士官学校物語・夏 サービスは声のした方を振り向いた。 春の日差しのような金色の柔らかい髪。優美なシルエットは白衣で覆われている。ライトブルーとマリンブルーの瞳。 高松に唯一尊敬している人と言われた男、サービスたち四兄弟の次兄、ルーザーだった。 「ルーザー兄さん!」 「どうしたんだい! サービス、その頬は!」 「ルーザー兄さん。保健医の代わりって、今日からだっけ?」 「そうだよ。忘れていたなんて、寂しいね。今までの保健医が、妹の結婚式で休みなんで、その代わりさ。――ところで、その頬は?」 ルーザーは弟の肩に手を置いて、少しかがんで視線を合わせ、ぷっくりと膨らんだ頬をまじまじと見つめる。 「どうしたんだい。綺麗な顔が台無しだよ」 「――なんでもありません」 サービスはそっと目を逸らす。ジャンが左手を上げて言う。 「俺がやったんです」 「君が?」 ルーザーが顔を上げる。 「ええ」 「君――ジャンくんだったね」 ルーザーは、小鳥のように小首を傾げた。 「はい」 ジャンはかちこちに固くなっているようだった。その様が、サービスには奇妙に可笑しく思われた。 (そんなに緊張しなくても良いのに――) サービスにとって、ルーザーは優しい人。それ以外の感想があるなんて、思いもよらない。 「午後の試合のときに、ちょっと――」 「そうか。試合でだったら仕様がないね。サービス、ちょっと見せておくれ」 ルーザーはサービスの頬を触ってみる。 「大丈夫。見た目は派手に腫れてるけど、冷やせば良くなるよ。口の中も少し切れてるみたいだけど。待ってて。氷嚢と薬持ってくるよ」 ルーザーはいそいそと戸棚に向かう。 「ルーザー兄さん」 サービスは言う。 「なんだい?」 「どうしてここの保健医なんかに?」 「さっきも言った通り、代わりだよ。一週間で辞めるから。それに、弟達の様子も、見たかったしね」 「……心配してくれてたんだね。ルーザー兄さん」 ルーザーはてきぱきと応急処置を施した。 サービスは、渡された氷嚢を受け取った。 「僕はいいんだけどね、兄さんと一緒にいられて。でも、高松が心配するんじゃないかなぁ。ただでさえ忙しいのに、これ以上仕事が増えちゃって、兄さん大丈夫かって」 サービスは氷嚢の気持ちよさを味わいながら、言葉にした。 「ん。大丈夫だよ。スケジュールを調整すれば」 「研究って、スケジュール通りに行かないこともあるんじゃないの?」 「そういうときのために、予め余裕を持って予定組んで、なんとかやれそうだと踏んだんだ。時間を上手に使えば、それぐらいの時間は取れるもんだよ。高松君の頑張りのおかげで、論文も早く仕上がりそうだし」 「高松は喜んでる?」 「喜んでもいる。喜ぶのと心配するのと、同時にやっているみたい」 「なんか、あいつも複雑なヤツだな」 ジャンの言葉に、ルーザーは、はははと笑う。 「あの子は優しいからね」 「兄さんに対してだけだよ」 「あいつは、優しいやつだよ」 ジャンはいつになく真剣な表情をする。思いがけず真顔のジャンにぶつかたサービスは俯いた。 「なんだよ、おまえまでそういうこと言うのかよ」 怪我に響かないように、サービスは呟いた。が、すぐに気を取り直した。 「全く、あいつもさ、せっかく兄さん来たんだから、素直に喜べばいいのに。学校いる間は、いつでも会えるようになったんだしさ」 ジンジンと熱を持つ頬に、氷嚢の冷たさはありがたい。 「高松君、来たよ。一時限目の休み時間に」 「なるほど、早速」 「それから、二次限目と三次限目、そうそう、昼休みにも訪れたよ。五時限目も来たかな」 「……へぇ……」 ジャンが感嘆の声をもらした。 「……すごいね」 さすがのサービスも、呆れながらも感心する他なかった。 「放課後も来るって言ってたから、そろそろなんじゃないかな」 「あ、そう」 「その前に、僕は帰るよ。お邪魔しました」 「もう行くのかい?」 「帰って休んでるよ。寮はすぐそこだし」 「もし腫れがひかなかったり、悪化するようだったら、僕に言うんだよ。病院で診察するから。――これ、鎮痛剤。服用の仕方は紙に書いてあるからね。それから、これ湿布。塗り薬も入れておくよ」 ルーザーは、手近にあった紙袋に入れて、怪我人に渡した。 「安静にしてるんだよ。氷嚢は貸してあげるから。返すのはいつでもいいよ」 「わかった。ありがとう、兄さん」 サービスはルーザーの頬にキスをした。親愛の情を現すため、幼い頃からそうしてきたのである。 「あ、ああああああああ! る……る……ルーザー様にキスをッ!」 狼狽した声が聞こえた。高松だ。 「あなたねぇッ! 人のこと言えないじゃありませんかッ! さっきはあんなに失礼なことを言っておきながらッ!」 高松はサービスに詰め寄る。 サービスは、面白がっているのと、困惑しているのとが、ないまぜになったような笑みを浮かべた。 「なんだ、おまえ。本当は気にしてたのか」 「違いますよ。ただねぇ……」 「何かあったのかい? サービス」 ルーザーが訊く。 「ああ、高松がジャンと抱き合っているときにね」 「そんなことしてたの。仲いいんだね」 「あ……あれは、先ほども言った通り、感謝の気持ちを込めてハグしてただけなんですよ! ちょっとジャン! あなたも何か言ってくださいッ!」 「え? お……俺?」 急に話を振られたジャンは、自分を指差しながら、戸惑っていた。 「高松の言う通りだよ。なんだかわからないけど、そういうことなんだよ。うん」 混乱しておろおろしながらも、ジャンは、主に高松を抑えるためであろう、そう答えた。 サービスが、揶揄するように笑った。 「変な奴だなぁ。おまえも。ジャンには平気で抱きつけるくせに、僕と兄さんがちょっとキスしただけで、あんなに取り乱すなんて。君も兄さんにキスしたければ、すればいいじゃないか。いいよね。兄さん」 「ああ」 「そんな――そんな、ルーザー様にキスだなんて……」 (ちょっと――そろそろ危ないかな) 高松の様子を見て、サービスは、周囲に聴こえるか聴こえないかぐらいの声で呟く。 それを、耳のいいジャンは聞き逃さなかったらしい。 (危ないって、何が?) そのときだった。 高松が鼻血を噴いた。ジャンですら被害を受けないことはなく、服が血でべっとりと濡れてしまった。 「だから、危ないって言ったじゃないか」 「だったら、もっと大きな声で注意してくれよ」 ジャンは服を広げながら、不満顔だ。 「高松は、ルーザー兄さんを崇めてるっていうぐらい、愛しているからねぇ」 「男と男でも、愛してるっていうのかい? 男と女ならわかるけど」 「――ジャン、あっちへ行こう」 サービスは、ジャンと連れ立って、鼻血だらけの保健室を後にした。 士官学校物語・夏 第八話 BACK/HOME |