士官学校物語・夏 「そうだけど?」 ルーザーの髪がさらりと揺れる。サービスの顔を覗き込んだ。 「兄さんがいなくなったら、寂しいな」 「僕が保健医になったときは、忘れていたくせに」 ルーザーが、サービスの頭をコツンと叩いた。 「ごめんなさい」 「いいんだよ。今のはおふざけで言ったんだよ。サービスは真面目だね。少し肩の力を抜かないと」 ルーザーがくすくす笑った。 「マシュー先生もいい先生だよ」 「そりゃそうだけど……」 からら……と、扉の開く音がした。 「ルーザー先生、いますかぁ……」 ニールだった。 「あ、サービスも一緒なのか。こりゃ、ちょうど良かった」 「なんだよ、ニール」 不審げにサービスが尋ねた。 「なぁに。ルーザー先生への感謝の会を開こうと思ってね。先生、人望あるのよ。優しくて美人で――サービス親衛隊から寝返ったのもちらほら――おっといけね」 「それはどうでもいいことだけど、ルーザー兄さん、好かれてたんだね」 「そうだよ。人気あったよ。あの高松さえいなきゃ、もっとお近づきになりたいっていう奴もいたなぁ」 ニールがしみじみと言った。 「この前のジャンのファンクラブも、来てるから」 「そう! ルーザー先生! この間は、ジャンを診てくださって、ありがとうございます!」 ファンクラブの中でも、一番熱くて濃い男――この間、ニールと手を組んだ男――が、大声で礼をした。 「い、いや、その……ありがとう」 ルーザーは苦笑いを噛み殺している。 「みんな、入って来いよ!」 ニールが叫ぶと、ぞろぞろと、生徒達が保健室に入ってきた。 「ルーザー先生、お世話になりました」 「いや、いやいやこれは……嬉しいよ。ありがとう」 「サービス様。僕はサービス様を裏切りませんからね」 ルネがずれた発言をした。 「それでは、本日の主賓に来てもらいましょう!」 すっかりニールが取り仕切っている。 入ってきたのはジャンと――大きな百合の花を持った高松であった。 「ジャン~。どうして高松がここにいるのかな~。『呼ぶな』って言ってあったろ」 「だって、ルーザーさんが主役のパーティーなんて、高松喜ぶだろ? 実は……バレちゃって」 「どういうシチュエーションでバレたんだ?」 「パーティーのプレゼントはどういうのがいいかって、訊いただけだよ」 「……バレるのも当たり前だろ!」 「サービスに訊いた方が良かった?」 「そういう問題じゃねぇ~!」 「ふっふっふ。ジャンが相談に来たとき、第六感にピーンと来たんですよ。ルーザー様関連のことで、私を省こうなんて、そうは問屋が卸しませんよ」 「……鼻血祭りにはしたくなかったんだよ」 「大丈夫です。ルーザー様が作った鼻血止めがありますから」 「早速試してくれているのかい?」 それは、ていのいい人体実験だったのか、それとも、親切で贈ったのか、ルーザーの笑顔からは、計ることができない。 けれど、ルーザーは、滅多なことで薬害を起こさないから――と、サービスはあまり気にしなかった。 「念のため、ティッシュでおさえてろよ」 ニールが言った。 「まぁ、無駄だとは思うけど」 と、サービス。 「ルーザー様。長い間、ご苦労様でした」 と、高松は、相手に大きな花束を差し出した。――気高く美しい貴方のために、という、少々こそばゆくなるような賛辞を込めて。 「長い間、と言っても、一週間だけだけどね」 「それでも、私にとっては、どんな時間よりも長く感じられました。幸せでした」 「これは、高松が作った花だね」 「はい。一番綺麗な花を、ルーザー様のためだけに選びました」 高松は、二人の世界に浸っている――ルーザーはどう思っているのか知らないが。 サービスは、しばらく横で見ていた。 彼らのやり取りを聞くのは、なかなか面白い。それに、皆、ルーザーのことが好きみたいだ。サービスは、こういう兄がいたことを、少々誇りに思った。ルーザーは、彼にとっても、自慢だったのだから。双子の兄はそうでないとしても。 (あいつは来るのかな――) サービスは思った。来るかもしれないし、来ないかもしれない。 「あの子は来ないのかな?」 ルーザーが言う『あの子』とは、誰だか当てることができる、とサービスは思った。ハーレムのことであろう。 どこからか、いい匂いがした。 「真の主賓はわいらやで」 聞き覚えのある声がした。サービス親衛隊を取り仕切る、野沢という男だ。 「ルーザー先生、今までありがとうございます。これは僕達からのお礼です」 カワハラが入ってきた。ということは―― サービスはひょいとその向こうを見た。 ハーレムが、機嫌悪そうに立っていた。 「ハーレム、来てくれたんだ」 ルーザーは嬉しそうに言い、高松はそっぽを向いた。 「わいの故郷の名産、たこ焼きにお好み焼きや! うまいでぇ。カワハラも手伝ってくれよったんだ」 「野沢さんは、料理上手だからね」 カワハラに褒められ、野沢はえっへんと胸を張った。 「で、ハーレムは何をしたの?」 瞬間、皆、しんとなった。ルーザーとハーレムの仲があまり良くないことは、密かに知れ渡っていたことだった。 「――俺は、材料しか用意してねぇよ」 ハーレムはぽつりと言った。 「え? 材料調達してくれたのかい?」 ルーザーが、驚いたように声を上げた。ハーレムは、照れでもしたように、舌打ちした。 「材料費は、アンタから取るからな」 ハーレムがルーザーを指差した。 「ずいぶん費用のかかるプレゼントだね。わかったよ」 高松は、一変に面白くなさそうになった。 「ハーレムに甘いですね。ルーザー様も」 彼は、サービスにそう耳打ちした。 「だって、兄弟だもの。仕方ないよ」 サービスも耳打ちし返した。 「ハーレム、よく来たな」 「よっ、ニール」 ニールの挨拶に、ハーレムが応えた。 「それでは、ルーザー先生の前途を祝って――三三七拍子!」 ニールの音頭で、拍手が湧いた。 「ルーザー先生、このたこ焼き、超うまいよ」 「このお好み焼きもだぜ!」 「ジュースも用意してきたで。皆で飲もう。ほら」 大量のお好み焼きとたこ焼きがなくなったところで、パーティーはお開きとなった。 「研究がんばってください~!」 「ルーザー先生、研究所に遊びに行きますからねー!」 「お元気でー」 「またねー」 騒ぎは、ルーザーが保健室のドアから出て行くまで続いた。 「あ、そうだ。これ」 ジャンが走っていってルーザーを呼び止めた。 「あ、僕の似顔絵か。面白く描けてるね。個性的だよ」 「えへへ。さっきはつい渡しそびれちゃって。高松には、『どこの小学生が描いた絵ですか?』って言われてしまったけど」 「あの子も素直じゃないところがあるからね。でも、いい子だよ」 「うんっ」 「なんだか、心配ですねぇ」 「大丈夫だよ。ルーザー兄さんとジャンは。おまえの思うようにはならないって」 「そうでなくってですねぇ……」 高松は反論しようとしたが、やめたようだった。 「なんだよ。言いかけたことはちゃんと言えよ」 「あなたには関係ないことです」 サービスがちらっとルーザーの方を見ると、彼は、田葛先生に捕まっていた。 「何話しているんでしょう」 高松は、話が逸れて、明らかにほっとしているようだった。 「よしっ! 俺が訊いてくる!」 ニールが二人に近づいて、何か二言三言交わして、また戻ってきた。 「何だって?」 「何があるんです?」 二人は同時に訊いた。 「先生達だけで飲み会するんだとさ」 ニールが面白くなさそうに言った。 「生徒には、『酒飲むな』、『煙草吸うな』とか言っているくせに、矛盾してないか?」 「あ、それ。俺も思ったぞ」 ハーレムが口を挟んだ。 「だろ? 絶対理不尽だよな」 「まぁな。俺は酒も煙草も、どっちもやるけどな。バレなきゃいいんだ。未成年のうちは。上手く立ち回ってさ」 「ハーレム、そこへなおれ!」 「へっ。サービス。おまえなんか怖くないぜ」 「じゃあ、マジック兄さんとルーザー兄さんに言おうかなぁ」 「なんだよ。告げ口かよ。誰に何と諭されても、俺は止めないからな」 「高松からも何か言ってやれよ」 「えっ?! 私もですか……」 高松の威勢は、急に弱くなった。 さては―― 「おまえもやっているんだろう! 酒と煙草!」 「たまにですってば~。ルーザー様には言わないでください~!」 「おまえに脅しが効くなんて珍しいな。ルーザー兄さん絡みだと、弱いんだな」 「麻薬やっている訳じゃないんですから」 「当たり前だ。そんなことやっていたら、警察に突き出すぞ」 二人がやり取りしている間に、生徒達は三々五々、帰って行った。面白そうに眺めている人も、何人かはいたが。 ルーザーの送別会は、なんとか無事に過ぎていった。 士官学校物語・夏 第十話 BACK/HOME |