ナポリを見て死ね
7
「どうした、坊主。元気ねぇな」
「……ん。ちょっとね」
「あの小僧のことか」
「……ん」
 兵士の一人に坊主呼ばわりされた少年の名はペンネ。
 オレンジ色の髪をしているが、別に某ビッテンフェルトではない。
(ロッド、どうしてるかなぁ)
 彼はベルヒ軍の見習い兵士で、ロッドとは気が合い、暇があれば一緒に遊んでいた。今決めた。
 そのロッドが、最近彼のところに来なくなったのである。
(どうしたのかな。病気にでもなったかな。ガンマ団の奴らに捕まってなければいいけど)
 結構楽しくガンマ団で過ごしているロッドは、そんなペンネの心配など露知らず。
「ただいまー」
 ギュスターヴにおんぶされて、ロッドはガンマ団基地に帰還した。
「おー、いいかっこだな。ギュスターヴ」
 仲間に冷やかされて、
「うるせぇ!」
 と男はすごんだ。
 水泳の競争で、ロッドは見事に勝ったのだった。
 ギュスターヴだって、人並み以上の訓練はしている。泳ぎにだって自信があった。
 それがこんな子供に負けるとは……だが、彼は、そんなことで落ち込んではいなかった。
「ロッドを一晩抱くことができないなんて……悔しいぜ!」
「また出た。ギュスターヴの悪い癖」
「ちょっと可愛い少年を見ると、夢中になるもんな。おまえ、レオンはどうしたよ」
「あっちは本妻。ロッドは現地妻」
「これだもんなぁ」
 ギュスターヴの同僚達は、はっはっはっと声を上げて笑った。
「ギュスターヴのオッサン。悪いが、オレは高いぜ」
「わかってるって」
「現地妻になる気もねぇよ」
「その気にさせるさ」
「おっと」
 ギュスターヴは背中に乗っていたロッドを自分の体の前方に回そうとしたが、ロッドはひらりと避けて飛び降りた。
「へへーんだ。つかまえてみろよ」
「このやろ!」
 ギュスターヴと、ロッドの追いかけっこが始まった。
 フランス男の方はいい年なのに、まるで子供のように無邪気に走り回っている。
 兵士達はみなはやしたてる。
「やれやれ。総帥が見たら何と言うか……」
 木陰から様子を見ていた飛龍が、仕方なさそうに呟いて、溜息を吐いた。
「ま、いいんじゃねぇか?」
 ハーレムの顔は和んでいる。戦場での厳しさは、今は垣間見えない。
「これでも戦争してるんだけどねぇ……」
 飛龍は、肩を竦めた。
「俺はな、飛龍。戦争も好きだが、こうした幕間の時間も大好きなんだよ」
 戦争を芝居に例えるのか、この人は……!
 飛龍は一瞬愕然としたが、やがて、ふっと笑った。
 敵わないな。ハーレム隊長。あなたには。
 そうして、ゆっくり首を降る動作をした。
「なんだ? 飛龍。言いたいことでもあるなら言ってみろ」
「あなたって、本当に戦がお好きなんですねぇ」
「なんだ。今頃気付いたのか」
 ハーレムは髪を掻きあげ、獰猛な笑みを浮かべる。
 惚れ惚れするくらいのいい男っぷりだ、と飛龍は思った。女だったら惚れていたかもしれない。
 幸いにも、と言うべきか、彼には愛妻と、一人の息子がいる。それぞればらばらに暮らしてはいるが。
(海龍……元気か?)
 心の中で息子を想う。
 妻は、中国の質素な家で、夫である飛龍の帰りを待っているだろう。機でも織りながら。
 息子海龍は、生まれつき炎を操る力を持っている。その能力を伸ばそうと、飛龍はある寺に預けてある。彼の実家だ。
 今はその寺は飛龍の父のものであるが、いつかは飛龍の手に渡ろう。あの山寺を継がせると、父は言っていた。
 その運命を疑ったことはない。
 ただ、ロッドの屈託のなさを見ていると、自分の持っていないものを持っているようで、それが、飛龍には少し複雑な想いを抱かせる。
 彼は、自由だ。
 そして、ハーレムも、自由だ。
 ほんの少しの間ではあるが、彼らの自由さに触れて、良かったとも思っている。
 海龍にも……この自由を味わわせてやりたい。
 せめて息子には、好きなことをさせてやりたい。
(しかし――息子をハーレム隊長の元に預けるのは、束縛にもなるであろうか)
 それならば仕様がない。海龍をわが一族に代々伝わる寺を継がせよう。もし、首肯すれば、だが。
 ――毛海龍。これが後にマーカーと呼ばれ、中国髄一の炎の使い手として恐れられる男になるとは、父である飛龍でさえ、今は予測もつかない。

 そして、夜は更けた。
 ガンマ団の陣地では、相変わらず乱痴気騒ぎが起こっているので、ここは一先ずおいておく。
 一艘の船が、ベルヒに向かって進んでいた。
「ピアス少佐」
 部下とおぼしき兵士が、踵を揃えて敬礼した。
 ピアス少佐、と呼ばれた人物は――
 白っぽい長い金髪に、軍服を着ている。なかなかの美人だ。
 軍でも、彼女を慕っている者は多いと聞く。
 だが、その眼光は鋭く、女ながら何度も修羅場を潜ってきた凄みを覗かせる。
 彼女の名は、ビアトリクス・ピアス。
「まだ追い払えていないのか。ガンマ団の者どもを」
 ピアス少佐は淡々と言った。だからこそ、迫力が増す。
「ええ……」
 部下の男はしどろもどろになっている。
「誰だった? 今ベルヒで指揮を執っているのは?」
「は! ポート軍曹であります!」
「手ぬるいな……」
「はぁ……だからこそ、我が軍に援軍を求めて来たのでしょう」
「ふん。あの狸親父め。己に降りかかった火の粉も満足に防げぬと来ている」
 少佐が、嘲笑するように唇を歪めた。
 ピアスは、本来ならもっと上の階級に昇るはずであったが、ポート軍曹が邪魔をしたと言われている。
 ことを荒立てたくないイタリア軍は、彼女の昇級を据え置きした。
 そう。彼女らはイタリア軍なのである。
 何かおかしいところもあるかもしれないが、細かいことは気にしないように、読者諸氏に言っておく。
 あんまり細かいこと気にすると――ハゲるで。

 ペンネは、大空に浮かぶ星屑を眺めていた。
「おい、ペンネ。もう寝ろよ」
 ロッドのことは気懸りだが、ペンネも明日のことがある。頷いて、そそくさと寝袋に潜り込んだ。
 ちょうど同じ頃、ロッドもガンマ団の兵士達と同じ天幕で眠りに就いた。

ナポリを見て死ね 8
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