裏士官学校物語 ルーザーが、保健室のベッドのカーテンをシャッと開けた。 「ハーレム、高松君はもう行ったよ」 「おう」 ルーザーは、夏休みも明けたこの一週間ほど、臨時の保険医をやることになっていた。元々の医者は、用事があるので、留守なのだ。 「アンタもよくやるよな」 この話を聞いたとき、ハーレムはせせら笑った。 「ええ? 天才のお坊ちゃんが、校医の真似ごとなんぞ」 「ハーレム。その台詞は聞き飽きたよ」 ルーザーは言った。 「本当は、最初のうちはマジック兄さんにも止められていたんだけどねぇ……可愛い弟達や、高松君のことが気になると、説得したら、許してくれたよ」 「マジック兄貴も、何考えてんだか」 ハーレムは、もう一人の兄――マジックの判断にも、ついていけず、溜息をついた。 「アンタは、研究だけしてれば、それでいいんじゃないのか?」 「いろんな経験を積むのも、学びの一環じゃないか」 「それにしては、俺は自由にさせてもらえないみたいだけどな」 「普段が普段だからね」 ハーレムとルーザーは、互いに言葉の応酬をした。 ハーレムが、何故、この、はっきりいって苦手な兄のいる保健室に来たのか。 彼は、木に登って居眠り中、そこから落ちたのだ。そんなことは恥ずかしくて言えない。 ただ、そのとき、木の枝で、手の甲をひっかけてしまったのだ。 そこへ通りかかったのは田葛だ。彼が、嫌がるハーレムを、保健室へ連れて来たのだ。傷は大したことないのに、保険医に見せろ、と田葛に言われた。ばい菌が入ると困るから、いうのである。 いつもだったら、やぶさかではないが、今は、ルーザーがいる。 強引にここまで引っ張ってこられたが。 ハーレムには、もう一つの懸念があった。 こんなところを高松に見られたら、碌なことがないであろう。 今年の春、腕を切られたことで、世話を焼かれたことですらきまりが悪かったのに、こんなかすり傷でルーザーに診てもらうなんて、更に恥だ。 保険医の仕事は、忙しいときはてんてこ舞いの忙しさだが、どういうわけか、今は患者はいない。だから、余計に目立つ。 だから、高松が来たとき、正確には、第六感で、高松が来そうだな、と思ったとき、ハーレムは急いでベッドに隠れた。ルーザーに、「知らせるな」と告げて。 「照れ屋さんだね」とルーザーは笑った。 「さ、手当の続きをしようか」 ルーザーは、ハーレムの傷ついた手に、消毒液を塗って、包帯を巻いた。 「これでよし。あまり無茶なことはするんじゃないよ」 「ふん。どうせ俺は心配ばかりかけてるよ」 「そんなこと言ってないって。君も授業に出たらどうだい?」 「かったるくって」 「そんなだから、成績が伸びないんだよ。この間も、赤点だったそうじゃないか」 「誰に聞いた?」 ハーレムの顔が俄かに厳しくなった。 「トンプソン先生だよ」 「ちっ、あの先公、ちったぁ話がわかる奴かと思ったら」 「僕達は保護者代わりだからね。別に、トンプソン先生が好きで告げ口したわけじゃないよ」 「そうか……」 ハーレムの顔が、少し、ほっとしたように綻んだ。彼も、トンプソンは嫌いでなかったのである。 「それにしても、どういった気紛れで、保険医なんかやろうと思ったんだ? 代わりならいくらでもいるだろ」 ハーレムが、話題を変えた。 「可愛い弟達の様子が見たかったんだ。それに、高松くんの様子も気になったし」 「何?! 高松がどうしたんだよ」 「君、しょっちゅう見てて気付かなかったのかい? 高松君、かなり無理しているよ。まぁ、若いから、回復力も早いけど、それにしても――」 ルーザーは、そこで言葉を切った。 「じゃあ、何故止めないんだ」 ハーレムは食ってかかった。 「高松君にとって、研究は命だよ。それを取り上げようと言うのかい? 僕だって、断るな。君の意見なら、尚更聞かないんじゃないかな」 「う……」 「まぁ、その辺は僕がサポートするよ。いつか燃え尽きる日が来ても、そのときは、めいっぱい看病するつもりだよ」 「あいつが鼻血噴いて喜びそうなシチュエーションだな」 ハーレムは、高松にとっては、研究より、ルーザーの看護の方が、体に負担がかかるのではないかと思った。 「それに、ここの先生には、いつもお世話になっているしねぇ」 ルーザーがほうっと溜息をつきながら言った。 「じゃ、俺、もう行くわ」 「ハーレム、たまには授業に出るんだよ」 「やなこった」 「それから、もう怪我しないように気をつけて」 「……二度とそんなヘマやらかさねぇよ」 ハーレムは、保健室を出て行った。 裏士官学校物語 第十三話 BACK/HOME |