STELLA
2
「ああ、ハーレム。急に用事ができたから、おまえがルーザーに弁当を渡してきなさい」
 そう言ったのは、青の四兄弟の長兄で、暇なときにはおさんどんもするという、完全無敵のガンマ団の総帥、マジックであった。
「またかよ」
 ハーレムはうんざりしながら、答えた。
「ルーザーも忙しいからね。特にこの頃、やけに研究に没頭してて」
「なんで俺が行かなきゃいけないんだよ。ルーザー兄貴は、勝手に餓死でも過労死でもしてればいいんだ」
「ハーレム。おまえはルーザーの弟ではないか」
 マジックに睨まれ、ハーレムはぐっと詰まる。
「俺は……あいつを兄貴だなんて思っちゃいねぇよ」
「とにかく、行ってきなさい」
 ハーレムは断りたかったが、そうすると後が怖い。マジックとルーザー、二人揃って折檻する可能性も高い。
「……わぁったよ」

 ハーレムが、弁当渡しに研究所に行くと、ステラが来ていた。
 途端に、ハーレムの心臓が高鳴った。
「やぁ、ハーレム」
 ルーザーが包みを見て言った。
「お弁当かい。ありがとう」
 こころなしか、上機嫌のようだった。
(ステラと一緒だからか)
 ハーレムは、つい勘ぐってしまう。
 いったいに、青の一族には、好き嫌いのむらがある者が多い。特に、ルーザーには、その傾向が顕著だ。綺麗なもの、美しいものには目がない。そういうのは、みんな彼のお気に入りだ。
 ルーザーは、弁当を受け取ると、ステラのところに行って、何か話を始めた。
 疎外されたようで、ハーレムは不愉快になった。
 ハーレムは、一人の助手を捕まえて、訊いた。
「なぁ、あの二人、どう見える?」
「似合いのカップルですねぇ」
 助手は、うっとりしたように、ルーザーとステラを見つめた。
(こいつもルーザーに心酔しているくちか)
 ルーザーには、味方も多いが敵も多い。その気性のむらの故に、好意を持つ者と、敵意を持つ者に分かれるのだ。だが、今では彼を嫌う者は減り、この助手のように、彼を尊敬する者ばかりになった。彼に反感を持つ者は、ごく少数派になっている。
(おっ?)
 不満げに二人を見ている者があった。高松である。
 高松も、ルーザーを尊崇している。だが、彼の表情にあるのは、明らかに――
(嫉妬?)
 高松とは橇の合わないハーレムだが、お互い気心の知れた者同士。ハーレムは、どこか明るい顔で、高松に近づいた。

「よぉ」
「ハーレムですか」
 高松がうっそりと言った。迷惑そうに顔をしかめてみせた。
 事実、高松にとってハーレムは、機嫌の悪いときに、話して楽しい相手ではない。
 機嫌が悪いわけは――ルーザーが、自分の目の前で、親しげに女性と話していことである。しかも、長身の、かなり目立つ美女だ。サービスにも似ているかもしれない。
「こんなところで、ルーザー兄貴達がいちゃいちゃしているところを見て、楽しいか?」
「楽しいわけないでしょう。アンタ、どうしてこんなところにいるんですか?」
「マジック兄貴に頼まれたんだよ」
 ハーレムは一見無愛想に言った。だが、面白がっているようなその顔には、笑顔めいたものがあることを、長い付き合いの高松は、見てとった。
(また揶揄うつもりなんでしょうね――)
 高松は溜め息をついて、覚悟を決めた。からかわれても仕方ない。一人でいるよりは、気が晴れるかもしれない。高松は、珍しくそんな感情を覚えた。
「おまえ、兄貴と話している方の女、知ってるか? ルーザー兄貴の婚約者なんだぜ」
「知ってる。サービスから聞きました」
 ハーレムは、注目の的の二人に目を遣った。ハーレムの顔から笑顔が消えた。
「――面白くねぇ」
 途端に、ハーレムは、獰猛な獣めいた表情を表した。
 鋭い高松は、それを素早く察知した。
(もしかすると、この男――)
 高松は、さっきとはうってかわって、にんまりと片頬笑みを、口の端に浮かべた。
「ステラさんですか? 綺麗なお方ですね」
「――ああ」
 ハーレムの顔が、少し和らいだ。
「サービスに、似てますね」
「そうかな」
「そうですよ」
 ハーレムは、今度はステラだけに視線を注いだ。その真剣な眼差しには、隠そうとも隠しきれない、燃え上がる恋の炎のようなものがある。
(素直過ぎますよ。あなた。単純過ぎます)
 高松はハーレムの正直さに、内心打たれながらも、彼の将来も心配した。
 彼を利用しようとする人間は、おそらくごまんといるのに。
 そして――己もその一人だ。
「ルーザー様とご結婚なさったら、ステラさんは、幸せになるでしょうね」
「そんなことはねぇ!」
「……少し静かにしてくれませんか」
「ああ」
 ハーレムは声を低めた。
「あいつと結婚したら、ステラの将来はめちゃめちゃだ」
「そうですかね。優しく、頼りがいがあり、将来性もある」
「だが、そんなことで人生は決まらないはずだ」
「じゃあ、あなたが彼女を満足させられるとでも?」
「当たり前だ! 俺の方がずっと――」
 ハーレムは、言いかけた台詞を飲み込んだが、遅かった。
 主導権は高松に渡ってしまった。
「『ずっと幸せにしてやれる』ですか?」
「――マジック兄貴でも――サービスでもいいんだ。とにかく、ルーザーだけはいけないんだ」
「アンタがどのぐらいルーザー様を嫌悪しているのかは知りませんが、かなりステラさんに惚れ込んでいるみたいですね」
「んなこたねぇっ!」
 ハーレムがまた吼えた。
「静かにしてください。なんなら、廊下に出ましょうか?」
「おまえ――何企んでいる?」
「別に。ただ、『敵の敵は味方』だな、と思いまして」
 二人は、話し込んでいるルーザーとステラを残して、部屋を静かに出て行った。
「さて、ステラさんとは、どこまでいった仲なんですか?」
「どこまでって……」
 ハーレムは赤くなって、足でのの字を書き始めた。
(こういう男が照れると、気色悪いですねぇ)
 高松はそんなことを思ったが、無論おくびには出さない。
「ステラが俺を憎からず思ってるのは確かなんだよ」
 ハーレムが話し始めた。
「幼いとき、『ステラ大好き』と言ったら、ステラも、『私もハーレム大好きよ』って言ってくれたんだ、だから――」
 恋愛というよりは、ごっこ遊びに近い。普通は成長するにつれ、そこを卒業するものだが、中にはそれを延々引きずっている者がいるから困ってしまう。
 高松は頭が痛くなってきた。そして、後悔した。こんな阿呆と手を組もうとした自分に――
「アンタだって、満更女を知らないわけではないでしょう? 聞いてますよ。数々の悪行は。それなのに、どうしてステラさんには、そんなに純なんですか?」
「俺にだってわかんねぇよ……」
 ハーレムがぽつりと呟いた。
「とにかく、甘い風が心いっぱいに吹き渡り、じっとしていたいようなじっとしていたくないような気持になって――心臓も甘酸っぱい気持ちで満たされて――」
(恋は男を詩人にする)
 そんなことを言ったのは、誰だったろうか。尤も、ハーレムのは、そう上等な詩とも言えないが。
「で、手を拱いて、その愛しい愛しいステラさんのご結婚を、貴方は手をつかねて見ているだけですか?!」
「そんなことはしねぇ」
「じゃあどうするんです?」
「結婚式場から、ステラを奪ってやる!」
「確実な方法とは言えませんね」
 高松は、また溜め息をついた。
「じゃあ、駆け落ちでもするしかないか……」
 ハーレムも、溜め息交じりに口にした。
「駆け落ち! 少々ベタな手だけど、案外いいアイディアかもしれませんよ」
「駆け落ち……駆け落ちか……」
 ハーレムは思案顔だ。
「なんなら、ステラさんだけ逃がしたっていいし。――それとも、彼女が他の男とくっつくのは、お嫌ですか?」
「いや、そんなことはねぇ。俺は、ルーザー以外の奴なら誰でも――」
「じゃあ、ジャンでもいいんですね」
「うーん……」
「この私でも?」
「反対! 反対!」
 あまりにも強硬に出られた為、思わず高松は笑ってしまった。
「おまえやジャンに渡すぐらいなら、俺が盗る!」
「本音が出ましたね。じゃあ、早速プランを練りましょうか」
「おい、おまえ。今回やけに協力的じゃねぇか? こんなことをして、おまえに何の得がある」
「あります。ステラさんが貴方と結婚すれば、ルーザー様は再びフリーになります」
「それだけの動機で動くのか?」
「ええ。私は、ルーザー様が幸せになるなら、命をも投げ出すつもりです。――しかしですねぇ。科学の世界にも、例外というものが……」
 今度は、ハーレムが笑う番だった。
「馬鹿だよなぁ。おまえも、俺も」
「どうせ、馬鹿です。不毛な恋をしている者同士、今回だけは力を合わせましょう」
「ま、おまえはいつ裏切るか、わかったもんじゃねぇしな」
「では、約束の握手を」
「ハイタッチの方がいい」
 高松とハーレムは、空中で、パン!と、高らかな音を立てて、互いの手を叩いた。
「楽しそうだね」
 ルーザーがステラと一緒に来ていた。ついさっき、部屋から出てきたばかりなのだろう。話は聞いていないようだったが。
(心臓に悪いですねぇ)
「ハーレム、高松君と仲良くなったんだね。良かった」
 そう言うと、ルーザーは、天使のような笑顔を見せた。だが、その笑顔がハーレムに恐慌を呼び覚ます。尤も、年と共に、なんとか我慢できるぐらいには、薄らいできたが。
「ち……違います! これは、そのぅ……成り行きというもので……」
「おい。今日、ステラはどうするんだ?」
 ハーレムは高松を無視し、ルーザーに尋ねた。
「今日はここに泊ってもらうつもりだよ」
「ええっ?!」
「離れに泊ってもらうんだ」
 そして、ルーザーは、ハーレムの耳に口を寄せて言った。
「大丈夫。君の心配するようなことは、何もないからね」
「ん……んなっ?! 俺のこと、知ってて……」
「ステラ、離れへの道順はわかっているよね。でも、いろいろな意味で物騒だから、僕が送って行ってあげようか」
「はい」
 ルーザーとステラは、連れ立ってその場を後にするところだった。
「あの野郎! 俺をおちょくりやがって!」
 確かに、ハーレムにからかい甲斐があり過ぎるのが問題なのかもしれない。
 だが、高松も冷静ではいなかった。
「ルーザー様に、耳に、口を……」
 高松の台詞は、文章の体を成してはいなかった。
 後の意思表示は、鼻血で表された。弁当の包みも被害に遭った。
 それが一段落した後、高松は自分で噴いた鼻血の後片付けをしながら、ハーレムに言った。
「……裏切り者」
「何がだよ! ちょっかい出してきたのは、向こうからだぜ!」
「まぁいいですけどね。同盟、破棄しますか?」
「おまえにそんな権限あるか」
「言いだしっぺですからね」
「ルーザーとステラはどうなったかな」
「さあ……角を曲がったところだったから、多分鼻血は浴びなかったでしょうね」
(あの野郎――全く運がいいんだから)
 ハーレムは心の中で、ルーザーに毒づいた。
「同盟は、このままにしておいた方がいいだろう。もうど許せん」
「私も手伝います! 本当は癪ですが」
 再び、だが、今度は前より勢いよく、嫉妬で団結した二人は、ハイタッチをした。
「さて、腹いせにマジック兄貴がルーザーに持たせた弁当、食おうぜ。中身は無事だろうからな。腹が減っては戦はできぬ、ってね」
「…………」
 高松は、(色気より食い気ですか)と言いたげな目をしていた。

STELLA 3
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