士官学校物語・夏 サービスが叫んだ。 「あいつ……っ!」 「しっ」 腰を浮かしかけたハーレムを、高松が止めようとしたが、時すでに遅し。 「誰かいるのか?!」 さっきまでとは様子の違う、酔っ払いと思われた老人が、張りのある声で言った。 「いるんなら出て来い。こっちには人質がいる」 高松とハーレムは、仕方なく出てきた。 (まぁ、ガンマ団は、いろんな人の恨みを買っているとは思ったが) しかし、生まれる場所を選べないのでは、仕様がないのではあるまいか、とサービスは考えた。 自分は、人の憎悪をかきたてるような人間ではないと、彼は思っている。 とすると、やはりこれはガンマ団がらみであろう。 「誰だ、おまえは。こんなことしてただで済むと思っているのか?」 ハーレムが言った。 「ワーウィックさん」 ジャンがその名を口にしたとき、老人は驚いたようだった。 「ワーウィック……どこかで聞いたことがあるんですけど……ああ、ランハ・レッテンビュー事件の!」 高松は、思い出し、ぽんと手を打った。 「ランハは俺の倅だ。俺の名はグレッグ・ワーウィックだ」 「やっぱり! 顔もランハに似ているし、写真も見てたから」 (意外と記憶力あるな、ジャン) と、サービスは密かに感心した。 「なんだ? ワーウィックだの、ウィーヒックだのって」 ハーレムが横合いから口を出す。 「ランハは、ジャーナリストだったんですよ。マジック総帥に殺されたんじゃないかと疑念視されてました。なんでも、青の一族の秘密を知ったとかで……事件は迷宮入りとなりましたが、ガンマ団が圧力をかけたという噂も……」 「そこ! うるさい!」 グレッグは、大きな声を張り上げた。 「知らない人達に、説明してたんですがね」 高松はまた肩を竦めた。 「ランハは俺の自慢の息子だった。だから、ガンマ団をマジック総帥とやらや、その血族を、片っ端からやっつけてやるって墓前で誓ったんだ。ここにふらふらと出入りしている総帥の弟の一人がいるって聞いたものだから、酔っ払いのふりして、見張っていたんだよ」 (ハーレムのことか) サービスは思った。とんだとばっちりだ。サービスは、恨めしそうな視線を、双子の兄に送ってやった。 「おい、グレッグ。人違いだ。それは俺のことだ」 ハーレムは、腹に響くような声で言った。 「だから、俺が代わりに人質になる。サービスを離せ」 「それは出来ない相談だ。俺は、おまえらの一族を皆殺しにしてやる。次は、貴様だ」 「へっ。俺達や、マジック兄貴に敵うかよ!」 ハーレムの秘石眼が、深く、濃くなっていく。 「おまえが戦う必要はない」 グレッグの後ろから、野太い声がした。 「G!」 Gと呼ばれる、ギデオンが、銃口をグレッグに向けて立っていた。 老人は、振り向こうとした。 明かりが、暗闇を切り取って、大柄な、逞しい男の姿を映し出す(その光景は、サービスからは見えなかったが、後で高松が教えてくれた。その瞬間は、さながら映画のようだった、と)。 サービスは、Gに気を取られたグレッグが、少し力の抜けたことを感じ、拘束から身を外し、小型銃をもぎ取った。そして、スチャッと構えた。 「形勢逆転だ。ワーウィック」 「くっ……」 老人は悔しそうに呻いた。 「もはやこれまでか。おまえらの好きにしろ」 「警察に自首しろ。僕は、無益な殺生を好まん」 「手ぬるいぜ。サービス」 ハーレムが文句を言ったが、サービスは無視した。 「は、はーっはっはっ!」 グレッグが哄笑した。 「自首だと? はっ! おまえに手をかけた俺を、マジックが許すとでも? あの悪魔は、俺を殺しに来るに違いない。警察だって、安全とは云えないさ。だって、ここは、マジックの支配する領土なんだからな。俺が選んだ最後の手段は……」 老人は、ガチッと奥歯を噛み合わせた。 「ワーウィックさん、いけない!」 ジャンが急いで駆けつけた。グレッグが倒れる寸前だった。奥歯に毒でも仕込んでいたのだろう。 「ワーウィックさん、ワーウィックさん」 ジャンが、膝の上に老人の頭を乗せた。 「サービス! ハーレム! どちらでもいいですから、救急車を!」 中腰のまま様子を見ていたサービスが、高松の声に、立ち上がろうとした。 「我を安らかに眠らせたまえ!」 かっと目を見開いた、老人の叫び声が、既に死相の現れている、不精髭に覆われた顔が、サービスをたじろがせた。 「俺も、ランハのところへ行く……最初から、決めていたことだ……だが、未練があるとすれば、どこかに消えた俺の娘、ランハが可愛がっていた妹のこと……それだけが……気がかり……だ……」 しばらくすると、唇も動かなくなった。高松が脈を取る。そして、首を横に振る。 「ワーウィック氏は死にました」 警察のサイレンの音が鳴る。 「後味の悪い事件だったな」 ハーレムが感想をもらした。 「けれど、兄さんに殺されるよりは、僕達が看取った方が、まだしもよかったんじゃないかな」 サービスが口を挟んだ。 「どこで死のうと、人間、いつかは死ぬものな」 そう呟いたハーレムは、話題を変えようと、 「ところでG。その銃は」 と、大柄な男に訊いた。 「ああ、いつも持ち歩いている」 「俺も、銃を持っていたんだ」 そして、Gに、ちらと銃身を見せた。リカードの形見のS&W。ハーレムが愛用している――。 「何故、さっきは使わなかったのか?」 Gの質問に、ハーレムは答えた。 「弾丸をちょうど切らしてたんでな。これを見せて、あのオッサンに逆上されても困るし。それよりもG」 「なんだ?」 「ありがとうな」 「…………」 Gは、少し照れたようだった。 (おやおや、これは、お安くないな) サービスは思った。人のことについては、敏感な彼である。 士官学校物語・夏も終わりに近づいた。後日談をして、締めくくるとしよう。 「カワハラ君」 「どうしたの? サービス君」 「この頃、ハーレムがいなくなっていたことはなかったか?」 「最近は、しょっちゅうあったそうだね」 「あいつも、いつぞやの事件で、少しは懲りたかと思ったら」 サービスは苛立たしげに独り言を呟いた。 「おい、君。友人なら、なんでアドバイスをしない」 サービスが、カワハラに詰問した。 「何度もしたよ。でも、こういうことは、当人の自主性に任せるしかないしね」 「あいつの自主性とやらのおかげで、僕は命を狙われたんだぞ」 カワハラの、フレームレスの眼鏡の奥の目が、驚いたように瞠った。 「いいか。これからは、ハーレムのことを見張っていてくれたまえ」 「わかった」 カワハラは笑顔で答えた。 「命を狙われたのか。大変だったね」 「ああ、それもこれも、出来損ないの、双子の兄のせいさ」 サービスは、ふぅっと溜息をついた。 射撃場に、銃声が響く。 パァン、パァン、パァーン。 「ふぅっ」 ジャンは、汗みずくだった。 「力を抜けと言ったのに」 サービスが注意した。 「いいか。肘は絞るように。呼吸は深く」 「わかった」 「おや、精が出ますねぇ」 高松が、ねぎらいの言葉をかけながら、ハーレムの顔の巨大パネルを運び入れた。 「お陰様で、少しはまともになったよ」 「俺、この夏の間にうーんと射撃上手くなったもんね」 「じゃあ、これを試してみたらいかがですか?」 高松は、パネルをトントンと叩いた。 「ああ、射撃の的に使うのか。それは。僕はてっきり、君がルーザー兄さんやあやめさんから、ハーレムに鞍替えしたのかと思ったよ」 「ご冗談を」 高松は笑った。 「バアでは、仲良さそうに、座っていたもんな」 「止して下さいよ。――そのことは、誰にも言わないでくださいね。特に、先生方や、ルーザー様には」 高松は、唇に人差し指を当て、口止めのサインをした。 「僕が先に撃っていい?」 「ジャン用に持ってきたんですがねぇ。まぁ、いいでしょう」 サービスが撃つとパネルの顔の真ん中を、銃弾が貫通した。 「いいのかな。こんなことして」 「いいんだよ。おまえの腕を試す、絶好の機会じゃないか」 サービスの言葉で、ジャンは、銃を構える。 パァンッ! ジャンは、ハーレムの左目を撃った。 「狙ってやったんですか? それとも、外したんですか?」 「いや……」 ジャンは、はかばかしい返事をしなかった。 左目――ハーレムの秘石眼。 (僕の場合は右目かな) その想像に、サービスは、一寸、背筋を戦慄が走るのを覚えた。 「ジャン、連弾してみないか?」 と、サービスが誘った。 「え? いいのか?」 「ああ。少なくとも、あの酒場の古ぼけたピアノよりは、マシなはずだよ。毎年調律師も来てるしさ。ほら早く」 サービスは、椅子をもうひとつ持ってきて、ピアノの前に置いた。 やがて、二人は曲を弾き始めた。 曲はもちろん、『Amazing Grace』 ジャンの、サービスに合わせるような演奏と、サービスの巧みな音楽のテクニック。それらが溶け合い、ひとつになる。高い天井が、音を反響させる。それは、荘厳でさえあった。 寮のグランドピアノで密やかな発表会は行われたが、一人、また一人と、音を生徒達が聴きつけて、ホールに集まってきた。 寮中から集合したとおぼしき、大勢の人々からの盛大な拍手が、二人を得意にした。 「ブラボー! ハラーショ!」 皆の声に、サービスとジャンは礼をした。 「アンコール! アンコール!」 その声に、ジャンは少し困った顔をしているようだったが、サービスは、早速、アンコール用の曲を耳打ちした。ジャンの顔に笑みがこぼれた。 「よっしゃ! 行こうぜ、『監獄ロック』!」 前のような、楽しく平穏な学校生活が戻ってきた。 いつの日か―― サービスは、ランハとワーウィックの墓にも献花しようと思っている。 士官学校物語・夏 後書き BACK/HOME |