時を駆けるシンタロー
14
「おはよう――おや……マジックさん」
 シンタローはついうっかりマジックのことをまた『親父』と呼ぶところだった。
 いくらシンタローに寛大なマジックでも、この頃はまだ子供はいないのだから、昨日に続いて『親父』と呼ばれたら流石に不審に思うかもしれない。それだけは、避けたいところだ。
「もう朝ごはんできてるよ。着替えたら食堂に行きなさい」
「あ……言ってくれれば俺、手伝ったのに」
「ありがとう。でも君はお客様だからね」
 お客様――。
 やっぱりお客様扱いか。
 何となく寂しかった。目の前にいるのは父として自分を育ててくれた男なのに、素直に『親父』と呼べない自分が。手伝わせてももらえない自分が。
 ハーレムの直截さが懐かしく思われた。
(――あいつ、いねーな)
 ハーレムの寝床には誰もいない。夢見が悪かっただけに少し心配になった。杞憂だといいけれど。
「親父、ハーレムは? もう起きたのか?」
「ハーレム? 知らないなぁ。またどこかにふらっと遊びにでも出かけて行ったんじゃないかな?」
 それはない。何となく、シンタローにはそういう気がした。上手く言えないのだけれど。
(そもそも、ハーレムはこの家から出たのか?)
「ところで、君、さっき『親父』って――そんなに君のお父さんと私は似てるのかい?」
 う、うわあああああ。
 いつもの癖で呼んじまった!
『親父』と呼ぶのはもう止そうと心の中で誓ったばかりなのに。
 ここは誤魔化そう。
「――そうです! 俺の親父、マジックさんに似てるんです」
「ほう、私に?」
「はい」
「それはそれは――きっと君のお父さんはハンサムで頭が良くて強くてかっこよくて優しくて家事もこなすスーパーマンなんだろうね」
「いえ! 俺のぬいぐるみを作っては喜んでいる年甲斐もなく真っ赤なブレザーを着た変態親父です!」
 シンタローはきっぱり言った。
「それはそれは――私とは結構かけ離れているみたいだね」
 二十ン年後のアンタだよ!
 シンタローはそうツッコミたかったが何とか堪えた。
「おーい、シンタロー」
 眠そうなハーレムの声がした。つい今しがた部屋に帰ってきたようだ。シンタローが振り向く。マジックが鷹揚な笑顔で、おはよう、ハーレム、と挨拶をした。
「マジック兄貴――まさかシンタロー襲ってたんじゃねぇだろうな」
「とんでもない。おまえじゃあるまいし」
「俺がんなことすっかよ。そこまでは飢えてねぇ」
 失礼な奴だ――シンタローは思った。襲われるのも嫌だけど。
「冗談だ。しかし、おまえの考えはどこか妙だぞ。前にだって、ルーザーに変なことされたって嘘つくし」
「え」
「え」
 マジックの台詞にシンタローとハーレムの声が重なった。
(ルーザーさん……)
 ハーレムの仮想敵でキンタローの尊敬する父。そして高松やサービスの憧れの対象。
 そのルーザーが、まさか……。
「信じねぇならもう行く」
 ハーレムはそのままぷいっと出て行ってしまった。
「すまないね。朝から変な話で」
「いえいえ――」
 それだけ心は開いてくれたのだろう。だが、今度は別の意味で辛かった。
 ハーレムがマジックに言っていたことは、多分真実。
(やっぱりルーザーさんはあやしい)
 ハーレムがルーザーを嫌っているのは知っていた。昔から。サービスに聞いたことがある。
(ハーレムはもともとルーザー兄さんが嫌いだったんだよ)
 何の気なしについ口に出た言葉。それをシンタローは覚えていた。
 ハーレムが前に言っていた。大切に飼っていた小鳥を殺された――。でも、それだけで一人の人間を憎むことができるだろうか。
 もちろん、殺された小鳥も目の前でそれを見たハーレムも可哀想といえば可哀想なのだが。
 そうだ、小鳥の件だけでも憎もうと思えば憎める。特に俺達は動物が好きだから――。
 けれど、それだけではないような気がした。
 この家には、何か秘密がある。
 いや、正確には、ハーレムとルーザーにだ。二人の間に何があったか。シンタローはおぼろげながら掴めそうな気がした。
(まさか、ハーレムはルーザー叔父さんに襲われてんじゃねぇだろうな)
 そんなことは馬鹿でも思いつく。
 だが、ルーザーは改心して死に、その後ハーレムも彼の墓参りに行っている。兄弟仲はようやく直ったのだろう。皮肉にもルーザーの死をもって。
 シンタローは初めて、ハーレムが自分より懐の深い人間だと認めた。
(俺だったら――許せない。マジックはあんな変態親父でも、俺を押し倒したことはねぇ)
 ルーザーがジャンを殺したことをサービスに秘密にする為にルーザー自身に泣いて縋ったハーレム。ハーレムはいつも双子の弟、サービスのことを考えていた。
 だから――、以下はあくまでシンタローの妄想だ。
 ゆうべ、サンルームにはハーレムがいたのではなかっただろうか。どこに?
(秘密の部屋)
 ルーザーはサンルームに自分の秘密の部屋を持っていた。あそこにハーレムが閉じ込められていたとしたら?
 シンタローの無意識はそれを知覚していて、だからあんな変な夢を見せたのでは?
 ――そう考えると、辻褄が合わないようで合う。少なくとも、シンタローにとっては。
「シンタロー」
「わっ」
 いつの間にか戻ってきていたハーレムに急に名前を呼ばれ、シンタローは我に返った。
「飯にしようぜ、飯」
 ハーレムの目が赤い。それに――。
「おい、ハーレム。こめかみのあざ、どうした?」
「……ああ。こけてどっかにぶつけたんだよ。俺のビボーが台無しだよ」
 くすくすとシンタローは笑った。
「美貌だって? そういうのはサービスおじさ……サービスにしか言えない言葉だよ」
 シンタローは言い直した。
「だよな」
 ハーレムも笑い返した。屈託がなかった。
(さっきのは俺の穿ち過ぎか。俺って意外と馬鹿だよなぁ)
 考えてみればこんなガキ、ルーザー叔父さんが相手にするわけねぇじゃん。
 コミケでグンマやキンタローが買ってくる同人誌の影響かもしれない。
 取り敢えず、想像の域を出ないことを考えるのは止しにして、シンタローは着替えることにした。パジャマを借りていたのだ。
「俺、着替えてから行くから」
「わかった」
 ハーレムもパジャマのままだった。マジックが厳しい声で言った。
「ハーレムも着替えなさい」
「わぁったよ」
 タンスから着替えを取り出すと、ハーレムは躊躇することなくパジャマを脱ぐ。日焼けした肌が艶めかしい。
(うわっ)
 ハーレムの体は訓練の成果なのか見事に引き締まっている。筋肉質ではあるがうるさくはなく均整のとれた体つきだ。肉食獣のしなやかな美しさが、そこにはあった。同性ながら目の遣り場に困るのだが。
 この少年といるとおかしな気持ちになるのはわかる。だが、それがルーザーだとは限らない。
 キンタローはハーレムに惚れている。ルーザーがもしハーレムを好きなのなら、親子で似た好みということになるが……。
 ルーザーは彼なりにハーレムを可愛がっているらしい。それがハーレムに通じているかどうかは別として。
 ――まぁ、いい。俺は異邦人。いずれ帰らなければならない定めなのだ。ルーザーとハーレムに何があろうが知ったこっちゃない。

2012.9.21


時を駆けるシンタロー 15
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