Last eight years ~最後の八年間~ 14

 ハーレムはまた眠ってしまった。シンタローは相変わらず寝ずの番をしている。――と言ってもシンタローも眠ってしまっているのだが。何の為の寝ずの番かわかりゃしない。きっと日頃の疲れもあったのだろう。
 そんなに警戒しなくても大丈夫なのにな、とキンタローは思う。俺は父さんとは違う。
 ハーレムの顔が赤い。起きたら熱でも計ろうかな。
「ん、んん……」
 ハーレムがうなされている。ほんの少しの気休めになれば、とキンタローはハーレムの唇の端にキスをする。それだけで満足だった。ところが。
「ん、ルーザー……」
 ハーレムの寝言にキンタローは固まった。
 ハーレムは――この人は父のことが好きだったのか? 寝言でその名前を言う程?
 彼が実の兄、そしてキンタローの父ルーザーに抱かれていたのは事実なのだろう。
 かっと身ぬちが熱くなった。
 俺だって――お前のことを抱けるんだぞ。ハーレム。俺を見てよ、俺を見て――。
 毎朝俺を見て逃げようとするのは止めて――。
 ハーレムはキンタローとルーザーを重ねて見ている。いつもではないが時々。
 普段はいい叔父なのにな――。
 キンタローは苦い笑みをこぼした。
 初めて出会った時はどうやって利用してやろうかと思った。
(お前はシンタローだ)
(どうして――? マジックもサービスもニセ者の方を『シンタロー』と言ったんだぜ)
(でも、お前は一族の人間だ。秘石眼もちゃんと持ってる。俺は――お前に協力する)
 その時のことを考えると涙の溢れる想いがする。あの時は泣かなかったのに。それにしても、みんな、黒髪のシンタローの方を『シンタロー』と呼んでいた。何か示唆的な感じがしてならなかった。
 ハーレムのことはせいぜい利用してやるとでも考えていた。ハーレムも一緒だったろうからお互い様だ。
 高松とサービスによる赤子取り換え事件のせいで、キンタローの実の父はルーザーであることが明らかになった。
 ルーザーはいろいろと酷いことをしてきた。ハーレムも傷つけた。でも、憎めないのはどうしてだろう。
 最後の顔がとても安らかだったから――。
 逝ってしまえる人はいいよな。その先には天国が待っている。
 生きている人間に残されたのは地獄だ。ハーレムも自分も、そしてシンタローも地獄の火で炙られている。
 ハーレムの方が負担は大きいかもしれない。だから彼は酒に逃げた。今では禁酒をしているようだが、いつまで続くか。
 ――ふ、とキンタローは笑ってしまった。
 ハーレムの中でルーザーはまだ思い出になっていない。冥婚譚なぞ信じない。信じたら負けのような気がするから。
 俺は父には敵わない。けれど、父にはないものがある。
 二十四年間、表に現れることができなかったこと。キンタローも充分不幸ではあるまいか。
 キンタローは何もかもを持っているように見えるシンタローが、羨ましくて、憎くて、憎くてたまらなかった。シンタローはシンタローでまた別の苦労を背負い込んでいる訳だが。
(ハーレム……)
 シンタローが起きていないのを確認して、キンタローはもう一度。今度は唇にキスをする。
「あ……」
「ハーレム……」
 王子様のキスでお姫様が起きるなんて、今時ギャグにもなりゃしない。キンタローは少々バツが悪かった。
「今は……嫌がらないんだな」
「慣れたもんでね」
 以前は蛇蝎の如く己を嫌っているように見えたのに――。確かに年月は人を変える。
 コンコンコン。ノックの音がした。
「はい」
 キンタローはつい返事をしてしまった。
「キンタロー、キンタローもいるのか?」
「マジック……」
「開けてもいいかね?」
「――どうぞ」
 せっかくの二人きりの夜(シンタローは数に入れていない)だったのに――。でも、まぁいい。
「ハーレム、見舞いに来てやったぞ」
「――そりゃどうも」
 ハーレムがぶすっとした顔で言った。ハーレムはいい歳なのに反抗期の子供みたいに見える時がある。そこもまた可愛いのだが。
「シンちゃん、起きなさい」
 マジックがシンタローを揺さぶる。
「ん? ああ……」
 シンタローは本当に寝ていたんだろうか。寝ているふりをしていただけではないのだろうか。ふと、そんな疑念がキンタローの脳裏を過ぎる。敵が来たとき不用意に眠っていては命がいくつあっても足りない。そんなキンタローの疑いを消すように、
「ふわぁ、良く寝た」
 と、シンタローは大きく伸びをした。
「久しぶりだぜ。何も考えずに寝たのは」
 だとすると、シンタローは本当に眠っていたのだろうか。――安心しきって。
「寝ずの晩のつもりがすっかり眠っちまったな。キンタローがそばにいたおかげだな。ありがとよ」
 礼を言われて悪い気はしない。マジックは笑顔で二人のやり取りを聞いていた。
「私からもありがとう、キンタロー」
 父から褒められるというのはこんな感じなのだろうか。キンタローにはわからなかったが、多分そうなんだと思う。シンタローは自慢の息子だって、いつもマジックに言われていた。ルーザーにとって、自分は自慢の息子だろうか。
 高松がルーザーを褒める度にキンタローは有頂天になる。ハーレムがルーザーを貶すとキンタローは哀しい気持ちになる。
(ハーレム……生まれてくる環境は選べないんだぞ。いや、選べる、という説もあるにはあるが。でも、赤ん坊としてこの世に生を受けた時、そんなことは忘れてしまうんだ)
 ルーザーはキンタローを愛していた。それは事実だ。キンタローも父の愛は素直に受け取ることができる。
 ハーレムはどうだったのだろう。ルーザーに性関係を強要されて。嫌なだけだったのだろうか。結局受け入れてきたではないか。
 ハーレムも……ルーザーのことを少しは愛してくれていたら嬉しい。嫌いでも構わない。嫌いでも愛してくれるなら、それでいい。
 矛盾したことをいうようだけど、嫌いだけど愛しているというのはありだと思うのだ。
 昔、キンタローがシンタローに抱いた思いの如く――。
 今はもう、シンタローが嫌いと言う訳ではない。嫌いになんかなれない。この情け深い男を。
 キンタローもお気遣いの紳士と言われるようになったが、自分ではまだまだだと思う。それに――ハーレムに対してはきっと紳士じゃない。
「ハーレム、元気になったか?」
「――まぁな」
「しかし気絶するとは――そんなにキンちゃんのプロポーズが嬉しかったのかい?」
「そんなわけ、ないだろ」
「キンちゃん、私は応援するよ。なぁに。私はそういうことには偏見を持たない」
「少しは持った方がいいんじゃねぇの? ――キンタローはあのルーザーの息子だぜ」
 あのルーザーの息子……。
 わかってはいた。後ろ指さされるのも覚悟の上だった。けれど、ハーレム本人から口にされると、少々辛い。
「ハーレム叔父貴……アンタは俺の父さんを愛していなかったのか?」
「ふん――愛していないと言えば嘘になるな。サービスの為を思って自ら犠牲を買って出たが、やはり愛してはいたのかもな――」
 ハーレムが遠い目をする。キンタローは亡き父に嫉妬した。
 父さん、あなたは俺の愛する人の心を奪って行ったのですね。――キンタローは心の内でそう呟いた。考えると罪な男である。
「叔父貴、熱計った方がいいんじゃないか?」
「別に大したことはない」
「知恵熱だろ? 要するに」
 シンタローが割って入る。
「普段使ってない頭を使おうとするからこういうことになるんだ」
 シンタローは憎まれ口を叩く。
「何だとぉ? おい、こら、シンタロー。俺がキンタローのプロポーズを受けたらどうするつもりなんだ?」
「え?」
「叔父貴!」
 キンタローは歓喜の声を上げた。
「あー、まだ喜ぶのは早いぞキンタロー。俺はお前のプロポーズを受ける気はない。俺には愛する人がいる。それに――お前はルーザーに似過ぎている。髪を切るまで気付かなかったがな」
 嗚呼……ここでもまだルーザーの亡霊が働いている。まるで取られまいとするかのように。
 ルーザーとキンタローはハーレムのことで話し合ったことはない。ルーザーは祝福してくれるだろうか。それとも――。
 まぁ、いい。
 ルーザーの呪縛はおいおい解くしかない。キンタローにとってはルーザーは尊敬する父だ。でも――。
 キンタローはルーザーとは違う。それはハーレムのお墨付きであった。キンタローはハーレムに「俺を見てくれ」と言いたかったが、シンタローもマジックもいるので止めておいた。――特に、マジックの前で駄々をこねる姿など見せたくなかった。


2017.5.15

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