裏士官学校物語 だが、彼が思うのは別のこと。 (ジャンがいなけりゃ、あそこで死んでたかもしれんな) もちろん、それで恩に着るハーレムではなかったけれど。 少しだけ、そう、少しだけ、見直してやってもよいかなと、思った。 ただ、初めて会った時の得体の知れなさは、まだ感じていたが。 (悲鳴を上げただと? 確かに、あのままだと、そうしていたかもしれない。あいつはエスパーか? あいつの言うことに嘘はなさそうだったが) 「ハーレム?」 ルーザーが彼の顔を覗き込んだ。 まず、この天敵を何とかしなければな、と思考はそこに移った。 「何考え込んでたんだい?」 「別に。何でもねぇよ」 「出席日数の方なら、まだ大丈夫だよ」 ハーレムはがくっと項垂れた。俺が考えてたのが出席日数のことだったとでも、思ってたのだろうか。 それとも、ただ単に、話の継ぎ穂だったのかもしれないが。 「そんなこと、心配してねぇ」 「じゃあ、良かった」 ルーザーは、ハーレムの台詞と、彼が返事したことによって、安堵感を持ったらしかった。 長兄マジックは、何やかやと忙しそうだったが、時間をとって、会いに来てくれた。それが、ハーレムには、少し面映ゆいながらも、嬉しかった。 同じ説教でも、ルーザーに感じる反発とは違う。 「若いときには、無茶をやらかすものだよ。私もそうだった。しかし、それはあくまで仕事であって、喧嘩沙汰ではなかったよ」 口元に笑みを浮かべながら、マジックは言った。 「おまえは、もう、あの横丁に行く必要はない。話は既にジャンくんから聞いたよ」 「へぇ。じゃあ、俺を追っているという老人の話は、もう知っているわけか」 「ああ。これはギデオンくんに教えてもらったんだがな。その老人を探しているが、ひょっとすると、もう河岸を変えたかもな」 (その仕事は俺がやりたかったのに) だが、マジックには、有無を云わせぬ何かがあった。 「おまえも、ちゃんと学校に行って、友達でも作るんだな」 「ああ、それだったら……」 ルーザーは、お茶を淹れながら言った。 「カワハラくんという、真面目な生徒がついているから、安心していいですよ」 (なぁにが友達だ) あんな奴、ただのおせっかい野郎だ。爽やかな笑顔をしやがって。だが、それに騙されてはいけない。先生に従順かと思えば、田葛和希(1-Aの担任)など、泣かされたことがあるというじゃないか。ああいうのが、一番たち悪い。 「とにかく、あの横丁にはなるべく近づくな」 「わかった」 少しの間だけな、と、ハーレムは、黒い笑いを腹の中で、した。 それに、マジックにいくらかは好感は持っていても、全面服従はしない。それがハーレムのポリシーだった。 「入っていいかい?」 コンコン、とドアをノックして、ルーザーが訊いた。 (やな奴だが、仕方がない) 「入れよ。鍵はかかってないぜ」 そう言って、ハーレムは、猫のように、笑った。自分でも、上手いことを言ったな、と思うときに、する笑いであった。 ルーザーが入ってきた。そして、ハーレムの顔をじっと見つめた。 「父さんじゃ、ない」 次兄ははっきりと、言った。 「おまえは、父さんじゃない」 「何わかりきったこと言ってんだよ」 ハーレムは、今度は急に怒り出さずに、かえって笑い出した。 今となってみれば、お笑い草だ。自分でも、どうして荒れ狂ったのかわからない。 父のことを尊敬しているのに。父に間違われるのは、名誉なことかもしれないのに。 「まず、父さんは、こんなに硬質な髪をしていない」 確かに。 「それから、父さんは、こんなに濃い顔をしていない」 悪かったな。 「父さんは、もっと威厳があった」 どうせ威厳ねぇよ。 「なんだよ。今度は親父をだしにして、俺の批判か。冗談じゃねぇ」 「だから、これからは、父さんと別にして、愛することにするよ」 「はぁ?」 「誰もいないのは、寂し過ぎるから――」 「そりゃ、俺も、親父がいないのは寂しいけど」 「ねぇ、ハーレム。今は、ハーレムとして抱きしめさせてくれないか」 「えっ」 「兄弟同士のスキンシップだよ。いいじゃないか。ね」 ルーザーは、とびっきりの笑顔を見せる。それに抵抗するのは、大概の者にはできそうもない。 ハーレムでさえそうなのだ。高松だったら、さぞかし鼻血を噴くだろう。 少年は、兄にわからないように、微かに頷いた。 次兄は、弟を抱きしめた。そして、床に座り込んだ。 ハーレムは、何も言わない。ただ、こうしていると、幼年時代の、まだルーザーが『優しい兄』だった頃を思い出す。 (あの頃は、何の疑問も抱かずに、ルーザーによくついて回ってたなぁ) マジックに対してよりも、懐いていた。それが、可愛がっていた小鳥を殺されたことで、変わった。 最初はどうしていいかわからなかった。あんなに綺麗な笑顔をする兄が、どうして――と。 大きくなっていくにつれ、次兄への、ハーレムの評は、『偽善者』というものになった。 その兄に、今は、抱きつかれている。怒りと、それでも残っている僅かな思慕との間で、ハーレムは体を固くしながらも、仕方ない、と一方で考えた。ルーザーとこのままでいることを――。今は、自分を見てくれているのだから。少なくとも、当人は、そう言っているのだから。 それに――あんなに嫌っていたはずの兄なのに、不思議と、そう嫌でもなかった。寂しい者同士、心の欠落を埋めるため、結束している、と言ったらいいだろうか。 どのぐらい時間が経ったろうか。ルーザーは、立ち上がった。 「おやすみ、ハーレム」 そして、余計なひと言をくれた。 「学校には、ちゃんと出るんだよ」 その一言で、ハーレムは、夢から覚めた。びしり、と二人の間に亀裂が走ったようだった。理由はわからないが。 やはり、この兄とは合わない、と彼は思った。 しかし、ハーレムは夏期休暇前まで、学校にはきちんと出席していた。 まさか刺されるとは思わなかったから、ほんの一寸だけ懲りた。しかし、ほとぼりが冷めたら、また『無憂宮』へ、そして、Gの家に行こうと思っている。Gだったら、友達にしてもいいような気がした。当分会えないだろうが、それでも許してくれるだろうという、根拠の無い自信が、何故かハーレムにはあった。Gはガンマ団員だから、本部に行く、という手もある。 田葛が小躍りする時期に、期末テストも受けた。結果は――どうにか赤点を免れた、というものである。勉強は嫌いだから、これでも上等な方だろうか。 廊下で双子の弟とすれ違うこともある。双子の弟は――満足そうに目を細めた。 ジャンもいる。礼は、心の中だけに留めておいた。 高松は、相変わらず変な研究をやっているようだ。近頃では細菌やバクテリアなどを扱っているらしい。 夏休みは、すぐそこまで来ていた。 裏士官学校物語 第十一話 BACK/HOME |