Last eight years ~最後の八年間~ 13

「ハーレム。替えのタオルを持ってきた」
 たらいとタオルを持ったキンタローが戻って来た。
「ああ、済まねぇ」
 キンタローはぎゅっ、ぎゅっとタオルを絞ると、ハーレムの額にあてがってやった。その様が甲斐甲斐しくて――。
 こりゃあ、何か言ってやんないとダメかな。
 シンタローは思った。でも、彼もまた、ハーレムに魅せられた一人である。
 ハーレムを、渡したくはない。
 けれど、この話題はいずれちゃんとしなければならないと思っている。
 ハーレムに、キンタローに話がある旨を伝え席を立つことを許可してもらい、シンタローは金髪の従兄弟をテラスへと通した。
 白いテーブルに椅子が二つ。彼らはそれぞれの席に着いた。
「何の用だ? シンタロー」
「お前、ハーレムのこと、わかってるのか? あの人は、実の兄に性的虐待を受けていた」
 一拍置いてからキンタローが、
「ああ」
 と、答えた。
 実の兄――マジックではない。そのすぐ下の次兄のルーザーである。
 ルーザーはサービスは可愛がったが、ハーレムには酷いことをしていた。そのルーザーとキンタローは顔立ちが似ているのだ。瓜二つと言われる程に。
 あいつはルーザーの亡霊だ。
 そう言って発狂した人間もいる。ハーレムは発狂しないだけ心が強いのかもしれない。心臓に毛が生えてるだけかもしれないが。
「父さんのことは――聞いてる。でも……父さんはハーレムを愛していた」
「どうしてわかる!」
 ついムキになってシンタローが叫んだ。
「俺も、同じだから――」
 キンタローが消え入りそうな声で呟く。
「俺も、ハーレムに恋している。だから、わかるんだ。それは父さんなりの愛し方だったと」
「なっ……」
 馬鹿な……と続けようとしたが、ルーザーとキンタローの間にある感情は結局のところ本人同士にしかわからないのだ。
「お前は――ルーザーと話したのがあれが最後だろ」
 ルーザーはキンタローに言っていた。
(進め。怖がらずに進め)
 そして安らかに逝った。
 勝手な人だったんだな、と思う。彼を嫌いな人も大勢いたんだろうな、とも。ハーレムもその一人だ。いや――嫌いながらも魅せられていた。
 ハーレムは今でもルーザーを恐れ、また愛している。今のキンタローを見てどう思っているのだろう。訊いたらハーレムは答えてくれるだろうか。
 俺になら、答えてくれる。
 自信過剰でもなく、シンタローはそう信じている。
 キンタロー。悪いがハーレムは俺が貰う。――ただ、相手がお前でなかったら。
 何と皮肉なことだろう。シンタローとして育つ筈だったキンタロー。24年間シンタローとして育っていた黒髪のシンタロー。
 ――同じ相手を愛してしまうなんて。
「キンタロー、お前の父親は詐欺師のサディストだ!」
「何を言う! 父さんを侮辱する者は許さん! 例えシンタロー、お前であってもだ!」
 キンタローは父親を神格化している。無理もないか――と思う。死に際のルーザーは様になり過ぎていた。世間知らずのキンタローなどイチコロであろう。
「俺は、事実を言ったまでだ。――ハーレムはルーザーの影に怯えている」
「ああ。だから俺は――ハーレムを解き放ってやりたい。それができるのは俺だけだ」
 畜生。その手があったか。
 シンタローは舌打ちしたい気分だった。キンタローにはハーレムに対する恋情の他に解放してやりたいという気持ちも確かにあるだろう。同時に、他の人間が関われないように閉じ込めてしまいたい思いも。
 シンタローにはキンタローの気持ちが痛い程わかる。何故なら、ことハーレムに関してはシンタローも『同じ』だったからだ。
 シンタローはキンタローの真剣な顔を見つめ、ふい、と視線を逸らす。キンタローの父親譲りの容貌。その奥に潜む優しさ。――キンタローはルーザーにはないものを持っている。
 ハーレムはキンタローと結婚でもした方が幸せになれるのではないだろうか。
 いかん。つい弱気になった。ガンマ団総帥、シンタローともあろう男が。
「キンタロー。俺がどうして今まで結婚しなかったか、わかるだろう?」
「ああ」
 キンタローは同じ秘密を持つ者に対する微笑みを浮かべた。
「ハーレムがいるから、だろ?」
「ご名答」
「言っとくけど、ハーレムは渡さん。父さんがつけた傷は俺が癒す」
「親孝行なこって」
 そう言ってから、キンタローにこの台詞は酷だったかと後悔した。
「何とでも言え。俺は戻る」
 そう言ってキンタローは部屋に入る。キンタローはいい男になった。うかうかしていると本当に取られてしまうだろう。
 それに――ハーレムはルーザーを愛している。それに気付いた時がシンタローにとってのタイムリミットだ。
「見てろよ……」
 シンタローは強く歯噛みした。

 ハーレムのところに戻ると、彼は調子を取り戻しているように見えた。
「シンタロー、どうした。浮かない顔して」
 そうか。今は俺の方が落ち込んだ顔をしているのか。ハーレムが微笑む。シンタローがパタパタと手を動かす。
「――何でもない」
 さっきのキンタローとの会話の内容はハーレムには教えたくない。それで簡単にキンタローに躓くようなら、既に彼はキンタローのものだ。
「変だな。キンタローもそんなこと言ってたぜ。まぁ、お前らにも秘密のひとつやふたつはあるってことか」
 ハーレムは妙に勘がいい。鈍いところもあるが。
 シンタローやキンタロー、そして――サービスもこの男を好きだった。
 けれど、今のサービスにはジャンがいる。ジャンは気に食わない男だが、これでライバルは一人減った。
 サービスはハーレムに慈愛の目を注いでいる。本人達のいないところでは噂になっている。サービスはどうか知らないが、ハーレムは気付いていないだろう。元々この叔父は噂には無頓着なたちだ。
「全く、やんなるよなぁ」
「どうした、シンタロー。やんなるって何が?」
 ――ほら。当事者がわかっていないんじゃ話しても無駄だ。
「ハーレム叔父さん大丈夫?」
「話を逸らすな。――大丈夫に決まってるだろ。俺は頑丈なんだぜ」
「もしものことがあったら困るだろう」
 シンタローの言わんとしたことをキンタローが喋った。
「俺が死んで悲しむヤツなんて――いねぇさ」
 ハーレムがぽつんと呟く。
「そんなことはない!」
 キンタローの雷が落ちた。
「愛している! ハーレム! だから自暴自棄になるな!」
「……ルーザー……?」
 ハーレムはつい口を滑らせてしまった、という顔をした。
「俺は……父さんの代わりでしかないのか?」
「いや……今のは俺が悪かった」
 傲慢で粗野な風でいて、ハーレムは周りの人に気を使う。青の一族の三男坊と言う微妙な立ち位置がそうさせたのかもしれない。
 噂で聞くルーザーに比べれば、ハーレムなどかなりの常識人なのではないかと思う。結構やんちゃもしたみたいだが。
 それにしても、疲れるだろうな。ハーレム。ルーザーが亡くなった後もこんなことで悩むことになるとは思いもよらなかったろう。
 キンタローのいないところでこっそり溜息を吐いているのではなかろうか。重い深い溜息を。
 そして俺も――。
「俺は――父さんに間違えられて光栄だ。だからハーレム、気にするな」
 そう言ってタオル越しにハーレムの額を撫でた。あれぐらいの積極性が俺にもあればな、とシンタローは思う。いや、俺にもあれぐらいの積極性は十分にあるか。
「ルーザーとお前は違う。キンタロー……お前は、兄貴以上に幸せになれ」
 シンタローとキンタローは頷いた。ハーレムも優しい。ルーザーという男も本当は優しかったんだろうか。――今際の際に見せたルーザーの表情は何もかもを手放した穏やかさがあった。
 ハーレムに一言もないのが気にはなっていたのだが……息子にメッセージを伝えるだけで精一杯だったのかもしれない。
 それにしても、とんでもない置き土産をしていったな。ルーザーという男は。シンタローはキンタローが強敵になることを密かに危ぶんでいた。


2017.5.5

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