士官学校物語・夏 一人は金髪のサービス。もう一人は黒髪のジャン。 普段は穏やかなジャンにも、一見物静かなサービスにも、闘気が滲み出ている。 どちらも相手の出方を伺っている。 若者達の肌を、じりじりと太陽が灼いている。 コロシアムを模したリングの観客席からは、さっきまでの野次や応援が聞こえてこない。ぴぃんと張り詰めたような緊張だけがある。 士官学校のトーナメント戦だが、正式のガンマ団員や下士官も見に来ている。ちなみに、今は準決勝だ。 この中に、彼らの部下や上司がいるのだ。 みな、冷やかし半分、本気半分で成り行きを見ていた。今までは。 このとき、彼らは真剣に、二人の一挙手一投足に注目していた。二人とも、一年生とはいえ、準決勝まで勝ち進んだ並々ならぬ実力の持ち主だ。 リング上の二人は、全く隙を見せない。 (このままでは、埒があかない) そう考え、先に動いたのはサービスだった。 案の定、ジャンは反撃してきた。 サービスはそれをかわした。速い。 だが、彼もスピードには自信があった。 サービスが、ジャンのがら空きになった懐に、危険を承知で入ろうとした。 そのとき、サービスの軸足がぐらついた。彼は一瞬、そちらに気を取られた。 サービスは左頬にジャンのパンチを食らった。サービスの体は後方に吹っ飛んで――落ちた。リングアウト。 受け身をとるのがやっとだった。リングの外の芝生が、いいクッションになってくれたのが幸いだった。 「勝者、ジャン」 わああっ、と歓声が上がる中、レフェリーが黒髪の青年の右手を高々と上げる。 勝ったというのに、ジャンの顔は複雑そうだった。 困惑している、それが一番ぴったりくる表現であったろう。 身を起こしたサービスが見たジャンは、そのような感じであった。 「大丈夫ですか? サービス様!」 二、三人の少年達が、駆け寄ってきた。例の、栗色の髪の少年もいた。 「ひでぇや。あざになってら」 「ちくしょう! ジャンめ。俺にもっと力があったらぶちのめしてやったものを――」 だが、サービスはそれには答えず、彼らに無言の一瞥をくれ、シャワー室へと向かおうとした。 「サービス様!」 少年はなおも追おうとした。そのとき、 「やめとき」 という声がして、四年生かと思われる青年が、少年を制した。 サービスの親衛隊の、長老格の生徒である。 「サービスは今、本気で腹を立てているんや。あの眼光に敵わないなら、関わるのはやめとき――さ、おまえらも、早くしないと、シャワー室の順番、なくなるで」 さっきの青年の牽制が効いたのであろう、サービスは、予想より他人に煩わされずに、シャワーを浴びた後、保健室に行けた。 頬をさすりながら鏡を見る。養護の先生は、不在であった。 (思いきり殴られたな) 鏡で見ると、やはり、サービスの頬は腫れていた。痛みは、ますますじんじん熱を持つ。 口の端から血が少し出ていた。切れたところから鉄の味がした。サービスはそれを丁寧に拭き取ると、ゴミ箱にポイ、と投げ捨てた。 サービスは、ジャンに会ったらああも言ってやろう、こうも言ってやろうといろいろ思いを巡らせていたが、そのどれもが、虚しいような気がした。 がらりと扉が開いて、ジャン本人が姿を現したとき、その言葉どもは、サービスの脳裏からすっかり消えてしまった。 「サービス」 ジャンは気がかりそうな瞳を向けている。そして、 「すごく腫れたな」と言った。 「な……何の用だ」 サービスは戸惑いながら問うた。言いたいことを忘れてしまったため、そんな言葉しか思いつかなかったのだ。ジャンはそれには答えずに、つかつかと歩み寄った。 「ごめんな」 ジャンは哀しげにサービスを見ている。 「悪かったよ」 「いいんだ」 サービスは静かに、だが激しい感情を込めて口を開いた。 「つっ……」 喋ったら、痕に響いた。 サービスはきりりと眉を上げ、鋭く睨む。ジャンはたじろぎ、思わずあとずさった。 おざなりの謝罪や同情は、この誇り高い少年には通用しない。 彼は、先程の試合での醜態を思い返し、悔しさを噛みしめていた。 「歯がね、折れてしまったかと思ったよ。無事だったのは、きっと運が良かったからだな」 ようやく、頭の中でまともな文章が出来た。それを口にしながら、サービスは痛みと闘っていた。 「おまえの顔を殴っちまった。こんなに綺麗な顔なのにな」 ジャンがすまなそうにしている。 「仕方ないよ。試合だったんだから。それに、こんな顔――」 サービスはおしまいまで言わず、黙って背を向けた。 「腫れがひかなかったら、僕の親衛隊が、黙っちゃいないな」 彼は故意に、話題をそらした。 「親衛隊?」 「いつも僕の周りにつきまとっている奴らがいるだろう。総帥の弟で、頭も良くて、顔も……そうするとさ、いろいろと集まってくる奴が多いんだよ。今は、野沢さんがリーダーやってくれてるから、それなりに助かってるけど。ま、どっちみち鬱陶しいには違いないな」 サービスは、痛さを堪えながら、ゆっくり喋った。 「そんな――悪いよ。鬱陶しいなんて。みんなおまえが好きなんだろう?」 「そんなことはないよ。”総帥の弟”が目当てで来る奴も結構いるし。野沢さんやルネは、本当に僕に好意を持っているかもしれないけど」 不思議だ。もしかしたら、憎んでいるのかもしれないジャンに、こんなことを話しているとは。痛さも構わずに。 サービスは、自分が思っているより、ジャンを信用しているのかもしれない。 「ま、僕のとりまき達が、ぼこぼこにしようとしたとしても、恨むなよ。君相手じゃ、返り討ちに合うかもしれないけどね」 「サービス。まだ俺のこと恨んでるのか?」 「恨んでるも恨んでないも、ないよ」 「――なぁ、サービス。まだ腹が癒えなかったらさ、俺のこと殴っていいよ。俺、本当は自分で自分のことぼこぼこにしたいけど、自分で自分を殴るのって、やりにくそうだろ? だから、俺の代わりに俺を殴っていいよ」 「――本当にいいのか?」 「ああ」 ジャンはベッドに腰をかけ、ぎゅっと瞼を閉じる。サービスは拳を握り締める。 かちっ、かちっ、かちっ。時計の秒針はいたずらに時を刻んでいく。 「…………」 「――サービス?」 「やめた。馬鹿らしい」 サービスは手のひらを空に向け、大袈裟に肩を竦める。アメリカ人などがよくやる、バタ臭い仕草だ。 「ここで君を殴っても、僕が君に負けたという事実は変わらないからね。――ジャン?」 ジャンは立ち上がって、サービスの左頬に手を当てる。 「な――何してるんだよ」 「『手当て』さ。知ってる? サービス。悪いところや痛いところに手を当てると、楽になるんだ。手から力が発せられて、早く良くなるんだ。だから、怪我や病気を治療することを、『手当て』っていうんだ」 「それぐらい、僕も知ってるけど――うーん、そういえば何となく痛みが――」 「痛みが?」 「ますます増してきた」 「…………」 「やっぱり冷やした方がいいみたいだ」 「じゃ、俺、氷水用意するよ」 「自分でやるからいい」 「俺になんかできることない?」 「そこの扉を開けてね」 「うん、うん」 ジャンは期待に満ちた目で、サービスの指示を待っている。 「さっさと部屋から出て行ってくれ。そしてもうここへ来るな」 「サービス~」 「君にできることは、そのぐらいしかないよ」 「サービスってば~」 「鬱陶しいな。さっさと行ってくれ」 サービスの”いじめ”は、既にこの頃から始まっている。その後、約二十五年ぶりに二人が再会したときも、あまり状況は変わらないようだ。 サービスのジャンに対するある種の苛立ちは、二十五年経っても、消えるものではなかったらしい。が、これは別の話である。 「やぁやぁ。ごめんよ。遅くなって――」 聞き覚えのある、優雅な声が耳に入った。 士官学校物語・夏 第七話 BACK/HOME |