Last eight years ~最後の八年間~ 26
「シンタロー様」と、落ち着いた男性の声がする。シンタローは振り向いた。ティラミスだった。甘さの減った、大人の男の声。
『可愛い』とか、『マジック総帥のお小姓』などと呼ばれていたティラミスも、それなりに男らしくなったのだ。ただ、時々昔のあどけない顔がよみがえる。
「ここにいらっしゃったんですね」
「そうだが。何か用でも?」
「――いえ、いいんです」
「ティラミスー、置いてかないでよー」
セリザワの声もする。セリザワは人体実験のせいで、本当はかなりな年なのだが、見た目は少年のままである。茶色のさらさらのロングヘアーである。
何故かティラミスとはウマが合うらしい。
「なにしとる。騒がしい」
「あ、イザベラ先生」
なんと、イザベラ・サーリッチも来た。イザベラはマジック達四兄弟の家庭教師で、シンタローも世話になっている。
そうか――あの四兄弟のうち、二人も死んだのだ。ルーザーの時には遠かった死の存在。だが、ハーレムも亡くなった今、その存在は身近に感じられる。
何と言ったらいいのだろう――ハーレムが愛しかった。
きっと、ティラミスも、セリザワも、イザベラも――。イザベラには既に家庭がある。ハーレムのことは手のかかる子供みたいに思えたことだろう。
セリザワは――これはもう、ハーレムを飽くことなく追い回していた。命の恩人というだけで、まるで運命の恋人であるかのごとく甲斐甲斐しく尽くす姿に、シンタローは呆れつつも或る種の感動を覚えていた。
そしてティラミス。
ティラミスもハーレムのことが好きだったんじゃないか、と、シンタローは予測している。ライバルの気持ちは何となくわかるのだ。
乱暴で人情家で――誰からも慕われていたハーレム。だが、それ以前は非情な殺し屋だったのだ。
グンマとキンタローのタイムマシンで過去に行った時、シンタローは美少年のハーレムに一目惚れした。そのまま結婚もせずに今に至る。
結婚か――。
シンタローはふぅっと息を吐いた。ミヤギがそれとなく姉を勧めて来る。
(シンタロー、姉貴と結婚してやってくれ)
ミヤギの姉、イワテは確かにいい女だ。乱暴でもあるけれど――。ミヤギも姉思いの良き弟だ。けれども、シンタローは誰とも結婚する気にならない。おそらく一生――。
俺はこの想いを抱いて生きる。
ガンマ団の未来はどうなるのか、と父マジックに再三諭されてきたが、ガンマ団なんて滅ぶなら滅べばいいのだ。
それに、シンタローの弟のコタローもいる。眉目秀麗な、賢い弟が。十歳の時に叔父サービスのきつい修行に耐えてきたのだ。コタローの方が総帥の座に相応しいような気もするし、実際、そう言う連中もいる。
コタローに恋人らしき人間がいないのは、兄としても気になるところだが、シンタローだって人のことは言えない。
ただ、ガンマ団は滅んではいけないというルールはない。マジックにこの間そう言ったところ、マジックはコーヒーを流し込んでこう呟いた。
「シンちゃんの言うことが正しいのかもしれないね。ただ――ガンマ団は私にとって人生の記念碑的存在なんだ。記念碑が消えるのは――見たくないね」
その後、山南ケースケが現れて大騒ぎになって有耶無耶になってしまったが――シンタローにはマジックの言わんとしていることはわかった。
人は、永遠を望むのだ。
だからこそ、ジャンは自らテストケースになったのだ。自分達の研究の為に。不老不死の秘密を解明する為に。
でも、どっちだっていいじゃないか。この一瞬は永遠なのだから――。シンタローはそうとも思う。SFなんかでもよくやっている。止まっている矢の話。
矢は永遠に止まっている。
だから、いいじゃないか、死んでも。
この間、高松に、
「『消す』のが一番難しい」
と言われたことがある。
存在そのものが消えることはない。存在は永遠の非存在――いや、敢えて言うなら飛存在なのだ。
空即是色。色即是空。
シンタローは心の中で経を読んだ。
だが、ハーレムにはもっと生きていて欲しかった。ハーレムには世界中に愛人がいる。その中で、もし、ハーレムの遺伝子を継ぐ者が現れたら――。
皆、一生懸命育てようとするだろう。懸命に、慈しむだろう。
シンタローだってそうなるかもしれない。勿論、彼もいい大人だ。鼻血は流さないだろうが。
――シンタロー達は揃ってハーレムの墓参りに来ていたのだ。
「ハーレム。アンタは無茶ばかりしてたねぇ……戦場でも『黄金の死神』なんて呼ばれてさ。あたしゃクラウンに顔向けできなかったよ」
イザベラが花束を置いてクリスチャン式に手を組む。彼女はクリスチャンなのだ。
「でも、私より先に死ぬことなかったじゃないか。ええ?! ジュリアにも顔向けできないよ。ハーレム、アンタ、私を泣かす気かい」
すっかり視力の衰えたイザベラは老眼鏡を外して目元を指先で拭う。年の割には元気なイザベラも、落ち込む時には年相応の老女に見える。
(鬼の目にも涙――か)
こんなことを言うと、イザベラに叱られそうであるが。
「うわあああああん! 隊長! 隊長!」
ハーレムを慕っていたセリザワが泣いた。十五くらいに見えるこの男にも、ハーレムは大きな存在だったのだ。
ティラミスももらい泣きをしている。
ハーレム、アンタ、馬鹿だ――。
シンタローは心の中で呟いた。全く。死に急ぎやがって――。
でも、死んでも涙を流してくれる者は大勢いる。ハーレムはいい生き方をした。自分はどうだろうと、シンタローは改めて思った。
シンタローは酒瓶を置いた。
ハーレムはスコッチウィスキーが好きだった。彼ももう、アルコールを断ったりしなくてもいい。あの世でルーザーと酌み交わしているだろうか。しかし、ルーザーとウィスキーの結びつきはあまり考えられない。ルーザーが飲むならワインであろう。
「シンタロー」
「叔父さん!」
サービスが来た。
「おやまぁ、今日は千客万来だねぇ」
イザベラが言う。
「私も少しは手向けの花を――と思ってねぇ……シンタローもかい?」
「ええ。サービス叔父さん。俺のはウィスキーだけど」
「そりゃあいいね。だが、あいつは酒乱だから気をつけないと」
「酒が元で神様から天国を追い出されたら、ハーレム隊長生まれ変わって来るかな」
セリザワの年に似合わぬファンタスティックな想像にサービスは、
「さてね」
と苦笑いをした。
「キンタローはどうしてる?」
「今、研究の真っ最中だよ。いずれ、亡くなった人間もよみがえらすんだとさ」
その研究がもし実を結んだら、キンタローは真っ先にハーレムをよみがえらせえるだろう。
放っておきゃいいのに。シンタローはそう思う。いずれ、生まれ変わってくるのだから。シンタローは輪廻転生を信じていた。――というより、自身の体験からして知っていた。
「グンマは?」
「キンタローの心配してる。だが、一番キンタローの支えになっているのはあの子だろうな」
グンマまでいなくなったら、キンタローはどうするつもりだろう。初めはあんなに仲の悪かった二人。それが――。
(やだね。僕の従兄弟はシンちゃんだけだ)
ああ言っていたグンマも大人になった。グンマとキンタローが、アスの傀儡となったルーザーを力を合わせてやっつけようとした時だった。グンマは、狙いを外して済まながっていたキンタローにこう言った。
(いいんだよ、それで……ためらいなく父親を撃ってしまわないで。だって、君は僕の従兄弟なんだから)
それ以来、グンマとキンタローは何かしら話をするようになった。
――そうすんなりと上手くは行かない。シンタローとキンタローとグンマ。会う度喧嘩ばかりしていた。グンマは怒りながらも、空白の期間を埋める為には仕様がない、と納得している風でもあった。
そして、キンタローは徐々に心を開いて行ったのだ。
それにしても、キンタローのハーレムに対する偏愛はすごかった。好みのタイプは親子で似るのだろうか。
キンタローが天国に行ったら、ハーレムを巡って親子喧嘩しないことを祈るばかりである。
「おや、笑ったね。シンタロー。元気になったかい?」
「ええ。イザベラ先生」
シンタローも涙を拭った。
「ハーレム。私からは薔薇をやろう。他に思いつかなかったからな」
サービスが薔薇一輪、置く。
「じゃ、皆、そろそろ帰るとしないか?」
「僕はまだ、ここにいます」
存在を忘れられていたティラミスが口を開いた。ハーレムはティラミスが好きだった。あのファニーフェイスの顔が。シンタローが言った。
「あんまりハーレムの墓にいっと、親父がうっせぇぞ」
「ええ――」
ティラミスは父マジックの側近である。マジックを心の底から敬愛している。ハーレムのことは最初は嫌っていたが、いつの間に仲良くなっていたようだ。チョコレートロマンスのとりもち役としての努力もある。
「マジック様には、長生きしてもらいたいものですね」
「あんだけ人殺ししときながら、自分だけ長生きするという虫のいい考えはねぇだろ」
だが、シンタローも気持ちは同じだった。――だが、もしかすると、親類縁者が息絶えてもなお長生きすると言うのは一種の罰でもあるのかもしれない。ジャンのことを考えて、シンタローは思った。
2017.9.22
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