士官学校物語・夏 「げぇっ! 思ったより悪い! 三十番台は固いと思ってたのによぉ」 「おまえなんかまだいいよ。俺なんか下から数えた方が早いよ」 「ふん」ハーレムはじろりと一瞥し、そのまま行ってしまった。 (二番か。まぁまぁの成績だな) 口々に交わされる呟きの中で、サービスは安堵していた。 高松に負けたのは仕方がない。この結果なら、兄に報告しても恥ずかしくはないだろう。 サービスは、ふと視線を外した。そのとき、それが眼前に飛び込んできた。 『十番 ジャン 450点』 (――え?! ジャンが十番?!) さしものサービスも、そこに目が釘付けになった。 (おいおい。あのジャンが十番かよ) (まぐれだろ、まぐれ) (でも、羨ましいぜ!) (あいつなら、なんかやってくれそうな気がしたんだ) 野次馬達がざわざわ言い出す。 「相変わらず、すごいですね。サービス様」 その声で、ふと、我に返った。 サービスの周りにいる少年達の筆頭格、栗色の髪の少年の台詞だった。 「……ありがとう」 サービスが返事をした。 積極的に相手にこそしないものの、ハーレムのように邪険にはしないので、サービスの周りには、いつの間にか数人の人が集まるようになっていた。移動教室や昼休みなど、機会のあるごとに、彼らはサービスについていく。 「あと少しで高松を抜けたのにね」 「そんなこと言うなよ。あいつは人間じゃねぇ。化けもんだよ。化けもん。サービス様をあんな化けもんと一緒にすんなよな」 そんな、サービスを巡っての応酬も、彼自身はあまり気に留めなかった。いつものことだ。 「やりましたねぇ! ジャン」 背後から高松の声が聞こえた。サービスは思わず振り向いた。 「ああ……うん」 ジャンが、戸惑ったように返事をした。 「よくがんばりましたねぇ」 「みんなのおかげだよ」 「おーい、ジャン」 今度は、クラスメートのニールだ。 「十番台に食い込んだんだな。おめでとう。落ちこぼれ仲間がいなくなって、俺は寂しいけどな」 そう言って、ジャンに手を差し出す。ジャンが握手する。途端、彼は奇声を上げた。 「痛ぇっ!!」 「はっはっはっ。握力にだけは自信あるんだ、俺。じゃあな」 ニールはふらりふらりと教室に帰っていった。 「なんだあれ」 「やっかんでいるんでしょう」 「高松、人をそんな風に見てはいけないよ」 「――冗談ですよ。祝福してるんでしょう。彼なりに」 サービスは、そんな彼らのやり取りを、見るともなしに見ていた。 「サービス」 高松が、つつと、サービスに近寄る。 「あなた、ジャンが十番台に入ったこと、喜ばしいと思いますよね」 「うん……それはまぁ」 高松がもみ手をする。サービスはぴんと来た。こいつには、何か魂胆がある。果たして、それは当たっていた。 「どこかでお祝いしたいんですけどねぇ。駅前のムーランルージュなんてどうです?」 「それってどんなとこ?」 ジャンが訊いた。 「とっても美味しい料理を食べさせてくれるんですよ。まぁ、値段が高いことが難ですけどね」 「なんだよ、まさか――」 サービスが気色ばむ。 「そのまさかですよ。我々のスポンサーになってくれるとありがたいんですがねぇ」 「冗談じゃない。僕にそんな義理があるか」 「冷たいですねぇ。友達が大幅に成績を伸ばしたっていうのに」 「高松。もういいよ。俺の為にそこまでしなくても」 ジャンが割り込む。 「静かにしてください。ジャン。今、交渉してるんですから」 「ジャン。気にすることはない。どうせこいつは、自分が高級レストランで食事したいだけなんだから」 「――バレましたか」 高松はいたずらっ子のように首を竦め、サービスを上目遣いに見やる。 「お見通しなんだよ。おまえのことは。しかし、意外だな」 「何が?」 「おまえが我がことのように人のこと喜ぶなんてな」 「そりゃあ、あなたがいない間も、ジャンの勉強を見てましたからねぇ。この人、最初は小学校レベルの問題も怪しかったんですよ。まるっきり教育がないわけではなかったけど、学習の内容が、こちらとまるっきり違っているようでしたからね」 「そういえば、なんか聞いたこともないような国の出身だったな。どんな教育受けたんだ?」 ジャンは、首を横に振った。まるで、そのことには触れられたくない、とでもいうように。 「とにかくさ。おまえらのおかげで助かったよ。教えるの上手だから、わかりやすかった」 「あなたもいい生徒でしたよ。ジャン」 「俺、結構勉強好きみたい」 「こっちの学習は、おまえに合ってたっていうことか」 サービスが言う。 「というよりさ、わからないことがわかるようになるのが楽しいんだよ。『これは何故こうなんだろう』とか、『どうしてそうなるんだろう』とか。今までわからなかったことを知るのって、そうしてどんどん知っていくことが増えていくのって、楽しいじゃないか」 そのとき、サービスは、何かに撃たれたように目を瞠り、はっとジャンを見た。ジャンも高松も、気付かなかったのか、平然としている。 「けど、おまえ、そのうち嫌になるかもしれないぞ。知りたくもないことまで教えられて」 そう言うサービスの声は、いつもより力がなかった。握った拳も、少し震えていたかもしれない。 「知りたくないことなんてないよ」 「でも、そのうちそんなことも出てくるかもしれないだろう?」 少しばかりムキになって、サービスが言う。 「うーん」 ジャンはがりがりと頭を掻いた。 「先のことは、わからないよ」 かわされた! サービスは、理不尽なことながら、ジャンの返答に怒りを覚えた。 僕が聞きたかったのは、そんなことではない! 「サービス。ムーランルージュに……」 「僕は行かないよ」 「――店は”すかいらーく”に変更ですね」 高松の残念そうな呟きを背中に聞きながら、サービスはそこを後にした。 ジャンと向き合ったとき、彼はいいようのない不安と焦りに駆られることがある。 物事を苦もなく、易々と吸収している彼に、嫉妬に似た気持ちもあるかもしれない。 敗北感。だが、彼はそれを認めたくなかった。 ジャンの考え方が全く異質、というわけではなかった。むしろ、彼自身、大きな目をした子供だった頃、「なぜ?」「なぜ?」と兄にまとわりついているような子供だった。ジャンは、そういう子供と、何一つ変わったところがないようだ。 サービスは、ジャンの無邪気さをふと憎む。 己が変わったのはいつからだったろう。まだ興味の方向が定まらないうちに、学んだこと、学ばせられたことの結果が、評価の対象になり、自分の実力とみなされることを知ったときから。 (僕は、学ぶことを楽しいと思ったことはなかったのかもしれない) 士官学校物語・夏 第六話 BACK/HOME |