裏士官学校物語
12
「さてと」
 ルーザーが、保健室のベッドのカーテンをシャッと開けた。
「ハーレム、高松君はもう行ったよ」
「おう」
 ルーザーは、夏休みも明けたこの一週間ほど、臨時の保険医をやることになっていた。元々の医者は、用事があるので、留守なのだ。
「アンタもよくやるよな」
 この話を聞いたとき、ハーレムはせせら笑った。
「ええ? 天才のお坊ちゃんが、校医の真似ごとなんぞ」
「ハーレム。その台詞は聞き飽きたよ」
 ルーザーは言った。
「本当は、最初のうちはマジック兄さんにも止められていたんだけどねぇ……可愛い弟達や、高松君のことが気になると、説得したら、許してくれたよ」
「マジック兄貴も、何考えてんだか」
 ハーレムは、もう一人の兄――マジックの判断にも、ついていけず、溜息をついた。
「アンタは、研究だけしてれば、それでいいんじゃないのか?」
「いろんな経験を積むのも、学びの一環じゃないか」
「それにしては、俺は自由にさせてもらえないみたいだけどな」
「普段が普段だからね」
 ハーレムとルーザーは、互いに言葉の応酬をした。
 ハーレムが、何故、この、はっきりいって苦手な兄のいる保健室に来たのか。
 彼は、木に登って居眠り中、そこから落ちたのだ。そんなことは恥ずかしくて言えない。
 ただ、そのとき、木の枝で、手の甲をひっかけてしまったのだ。
 そこへ通りかかったのは田葛だ。彼が、嫌がるハーレムを、保健室へ連れて来たのだ。傷は大したことないのに、保険医に見せろ、と田葛に言われた。ばい菌が入ると困るから、いうのである。
 いつもだったら、やぶさかではないが、今は、ルーザーがいる。
 強引にここまで引っ張ってこられたが。
 ハーレムには、もう一つの懸念があった。
 こんなところを高松に見られたら、碌なことがないであろう。
 今年の春、腕を切られたことで、世話を焼かれたことですらきまりが悪かったのに、こんなかすり傷でルーザーに診てもらうなんて、更に恥だ。
 保険医の仕事は、忙しいときはてんてこ舞いの忙しさだが、どういうわけか、今は患者はいない。だから、余計に目立つ。
 だから、高松が来たとき、正確には、第六感で、高松が来そうだな、と思ったとき、ハーレムは急いでベッドに隠れた。ルーザーに、「知らせるな」と告げて。
「照れ屋さんだね」とルーザーは笑った。
「さ、手当の続きをしようか」
 ルーザーは、ハーレムの傷ついた手に、消毒液を塗って、包帯を巻いた。
「これでよし。あまり無茶なことはするんじゃないよ」
「ふん。どうせ俺は心配ばかりかけてるよ」
「そんなこと言ってないって。君も授業に出たらどうだい?」
「かったるくって」
「そんなだから、成績が伸びないんだよ。この間も、赤点だったそうじゃないか」
「誰に聞いた?」
 ハーレムの顔が俄かに厳しくなった。
「トンプソン先生だよ」
「ちっ、あの先公、ちったぁ話がわかる奴かと思ったら」
「僕達は保護者代わりだからね。別に、トンプソン先生が好きで告げ口したわけじゃないよ」
「そうか……」
 ハーレムの顔が、少し、ほっとしたように綻んだ。彼も、トンプソンは嫌いでなかったのである。
「それにしても、どういった気紛れで、保険医なんかやろうと思ったんだ? 代わりならいくらでもいるだろ」
 ハーレムが、話題を変えた。
「可愛い弟達の様子が見たかったんだ。それに、高松くんの様子も気になったし」
「何?! 高松がどうしたんだよ」
「君、しょっちゅう見てて気付かなかったのかい? 高松君、かなり無理しているよ。まぁ、若いから、回復力も早いけど、それにしても――」
 ルーザーは、そこで言葉を切った。
「じゃあ、何故止めないんだ」
 ハーレムは食ってかかった。
「高松君にとって、研究は命だよ。それを取り上げようと言うのかい? 僕だって、断るな。君の意見なら、尚更聞かないんじゃないかな」
「う……」
「まぁ、その辺は僕がサポートするよ。いつか燃え尽きる日が来ても、そのときは、めいっぱい看病するつもりだよ」
「あいつが鼻血噴いて喜びそうなシチュエーションだな」
 ハーレムは、高松にとっては、研究より、ルーザーの看護の方が、体に負担がかかるのではないかと思った。
「それに、ここの先生には、いつもお世話になっているしねぇ」
 ルーザーがほうっと溜息をつきながら言った。
「じゃ、俺、もう行くわ」
「ハーレム、たまには授業に出るんだよ」
「やなこった」
「それから、もう怪我しないように気をつけて」
「……二度とそんなヘマやらかさねぇよ」
 ハーレムは、保健室を出て行った。

裏士官学校物語 第十三話
BACK/HOME