ナポリを見て死ね 「……ん。ちょっとね」 「あの小僧のことか」 「……ん」 兵士の一人に坊主呼ばわりされた少年の名はペンネ。 オレンジ色の髪をしているが、別に某ビッテンフェルトではない。 (ロッド、どうしてるかなぁ) 彼はベルヒ軍の見習い兵士で、ロッドとは気が合い、暇があれば一緒に遊んでいた。今決めた。 そのロッドが、最近彼のところに来なくなったのである。 (どうしたのかな。病気にでもなったかな。ガンマ団の奴らに捕まってなければいいけど) 結構楽しくガンマ団で過ごしているロッドは、そんなペンネの心配など露知らず。 「ただいまー」 ギュスターヴにおんぶされて、ロッドはガンマ団基地に帰還した。 「おー、いいかっこだな。ギュスターヴ」 仲間に冷やかされて、 「うるせぇ!」 と男はすごんだ。 水泳の競争で、ロッドは見事に勝ったのだった。 ギュスターヴだって、人並み以上の訓練はしている。泳ぎにだって自信があった。 それがこんな子供に負けるとは……だが、彼は、そんなことで落ち込んではいなかった。 「ロッドを一晩抱くことができないなんて……悔しいぜ!」 「また出た。ギュスターヴの悪い癖」 「ちょっと可愛い少年を見ると、夢中になるもんな。おまえ、レオンはどうしたよ」 「あっちは本妻。ロッドは現地妻」 「これだもんなぁ」 ギュスターヴの同僚達は、はっはっはっと声を上げて笑った。 「ギュスターヴのオッサン。悪いが、オレは高いぜ」 「わかってるって」 「現地妻になる気もねぇよ」 「その気にさせるさ」 「おっと」 ギュスターヴは背中に乗っていたロッドを自分の体の前方に回そうとしたが、ロッドはひらりと避けて飛び降りた。 「へへーんだ。つかまえてみろよ」 「このやろ!」 ギュスターヴと、ロッドの追いかけっこが始まった。 フランス男の方はいい年なのに、まるで子供のように無邪気に走り回っている。 兵士達はみなはやしたてる。 「やれやれ。総帥が見たら何と言うか……」 木陰から様子を見ていた飛龍が、仕方なさそうに呟いて、溜息を吐いた。 「ま、いいんじゃねぇか?」 ハーレムの顔は和んでいる。戦場での厳しさは、今は垣間見えない。 「これでも戦争してるんだけどねぇ……」 飛龍は、肩を竦めた。 「俺はな、飛龍。戦争も好きだが、こうした幕間の時間も大好きなんだよ」 戦争を芝居に例えるのか、この人は……! 飛龍は一瞬愕然としたが、やがて、ふっと笑った。 敵わないな。ハーレム隊長。あなたには。 そうして、ゆっくり首を降る動作をした。 「なんだ? 飛龍。言いたいことでもあるなら言ってみろ」 「あなたって、本当に戦がお好きなんですねぇ」 「なんだ。今頃気付いたのか」 ハーレムは髪を掻きあげ、獰猛な笑みを浮かべる。 惚れ惚れするくらいのいい男っぷりだ、と飛龍は思った。女だったら惚れていたかもしれない。 幸いにも、と言うべきか、彼には愛妻と、一人の息子がいる。それぞればらばらに暮らしてはいるが。 (海龍……元気か?) 心の中で息子を想う。 妻は、中国の質素な家で、夫である飛龍の帰りを待っているだろう。機でも織りながら。 息子海龍は、生まれつき炎を操る力を持っている。その能力を伸ばそうと、飛龍はある寺に預けてある。彼の実家だ。 今はその寺は飛龍の父のものであるが、いつかは飛龍の手に渡ろう。あの山寺を継がせると、父は言っていた。 その運命を疑ったことはない。 ただ、ロッドの屈託のなさを見ていると、自分の持っていないものを持っているようで、それが、飛龍には少し複雑な想いを抱かせる。 彼は、自由だ。 そして、ハーレムも、自由だ。 ほんの少しの間ではあるが、彼らの自由さに触れて、良かったとも思っている。 海龍にも……この自由を味わわせてやりたい。 せめて息子には、好きなことをさせてやりたい。 (しかし――息子をハーレム隊長の元に預けるのは、束縛にもなるであろうか) それならば仕様がない。海龍をわが一族に代々伝わる寺を継がせよう。もし、首肯すれば、だが。 ――毛海龍。これが後にマーカーと呼ばれ、中国髄一の炎の使い手として恐れられる男になるとは、父である飛龍でさえ、今は予測もつかない。 そして、夜は更けた。 ガンマ団の陣地では、相変わらず乱痴気騒ぎが起こっているので、ここは一先ずおいておく。 一艘の船が、ベルヒに向かって進んでいた。 「ピアス少佐」 部下とおぼしき兵士が、踵を揃えて敬礼した。 ピアス少佐、と呼ばれた人物は―― 白っぽい長い金髪に、軍服を着ている。なかなかの美人だ。 軍でも、彼女を慕っている者は多いと聞く。 だが、その眼光は鋭く、女ながら何度も修羅場を潜ってきた凄みを覗かせる。 彼女の名は、ビアトリクス・ピアス。 「まだ追い払えていないのか。ガンマ団の者どもを」 ピアス少佐は淡々と言った。だからこそ、迫力が増す。 「ええ……」 部下の男はしどろもどろになっている。 「誰だった? 今ベルヒで指揮を執っているのは?」 「は! ポート軍曹であります!」 「手ぬるいな……」 「はぁ……だからこそ、我が軍に援軍を求めて来たのでしょう」 「ふん。あの狸親父め。己に降りかかった火の粉も満足に防げぬと来ている」 少佐が、嘲笑するように唇を歪めた。 ピアスは、本来ならもっと上の階級に昇るはずであったが、ポート軍曹が邪魔をしたと言われている。 ことを荒立てたくないイタリア軍は、彼女の昇級を据え置きした。 そう。彼女らはイタリア軍なのである。 何かおかしいところもあるかもしれないが、細かいことは気にしないように、読者諸氏に言っておく。 あんまり細かいこと気にすると――ハゲるで。 ペンネは、大空に浮かぶ星屑を眺めていた。 「おい、ペンネ。もう寝ろよ」 ロッドのことは気懸りだが、ペンネも明日のことがある。頷いて、そそくさと寝袋に潜り込んだ。 ちょうど同じ頃、ロッドもガンマ団の兵士達と同じ天幕で眠りに就いた。 ナポリを見て死ね 8 BACK/HOME |