがと」
 カワハラは、ハーレムに向かって、にこぉっと笑った。
「でも、今は眠れそうにないな。だって、何かが起こるような、わくわくするような感じがするんだもの」
「ただの酒盛りだぜ。まぁ、俺は酒が好きだからいいけどよ。おまえ、確か下戸なんじゃなかったっけ?」
「確かにお酒はあまり飲めないけどね。ああ、ハーレムくんがルームメイトで良かった。なんか、楽しそうなんだもの」
「別に、大したことはしてないぜ」
「でも、君って面白い。顔も面白いし」
「馬鹿……」
 ハーレムはカワハラに近寄って、びろーんと相手の頬をつまんで広げた。
「は、はにふんの?」
「今のおまえの顔の方が、よっぽど面白いぜ」
 気が済むと、ハーレムは、手を放した。
(けれど、なんで、こいつかなぁ……)
 ハーレムは首を傾げた。
(こいつは……ミツヤにそっくりだ)
 いつも笑顔だったミツヤ。自分にも親切だったミツヤ。ある日突然姿を消したミツヤ。
(マジック兄貴は……ミツヤの話をすると、辛そうな顔をした)
 写真集からも、ミツヤの姿は消えていた。
「ねぇ、お兄ちゃん。どうしてミツヤの写真がないの?」
 幼心に疑問に思って、そう訊ねたことがある。
 マジックは、怖い顔をして言った。
「もう必要ないからだよ」
 それは、小鳥を殺したルーザーにも、似ているものがあった。
 ハーレムは恐怖したが、命を奪っておいて、微笑していたルーザーよりは、まだしも恐ろしくはなかった。だが、もうミツヤのことは禁句なんだと、おぼろげながら理解できた。
「わっ」
 顔を上げると、カワハラの至近距離の視線とぶつかった。
「何そんなに近づいているんだよ」
「へぇー、意外だな。こんなに近づいても、気取られないなんて」
「あのなぁ……」
 しかし、確かに、これほど近づかれても、気がつかないとは。寝ている間はともかく。
(もう少し用心しなければな。ルーザーにも寝込みを襲われたし)
 ルーザーにも異論はあるだろうが、ハーレムの解釈はそうだった。
「何考えてたの?」
「別に。昔のこと」
(そういや、こいつはルーザーにも似ている)
 こんなタイプの男に、つけいれられる隙でもあるのだろうか。
 とんとん、とドアから音がした。
「僕もここにいていいんでしょう?」
「おう。まぁ、いいけどよ」
 ハーレムが言い置いて、かちゃりとノブを動かした。
「入っていいぞ」
 高松は、約束通り、ジャンを連れてきた。
「失礼します」
「お邪魔しまーす」
 ハーレムは二人を招じ入れると、扉を閉めた。
「で、どこにあるんです? 品物は」
 ハーレムはボストンバッグの中から、包みに入った酒瓶を取り出した。
 マジックのカーヴに今まで隠しておいて、今日、持ってきたものだった。
「俺の入寮祝いだ」
 ジョークでも口にするかのように、ハーレムが言う。
「私達にとっては、迷惑極まりないですがね」
「高松。そんなこと言っては悪いよ。せっかく招待してくれたのに」
 ジャンが注意する。
「こういうことを言い合う仲なんですよ。私達は」
「ま、腐れ縁てところだ」
「そういえば、おまえ達楽しそうだな。カワハラくん、今日はよろしく頼むよ」
「わかった。先生に告げ口するような、野暮な真似はしないからね」
「いや、そういう意味ではなく……」
「いいじゃありませんか。ところで、ハーレム。ジョージ達からのお土産は……」
「おお、聞いて驚くな。クリュグだ」
 しん、と沈黙が落ちた。
「クリュグですって?」
「うん。そうだ」
「すごい酒じゃありませんか!」
「ああ。クリュグは確かにすごい酒だ。でも、俺だって飲んだことぐらいはある」
「そりゃあ、私達は、あなたみたいなブルジョワじゃありませんからねぇ」
 高松は皮肉たっぷりの口調だ。ハーレムが続けてこう言った。
「ポールがぽんとくれたときは、さすがに驚いたけどな。ま、精々拝んで、味わってくれ給え」
「何が『くれ給え』ですか。田葛先生じゃあるまいし。それに、これはアンタの酒ではなく、ジョージ達の酒でしょうが」
「そんな態度とってもいいのか? この酒、おまえらには一滴もやらずにガブ飲みしてやっても?」
「だったら何で呼んだんですか。ただ単に自慢したいからではないでしょう」
「仕方ねぇんだよ。本当なら独り占めしたいとこだがな」
 そう言って、ハーレムは酒瓶の包装を剥がし始めた。
「あっ、ラッパ飲みはやめてください。アンタと間接キスなんてごめんです」
「俺は別に構わないけど――」
「僕も」
 高松の文句に、ジャンとカワハラが答えた。それを無視して、ハーレムは高松にすごんでみせた。
「おまえは、ジャンやカワハラとだったらいいのかよ」
「アンタ以外だったら平気です」
「じゃ、ルーザー兄貴とは? 別の意味で平気じゃなさそうだけどな」
「ルーザー様と……鼻血の出るような質問しないでください。あの方なら別です、別ですが、ああ、鼻血が……。これでも、人の部屋だから、少々遠慮してはいるんですよ」
「そうは思えんけど」
 それにしても、どこがいいんだろう。あんなの。
(こいつ、ルーザー兄貴が俺のことを夜中抱き締めたと言ったら、どんな反応するだろうな)
 それを想像するのは、些か興味深くもあった。
(そんなに欲しいんなら、のしつけてでもくれてやりたいのに)
 ルーザーへの高松の思慕。憧れへの情熱は、実らないことが多過ぎる。とかくこの世はままならぬ。
「……傷つきましたー?」
「だーれが」
 おまえこそ、傷つくなよ、高松、と、ハーレムは思った。
「高松くん。ハーレムくんは、さっきから考え事をしているみたいなんだよ」
「もう遅いから、眠いのではありませんか?」
「いや、まだまだ元気だけどな」
「一応紙コップ持ってきましたよ。ついでに栓抜きも」
「おー、気が効くな、おまえは」
 引っ越してきたばかりのハーレム達の部屋には、カップが人数分もなかった。
「ルーザー様と同じこと言いますね」
「えっ!」
 ハーレムはどきっとした。高松は、何の気なしに発した台詞だろう。しかし、ルーザーに対して拘りのあるハーレムには、高松の台詞が、偶然のタイミングで言われたものだとは思われなかった。
(思考回路が似ているのかな……嫌な奴だけど、兄弟だしな)
「カワハラさんも、一杯いかがです?」
「いや、僕は……」
「どうせだから付き合いな」
 逡巡しているカワハラにハーレムも押す。
「クリュグは、飲んでも悪酔いしませんよ」
 高松が説明する。
「じゃあ、一口だけ……」
 高松が器用にクリュグのコルクを開ける。
 カワハラは、自分のマグカップを持っていたので、それに注いでもらい、一口なめた。
「美味しい……お酒って、こんなに美味しいものなんだ」
 カワハラは、感嘆した。
「おっと。おまえの分はそれだけだからな。後は、俺と、高松と、ここに突っ立っているウドの大木の分だ」
「俺、ウドの大木ぅ?」
「そうだろが。いっつも高松やサービスやその他諸々の連中とひっついていやがって」
「いつもの僻みですから、気にしないでください」
 高松が、ジャンの耳にそっと口を寄せる。
「聞こえてるんだよ!」
「……こんなときだけ地獄耳なんですから」
「俺の耳は、陰口はよく聞こえるんだ」
 ハーレムが些か得意げに言った。
「自慢になりませんよ。全く……」
 ジャンと高松の紙コップと、ハーレムのグラスに酒が注がれた。
「はっはっはっ。貧乏人は侘しいなぁ。紙コップでクリュグ飲んでやがる」
「あなたが客用のグラスを持ってないのが悪いんでしょう。さっきは、気が効くと言ったくせに」
「ムキになるなよ。自分のコップ持ってきて、エライな~と、そのときは思ったんだよ」
 ハーレムは、高松の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「やめてくださいよ」
「はっはっはっはっ」
「カワハラさん、なんとか言ってやってください」
「なんとか」
 部屋がしーんと静まりかえった。
「使い古されたギャグはやめてください」
「ほーんと。部屋の温度が一気に五度は下がったぜ」
「まぁまぁ。二人とも。カワハラだって、わざと場を盛り下げるようなこと言ったわけじゃないんだからさぁ……」
「君が一番きついよ。ジャンくん……」
 カワハラが、微笑を絶やさぬまま、指摘する。
「おまえも結構言う方だな」
 同じ穴の狢だと、ハーレムも笑う。
「でも、こうやって酒盛りも、悪くはありませんねぇ」
「ああ。ハーレムと、高松と、カワハラと。こんな時間を持てたことに、感謝するよ。マスター達には、足を向けて寝られないな」
 ジャンが感慨深げに言った。
「そう、そのマスターだけどな……吹く前に、ちゃんと飲み込めよ」
 ハーレムは、口元に手を当て、ひそひそ声で言った。
「――牧師になりたいんだそうだ」
「ええっ?! 牧師?!」
「酒場のマスターが牧師ですか?!」
「牧師って、偉いのか?」
「なっ、驚くだろ。でも、あん時のポールは、今までで一番いい顔してたぜ」
「やはり、夢を持つ人は強いですねぇ。あなた方にも何か夢はありませんか? 私の夢は、ルーザー様の片腕になって、研究所を切り盛りすることですが」
「そんな夢捨てちまえ! 俺は、あれだな。やっぱり戦場に行きたいな」
「僕は、医者になりたいな」
「ジャンはどうです? これだけ聞いておいて、答えられない、と云うのはなしですよ」
「俺は……俺は……争いのない世界を作りたい」
 何と云えばいいのか、他の三人は全くわからなかったが、やがて、ハーレムがぽつん、と呟いた。
「……夢、だな」
「ああ、夢だよ」
「それも、俺の希望と相反する夢、だな」
「難しいことはわからないけど、俺、ハーレムの夢が、俺の夢と矛盾しなくなるときが来る、と思うんだ」
「――そうか。まぁ、精々叶わぬ夢でも追ってろよ」
 ハーレムは、己の言葉の刺々しさに、少し嫌気がさして、コップに残っていた酒を全部飲み干した。
「あーあ、勿体ない飲み方して」
「俺も、むやみやたらと人を殺したいわけじゃねぇ。しかし、ジャン、おまえの夢は――ガンマ団の存在意義すらなくすものだぞ」
 ハーレムはジャンに絡んできた。
 ジャンは、それこそ、ガンマ団の存在意義を消す為に、この国に来たわけであるが、当然ハーレムがそれを知る訳がない。
「俺は、自由に暴れたいんだ。こんなぬるま湯のような環境には本当はいたくねぇ。自分の力を試してみたい。どこまでやれるか」
「力が強さの証明になるとは限りませんよ」
「それでも、ひとつの証にはなるだろ」
 それが、ハーレムの、後年の『男は女より、強い者に惹かれる』という台詞の土台になった信念である。
「僕には、君みたいな力はないけど、将来は、人を助けたいよ」
 無口だったカワハラが、話に加わる。
「ハーレムくんのような力も必要だね。僕達には」
「ああ……そうですね。医学と病人は、セットになってますからね。同時に、神と悪魔も」
「僕は、神についてはよくわからないけれどね」
「悪魔がいなければ、神もまた存在しない、ということですよ」
「ふぅん。高松くんて、哲学者だね」
 ハーレムは不思議に思った。この学校に入ってくる者ならば、すぐに理解できるはずの概念である。
 カワハラにもわからないことはないだろうに、わざとはぐらかそうとしているのか、それとも、何か隠しているのか。
(クリスチャンてこたぁ……ねぇよな)
 ハーレムは、家庭教師のイザベラから、聖書を教えてもらったことがある。
 だが、今の自分には必要がない。そう思っている。
「要り用になったら、読みなさい」
 十五の誕生日に手渡してくれた聖書も、手つかずになっている。
(ま、そんなことは、どうでもいいか)
「注いでくれ」
「嫌ですよ。アンタにお酌なんて」
「誰もおまえになんか頼んでねぇよ。高松。もういい。自分でやる」
「僕がやるよ。好きなだけ飲まれても困るしね」
「そうですね。大人になったら立派なアル中と云うのでもね。今でさえ厄介者なのに」
「うるせぇな。今から縁起でもない予言すんじゃねぇよ。高松。おまえこそ、酒飲みだろうに。アル中になる可能性なら、充分にあるんだぜ」
「ご心配なく。ちゃんと自己管理してますから」
「カワハラも、余計なこと言ってんじゃねぇ」
「まぁま、ここは抑えて、抑えて」
 ジャンが間に入る。
「いつもだと、旨い酒飲んだら、いい気持ちになれるのに、こう半畳を入れられちゃ、おちおち酔っ払うこともできないぜ」
「いいんですよ。それが目的なんだから。ねぇ、カワハラさん」
「ねぇ、高松くん」
「あっ、そっかー」
 ジャンは明るく答えて、引き下がる。彼のおかげで、座が和やかになった。
 ハーレムは窓際に座って、月を背にしながら、高松達と喋りの続きを始めた。
 こんな時間も、悪くない。
 そう思ったのは、先生に内緒の酒盛りがお開きになった、午前も三時半ばを回った頃のことであった。

裏士官学校物語 第十七話
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