裏士官学校物語
11
 夏休みの直前に、林間学校がある。
 班ごとに行動するのが、決まりであるが、ハーレムはうざったいと、草はらに寝転びながら、木の葉をかじり続けていた。
 同じ班の者が探しに来ることもない。「あいつはすぐサボるから」などと陰口を叩いてでもいるのだろう。ハーレムにとって、興味はなかった。
 ハーレムに近づく者もいるが、最初脅かしてやると、すぐに逃げる。
 それでもなお、近づく者もいるが、利用しようとしているのが見え見えなのが、大半である。
(あーあ。やっぱり来るんじゃなかったかな)
 ハーレムは暇を弄びながら、思った。
 確かに叢は気持ちいいが。それに、この林の広まった部分は、確かに絶好の休養地ではあったが。
 何かが足りない。
 何か充実してない思いが、ハーレムの中にあった。
 兄達に、「林間学校に行ってきなさい」と言われ、この間のことでほんの少し(あくまでほんの少し)反省し、一寸は面白いことが、でなくても、気晴らしができるかと思ったのであるが、案に相違して、退屈であった。
「あー、くそ」
 ハーレムは髪を掻き回した。
 天気のいい、綺麗な風景まで、ありきたりに思えてくる。
 さっきまでは、いいところを見つけた、と喜んでいたが、こういうことは、他の誰かと分かち合わないと、こんなにつまらないとは、初めて知った。
 今頃、クラスメート達は、ご飯を用意していることだろう。手伝おうという判断は、ハーレムには持ち合わせてなかった。
 もう少ししたら、飯を食いに行くか、ぐらいの考えでいる。
 班の人々は、好き勝手言っているくせに、ハーレムに怯えているのである。だから、夕飯は、彼の分もとっておいているだろう。
(めんどくせぇけど、仕様がねぇな)
 ハーレムは、最低限、付き合ってやろうと思っていた。
「ハーレムくん」
 ああ、またこいつだ。
 予感はしていたけど、わざと別のことを考えていたのに。
 それは、フレームレスの眼鏡と、少し長めの髪を持つ日本人、カワハラであった。
「んだよ。飯だったら手伝わねぇぞ」
「うん。僕も期待してない」
 カワハラが、ふわりと笑った。
「おまえはいいのかよ。こんなところにいたりして」
「うん。僕の班の分は、君らの班の人達と合同で作ることにしたんだって。彼らの言い分がふるっていたよ。『困った時はお互い様だって』」
 ハーレムは、それを聞いて、ふっと笑った。
「さしずめ、俺は、困った異端分子だな」
「僕もだよ。ハーレムくん」
 カワハラは、笑顔で言った。
「トンプソン先生のところに遊びに行こうと思ってたけど、君も一緒に来ないかい?」
「なんで俺が先公のとこに行かなきゃなんねぇんだよ」
 そうは言いつつも、ハーレムは乗り気でないこともなかった。
 トンプソンは、先公ではマシな方だ。田葛の様に、ああだこうだ煩く言わない。高松やサービスは、楽しそうに、「いい先生だよ」なんて言っているが。からかい甲斐もあるし、と、これはニールの言。
「来る?」
「まぁ、しゃぁねぇな」
 ここで暇を潰しているよりはいいだろうと、ハーレムは重い腰を上げた。

「トンプソン先生」
 カワハラがテントの入口をめくった。
「入りなさい。カワハラ君。ハーレム君」
 トーマス・トンプソンが中から言った。
「いいですね。ハーブティーですか?」
「そうじゃよ」
「トーマス。アンタ、じじぃのくせによくテント建てられたな」
「ハーレムくん!」
「皆が建ててくれたんじゃよ。わしには、もう、その体力はないからね」
 トンプソンが皆に優しいように、生徒達も、トンプソンに敬意を払っている。
「さ、飲みなさい」
「ありがとうございます」
「…………」
 礼を言うカワハラに、無言のハーレム。
 三人は、トンプソンの淹れてくれたお茶を飲む。
 しばらく、静かな時が流れた。
「ああ。こういうときが、一番ほっとするのぉ。生徒達に食事まで作ってもらって、わるいのだが」
「そんなことありませんよ。僕達だって、似たようなものですし。ねぇ、ハーレムくん」
「……まぁな」
「トンプソン先生」
 田葛が入ってきた。
「ちょうど良かった。田葛君。ちょっとお茶でも飲んでいかんか?」
「もうご飯はできていますよ」
 田葛が、厳しい表情をした。
「……でも、ちょっとだけ」
 田葛の表情が和らいだので、ハーレム達は思わずずっこけた。
 この先生が、憎めない理由である。

「トンプソン先生、越権行為かもしれないけど、私に質問させてください。ハーレム、君、どうして班行動をしないのだね?」
 田葛が、ハーブティーを啜っているハーレムに訊いた。
「前に言ったはずだけど。つまらない奴らとつるむのはご免だと」
「カワハラとは仲が良いのかね」
「……最悪」
「じゃあ、どうして一緒にいるのかね?」
「何となく」
「ハーレム。カワハラにも友達がいないんだ。是非とも仲良くしてやってくれ」
「やなこった」
「…………」
「ハーレム君。田葛君は、君のことも心にかけているんじゃよ」
 トンプソンがたしなめた。
「田葛、アンタは自分のクラスの生徒の心配でもしてろよ」
 ハーレムがトンプソンを無視し、田葛に憎まれ口を叩く。
「その辺については大丈夫だ。みんな、いい子ばかりだ」
「人殺し学校のいい子かよ」
「確かにここは殺人の術も教える学校だ。だからこそ君達に当り前の学校生活を送って欲しかったんだが――カワハラにも同じこと言われたよ」
「へぇ。何やったんだ? おまえ」
 ハーレムが、興味を持ち、見直した様にカワハラに言った。
「『兵士養成学校で普通の生徒として生活できると考えているなんて、間違っているんじゃないか』って、……確かそんなこと言ったなぁ」
「アンタ、泣いたってそのこと?」
 ハーレムが、田葛に尋ねた。
「どこから聞いたか知らないが、確かにその通りだ」
「へぇ。先公泣かすなんて、やるじゃん、おまえ」
 ハーレムが、カワハラの肩をどやした。
「今のは、褒められた、と考えていいのかな。――僕、ハーレムくんとは気が合いそうな気がする」
「俺はそうは考えないけどな」
「だって、僕達、似ているんだもの。この学校が、巨大な檻で、その中でいやいや生きているところなんてさ」
 カワハラが、ハーレムが普段感じていたことを言い当てたので、少々驚いた。だが、それは口に出さずに、代わりにこんなことを話した。
「俺は人を殺したって平気だぜ。おまえはどうなんだ?」
「――僕は、人殺しはごめんだな」
「ほら。やっぱり俺とおまえは相容れないな」
「そうかな。僕は、医者になるのが夢なんだ。そのときは、君に殺されかけた人物だって助けるよ。そしたら、僕らはもう、無縁の人じゃないじゃない」
「ふん」
 ハーレムとカワハラは、トンプソンが目を細めているのに気がつかなかった。
「ハーレム、君には、ジャンや高松だっているし、及ばずながら、私もいる。決して一人じゃないんだよ。いいね。それから、カワハラ君と云う友達も新たに加わったことだし」
「げっ! 勝手に決めんなよ! あいつらが友達なんて、冗談じゃない」
「そうかな。腐れ縁だって、縁の一つさ」
 そう言って、田葛は、むふふと笑った。
「さぁ。たっのしいたっのし~いゆうごはん~♪ ハーレム、カワハラ、早く来いよ。トンプソン先生も」
 田葛は、楽しそうにテントを出て行った。
「……どう思う?」
「俺に訊くなよ」
 ハーレムとカワハラは、顔を見合わせた。
「なかなか愉快な先生じゃのぉ」
「そうかぁ」
 ハーレムは思いっ切り嫌な顔をしてみせた。
「俺、あいつ苦手」
「うーん。僕も、思考パターンが読めないから、はっきり好き嫌いの判断は下せないな」
 カワハラも苦笑いした。

「えーっ?! 僕のご飯、もう食べちゃったの?!」
「田葛先生、なかなか来ないんだもの。トンプソン先生のしか残ってないよ」
「贔屓だ! 差別だ! 教育委員会に訴えてやる!」
「この国にそんなものないってば。田葛先生。でも、B組の奴らは、ハーレムとカワハラの分も、作っておいたって」
「私だけが腹ぺこなのか。全く、神も仏もないものか」
「非常食で我慢してくださいよ」
 田葛と生徒達のやり取りが、テントの中まで聞こえてくる。

「……うるせぇな、田葛」
「全く」
 ハーレムとカワハラは愉快そうに、笑みを浮かべた。
「トンプソン先生! ハーブティーもう一杯ください。今度はお茶請けありで」
 田葛が来たので、二人は、ぱっと口元を手で押さえた。

 翌日――
 ジャン、サービス、高松がずぶ濡れになって宿営地へ帰ってきた。幸い、荷物は無事だったが。
 何があったか、サービスと高松は、「川遊びに行って来た」という意見で押し通そうとした。しかし、ジャンは、他の二人に助けてもらったことを告げた。そして、悪いのは自分であることも。(人工呼吸のことは伏せておいたが) 
 昨夜降った雨で、テントの学生達は、なかなか寝付けなかった。その雨のせいで、川は水嵩を増して危険を孕んでいたのだ。
 ジャンが溺れたところを、サービスと高松が助けたと聞いて、ルネが、
「さすがサービス様」
と、目を輝かせた。
「まぁ、とりあえず無事でよかったよかった」
 ニールがさして深刻でもなさそうに言った。
 そのニュースは、ハーレムの耳にも入った。
「おい、ジャン。ちょっとツラ貸せ」
 濡れた服を着替えたジャンが、ハーレムの後についていった。呼んでもいない野次馬達も。
「歯を食いしばれよ!」
 言うなり、ハーレムは、平手でジャンの頬をぶった。
 ギャラリーの中には、ひっと声を上げる者あり、掌で目を覆う者あり。
「――拳でなかったことに感謝するんだな。おまえは、俺の弟と、高松に迷惑かけたんだぞ」
「――……」
「じゃあな。俺が言いたいのはそのことだけだ」
 ハーレムは背を向けた。
「――ハーレムッ!」
 ジャンはがばっとハーレムに背中から抱きついた。
「――な、何だよッ!」
「俺、嬉しくって。だって、こんな風に本気で叱ってくれるのは、本当の友達だけだろ? ソネも、よく俺のこと叱ってくれたんだ。しかも、サービスと高松のことまで気にかけている。アンタ、やっぱりいい奴だよ」
「おまえ……怒られて嬉しいなんて、マゾかよ」
「あ、いつでも、怒られるのがいいって訳じゃないから。ただ、中身が大切なんだ」
「そのとおーり。よく言った!」
 田葛が、仁王立ちで割って入った。
「ふふん。私のお株は取られたようだな。ハーレム、君がこういうことをしなければ、私がやっていたところだ。さぁ、来い、ジャン。説教タイムだ」
「うわぁ~、助けてくれ~」
「行ってこい行ってこい。叱られるのが好きなんだろ? 俺は嫌いだが」
「俺もそんなに好きじゃなーい」
 ジャンは、ずるずると、田葛に引っ張られて行った。
「見直したな、あいつ」
「そうかね。俺は、前々からいいと思ってたんだ」
 ハーレムは、野次馬に向かって、じろりと一瞥した。彼らは、すごすごと引き下がった。

裏士官学校物語 第十二話
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