ナポリを見て死ね
9
 ロッドは、ハーレムと初めて会った場所に来ていた。
 その近くの崖の上……と言った方が正確だろうか。
(ペンネ……イイ奴だったのに)
 天国と地獄の話をゴンじいから聞いたことがあった。良いことをすれば天国へ、悪いことをすると地獄へ落ちると言う。
「まぁ、わしは半分くらいしか信じていないがな」
 ゴンじいはそうも言った。
 ロッドも信じていたわけではなかった。
 しかし、もしそんな死後の世界があったとしたら――
(ペンネはイイ奴だから、天国に行くだろう)
 しかし、天国ってどこにあるのだろう。『天国に昇る』って言う表現もあるくらいだから、上だろうな。
 上へ――限りなく上へ昇ったら、ペンネに会えるだろうか。
 高く、高く――
 だが、そうしたら、イカロスのように途中で落っこちたりしないだろうか。
 いや、イカロスの翼は偽物だったが、オレのはそうではない。
 ペンネ――それから亡くなった者達に――。
(会いたい)
 両親も既に死んでいるかもしれない。もしかして――天国でペンネと会っている可能性もなきにしもあらずだ。
 ロッドはぐっと拳を握った。
(飛べ!)
 飛べ! 飛べ! 飛べ!
 ロッドは力を入れてみるものの、そよとも風が起こらなかった。
 風を――操れない。
 ロッドは愕然とした。

 彼は崖下を覗き込んだ。くらっと目眩がした。
 怖い。
 そんなこと、今まで感じたことがなかった。自分には怖いものなんてないと思っていた。
 この崖から落ちたら、天国へ行けるだろう……と一瞬思ってみたのだ。しかし、いろいろ悪いことをしている自分が、天国へ行くとは限らない。
「ロッド……自分で死んだら、いかんぞ」
 ゴンじいはそうも言った。
 言われなくたって――ロッドは嘲笑うように口元を歪めた。オレみたいな腰ぬけは、死ぬこともできないのさ。
 腰ぬけって、英語ではチキンって言うそうだけど、イタリアでは何て言うんだろう。
 日の光が眩しい。ロッドは光を遮るように、手をかざした。
 鳥が、太陽とロッドの間を横切った。何故か知らず、涙が一滴こぼれた。
「ここにいたか」
 聞き覚えのある声がする。まさか――
「ハーレム!」
「よぉ」
「アンタ、どうしてここが……」
「おまえがいそうなところを全部探した」
 ハーレムはさらっと言った。
「そんなところにいて、自害でもするつもりだったのか?」
「ほっといてください」
「よくこの崖へは来るのか?」
「まぁね」
「俺はゴンじいとは親しいぞ。以前一緒にバアで酒を飲んで意気投合して以来な。おまえはここにもよく来るんだってな」
 ゴンじいには、全てを話してある。――自分の特殊能力のことも。
「自殺はよせよ」
「するもんか」
「ああ、それから」
 ハーレムは、横顔を見せながら言った。
「おまえの兄貴分のことだが――すまなかった」
 それを言うためにわざわざ――? ロッドは目を瞠った。
 それだけ言うと、ハーレムはさっさと去ってしまった。
 不器用なのかもしれないけど――案外悪い奴ではないのだろう。
 ハーレムの出現が、ロッドに気力をもたらした。
(生きたい)
 生きて、生きて、生き抜きたい。
(少なくとも、童貞のまま死にたくねぇ)
 ロッド少年は、年よりも進んでいる。いろんな大人に可愛がられている(カマを掘られたとか、そういう意味ではない)せいかもしれない。それに、もうすぐ思春期にも入る。
 それよりも強く思うことは――
 運命に負けたくない。
(ナポリにもまだ行ってない)
 間違いとはいえ、『ナポリを見て死ね』なんて言葉が残っているところである。どんなところであろうとも、一度は行ってみたい。
(オレの親父やおふくろも、ナポリを見たことあるんだろうか)
 あるだろうな。イタリア人なんだから。
 オレ――イタリアに帰ってみたいな。
 唐突に、そんなことが頭に浮かんだ。

「変なガキがいる?」
 訝しげに、ピアス――イタリアから来たピアス少佐が、報告者に問うた。
「はい。ロッドという名前で――ベルヒ軍に世話になっていたこともあったということですが、ガンマ団とも気脈を通じていたそうです」
「ふむ……」
「噂ではベルヒ軍の兵士が一人死んだのも、その少年のせいだとか」
「なるほど」
 ピアスは顎に手をあてがった。
「その少年の行き先はわかるか?」
「いえ。今探しているところですが」
「そうか……草の根分けても探し出せ」
「復讐ですか?」
「そういうことになるかな」
「あの……まだほんのちっこい少年みたいですよ」
「だからどうした」
「あまり残酷なことはしないでいただきたいのですが」
「保証はできんな」
 ピアスはにべもなく言った。
「まぁ、全てはそのガキを捕まえてからだ」
 ピアスは、乱暴に書類をバサッと置いた。

「ゴンじい!」
 ロッドはゴンじいの家に押し掛けた。
「なんじゃい。いつもいきなり現れる奴じゃな」
 ゴンじいは仕方なさそうに言う。だが、その目は慈しみに溢れていた。
「ゴンじい。オレ、ここを出るよ」
「――ベルヒを出るってことかい?」
「そう」
「じゃあ、ちょっと待ってな」
 ゴンじいはよっこらしょと立ち上がり、ずた袋を持ってきた。
「何それ」
「ああ。おまえに必要と思えるものが入っとるよ。今のわしからの……餞別じゃ」

ナポリを見て死ね 10
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