士官学校物語・夏 点呼の時間にもいないし、お気に入りの場所だった浜辺にもいない。 サービスがそのことを高松に言ったら、彼はあっさりと、 「女性のところでしょう」 とのたまった。 「う……嘘だろう?」 「何ショック受けてるんですか。ジャンだって健康な若い男なんだし」 「そ、そうだけど、あんな、寝とぼけた奴、相手にする女なんて……」 「おや。純朴で、たいそうな人気だと評判でしたけど?」 高松は、サービスの心を盗み見るように、探るような目つきをした。 サービスは、少しどぎまぎして、彼から視線を外した。 (どうしてなんだろう。何故なんだろう) ジャンのことが気になる。 でも、それは、友達だからとかではなくて――。 (なんなんだ?) ジャンは、はっきり言って人気がある。サービスも、その美貌で女の子達を騒がせている。サービス自身には、まだ女性体験はないけれど、ジャンはどうなのだろう。 (許せない!) もしそうだったら許せない。ジャンに先を越されるなんて。 でも、それには、別の感情も混じってないだろうか。 (…………?) サービスは、それ以上考えないことにした。考えたら、自分にとって不愉快な結論に達しそうだったからだ。 しかし、それとなく観察したところ、ジャンの日常生活には、女のおの字もなかった。 いつも通り、快活で、元気が良く、素朴で明るい――実に、この年頃の男子らしい男子として、健全な生活を送っているようだった。 (誰だ? 女がいるって言ったの。高松に騙されたかな) しかし、サービスは、いまひとつ、面白くなかった。 あと、点呼やその後は、彼のことを追い回したくなかった。だから、一番肝心なところには、触れていないのかもしれない。 サービスは、怖かったのだ。もし、ジャンに、自分の知らない面があったら――。 (止めよう止めよう。ジャンが僕の思ってた通りの人間じゃないとしたって、それが何だというんだ) しかし、秘密のベールは、いつかは剥がされるものである。彼にも、そのときは訪れた――。 或る日、サービスは、野沢やルネ達親衛隊と、外出を楽しんでいた。 そろそろ帰ろうという段になったとき――ジャンの姿が見えた。 あの道の先には、ハーレムが刺されたあの横丁がある。 「おい。どうしたんや。ぼーっとして」 サービスは、野沢に肩を叩かれた。 「ちょっと……」 野沢は、双子の兄より断然頼りになる兄貴分だったが、このデリケートな問題には、口を挟んで欲しくなかった。 では、どうして高松には言ったかというと――その時点では、まだこれほど心を騒がせる事柄になるとは、思いもよらなかったからである。それに、高松には、本音を吐けてしまうような、不思議な力があった。 しかし、さすがは野沢である。ジャンの姿をちらと見たかと思うと――サービスにはそう見えたのだ――皆に向かってこう述べた。 「サービスは、何か用事があるようやから、わいらは先帰って寝ようや」 そして、他人にはわからないように、ウィンクした。 (野沢さんにも誤解されたかな。まぁいいや) サービスは、皆の姿が見えなくなると、急いで、ジャンが通ったと思われる道を走って行った。 予想通り、ジャンは、横丁に用があるみたいだった。 そして、きょろきょろと辺りを伺うと、さっと酒場『無憂宮』に入っていった。 (馬鹿! あんなところにいるのがバレたら……) だが、サービスの思いとは関係なく、体は勝手に酒場へと向かった。 (何か悪い企みがあったら困るからな……それに、麻薬とかの売買に、あいつが関係してたら困るし) 探偵のような気持ちで、サービスは酒場のドアを押した。 店内は暗かった。 バーテンのいるカウンターに、明かりが灯っているだけで。 右手にはピアノ。そして、マイクなどが置かれていた。 店の中は、意外にも混んでいた。 女連れの、偉そうな人物。一人でしんみり飲んでいる客。粋がっている、将来は愚連隊になるであろう少年達。 (あ、あいつら!) 高松とハーレムを見つけた。どうして、この二人が、この店に来ていたなんて、知りもしなかったのであろう。 サービスは目立たないように、大柄な男の陰に隠れた。 ジャンの姿は見えない。 (どこ行ったんだ。あいつ) 「レディースアンドジェントルメーン」 どこに貴婦人と紳士がいるんだ、などと思いつつ、サービスは耳を傾けた。 「今宵も私の音楽ショーに来てくださってありがとうございます」 大半の客は、酒がお目当てであろう。だが、サービスは、その感想を、静かに胸の奥にしまっておいた。 バアの奥まったところで、ぱっと、スポットライトがつき、男の姿が明らかになった。 ぱりっと三つ揃いを着こなした、ごま塩頭の中年男である。四十代ぐらいだろうか。服装のせいか、貧弱には見えない。 「初めての方もいらしゃるでしょう。私はポールと言います。この酒場で、歌わせてもらっています。よろしく!」 ぱちぱちと、まばらな拍手が聞こえた。 「そして――ご紹介致しましょう。歌の伴奏をしてくださる、ジャンです!」 ジャンが物陰から、ピアノの方に移動する。ライトがそれを追った。 椅子に腰掛けると、ジャンは、実に巧みに音を奏でた。 店内は、しんとなった。 みな、ジャンの前奏に引き込まれてしまったようだった。荒っぽいが、どこかに光るものがある。 (曲は――僕もよく知っているはずなんだけど――) その疑問は、ポールが口を開いたとき、氷解した。 amazing grace how sweet the sound…… その歌声たるや、見事なものであった。演奏とも、マッチしている。 (こんな……こんな特技が、ジャンにもあったのか――) 僕は、僕のライバルの、一部分しか見ていなかったのだ。それを思うと、サービスは哀しくなった。悲しいではない。どこか、切なくなるような気持ちである。 (ここは僕の場所じゃない) それが、サービスの心を痛くさせた。 帰ろう。ここは僕の場所じゃない。 サービスは忍び足で、バアを出て行こうとした。 そのとき―― 「サービスッ!」 ジャンが呼ばわったので、サービスは慌てて走り去った。 「待ちなさい! まだ歌は始まったばかりですよ! ジャン!」 ポールの声が、虚しく響いた。 「サービス! 待てよ!」 酒場よりほど近い道端で、サービスはジャンに捕まった。 「離してくれ!」 「どうしたんだよ。急に。俺、サービスも俺の演奏聴きに来たのかと、嬉しく思ってたとこなんだよ!」 「馬鹿! ぼんくら! こんなとこでバイトしたら、停学ものだぞ!」 「えっ?! そうだったのか。知らなかったなぁ」 どうやら、教えてくれる者がいなかったらしい。 (高松もハーレムも、人が悪い) サービスは、ジャンの手をとった。 「いいか。ジャン。おまえのこの手は、もっと大きなことを成し得る手なんだ。それをむざむざ無駄にする気か。それとも、おまえは一生、酒場のピアノ弾きで終わるのか」 「サービス……でも、俺の演奏で、楽しんでくれる人がいるんだ。そういう人がいるなら、俺はその人を大切にしたい」 サービスは、ジャンのまっすぐな目から、顔を背けた。ジャンといい、ハーレムといい、真実を明るみに出そうとするような男は、どうして、あんなに目が大きいのだろう。 「ふん。確かにおまえには、人殺しより、場末の酒場のピアノ弾きが似合っているだろうさ」 サービスは、自嘲するように、口の端を上げた。 「俺は……俺は……皆に幸せになってもらいたかっただけなんだ」 ジャンは、しょげた声でそう言った。 「でも、俺の使命ではなかったんだ、それは。今、初めて気付いたよ。ピアノももう止める」 ジャンの使命のことは、サービスは当然のことながら、知らなかった。 「さっきの台詞と矛盾してるだろう! それに、ピアノなら学校で弾けばいい」 「サービス……」 「おまえ、あんな特技があるなんて、僕に一言も言わなかったな」 「え? だって、サービスが俺の音楽、聴きたいと言ったことなかったし」 「馬鹿野郎! 僕にだけ秘密にしていたなんて」 「もっと上手くなってから、聴かせるつもりでいたよ」 「……ジャン。僕も、おまえの『アメージング グレイス』の続きを聴きたいよ」 ジャンの才能をもってすれば、世界中を魅了することができるだろう。 (ジャン。さっきの僕との会話で、そのことを諦めてもいいとさえ表明してくれた) だが、それは、サービスの望むところではなかった。相手も本気ではなかったろう。つい、口が滑ったというところなのではあるまいか。 (おまえの世界から弾き出されるのはご免だ) ジャンはライバルだ。彼の心の中に、ライバルという地位を占めていたい。 敵でもいい。嫌われてもいい。ただ、秘密がなくなればいい。 しばらく、サービス達は、お互いを吸い込むかのように、見つめ合っていた。 それを、物陰から見つめていた人物が二人。 高松とハーレムだった。 「驚きましたねぇ。ちょっと突つけば、何か出るかも、と期待してたんですが、まさかこんなに本音を喋るとはねぇ。まぁ、まだわかっていないところもありますけど」 「…………」 「帰りますか? ハーレム」 「ふん」 ハーレムは、燃えるような目で、サービスとジャンを見ていた。 「あなたには、別の人が現れますよ。だから、もう、サービスからは卒業なさい」 「うるせぇ。俺は、気にしてねぇ」 だが、目が、裏切っていた。 高松は仕方なさそうに肩を竦め、それでも、ハーレムと一緒にそこにいた。 「戻ろう。『無憂宮』へ。今日は、野沢さんが何とか誤魔化してくれると思うから。だけど、見逃すのは今日だけだからな」 サービスがジャンの手をとって、歩きかけたときだった。 一人の男が現れた。明らかに酔っ払いとわかる。 ぼろぼろの服、酒臭い息。 男は、一回、ひっくとしゃっくりをした。 「ほぉ、少年が二人。こんなところで何をしておるのじゃね?」 「行こう。関わらない方がいい」 「まぁ、そう言いなさんな。わしは酔って、足元がふらふらだ。肩を貸してくれんかね」 「いいですよ。さぁ」 ジャンがおぶっていこうと、体勢を整えた。 「いや、こっちの美人さんの方がいいな。この年になってもな」 サービスは気が乗らなかったが、右肩を、男の方へ突き出した。 突然――。 男が、サービスを捕らえ、小型銃をこめかみに突きつけた。 「な、何をするっ!」 士官学校物語・夏 第十二話 BACK/HOME |