士官学校物語・夏 陸風に黒い髪を靡かせながら、ジャンは思った。 この海岸に来るのは、久しぶりだ。ジャンの中で、自分のことが何やら吹っ切れたと同時に、ここに来なくなったような気がする。 波の音は、いつもと同じ様にジャンを迎え入れてくれる。 ジャンは浜辺を歩き回り、足元に落ちていた石を拾って投げた。石はかなり遠くまで飛んだ。波に浚われて、どこまででも行くのだろう。 どうして、またここに戻ってきたのか。理由はわかっていた。 (この波の音を、あいつにも聞かせてやりたい) ジャンは一つの顔を思い浮かべていた。 ここは、ジャンだけの秘密の場所だった。 その場所を共有したいと思う相手が、彼にはいたのである。 たとえば、今日、やけに元気のなかったあいつ。たとえ自分では力不足でも、あいつを励まし、元気づけてやりたい。 善は急げだ。ジャンは早速踵を返した。 サービスはベッドに伏せっていた。 一番いいのは、起き上がって、テストの復習でもすることだろう。わかってはいるのだが、何もする気になれない。 サービスは、落ち込んでいた。この暑さ、風がひたとも吹かない部屋に苛立っていたし、天井がやけに白く見えることにも、苛立っていた。何か訳のわからない焦りが、サービスを苛立たせていた。 (どうした――たかが少し、テストの成績が落ちただけじゃないか) そう思ってみるが、どうも気分がのらない。 と、その時、ドアにノックの音がした。ジャンである。 「サービス。今、ちょっと出られるかな」 「何か用かい。ジャン。こんな所で」 「ああ。お前にも、聞いて欲しくってさ。この波の音。おまえ、今日、なんか元気なかったからさ」 「え?」 サービスは戸惑い気味に己を指さした。 「俺さ、困ったこととか、わけわからないことがあると、ここに来るんだ。波の音を聞いてると、悩みなんか全部、綺麗に溶け去ってしまうんだよ」 「すごいな。まるで全てを洗い流すような勢いだ」 全てを洗い流す―――単調な波の音。まるで地響きにも似た――― 水飛沫が、ここまでかかってきそうな勢いで迫り来る。 訳もなく、心が落ち着く。ここにいると、とても安心出来る。 ああ、そうか――― サービスは、泣いていた。 なんで今までこんな簡単なことがわからなかったのだろう。 こんな当たり前のこと――― 何がわかったのか、自分でもわからぬままに、サービスはそう思っていた。 「ジャン、よくここに来る?」 「ああ。ここに来た当初は、よく来ていたよ」 「へぇ。知らなかった」 「何が?」 「おまえでも、悩みとか、あったんだな」 「おまえね、俺が全く悩まないとでも思ってたわけ?」 「うん」 サービスはうなずいた。 「ずっとそうだと思っていたよ」 ジャン。 悩みなど、知らないように見えたジャン。 彼も、不可解なことを心に抱いて、それでも立ち上がって歩いていこうと、密かに誓った夜があったのだろうか。 (ジャン) サービスは心の中で礼を云った。 (ありがとう) サービスは、膝の間に頭をうずめた。 取り敢えず、今はただ、この波を聞いていよう。何も考えずに――。 士官学校物語・夏 第四話 BACK/HOME |