ナポリを見て死ね
10
(ゴンじいは何をくれたのかな……)
 ロッドはずた袋を引っ掻き回す。
 出てきたのはかなりの額の現金、ロッド名義の通帳、保存食……などなど。
 そして聖書。
 これはかさばるし、いらねぇな。
 ロッドには聖書のありがたみがわからなかった。別に文盲ではない。ゴンじいに読み書き算盤は習っていたのだが。
 これを豚に真珠と言う(これもみことばなんだって知ってた?)。
 こいつはどっかで売るか。ロッドがそう考えた時だった。
「お、お恵みを……」
 一人の浮浪者がロッドに汚れた帽子を差し出した。
「わるいがオッサン。金を恵んでやるわけにはいかねぇんだよ。代わりにこれやる」
 ロッドが聖書をその老人に手渡した。
 老人は必死になって聖書のページを食い入るように見つめている。
(変なオッサン。早く誰かに売って金に換えちまえばいいのに)
 ロッドは不審がりながらも、その場を後にした。
(ま、いっか)
 そして、ロッドは自前のポシェットに手をやる。
 それにも金が入っている。それに、パスポートやなんやかや。
(このパスポートが偽造だと知られればやっかいなことになるが、これは上手くできてるからな)
 それは、専門の知り合いが拵えてくれたものだった。
 密入国も考えていたのだが、これぐらい装備が揃っていれば、その必要はないであろう。
 そして――
(ありがとよ、ゴンじい)
 金があるのはとにかく助かる。
 ロッドは彼の家に向かってウインクした。
 しかし、何故人殺しの道具を作っているゴンじいが、聖書など持っていたのか。
 ロッドは、彼が一応カトリック信者だったこともあるという話をしていたことを思い出した。俺には関係ねぇことさ、と聞き流していたが。
 この、人殺しと強姦以外は何でもやった少年に、急に信仰に目覚める方が無理ということが、彼にはわからなかったのだろうか。
 それとも、わかっていて、世界最大の文学と言われるあの本を贈ったのだろうか。
(まっ、いっか)
 ロッドはまた、この台詞を心の中で呟いた。
 そのあと、空を仰いでこう口にした。
「ナポリを見て死ね……か」
 この言葉の起源も、ゴンじいから教わったものだとは、前に書いたはずだ。
 思えば、ゴンじいはロッドの親代わりだった。随分無茶なことをしても、最後は必ず助けてくれた。
 死ぬのは、ナポリを見てからでも遅くはない。
 ついでにモリも見たい、と少年は思った。

「オレ、ここを出てくよ」
 ロッドはベルヒ軍に別れを告げた。
「ペンネはオレのせいで殺されたようなもんだし」
「だって……一応戦争なんだから、死人が出るのは当たり前だろ」
「ずっとここにいろよ」
「そういうわけにもいかねんだ」
 ロッドがベルヒ軍の仲間に対して、首を振る。
「おう、そうだ。こいつはガンマ団と通じてたんだ」
 そういう人間もいた。
「結果的にはそうなるな……」
「バカ野郎! おめぇなんかくたばっちまえ!」
 そう言った年嵩の兵士は泣いていた。
 これ以上長くいると、ふんぎりがつかなくなる。
 そう判断したロッドは、だっと駆け出した。
「ロッドー! いつでも帰って来いよー!」
 背中に投げられたその言葉が、かえって胸に痛かった。

(こっちにも挨拶しとくべきかな……)
 それは、ガンマ団の陣地を遥かに見はるかす草原。
 ガンマ団の奴らは、楽しい者揃いだった。
 スケベなギュスターヴ、しっかり者の飛龍。何考えてるかわからなくても、悪い奴でもなさそうだったG。ジャスティンやその他の陽気な傭兵達。
 それと――ハーレム隊長。
(ハーレムのオッサン……)
 部下の失態をわざわざ謝りに来てくれた男。
(オレが女だったら――惚れてたかもな)
 いや、実は今でも惚れていたりして。
 男惚れのする魅力が、確かにハーレムにはあった。
(あのオッサンがいなきゃ、ガンマ団のところには来なかったな)
 それに、ハーレムには、同じ特殊能力を持つ存在として、親近感を持っていた。それは、ギュスターヴですら入り込めない世界である。
 ロッドは、少しの間だったが、懐かしく、ガンマ団の兵士達のことを思い返した。
 ペンネのことは恨んでいない。
 戦争だから、みんな死ぬ覚悟はできている。たとえ普段どんなにふざけていても。
 いや、だからこそふざけるのかもしれない。死の恐怖を忘れ去る為に。 
 思えば、あの遠くにある木に登って、ガンマ団をスパイ(?)したことから、彼らとの付き合いが始まった。
 ギュスターヴと、あの木の枝の上で語り合ったこともあった。
「なぁ……ロッド。本気で俺の恋人にならないか?」
「そうだなぁ……オレはまだ、掘られるのは遠慮しときたいな」
「いや、そういうんじゃなくてさ」
「じゃあ、どういうことだよ」
「俺、マジでおまえに惚れちまったんだよ」
「へぇ……ま、五割引きして聞いとくか」
「そんな……まぁ、そういうおまえが好きなんだけどさ」
 でも、本当はもっとロマンチックな話がしたいんだが……とギュスターヴは不満を言った。この二人では、どうしても話が身も蓋もなくなる。
「なぁ、一度フランスに来ないか? パリはいいところだぜ」
「うーん。まぁ、イタリアに帰ってからだな」
「イタリアに何かあるのか?」
「ナポリがあるだろ?」
「『ナポリを見て死ね』か。そう言うのあったな」
「あれは間違いで……」
 本当は、『ナポリを見て、次にモリを見よ』と言うのだと、ロッドはギュスターヴに教えてやった。ちょうど、ハーレムに説明した時みたいに。どうして外国人は、このフレーズを勘違いして覚えていることが多いのだろう。
「よせよせ。ナポリなんて下らない」
「と、言うからには、行ったことがあるんだろうな」
「ねぇけど……とにかくパリが一番だよ」
 こんな些細な口喧嘩も、良い思い出だ。ギュスターヴも実はパリに行ったことはなかった。最後は二人して笑った。
 ああ。皆、いい奴らだ。
 戦争やってても、どこか牧歌的だった。
 オレも、いつかは戦場に行くんだろうな。戦争に魅入られた者として。
 だから今は、
「あばよ」
 と、万感の思いを込めて言ってやる。
 ロッドは、どこかふっきれた顔をしていた。口元に優しい笑みを浮かべて。
 いつか――いつかまた会えるといいな。たとえ、叶わぬ願いでも。

ナポリを見て死ね 11
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