Last eight years ~最後の八年間~ 15

「ハーレム――」
 どこかから声がする。この世で最も聞きたくなくて、この世で一番聞きたかったこの声は――。
「ルーザーか?!」
「そうだよ……僕の、子供達をお願いね……」
「待ってよ。勝手に逝くなよ。俺を残して――」
 ルーザー!
「あ……」
 鳥が鳴いている。まさか、あの鳥と同じ種類ではあるまいが――。
「夢、か……」
 最低の夢見だ。ルーザーが、逝ってしまうなんて――。でも、ルーザーは子孫を残してくれた。今では天国で妻と語らっているだろう。
 おい、ルーザー。てめぇらの残した子供達はみんないい子ばかりだぜ――。
 ハーレムはノンアルコールのカクテルをグラスに注いだ。ハーレム自身はウィスキーの方が好きだったが。
「乾杯」
 ハーレムの頬をつう、と涙が伝う。彼はグラスを傾けた。
 もう酒に酔うのはやめた。しっかり自分の足で歩いて行こう。それが、ハーレムの誓いだった。――或る平凡な朝のことである。

「くぁ……もう朝か……」
 シンタローが欠伸をする。前のボタンが肌蹴ている。
「ハーレム叔父貴は……もう起きたのかな」
 キンタローがハーレムを気にする。シンタローは話に聞いてわかっていた。キンタローにとってハーレムは雛鳥の親同然なのだと。同情に絶えない。
 けれど、自分も同じようなものなのだ。昔にタイムスリップした時点で。
「シンタロー、小鳥にエサをやりたいのだが」
「んあ? ……どうぞ」
 小鳥にパンくずをやっているキンタローは温和な紳士そのままで――とてもシンタローの命を狙っていた男だとは思えない。
(俺だって、一族なのに、俺だって、シンタローなのに)
 昔のキンタローはそう叫んでいるように見えた。それを変えたのは、高松、そして、グンマだった。
 グンマのヤツ、子供の頃は俺がいなきゃ何もできないように見えて――。
 けれど、グンマは成長した。キンタローを更生させる程に。この家で一番の常識人という感じがする。変な機械を作るのが趣味なのは――まぁ、人間、どこかしら欠点があるというものだ。
「キンちゃん、シンちゃん……酒臭っ!」
 朝の挨拶に来たグンマはうっ、とハンカチで鼻を押さえた。
「よぉ、グンマ。ハーレム叔父さんの部屋行ったか?」
「うん」
「ハーレム叔父さんの部屋だって似たようなもんだろ?」
「ちがーうよぉ。いい匂いしかしなかった。お酒の匂いなんて全然しなかったよ」
 シンタローがキンタローに目を遣った。二人の視線がぶつかる。
 あの飲兵衛が――何か悪い病気にでもなったのではなかろうか!
「グンマどけっ!」
「きゃっ!」
「すまん!」
 シンタローがグンマにぶつかり、キンタローが謝る。向かうはハーレムの部屋。
「ハーレムっ!」
「ハーレム叔父貴っ!」
 ハーレムは小ざっぱりとした格好でソファにゆったりと横たわっていた。
(サービス叔父さん?!)
 シンタローがもう一人の叔父を連想させるほど、ハーレムの寝起きは爽やかだった。
「ああ、おはよう、シンタロー、キンタロー、グンマ……」
「これは何の冗談だ……?」
「知らねぇよ」
「ハーレム叔父様がハーレム叔父様じゃなくなったぁ」
「グンマまで失敬な」
 ハーレムが文句を言った。
「アル中治ったのか?」
「アル中は一生治んねぇよ、バカ」
 ハーレムはガンマ団総帥をバカ呼ばわりした。けれど、その台詞に他意はない。この叔父は元々口が悪いのだ。
「でも、そうだなぁ……普通の人間の真似をしてみたくなったんだよ」
 青の一族に生まれた時点で既に普通ではない。でも、そうツッコむ気も起きない程シンタローはぽかん、と口を開いていた。
 そこには、初恋の人がいた。
 キンタローにとっても事情は同じで、頬を淡く桃色に染めている。
「普通の人間て?」
「人殺しはしねぇ、酒は飲み過ぎねぇ、ギャンブルはしねぇ、そんなヤツだ」
「そんなのハーレム叔父様じゃない」
 グンマが容赦なく棚卸しをする。
「何で急にそんなことすることを思い立ったんだ?」
「いや、シンタロー。そうは言うがハーレムは前々から変化してきていたぞ」
「さすが、よく見てらっしゃる」
 シンタローはジャンの真似をして、キンタローに対しパチパチと手を叩いた。
「でも、俺には今までのハーレム叔父さんとは違うように見える。そうだろ? 何があった? ハーレム――」
「……夢の中でルーザーに会った」
「ルーザー叔父さんに?!」
 ハーレムとルーザーと言えば、確かルーザーの生前は犬猿の仲ではなかったのか。高松からもサービスからもそう聞いている。シンタローとキンタローは目配せした。
「そっか……叔父貴の夢にか……」
 キンタローは寂しそうに伏し目がちになる。捨てられた犬のようだとシンタローは思った。
「何シケた面してんだよ! ハーレムが普通の人になる! 大いに結構じゃねぇか、なぁ?」
 シンタローは執り成しをしようとする。
「うう……でも……」
「今までのイメージがあるしな。それにハーレムがこれ以上いい男になってライバルが増えるのは困る」
「ルーザー叔父さんは何か言ってた?」
 キンタローを無視し、シンタローは尋ねる。ハーレムがシンタローを指差す。
「お前達を――お願いね、と」
「…………」
 沈黙が流れた。ルーザーも変わったのだ。もし、それが正夢ならば、だが。
「それだけだ」
 ハーレムが話を打ち切った。ハーレムがルーザーと夢で出会ってどんな感情を抱いたか――それはハーレムにしかわからない。
「ルーザー叔父様が夢に出てきたら、高松の場合鼻血まみれになっちゃうね。夢でも、現実でも」
 グンマの台詞にシンタローとキンタローは同時に笑った。
「あまり想像したくない図だな……というか、お前ら面白がってないか?」
 ハーレムは不機嫌そうにそう言った。
「普通の人間になったんだったらさ、借金返せよ」
「ああ、おいおいに、な」
 ハーレムの言葉に、グンマとシンタローとキンタローは一様に驚いた。
「――? 何だよ」
「だって、ハーレム叔父さんが借金返すって」
「そうだ。これは夢なんだ。寝れば元通りになる――そうだ、これは夢だ、夢なんだ……」
「キンちゃん……気持ちはわかるけど……」
「というか、ちゃっかり俺の寝床で寝るんじゃねぇ!」
 ハーレムがキンタローから掛布団を剥ぐ。
「ハーレム叔父貴の匂い……サービス叔父貴の匂いに似てたな……」
「こんな獅子舞とサービス叔父さんが似ているだなんてねぇ……神というのは残酷だな」
「――お前ら、もう部屋から出てけ! 俺は一人になりたくなったんだからな!」
 ハーレムは甥っ子三人を自分の部屋から追い出した。


2017.5.24

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