士官学校物語・夏
9
「兄さん。もう保健医の期間は終わりなんだね」
「そうだけど?」
 ルーザーの髪がさらりと揺れる。サービスの顔を覗き込んだ。
「兄さんがいなくなったら、寂しいな」
「僕が保健医になったときは、忘れていたくせに」
 ルーザーが、サービスの頭をコツンと叩いた。
「ごめんなさい」
「いいんだよ。今のはおふざけで言ったんだよ。サービスは真面目だね。少し肩の力を抜かないと」
 ルーザーがくすくす笑った。
「マシュー先生もいい先生だよ」
「そりゃそうだけど……」
 からら……と、扉の開く音がした。
「ルーザー先生、いますかぁ……」
 ニールだった。
「あ、サービスも一緒なのか。こりゃ、ちょうど良かった」
「なんだよ、ニール」
 不審げにサービスが尋ねた。
「なぁに。ルーザー先生への感謝の会を開こうと思ってね。先生、人望あるのよ。優しくて美人で――サービス親衛隊から寝返ったのもちらほら――おっといけね」
「それはどうでもいいことだけど、ルーザー兄さん、好かれてたんだね」
「そうだよ。人気あったよ。あの高松さえいなきゃ、もっとお近づきになりたいっていう奴もいたなぁ」
 ニールがしみじみと言った。
「この前のジャンのファンクラブも、来てるから」
「そう! ルーザー先生! この間は、ジャンを診てくださって、ありがとうございます!」
 ファンクラブの中でも、一番熱くて濃い男――この間、ニールと手を組んだ男――が、大声で礼をした。
「い、いや、その……ありがとう」
 ルーザーは苦笑いを噛み殺している。
「みんな、入って来いよ!」
 ニールが叫ぶと、ぞろぞろと、生徒達が保健室に入ってきた。
「ルーザー先生、お世話になりました」
「いや、いやいやこれは……嬉しいよ。ありがとう」
「サービス様。僕はサービス様を裏切りませんからね」
 ルネがずれた発言をした。
「それでは、本日の主賓に来てもらいましょう!」
 すっかりニールが取り仕切っている。
 入ってきたのはジャンと――大きな百合の花を持った高松であった。
「ジャン~。どうして高松がここにいるのかな~。『呼ぶな』って言ってあったろ」
「だって、ルーザーさんが主役のパーティーなんて、高松喜ぶだろ? 実は……バレちゃって」
「どういうシチュエーションでバレたんだ?」
「パーティーのプレゼントはどういうのがいいかって、訊いただけだよ」
「……バレるのも当たり前だろ!」
「サービスに訊いた方が良かった?」
「そういう問題じゃねぇ~!」
「ふっふっふ。ジャンが相談に来たとき、第六感にピーンと来たんですよ。ルーザー様関連のことで、私を省こうなんて、そうは問屋が卸しませんよ」
「……鼻血祭りにはしたくなかったんだよ」
「大丈夫です。ルーザー様が作った鼻血止めがありますから」
「早速試してくれているのかい?」
 それは、ていのいい人体実験だったのか、それとも、親切で贈ったのか、ルーザーの笑顔からは、計ることができない。
 けれど、ルーザーは、滅多なことで薬害を起こさないから――と、サービスはあまり気にしなかった。
「念のため、ティッシュでおさえてろよ」
 ニールが言った。
「まぁ、無駄だとは思うけど」
と、サービス。
「ルーザー様。長い間、ご苦労様でした」
 と、高松は、相手に大きな花束を差し出した。――気高く美しい貴方のために、という、少々こそばゆくなるような賛辞を込めて。
「長い間、と言っても、一週間だけだけどね」
「それでも、私にとっては、どんな時間よりも長く感じられました。幸せでした」
「これは、高松が作った花だね」
「はい。一番綺麗な花を、ルーザー様のためだけに選びました」
 高松は、二人の世界に浸っている――ルーザーはどう思っているのか知らないが。
 サービスは、しばらく横で見ていた。
 彼らのやり取りを聞くのは、なかなか面白い。それに、皆、ルーザーのことが好きみたいだ。サービスは、こういう兄がいたことを、少々誇りに思った。ルーザーは、彼にとっても、自慢だったのだから。双子の兄はそうでないとしても。
(あいつは来るのかな――)
 サービスは思った。来るかもしれないし、来ないかもしれない。
「あの子は来ないのかな?」
 ルーザーが言う『あの子』とは、誰だか当てることができる、とサービスは思った。ハーレムのことであろう。
 どこからか、いい匂いがした。
「真の主賓はわいらやで」
 聞き覚えのある声がした。サービス親衛隊を取り仕切る、野沢という男だ。
「ルーザー先生、今までありがとうございます。これは僕達からのお礼です」
 カワハラが入ってきた。ということは――
 サービスはひょいとその向こうを見た。
 ハーレムが、機嫌悪そうに立っていた。
「ハーレム、来てくれたんだ」
 ルーザーは嬉しそうに言い、高松はそっぽを向いた。
「わいの故郷の名産、たこ焼きにお好み焼きや! うまいでぇ。カワハラも手伝ってくれよったんだ」
「野沢さんは、料理上手だからね」
 カワハラに褒められ、野沢はえっへんと胸を張った。
「で、ハーレムは何をしたの?」
 瞬間、皆、しんとなった。ルーザーとハーレムの仲があまり良くないことは、密かに知れ渡っていたことだった。
「――俺は、材料しか用意してねぇよ」
 ハーレムはぽつりと言った。
「え? 材料調達してくれたのかい?」
 ルーザーが、驚いたように声を上げた。ハーレムは、照れでもしたように、舌打ちした。
「材料費は、アンタから取るからな」
 ハーレムがルーザーを指差した。
「ずいぶん費用のかかるプレゼントだね。わかったよ」
 高松は、一変に面白くなさそうになった。
「ハーレムに甘いですね。ルーザー様も」
 彼は、サービスにそう耳打ちした。
「だって、兄弟だもの。仕方ないよ」
 サービスも耳打ちし返した。
「ハーレム、よく来たな」
「よっ、ニール」
 ニールの挨拶に、ハーレムが応えた。
「それでは、ルーザー先生の前途を祝って――三三七拍子!」
 ニールの音頭で、拍手が湧いた。
「ルーザー先生、このたこ焼き、超うまいよ」
「このお好み焼きもだぜ!」
「ジュースも用意してきたで。皆で飲もう。ほら」
 大量のお好み焼きとたこ焼きがなくなったところで、パーティーはお開きとなった。
「研究がんばってください~!」
「ルーザー先生、研究所に遊びに行きますからねー!」
「お元気でー」
「またねー」
 騒ぎは、ルーザーが保健室のドアから出て行くまで続いた。
「あ、そうだ。これ」
 ジャンが走っていってルーザーを呼び止めた。
「あ、僕の似顔絵か。面白く描けてるね。個性的だよ」
「えへへ。さっきはつい渡しそびれちゃって。高松には、『どこの小学生が描いた絵ですか?』って言われてしまったけど」
「あの子も素直じゃないところがあるからね。でも、いい子だよ」
「うんっ」
「なんだか、心配ですねぇ」
「大丈夫だよ。ルーザー兄さんとジャンは。おまえの思うようにはならないって」
「そうでなくってですねぇ……」
 高松は反論しようとしたが、やめたようだった。
「なんだよ。言いかけたことはちゃんと言えよ」
「あなたには関係ないことです」
 サービスがちらっとルーザーの方を見ると、彼は、田葛先生に捕まっていた。
「何話しているんでしょう」
 高松は、話が逸れて、明らかにほっとしているようだった。
「よしっ! 俺が訊いてくる!」
 ニールが二人に近づいて、何か二言三言交わして、また戻ってきた。
「何だって?」
「何があるんです?」
 二人は同時に訊いた。
「先生達だけで飲み会するんだとさ」
 ニールが面白くなさそうに言った。
「生徒には、『酒飲むな』、『煙草吸うな』とか言っているくせに、矛盾してないか?」
「あ、それ。俺も思ったぞ」
 ハーレムが口を挟んだ。
「だろ? 絶対理不尽だよな」
「まぁな。俺は酒も煙草も、どっちもやるけどな。バレなきゃいいんだ。未成年のうちは。上手く立ち回ってさ」
「ハーレム、そこへなおれ!」
「へっ。サービス。おまえなんか怖くないぜ」
「じゃあ、マジック兄さんとルーザー兄さんに言おうかなぁ」
「なんだよ。告げ口かよ。誰に何と諭されても、俺は止めないからな」
「高松からも何か言ってやれよ」
「えっ?! 私もですか……」
 高松の威勢は、急に弱くなった。
 さては――
「おまえもやっているんだろう! 酒と煙草!」
「たまにですってば~。ルーザー様には言わないでください~!」
「おまえに脅しが効くなんて珍しいな。ルーザー兄さん絡みだと、弱いんだな」
「麻薬やっている訳じゃないんですから」
「当たり前だ。そんなことやっていたら、警察に突き出すぞ」
 二人がやり取りしている間に、生徒達は三々五々、帰って行った。面白そうに眺めている人も、何人かはいたが。
 ルーザーの送別会は、なんとか無事に過ぎていった。

士官学校物語・夏 第十話
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