裏士官学校物語
14
 パチパチパチと、拍手がまばらに鳴った。
 数は少ないながらも、ギャラリーは、ジャンの演奏を褒める。
「いやぁ、上達したなぁ、ジャン」
「でしょう? 私の教え方がいいからだよ」
 兄弟で経営している、酒場のマスター達が口々に言った。
 兄のポールは得意そうだ。今までと、自信の度合いが違う。
「それに――ハーレムがジャンを連れて来てくれたからだよ」
 ハーレムはあまり嬉しくもなさそうだった。
「マスター、アンタ、俺のことは迷惑そうだったじゃねぇか」
「あ、聞いてたのか。はっきり言って、迷惑だったよ。でも、こうして逸材を運んで来てくれたじゃないか。酒代、ツケにしておいてあげるからね」
「ただにはならんのか」
「そこまで太っ腹ではないよ」
「中年太りで、お腹が出ているくせに」
「失礼な」
 わははは、とジョージとジャンが笑う。
「ああっ! 笑ったな! ジョージ! おまえさんだって同じような体格のくせに」
 兄のポールが、冗談交じりに食ってかかる。ところが、敵もさるもの、
「これは、『恰幅がいい』と云うんだよ」
と、かわす。
「高松君はいつ来るかな。最近、忙しくなったようだけど」
「ジョージ……滅多やたらに未成年に酒飲ませちゃいけないよ」
「ハーレムとジャンは?」
「これは特例。ジャンはピアノで皆を和ませてくれるし、ハーレムはジャンを紹介してくれたんだから」
 ハーレムは、別段紹介しようと思ってジャンを伴って来た訳ではないが、敢えて、訂正しなかった。その代わり、ぶすっとした顔になった。
「ジャン、ゴスペル以外にも、何か弾いてみないかい?」
「だめだめ、ジョージ。この子は、もう、ゴスペル専門って決めてるから」
「酒場でゴスペルかい?」
「いいだろ。私は、牧師にもなりたかったんだから」
 そして、ポールはジャンに耳打ちした。
「ジョージはジャズ・スノッブだから、アンタにジャズを弾かせようとすると思うけど、無視しな」
 ジャンは、ジャズも弾いてみたいと思ったところだったけど、まずは、ポールの顔を立てて、頷いた。
 耳のいいハーレムは、そのやり取りを聴いていたが、何も言わなかった。
「こんにちは。みなさん」
 酒場のスイングドアを押して、高松が入ってきた。
「やぁ、早かったじゃないか、高松君」
「君のことも話題に上っていたところだよ。今日は、研究はもう上がりかい?」
「ええ。今まで、ルーザー様と一緒に実験していました。ルーザー様は手際が良くて、普通の人なら一時間かかるところを十分で――」
「わかったわかった。おまえの、ルーザー兄貴の褒め言葉を聞くと、ぞわぞわする」
 ハーレムは、本当に鳥肌が立ってきた。
「ま、そういう訳で、作業は早く終わったんです。本来ならずーっとずっとルーザー様と一緒に居たかったんですが、ルーザー様は帰ったし、私もこの店の酒を飲まないと落ち着かないし」
「ほう。嬉しいこと言うじゃないか」
 ジョージが相好を崩した。
「駄目だよ。アル中に飲ませる酒なんて、置いてないよ」
 ポールが、厳しく言った。
「ジャンやハーレムは良くて、私は仲間外れですか?」
「この頃毎晩じゃないか。研究に差し障るよ」
「それは、ジャンの成長ぶりを見たい親心ですよ」
「そして、しっかり元を取っていく。違うかい?」
「マスターにかかっては敵いませんねぇ」
 この場合のマスターとは、ポールのことを指す。
「正直な話、疲労が溜まってウィスキーやカクテルを飲まないと眠れないんですよ」
「早引けすりゃあいいじゃねぇか」
 ハーレムが、半畳を打つ。
「何言ってるんですか! ルーザー様と一緒にいられる貴重な時間を……ルーザー様と……うっ」
「何だ?! どうした!」
「……鼻血が出てきてしまいました」
「興奮するからだよ。ほれ」
 ポールが、ポケットティッシュを差し出した。
「あ、あびばとうぼざいます」
 高松は、はっきりしない発音で礼を言った。
「高松。悪いことは言わねぇ。ルーザー兄貴はやめとけよ」
「ついでに酒もやめとけよ」
 ハーレムの台詞に、ポールが茶々を入れる。
「ルーザー様と酒を一緒にするとは無礼なッ!」
「俺が言ったんじゃねぇ」
「ふ、二人とも同罪ですよ。あ、鼻血が……」
「おまえ、少し休んだらどうだ?」
 ジャンが優しく声をかける。ハーレムとポールは――高松にとっては失礼なことながら――くすくす笑った。
「どうせ私の純情なんて、アンタらにとっては、笑いの種にしかならないんでしょ。ふん」
と、そんなようなことを、やや不明瞭な発音で言って、高松は拗ねた。
「いや、いやいやいや。あの人に憧れるのは、充分わかるけどね」
 ポールは、また真面目な顔に戻った。
(わからんわい)
 ハーレムが、心の底で反発した。
 優しい顔して、己を束縛する兄。Gと付き合うな、と言った兄。きっと、人を見る目がないのだろう。あいつは、強面だが、本当は優しいのに。
(あんな奴の言うこと聞いて――たまるか)
「あ、そうそう。どうして私は酒を飲む度、いちいち説教されなきゃいけないんですか?」
 高松が、ハーレムの物思いをよそに、文句を言う。
「それは、君がまだ未成年で――」
「ハーレムだってジャンだって、未成年でしょうが」
「ジャンは、成人だよ。この間一万六千歳だって言ってたし」
 ジョージが話の腰を折る。
「え? 俺、そんなこと言ったっけ」
「言ったよ。少し酔っていたときだったかな。ハーレムが馬鹿笑いしてたな。高松君も、それはそれはご機嫌で。尤も、最近はだいぶ酒にも強くなって、そんなジョークも言わなくなったけど」
 ジャン以外の彼らは、まだ知らない。それが真実に近いことを。
「ハーレムには注意しないんですか」
と、矛先が、同期の桜に向けられた。
「ハーレムは、怖いからねぇ」
「そうそう」
 ポールとジョージが次々に答えた。
 特に、ポールは、本気で怖がっていたふしがある。しかし、今では、それもいい思い出だ。
「なんでですか。不公平ですよ。アンタ方」
「いやに絡むな。酔っているのか? こいつ」
 ハーレムが、高松の顔を覗き込み、目の前で、手をひらひらさせた。
「いえ、まだ何もお出ししてませんよ」
「素面でこれか。始末が悪いな。追い出そうか?」
とのハーレムの提案に、
「いいえ。一杯呑まないうちは帰りません!」
と、高松は頑固にのたまった。
「やれやれ」
 ジョージは、バタ臭い仕草で、両手を上げた。

 今日は、何かがいつもと違っていた。
 それは、予感だったのかもしれない――と、ハーレムは、後々そう思った。
 ピアノが酒場全体を包む。この演奏聴きたさに、来る客も多いという。ポールの歌も、なかなかいい。
「ジャン。今日もこれで始めるよ。Amazing Grace」
「好きなんですね、マスター」
「私はこれを聴いて、ゴスペルを始めたんだからね。さ、行くよ」
 ハーレムは、二人の会話を余所に、何かの気配を感じていたが、まさか、と思う心と、でも、という考えが、交錯していた。
(サービスが、ここに来ている?)
 有り得ない話じゃない。だが、真面目一辺倒で、悪く云えば、融通のきかないサービスが、ここに来るであろうか。
 サービスの気配は殆どしない。サービスは、生まれつき、自分の気配を自由に消せるようだ。
 だが、双子の勘が、働いていた。
(サービスはここにいる!)
 そう結論が出たとき、
「サービスッ!」
 ジャンが立ち上がり、大声で叫び、酒場を後にした。
(やっぱり、あいつはいたんだな)
 俺の勘は狂っていなかったと、密かに得意がってみようか、ジャンに先を越されて悔しがってみようか――ハーレムにはわからなかった。
「ああ、もう……どうしたらいいんだ……」
 嘆くポールを放っておいて、ハーレムはジャンの後を追おうとした。
「やれやれ、仕方のない人達ですねぇ……」
 高松も、一緒に行こうと決めたらしい。だが、その前に一言、
「マスター! アンタ、歌手志望だったんでしょ? ジャンのピアノに頼らず、堂々と自分で歌いなさい!」
との言葉を残して去った。

(いた!)
 ハーレムが、ジャンとサービスを見つけた。何かを話し合っているようだ。
 二人の会話の邪魔をすることが憚られて、つい隠れてしまったが、それは、ハーレムの本意ではなかった。
 つい、ジェラシーの虜になりそうな自分を抑え、ハーレムは、その場にうずくまっていた。
 何となく、自分は出ていかない方がいいと思ったからである。
 だが、蒼い瞳は、激しく燃え上がっていることだろう。
「ハーレム」
 高松が、追いついてきた。
 ハーレムは、サービス達が動くまで、そこを離れるそぶりを見せない。
 仕方なくかもしれないが、高松も付き合って様子を見ることにしたようだ。

 そのときである。
 ハーレムは、見覚えのある老人が現れたことを認めた。
 会ったことはないが、Gの似顔絵そっくりである。
 ハーレムは、臨戦態勢に入った。
 しかし、あいつが狙っているのはこの俺で、サービスは関係ないから、何も起こらないだろうと、高をくくっていた。
 だが、サービスが、老人をおぶって行こうと決意したとき、ハーレムの頭の中で、シグナルが鳴った。
(いけない!)
「あいつ……っ!」
 ハーレムが出て行こうとした。高松が止めようとしたが、無駄だった。

 サービスは、人質に取られた。
 結局は己の責任であるから、ハーレムは、サービスの代わりに人質になろうとしたが、グレッグ・ワーウィックと云う名の、その老人にはねつけられた。
 サービスの視線が痛い。
(こうなったら、こいつを殺すしかない)
 サービスを傷つけずに。
 ハーレムは腹を決めた。だが――
「おまえが戦う必要はない」
と、低い、野太い声が聞こえた。
 それは――銃を構えたGだった。

 結局、すったもんだの末、サービスは解き放たれ、グレッグは自殺した。
 なんとも後味の悪い事件だったと、ハーレムは感じた。
 グレッグは、最初から自殺するつもりだったのかもしれない。
 それにしても――Gが現れたのは驚きだった。
(こいつは、頼りにするに足る奴かもしれない)
 ハーレムには野望があった。自分の戦隊を育て、各戦地で大暴れすることだった。
 そのとき、Gは、己の右腕になってくれるかもしれない。ハーレムは左利きだから、左腕か。
 Gと銃の話をしていたとき、サービスは意味ありげに笑っていた。
(ずいぶん、その人に懐いているんだね)
 そう、言いたげだった。
(違う。そんなんじゃない。確かに俺は年下だけど、入団したら、俺の方が上司になるんだからな)
 ハーレムはきっと睨めつけると、サービスを無視するふりをした。

(あー、今日は厄日だなぁ)
 ハーレムは思った。
 サービスはすぐに警察から解放されたが、ハーレムは依然、捕まったままだった。
「どうして未成年が酒場にいたんだ」
「学校はどうしたんだ」
「家族には内緒で行ってたのか」
「以前にも、暴力事件に巻き込まれたと聞いたけど、それは本当か」
 ながながなが。くどくどくど。
(あー、兄貴達がうるせぇだろうなぁ)
 そん思案を巡らせながら、ハーレムは、警官達の質問に、生返事で適当に答えておいた。

裏士官学校物語 第十五話
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