士官学校物語・夏
4
「ただ今」
 扉が開く。サービスが帰ってきた。
「お帰りなさい。待ってましたよ」
「買い出しぐらい、俺が行ってきたのに」
 高松とジャンが口々に云う。
「いいって、いいって。今日の当番は僕なんだから」
「しかし、いいんですか。サービス。もう夏休みだというのに、未だにこんな所にいて。あなたには帰る所もあるでしょうに」
 高松が訊いた。
 夏休みに入った寮には、家が遠すぎるためだとか、事情によって帰ることができないので、居残る者が、少数ながら存在した。高松もジャンも、もちろん居残りを決め込むつもりであった。が、サービスがどうしてまだここにいるのかわからない。
「もう一週間くらい寮にいるって、兄さんに連絡してきたよ」
「あんまり帰ってやらないと、ハーレムがまたぐれますよ」
「僕が帰って来なかったくらいで、どうしてあいつがぐれるんだ。休み中の寮って、面白いね。普段とは全然違ったものになるんだから。珍しい体験が出来て、嬉しいよ」
 夏休み中の寮は、賄い係も全て帰省してしまい、居残り組は自炊なりをしなければならなくなる。台所は開いているので、そこを使って。食事は当番を決めて作る。料理の腕の確かな者に当たったならともかく、そうでなかったら悲惨なことになる。
 休みが終わる頃、居残り組には特殊な団結力が生まれている。
“総帥の弟と云えども、自分の役目はちゃんと果たして貰う”――それが、居残り組同志で、というより、その中の上級生が決めたルールだった。
 そして、今日がサービスの食事当番と云うわけだ。
 休み中は夜に一回、先生が見回りにくるだけのここは、生徒達にとっては一種の無法地帯となる―――サービスは殊の外、この環境が気に入ったらしい。
 料理がだいぶできてきた。美味しそうな匂いが立ち上ってくる。今日のおかずはミニ春巻きがメインだ。
「うまそうだな。どれ、一つお味見を、てっ」
 ちゃっかり一つつまもうとしたジャンが、サービスからしっぺを食らった。
「つまみ食いはだめだろ、ジャン。もう少ししたら夕食だから、それまで待ってろ」

「ご飯ができましたよー」
 高松の呼び声に、ジャンはおたまで空の鍋を叩いて、伴奏をつけてやる。
 すると、待ってましたとばかりに、居残り組の学生達が、まるで湧いてでもきたかのように、いっさんに食堂へと集まってくる。
 皆はそれぞれ自分の決めた席に着く。
「ぼ、僕、サービスさんの作った手料理なんて、食べるの初めてです」
 見るからに純情そうな一年生が、顔を真っ赤にし、固くなりながらそう云った。
「どーれどれ、あー、今日もうまそうだな」
「ジャン、この間の何とかいう変わった料理、また作ってくれよな」
「あー、あれ。勘で作ったんで、二度と作れないんだ」
「そうですね。あれは比較的まともでした」
 高松が口を挟む。
「おまえ、ほんとは料理上手なんじゃないのか?」
 他の生徒の一人は、からかい口調だったが、肯定的な意見だったので、ジャンは笑顔を向けた。褒め言葉として受け取ったらしい。
 食堂は学生達の声で沸き返る。みな大声を出すからだ。止める者が誰もいないとあっては。
「今日、花火やろうぜ、花火。俺、持ってんだ」
と誰かが云った。


 外はもうすっかり暗い。生徒達は手持ちの分だけでは足りないからと、外で購入してきた花火一式を抱えながら、大はしゃぎで寮の中庭に集合した。彼らは遊ぶことには余念がない。
「これ、いったいなんだい?」
「あなた、花火も知らないんですか?他愛ないけど、結構楽しいですよ」
 ジャンの問いに、高松は上機嫌で応じながら、バケツに水を汲む。
 花火の種火となるろうそくが据え付けられる。
「さ、世紀の一瞬。ジャンと花火の初めての遭遇」
 そう云ったのは、ジャンのクラスメートの一人、二ールだった。その冗談に、みなはどっと笑い、一斉にはやしたてる。ジャンの世間知らずぶりは、みなの知る所である。
「いったいあいつは今までどんな辺鄙な場所で暮らしてきたんだ?」
 それが彼を知る者が一様に抱く疑問であった。
「この紙に、火をつけるんですよ」
 高松に教わり、ジャンはおそるおそる導火線代わりの紙をろうそくの炎に近づけた。やがて、火薬に引火したらしく、シュッと火花がはじけた。
「すげぇー綺麗」
 ジャンは歓声を上げた。ぱちぱちと美しい色に炎がはじけるさまは、まるで夢の中の様だ。
「ジャン、火、もらうよ」
 サービスがすっとジャンのそばへ来た。
「打ち上げ花火はもっと綺麗ですよ。今度見に行きましょう。三人で」
 高松が云った。
 彼らのささやかなお祭りも終盤にさしかかると、サービスは次第に浮かぬ顔になっていった。花火の明かりに照らされた横顔は淋しそうだ。
「どうした、サービス。ん?」
 サービスの隣にしゃがみ込んだジャンが、相手の顔を覗き込むようにして訊いた。
「おまえら――おまえらの夏は、まだ始まったばかりなんだな」
 サービスはぽつりと云った。
「僕は、一週間したら、家に帰らなくちゃならないんだ。このままずっと、この夏休みが続いたら、どんなにいいだろうな」
「なに云ってるんですか。あなたには家族がいるでしょう。帰れば、ご家族と一緒に旅行へ行く予定とか、あるんでしょう? あなたの夏だって、まだまだこれからじゃありませんか」
 高松が口を挟む。
「でも――そう、だな」
「家に、帰りたくないっていうんじゃないんでしょう?」
「ああ。そんなんじゃないよ」
 今にも落ちそうな線香花火を眺めながら、サービスは薄く笑った。
 何故、あまりにも幸せな時間は、同時に哀しみをももたらすのだろう。
(僕の短い夏休みは、もうすぐ終わる―――)
 離れたくない。高松や、ジャンと―――。サービスは、この二人といた間の方が、家族といる間よりもっと自分らしい自分でいられることを発見していた。


 寮生達は、ぞろぞろと寮へと帰っていく。話をしながら歩いているジャンと高松と、最後尾のサービスの間には、数人の生徒達がいる。何となく手持ち無沙汰のような気がしたサービスは、わけもなく空を見上げてみる。
 と、そこへ――
「サービスくん」
 空気に溶け入るような、柔らかい声が、彼を呼び止めた。振り向くと、そこには、小柄で、フレームレスの眼鏡をかけた、黒髪の少年が立っていた。
 どこかで見たような気はする。そう、時々視界の端には入っていた。ただ、特に目立つ人間じゃないので、特に注意は向けなかったが。
「――君は?」
「あ、僕ですか? 僕は、カワハラと言います。1年B組の。ちゃんとお話するのは、初めてですよね」
 淀みのない、いささか女性的な、穏やかな口調。だが、このいかつい所のない少年には、ぴったりだった。
「――何か?」
 サービスが尋ねる。カワハラが微笑んだ。
「ちょっと、訊きたいことがあって」
「訊きたいこと?」
「ハーレムくんのことなんだけど」
「ああ」
 そういえば、1年B組と言えば、ハーレムと同じクラスだったな、とサービスは思い返してみる。
「君はあいつの友達か?」
「うん。まぁ、そんなようなもん」
 そんなようなもん、とは、どういうことか。サービスは疑問に思ったが、どうでもいいことのような気がして、黙っていた。
「あいつが、どうかしたのか?」
「うん。――ハーレムくん、春頃に比べると、随分学校出てくるようになったな、って」
「ああ」
「何か、あったのかな。たとえば、君が説得したとか」
「いや」
 サービスは即座に答えた。
「あいつは、僕の言うことなんか、聞くヤツじゃないさ」
「――そうかな」
「そうさ。第一、そのことについて、僕は、あいつに何も言ったわけじゃないんだもの」
(あいつが学校出るようになったのは、あの事件があったからだな)
「あいつ、五月頃にね、裏町で不良少年に刺されたことがあったんだ」
「うん。知ってる。噂になったからね」
「あんなことがあったから、あいつ、怖くなって、やっぱり真面目にやってるのが一番、て思うようになったんじゃないかな」
 その時のことは、サービスはよくは知らないのだった。ジャンがどういうわけかいちはやく駆けつけていたが。
(そう言えば、あの事件から、ジャンも変わったんだっけ)
 そう。ジャンも――どこがどう変わったのかはうまく言えないが、以前よりものびのびしているような気がする。考えてみると、どうも、あのあたりからのような気がしてならない。
 あの事件は、何か考えを変えるきっかけには、なったのかもしれない。
 もちろん、それは自分の憶測でしかない。だから、自分に馴染みの薄いカワハラには、言う気になれなかった。
「そっか。君は、そう思うんだ」
 カワハラは独り言のように言う。
「ハーレムくんに訊いても、『関係ねぇだろ』の一点張りなんだもんなぁ」
 それは、あいつならそういうだろう、とサービスは思った。あいつは、どんなことでも、人に干渉されるのを嫌う。もっとも、こっちだって、必要がある時以外は、そもそもあまり関わろうとさえ、思わないのだが。
「でも、僕、嬉しいんだ。ハーレムくんが学校来るようになって」
「――ふぅん」
 あいつ、いい友達がいるな、とサービスは思った。
 カワハラが、一方的に友情を持っているだけなのかもしれない。兄マジックの自称親友、ジョン・フォレストのごとく。
 さっき、『友達のようなもの』と言ったけど、その辺のことは、カワハラ自身が一番よくわきまえているのかもしれない。
(あいつにも、おせっかい焼きが必要だよな)
 自分には、それはできないし、そうする気にもならない。だから――
「カワハラ」
「はい」
「あいつのこと、よろしく頼むよ」
「もちろん」
 カワハラは、嬉しそうにうなずく。
「じゃあ、僕行くね。今日は、君と話せてよかったよ。君がどんな人かもわかったし」
 そういうと、カワハラは消えてしまった。
 もちろん、消えたというのは、目の錯覚であって、実際には早足で去って行っただけに違いないのだが。いくら痕跡を残さない去り方だと言ったって、それだけで彼が普通の人間でないとは言えない。だが、サービスがぽつりともらした一言は――
「変なヤツ」
だった。
 いつの間にか、寮の入り口まで来ていた。建物内の蛍光灯の灯りが、晧々と外までをも照らしている。サービスがほぉっと溜め息をついた。涼しい風が、吹きすぎて行った。
「サービス!」
 玄関から出てくる人影があった。ジャンだ。
「ジャン」
「なんか、見当たらなかったからさ――どうしたんだ?」
「え?」
「なんか、嬉しそうだ」
「――なんでもないよ」
「なんかいいことあったんだろう。教えてくれよ」
「秘密さ」
「ケチー」
 二人は笑いながら寮の中へと入って行った。

士官学校物語・夏 第五話
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