裏士官学校物語 数は少ないながらも、ギャラリーは、ジャンの演奏を褒める。 「いやぁ、上達したなぁ、ジャン」 「でしょう? 私の教え方がいいからだよ」 兄弟で経営している、酒場のマスター達が口々に言った。 兄のポールは得意そうだ。今までと、自信の度合いが違う。 「それに――ハーレムがジャンを連れて来てくれたからだよ」 ハーレムはあまり嬉しくもなさそうだった。 「マスター、アンタ、俺のことは迷惑そうだったじゃねぇか」 「あ、聞いてたのか。はっきり言って、迷惑だったよ。でも、こうして逸材を運んで来てくれたじゃないか。酒代、ツケにしておいてあげるからね」 「ただにはならんのか」 「そこまで太っ腹ではないよ」 「中年太りで、お腹が出ているくせに」 「失礼な」 わははは、とジョージとジャンが笑う。 「ああっ! 笑ったな! ジョージ! おまえさんだって同じような体格のくせに」 兄のポールが、冗談交じりに食ってかかる。ところが、敵もさるもの、 「これは、『恰幅がいい』と云うんだよ」 と、かわす。 「高松君はいつ来るかな。最近、忙しくなったようだけど」 「ジョージ……滅多やたらに未成年に酒飲ませちゃいけないよ」 「ハーレムとジャンは?」 「これは特例。ジャンはピアノで皆を和ませてくれるし、ハーレムはジャンを紹介してくれたんだから」 ハーレムは、別段紹介しようと思ってジャンを伴って来た訳ではないが、敢えて、訂正しなかった。その代わり、ぶすっとした顔になった。 「ジャン、ゴスペル以外にも、何か弾いてみないかい?」 「だめだめ、ジョージ。この子は、もう、ゴスペル専門って決めてるから」 「酒場でゴスペルかい?」 「いいだろ。私は、牧師にもなりたかったんだから」 そして、ポールはジャンに耳打ちした。 「ジョージはジャズ・スノッブだから、アンタにジャズを弾かせようとすると思うけど、無視しな」 ジャンは、ジャズも弾いてみたいと思ったところだったけど、まずは、ポールの顔を立てて、頷いた。 耳のいいハーレムは、そのやり取りを聴いていたが、何も言わなかった。 「こんにちは。みなさん」 酒場のスイングドアを押して、高松が入ってきた。 「やぁ、早かったじゃないか、高松君」 「君のことも話題に上っていたところだよ。今日は、研究はもう上がりかい?」 「ええ。今まで、ルーザー様と一緒に実験していました。ルーザー様は手際が良くて、普通の人なら一時間かかるところを十分で――」 「わかったわかった。おまえの、ルーザー兄貴の褒め言葉を聞くと、ぞわぞわする」 ハーレムは、本当に鳥肌が立ってきた。 「ま、そういう訳で、作業は早く終わったんです。本来ならずーっとずっとルーザー様と一緒に居たかったんですが、ルーザー様は帰ったし、私もこの店の酒を飲まないと落ち着かないし」 「ほう。嬉しいこと言うじゃないか」 ジョージが相好を崩した。 「駄目だよ。アル中に飲ませる酒なんて、置いてないよ」 ポールが、厳しく言った。 「ジャンやハーレムは良くて、私は仲間外れですか?」 「この頃毎晩じゃないか。研究に差し障るよ」 「それは、ジャンの成長ぶりを見たい親心ですよ」 「そして、しっかり元を取っていく。違うかい?」 「マスターにかかっては敵いませんねぇ」 この場合のマスターとは、ポールのことを指す。 「正直な話、疲労が溜まってウィスキーやカクテルを飲まないと眠れないんですよ」 「早引けすりゃあいいじゃねぇか」 ハーレムが、半畳を打つ。 「何言ってるんですか! ルーザー様と一緒にいられる貴重な時間を……ルーザー様と……うっ」 「何だ?! どうした!」 「……鼻血が出てきてしまいました」 「興奮するからだよ。ほれ」 ポールが、ポケットティッシュを差し出した。 「あ、あびばとうぼざいます」 高松は、はっきりしない発音で礼を言った。 「高松。悪いことは言わねぇ。ルーザー兄貴はやめとけよ」 「ついでに酒もやめとけよ」 ハーレムの台詞に、ポールが茶々を入れる。 「ルーザー様と酒を一緒にするとは無礼なッ!」 「俺が言ったんじゃねぇ」 「ふ、二人とも同罪ですよ。あ、鼻血が……」 「おまえ、少し休んだらどうだ?」 ジャンが優しく声をかける。ハーレムとポールは――高松にとっては失礼なことながら――くすくす笑った。 「どうせ私の純情なんて、アンタらにとっては、笑いの種にしかならないんでしょ。ふん」 と、そんなようなことを、やや不明瞭な発音で言って、高松は拗ねた。 「いや、いやいやいや。あの人に憧れるのは、充分わかるけどね」 ポールは、また真面目な顔に戻った。 (わからんわい) ハーレムが、心の底で反発した。 優しい顔して、己を束縛する兄。Gと付き合うな、と言った兄。きっと、人を見る目がないのだろう。あいつは、強面だが、本当は優しいのに。 (あんな奴の言うこと聞いて――たまるか) 「あ、そうそう。どうして私は酒を飲む度、いちいち説教されなきゃいけないんですか?」 高松が、ハーレムの物思いをよそに、文句を言う。 「それは、君がまだ未成年で――」 「ハーレムだってジャンだって、未成年でしょうが」 「ジャンは、成人だよ。この間一万六千歳だって言ってたし」 ジョージが話の腰を折る。 「え? 俺、そんなこと言ったっけ」 「言ったよ。少し酔っていたときだったかな。ハーレムが馬鹿笑いしてたな。高松君も、それはそれはご機嫌で。尤も、最近はだいぶ酒にも強くなって、そんなジョークも言わなくなったけど」 ジャン以外の彼らは、まだ知らない。それが真実に近いことを。 「ハーレムには注意しないんですか」 と、矛先が、同期の桜に向けられた。 「ハーレムは、怖いからねぇ」 「そうそう」 ポールとジョージが次々に答えた。 特に、ポールは、本気で怖がっていたふしがある。しかし、今では、それもいい思い出だ。 「なんでですか。不公平ですよ。アンタ方」 「いやに絡むな。酔っているのか? こいつ」 ハーレムが、高松の顔を覗き込み、目の前で、手をひらひらさせた。 「いえ、まだ何もお出ししてませんよ」 「素面でこれか。始末が悪いな。追い出そうか?」 とのハーレムの提案に、 「いいえ。一杯呑まないうちは帰りません!」 と、高松は頑固にのたまった。 「やれやれ」 ジョージは、バタ臭い仕草で、両手を上げた。 今日は、何かがいつもと違っていた。 それは、予感だったのかもしれない――と、ハーレムは、後々そう思った。 ピアノが酒場全体を包む。この演奏聴きたさに、来る客も多いという。ポールの歌も、なかなかいい。 「ジャン。今日もこれで始めるよ。Amazing Grace」 「好きなんですね、マスター」 「私はこれを聴いて、ゴスペルを始めたんだからね。さ、行くよ」 ハーレムは、二人の会話を余所に、何かの気配を感じていたが、まさか、と思う心と、でも、という考えが、交錯していた。 (サービスが、ここに来ている?) 有り得ない話じゃない。だが、真面目一辺倒で、悪く云えば、融通のきかないサービスが、ここに来るであろうか。 サービスの気配は殆どしない。サービスは、生まれつき、自分の気配を自由に消せるようだ。 だが、双子の勘が、働いていた。 (サービスはここにいる!) そう結論が出たとき、 「サービスッ!」 ジャンが立ち上がり、大声で叫び、酒場を後にした。 (やっぱり、あいつはいたんだな) 俺の勘は狂っていなかったと、密かに得意がってみようか、ジャンに先を越されて悔しがってみようか――ハーレムにはわからなかった。 「ああ、もう……どうしたらいいんだ……」 嘆くポールを放っておいて、ハーレムはジャンの後を追おうとした。 「やれやれ、仕方のない人達ですねぇ……」 高松も、一緒に行こうと決めたらしい。だが、その前に一言、 「マスター! アンタ、歌手志望だったんでしょ? ジャンのピアノに頼らず、堂々と自分で歌いなさい!」 との言葉を残して去った。 (いた!) ハーレムが、ジャンとサービスを見つけた。何かを話し合っているようだ。 二人の会話の邪魔をすることが憚られて、つい隠れてしまったが、それは、ハーレムの本意ではなかった。 つい、ジェラシーの虜になりそうな自分を抑え、ハーレムは、その場にうずくまっていた。 何となく、自分は出ていかない方がいいと思ったからである。 だが、蒼い瞳は、激しく燃え上がっていることだろう。 「ハーレム」 高松が、追いついてきた。 ハーレムは、サービス達が動くまで、そこを離れるそぶりを見せない。 仕方なくかもしれないが、高松も付き合って様子を見ることにしたようだ。 そのときである。 ハーレムは、見覚えのある老人が現れたことを認めた。 会ったことはないが、Gの似顔絵そっくりである。 ハーレムは、臨戦態勢に入った。 しかし、あいつが狙っているのはこの俺で、サービスは関係ないから、何も起こらないだろうと、高をくくっていた。 だが、サービスが、老人をおぶって行こうと決意したとき、ハーレムの頭の中で、シグナルが鳴った。 (いけない!) 「あいつ……っ!」 ハーレムが出て行こうとした。高松が止めようとしたが、無駄だった。 サービスは、人質に取られた。 結局は己の責任であるから、ハーレムは、サービスの代わりに人質になろうとしたが、グレッグ・ワーウィックと云う名の、その老人にはねつけられた。 サービスの視線が痛い。 (こうなったら、こいつを殺すしかない) サービスを傷つけずに。 ハーレムは腹を決めた。だが―― 「おまえが戦う必要はない」 と、低い、野太い声が聞こえた。 それは――銃を構えたGだった。 結局、すったもんだの末、サービスは解き放たれ、グレッグは自殺した。 なんとも後味の悪い事件だったと、ハーレムは感じた。 グレッグは、最初から自殺するつもりだったのかもしれない。 それにしても――Gが現れたのは驚きだった。 (こいつは、頼りにするに足る奴かもしれない) ハーレムには野望があった。自分の戦隊を育て、各戦地で大暴れすることだった。 そのとき、Gは、己の右腕になってくれるかもしれない。ハーレムは左利きだから、左腕か。 Gと銃の話をしていたとき、サービスは意味ありげに笑っていた。 (ずいぶん、その人に懐いているんだね) そう、言いたげだった。 (違う。そんなんじゃない。確かに俺は年下だけど、入団したら、俺の方が上司になるんだからな) ハーレムはきっと睨めつけると、サービスを無視するふりをした。 (あー、今日は厄日だなぁ) ハーレムは思った。 サービスはすぐに警察から解放されたが、ハーレムは依然、捕まったままだった。 「どうして未成年が酒場にいたんだ」 「学校はどうしたんだ」 「家族には内緒で行ってたのか」 「以前にも、暴力事件に巻き込まれたと聞いたけど、それは本当か」 ながながなが。くどくどくど。 (あー、兄貴達がうるせぇだろうなぁ) そん思案を巡らせながら、ハーレムは、警官達の質問に、生返事で適当に答えておいた。 裏士官学校物語 第十五話 BACK/HOME |