ナポリを見て死ね その近くの崖の上……と言った方が正確だろうか。 (ペンネ……イイ奴だったのに) 天国と地獄の話をゴンじいから聞いたことがあった。良いことをすれば天国へ、悪いことをすると地獄へ落ちると言う。 「まぁ、わしは半分くらいしか信じていないがな」 ゴンじいはそうも言った。 ロッドも信じていたわけではなかった。 しかし、もしそんな死後の世界があったとしたら―― (ペンネはイイ奴だから、天国に行くだろう) しかし、天国ってどこにあるのだろう。『天国に昇る』って言う表現もあるくらいだから、上だろうな。 上へ――限りなく上へ昇ったら、ペンネに会えるだろうか。 高く、高く―― だが、そうしたら、イカロスのように途中で落っこちたりしないだろうか。 いや、イカロスの翼は偽物だったが、オレのはそうではない。 ペンネ――それから亡くなった者達に――。 (会いたい) 両親も既に死んでいるかもしれない。もしかして――天国でペンネと会っている可能性もなきにしもあらずだ。 ロッドはぐっと拳を握った。 (飛べ!) 飛べ! 飛べ! 飛べ! ロッドは力を入れてみるものの、そよとも風が起こらなかった。 風を――操れない。 ロッドは愕然とした。 彼は崖下を覗き込んだ。くらっと目眩がした。 怖い。 そんなこと、今まで感じたことがなかった。自分には怖いものなんてないと思っていた。 この崖から落ちたら、天国へ行けるだろう……と一瞬思ってみたのだ。しかし、いろいろ悪いことをしている自分が、天国へ行くとは限らない。 「ロッド……自分で死んだら、いかんぞ」 ゴンじいはそうも言った。 言われなくたって――ロッドは嘲笑うように口元を歪めた。オレみたいな腰ぬけは、死ぬこともできないのさ。 腰ぬけって、英語ではチキンって言うそうだけど、イタリアでは何て言うんだろう。 日の光が眩しい。ロッドは光を遮るように、手をかざした。 鳥が、太陽とロッドの間を横切った。何故か知らず、涙が一滴こぼれた。 「ここにいたか」 聞き覚えのある声がする。まさか―― 「ハーレム!」 「よぉ」 「アンタ、どうしてここが……」 「おまえがいそうなところを全部探した」 ハーレムはさらっと言った。 「そんなところにいて、自害でもするつもりだったのか?」 「ほっといてください」 「よくこの崖へは来るのか?」 「まぁね」 「俺はゴンじいとは親しいぞ。以前一緒にバアで酒を飲んで意気投合して以来な。おまえはここにもよく来るんだってな」 ゴンじいには、全てを話してある。――自分の特殊能力のことも。 「自殺はよせよ」 「するもんか」 「ああ、それから」 ハーレムは、横顔を見せながら言った。 「おまえの兄貴分のことだが――すまなかった」 それを言うためにわざわざ――? ロッドは目を瞠った。 それだけ言うと、ハーレムはさっさと去ってしまった。 不器用なのかもしれないけど――案外悪い奴ではないのだろう。 ハーレムの出現が、ロッドに気力をもたらした。 (生きたい) 生きて、生きて、生き抜きたい。 (少なくとも、童貞のまま死にたくねぇ) ロッド少年は、年よりも進んでいる。いろんな大人に可愛がられている(カマを掘られたとか、そういう意味ではない)せいかもしれない。それに、もうすぐ思春期にも入る。 それよりも強く思うことは―― 運命に負けたくない。 (ナポリにもまだ行ってない) 間違いとはいえ、『ナポリを見て死ね』なんて言葉が残っているところである。どんなところであろうとも、一度は行ってみたい。 (オレの親父やおふくろも、ナポリを見たことあるんだろうか) あるだろうな。イタリア人なんだから。 オレ――イタリアに帰ってみたいな。 唐突に、そんなことが頭に浮かんだ。 「変なガキがいる?」 訝しげに、ピアス――イタリアから来たピアス少佐が、報告者に問うた。 「はい。ロッドという名前で――ベルヒ軍に世話になっていたこともあったということですが、ガンマ団とも気脈を通じていたそうです」 「ふむ……」 「噂ではベルヒ軍の兵士が一人死んだのも、その少年のせいだとか」 「なるほど」 ピアスは顎に手をあてがった。 「その少年の行き先はわかるか?」 「いえ。今探しているところですが」 「そうか……草の根分けても探し出せ」 「復讐ですか?」 「そういうことになるかな」 「あの……まだほんのちっこい少年みたいですよ」 「だからどうした」 「あまり残酷なことはしないでいただきたいのですが」 「保証はできんな」 ピアスはにべもなく言った。 「まぁ、全てはそのガキを捕まえてからだ」 ピアスは、乱暴に書類をバサッと置いた。 「ゴンじい!」 ロッドはゴンじいの家に押し掛けた。 「なんじゃい。いつもいきなり現れる奴じゃな」 ゴンじいは仕方なさそうに言う。だが、その目は慈しみに溢れていた。 「ゴンじい。オレ、ここを出るよ」 「――ベルヒを出るってことかい?」 「そう」 「じゃあ、ちょっと待ってな」 ゴンじいはよっこらしょと立ち上がり、ずた袋を持ってきた。 「何それ」 「ああ。おまえに必要と思えるものが入っとるよ。今のわしからの……餞別じゃ」 ナポリを見て死ね 10 BACK/HOME |