士官学校物語・夏
5
 夏休み明けに行われたテストの結果が廊下の掲示板に貼り出された。生徒達は、張り紙の前に詰め掛ける。
「げぇっ! 思ったより悪い! 三十番台は固いと思ってたのによぉ」
「おまえなんかまだいいよ。俺なんか下から数えた方が早いよ」
「ふん」ハーレムはじろりと一瞥し、そのまま行ってしまった。
(二番か。まぁまぁの成績だな)
 口々に交わされる呟きの中で、サービスは安堵していた。
 高松に負けたのは仕方がない。この結果なら、兄に報告しても恥ずかしくはないだろう。
 サービスは、ふと視線を外した。そのとき、それが眼前に飛び込んできた。
『十番 ジャン 450点』 
(――え?! ジャンが十番?!)
 さしものサービスも、そこに目が釘付けになった。
(おいおい。あのジャンが十番かよ)
(まぐれだろ、まぐれ)
(でも、羨ましいぜ!)
(あいつなら、なんかやってくれそうな気がしたんだ)
 野次馬達がざわざわ言い出す。
「相変わらず、すごいですね。サービス様」
 その声で、ふと、我に返った。
 サービスの周りにいる少年達の筆頭格、栗色の髪の少年の台詞だった。
「……ありがとう」
 サービスが返事をした。
 積極的に相手にこそしないものの、ハーレムのように邪険にはしないので、サービスの周りには、いつの間にか数人の人が集まるようになっていた。移動教室や昼休みなど、機会のあるごとに、彼らはサービスについていく。
「あと少しで高松を抜けたのにね」
「そんなこと言うなよ。あいつは人間じゃねぇ。化けもんだよ。化けもん。サービス様をあんな化けもんと一緒にすんなよな」
 そんな、サービスを巡っての応酬も、彼自身はあまり気に留めなかった。いつものことだ。
「やりましたねぇ! ジャン」
 背後から高松の声が聞こえた。サービスは思わず振り向いた。
「ああ……うん」
 ジャンが、戸惑ったように返事をした。
「よくがんばりましたねぇ」
「みんなのおかげだよ」
「おーい、ジャン」
 今度は、クラスメートのニールだ。
「十番台に食い込んだんだな。おめでとう。落ちこぼれ仲間がいなくなって、俺は寂しいけどな」
 そう言って、ジャンに手を差し出す。ジャンが握手する。途端、彼は奇声を上げた。
「痛ぇっ!!」
「はっはっはっ。握力にだけは自信あるんだ、俺。じゃあな」
 ニールはふらりふらりと教室に帰っていった。
「なんだあれ」
「やっかんでいるんでしょう」
「高松、人をそんな風に見てはいけないよ」
「――冗談ですよ。祝福してるんでしょう。彼なりに」
 サービスは、そんな彼らのやり取りを、見るともなしに見ていた。
「サービス」
 高松が、つつと、サービスに近寄る。
「あなた、ジャンが十番台に入ったこと、喜ばしいと思いますよね」
「うん……それはまぁ」
 高松がもみ手をする。サービスはぴんと来た。こいつには、何か魂胆がある。果たして、それは当たっていた。
「どこかでお祝いしたいんですけどねぇ。駅前のムーランルージュなんてどうです?」
「それってどんなとこ?」
 ジャンが訊いた。
「とっても美味しい料理を食べさせてくれるんですよ。まぁ、値段が高いことが難ですけどね」
「なんだよ、まさか――」
 サービスが気色ばむ。
「そのまさかですよ。我々のスポンサーになってくれるとありがたいんですがねぇ」
「冗談じゃない。僕にそんな義理があるか」
「冷たいですねぇ。友達が大幅に成績を伸ばしたっていうのに」
「高松。もういいよ。俺の為にそこまでしなくても」
 ジャンが割り込む。
「静かにしてください。ジャン。今、交渉してるんですから」
「ジャン。気にすることはない。どうせこいつは、自分が高級レストランで食事したいだけなんだから」
「――バレましたか」
 高松はいたずらっ子のように首を竦め、サービスを上目遣いに見やる。
「お見通しなんだよ。おまえのことは。しかし、意外だな」
「何が?」
「おまえが我がことのように人のこと喜ぶなんてな」
「そりゃあ、あなたがいない間も、ジャンの勉強を見てましたからねぇ。この人、最初は小学校レベルの問題も怪しかったんですよ。まるっきり教育がないわけではなかったけど、学習の内容が、こちらとまるっきり違っているようでしたからね」
「そういえば、なんか聞いたこともないような国の出身だったな。どんな教育受けたんだ?」
 ジャンは、首を横に振った。まるで、そのことには触れられたくない、とでもいうように。
「とにかくさ。おまえらのおかげで助かったよ。教えるの上手だから、わかりやすかった」
「あなたもいい生徒でしたよ。ジャン」
「俺、結構勉強好きみたい」
「こっちの学習は、おまえに合ってたっていうことか」
 サービスが言う。
「というよりさ、わからないことがわかるようになるのが楽しいんだよ。『これは何故こうなんだろう』とか、『どうしてそうなるんだろう』とか。今までわからなかったことを知るのって、そうしてどんどん知っていくことが増えていくのって、楽しいじゃないか」
 そのとき、サービスは、何かに撃たれたように目を瞠り、はっとジャンを見た。ジャンも高松も、気付かなかったのか、平然としている。
「けど、おまえ、そのうち嫌になるかもしれないぞ。知りたくもないことまで教えられて」
 そう言うサービスの声は、いつもより力がなかった。握った拳も、少し震えていたかもしれない。
「知りたくないことなんてないよ」
「でも、そのうちそんなことも出てくるかもしれないだろう?」
 少しばかりムキになって、サービスが言う。
「うーん」
 ジャンはがりがりと頭を掻いた。
「先のことは、わからないよ」
 かわされた! サービスは、理不尽なことながら、ジャンの返答に怒りを覚えた。
 僕が聞きたかったのは、そんなことではない!
「サービス。ムーランルージュに……」
「僕は行かないよ」
「――店は”すかいらーく”に変更ですね」
 高松の残念そうな呟きを背中に聞きながら、サービスはそこを後にした。
 ジャンと向き合ったとき、彼はいいようのない不安と焦りに駆られることがある。
 物事を苦もなく、易々と吸収している彼に、嫉妬に似た気持ちもあるかもしれない。
 敗北感。だが、彼はそれを認めたくなかった。
 ジャンの考え方が全く異質、というわけではなかった。むしろ、彼自身、大きな目をした子供だった頃、「なぜ?」「なぜ?」と兄にまとわりついているような子供だった。ジャンは、そういう子供と、何一つ変わったところがないようだ。
 サービスは、ジャンの無邪気さをふと憎む。
 己が変わったのはいつからだったろう。まだ興味の方向が定まらないうちに、学んだこと、学ばせられたことの結果が、評価の対象になり、自分の実力とみなされることを知ったときから。
(僕は、学ぶことを楽しいと思ったことはなかったのかもしれない)

士官学校物語・夏 第六話
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