士官学校物語・夏 「さぁー、買った買った! ジャン対ハーレムの試合! これが終われば、どちらかが優勝だよ! さあ! 買った買った! チケットは一口十円だよ!」 サービスは、何とも思わずに、それを眺めていた。 昨日の腫れは、だいぶひいていた。部屋で安静にしていたのが良かったらしい。 「全く、近頃の生徒ときたら、何でも賭けの対象にするんだから」 サービスが振り向くと、田葛先生が、苦々しげに、トンプソン先生と話していた。 「感化されて暴力振るうよりはましじゃないかね」 「そうかもしれませんがねぇ。それじゃ、単なる不良ですよ」 サービス自身は、賭けのことは必要悪だと考えるようになった。それは、この間、高松に言われるまでもなかった。尤も、あのときは、腹が立っていたので、文句を言ってやったが。 小型のコロシアムには、たくさんの観客が詰めていた。当然のことだが、昨日より多い。 それを利用して、ちゃっかり自分の作った料理を持って売っている生徒もいる。教官まで買っているのだから、世話はない。 応援や野次、それに歓声が飛んでいる。 リング上には、ジャンとハーレム。それにレフェリー。 「レディゴー!」 レフェリーが叫ぶ。 二人とも、丸太ん棒のように動かない。 この試合、下手に動いた方が負ける。それは、昨日の、対サービス戦での教訓だった。 「来いよ。弟のかたき、討ってやる!」 ハーレムが挑発しても、ジャンは動かない。 ――なんだか様子がおかしい。 ジャンはぶるぶるっと体を震わせた後、その場にうずくまった。 サービスがひらり、と観客席から飛び降りて、ジャンに駆け寄った。 「ジャン、しっかりしろ!」 「う、う、腹痛い……」 「誰か、担架寄越せ!」 ハーレムが怒鳴った。 高松とルーザーが、担架を持って来た。 ジャンは、闘えるような状態ではなかった――ハーレムの不戦勝だった。 ジャンは、担架で運ばれながら、回想していた。 「高松――今日の試合、見に来てくれるかい?」 「ここにいた方が気持ちがいいんですよ。それに、結果はわかりきったようなものだしね」 「え?」 「まぁ、あなたにやられるハーレムを見るのも一興でしょうか」 「それ、俺が勝つってこと? ハーレムは強いぜ」 「あなたもね」 「そ、そんなこと――だから、買い被りだって」 「では、あなたは自分を知らないだけですね。或いは、知ってても重要視していないか。今日の試合、あなたに全財産賭けたんですよ。これ、あなたのために作った栄養剤です。必ず勝ってくださいよ」 「サンキュー。高松」 あれから、何も変なものは食べていないから――原因はあの薬? ジャンは、そのことを、サービスや高松達に言った。 「全く、納得いかねぇぜ!」 「何怒ってるんだい? 君の優勝なんだからいいじゃないか」 息巻いているハーレムを、ルーザーが宥める。 「それが嫌なんだよ! あいつとはガチンコ勝負して、きっちり勝敗つけたかったぜ!」 「ごめんな、ハーレム」 ジャンは、ベッドに横になりながら、謝った。 「ジャンのせいじゃありませんよ。私の薬の実験台になってもらったんだから」 「――おまえ、もうちょっと言い方考えろよ」 サービスがじろりと高松を見る。 「ドーピングは禁止じゃねぇか!」 ハーレムも、黙ってはいられない。 「そうだな――高松なんかの薬に頼った――」 サービスが口を開く。 「ヤクなんぞに頼った――」 次はハーレム。 「専門医の僕に何の相談もしなかった――」 続いてルーザーが。 「おまえが一番悪い!」 三人の声が綺麗に和した。それが、ジャンに止めを刺した。彼はぐっとうめいた。 「――確かに、俺が悪かったのかもな。サービスの顔を殴ったりして。今度は俺の番だ」 「関係ないよ。ジャン。それに――さっきのは冗談さ」 「ううん。これは罰が当たったんだ。きっと」 サービスの左頬には、ガーゼが当ててある。昨日より、かなり良くなってきたが、見る者は、痛々しいと思うだろう。 「ジャン。神様は、罰なんか与えないって」 「サービスは、神様信じているのかい?」 「一応ね」 「じゃあ、俺と同じだ」 「ねぇ、高松君、あの二人って」 「しぃーっ。詮索するだけ野暮ですよ」 尋ねてきたルーザーを、珍しく高松がたしなめた。 ハーレムは仏頂面で、ジャン達を見つめていた。 そのとき、からら、と、保健室の扉が開いた。 「失礼します」 柔らかい声と共に、ドアが閉まった。 「カワハラ……」 ジャンの口から、この突然の来客の名前が出てきた。 「なんだ。君も知り合いかい?」 サービスが言った。 「寮で一夏中過ごしたじゃありませんか。――何の用ですか? カワハラ」 「ジャンくんのお見舞いです」 カワハラは、高松に簡潔に答えると、ジャンのところへ行く。 「思ったより元気そうだね。良かった」 「うん。看護人が何人もいたからね」 「ハーレムくんも、ジャンくんの面倒見ていたの?」 「――俺は、そんなことしねぇよ。ただ――」 「勝ち方に不満があるだけ、そうだよね」 カワハラに見透かされ、ハーレムは面白くなさそうに床に視線を投げた。 「ジャンが本調子だったら、果たして優勝できたでしょうかね」 高松が意地悪く言う。 「けれど、今回は勝った。たとえどんなに実力があっても、試合に勝てなければね」 「もういい。カワハラ」 ハーレムが獣の獰猛さを秘めた声でクラスメートを抑えた。 「今度こそ、叩きのめしてやる」 「俺も、次こそはおまえとも闘いたいよ。先日の準決勝は、迫力ある一戦だったな」 「野蛮な闘い方ともいえるよ」 ジャンの言葉に、サービスが冷静に指摘する。ジャンが言っているのは、ハーレムが参戦した試合のことだった。 「優勝おめでとう。ハーレム」 「流石にジャン君は度量が広いね。僕からもおめでとう」 「な、なんだよ、おまえらそろって……気色悪ぃ」 ハーレムは、決まり悪げに頬を掻いた。 「ああ見えて嬉しいんですよ」 高松が、サービスの耳に口を寄せた。 「弟の口からも、祝福の言葉を述べてやったらどうですか」 「そんなことできるか」 「まぁねぇ。素直になれないのはお互い様ですね」 「何ひそひそやってんだよ」 ハーレムが眉を顰める。 「あなたには教えません」 高松は唇に人差し指を当てた。 「それにしてもカワハラ……あなた、さぞかしたんまり儲けたんでしょうねぇ」 今度は、フレームレスの眼鏡をかけた少年に、矛先を向ける。 「うん。おかげさまで」 カワハラは邪気のない顔で答えた。 「今日から私、素寒貧ですよ。どうしてくれるんですか」 「賭けなどするからだ」 サービスは手厳しい。ルーザーは、 「高松君。ギャンブルに手を出したら駄目だろう」 と注意した。 「ねぇ、サービス」 「なんだ」 「お金貸してください! お願いします!」 「――利子もちゃんと払うか?」 「当たり前ですよ」 「高松君。マジック兄さんに掛け合って、奨学金、もう少し出してもらおうか?」 「ルーザー兄さん! そんなことしたって、絶対無駄使いしますよ」 「あなた……私に何らかの偏見があるようですね。でも、ルーザー様に迷惑はかけられません。きっとサービスの言う通りですから」 高松は、思いの他、しおらしくなった。それで、サービスにも仏心が生まれた。 「――いくら欲しいんだい?」 「四万円」 「わかったよ――ルーザー兄さん、今の会話、聞かなかったことにしてください」 「そうだね。生徒同士のお金の貸し借りなんて、あまり外聞のいいものじゃないからね。――だけど、僕だけに口封じしたって、意味ないんじゃないかなぁ」 「どうして?」 「聞いていたのはルーザー先生だけじゃないからさ」 そう言ってカワハラは、保健室の扉を開いた。 どっと、生徒達が押し寄せた。 「カワハラッ! 裏切ったなッ!」 「あなた方こそ、恥を知りなさい! ここは神聖なる保健室ですよ! そこで盗み聞きだなんて古典的な手法を!」 高松が叫ぶ。サービスも呆れていた。 「高松、気付いてたかい?」 「まぁね。でも、面倒だから放っておいたんですよ」 サービスも薄々気配を感じていたが、高松と同じ理由で、何も言わなかった。 「僕達、ジャンのファンクラブなんです!」 いつの間にそういうのが出来ていたのか。中には上級生も混じっている。 「ルネ、おまえまで」 「僕、サービス様が保健室に入って行ったから心配で心配で」 栗色の髪の少年は、泣きそうになりながら答えた。 「俺、実はジャンが好きだったんだ。でも、それを表す方法がなくて。随分ひどいこともしたと思う。ごめんよ、ごめんよ~」 ニールも、身をよじった。 (これは嘘くさい……) サービスは思った。ニールは、誰かの追っかけになるような心理的構造をしていない。 「同士よ!」 筋肉ムキムキの男と、ニールは、ガッと手を組んだ。今頃このペテン師のような少年は、心の中で舌を出しているに違いない。 (胡散臭い友情……) サービスは冷ややかにそれを眺めていた。 「じゃ、俺は行くからな。おら、どけ」 ハーレムが出入り口に近づくと、人の波がさっと割れた。 「じゃあな。今度は勝てよ。サービス」 ハーレムの台詞に、昨日の試合のことを蒸し返して、と、腹が立った。それを、ルーザーが目に留めたらしい。 「あの子らしい心配の仕方だね」 「おせっかいなだけだ。僕だって、勝たなきゃいけないのわかってるから」 「サービス……」 ジャンは、何か言いかけたが、どの言葉もサービスの逆鱗に触れると思ったのか、名前を呼んだ後、敢えて黙った。そこも、サービスの気に障った。 「僕も行くよ」 人々は戸口でサービスを見送った。 (眼魔砲が使えれば――) だが、士官学校の試合に眼魔砲を使うのは、サービスのプライドが許さなかった。怒り心頭にならない限り、彼は特殊能力を使いたくはなかった。 (ジャンには、眼魔砲を使わないと勝てないかもしれない――いや、越えてみせる。ハーレムも……ジャンも。僕の努力で。体と心を鍛えて、強くなってみせる――) サービス、密かに強い決意をした日だった。 士官学校物語・夏 第九話 BACK/HOME |