ナポリを見て死ね
4
「こんな子供に言い寄るなんて、気がしれないな」
 長い黒髪を三つ編みにして束ねている人物が言った。
「オレ、最初の相手は、やっぱり姐ちゃんがいいや」
「姐ちゃん? 私のことか? 言っとくが、私は男だぞ。もう既に一人の子供もいる」
 がーーーーーん!!
 初めての相手が一児の父じゃあんまりだ。
 ロッドの恋は、儚く砕け散った。
「おまえ、まだ使えないだろう? それ」
 ギュスターヴが、ロッドの股間を指差した。
「それぐらいにしとけ」
 ハーレムがぎろりと睨む。
「へいへい」
(ハーレム隊長さんは下品な下ネタは嫌いなんだ。意外だろ?)
 ギュスターヴが耳元で囁く。
 確かに意外だ。
 ロッドはそう言う類の話は、全然平気なのだが。
(あーやって、乙にすましてんのさ、やーなヤツ。獅子舞そっくりのくせに)
(獅子舞って?)
 自然にロッドの声も低くなる。
(ああ。俺、日本のことにも詳しいんだ。後でじっくり教えてやるよ。獅士舞って言うのはだな……)
「おまえら、なぁにこそこそ喋っている」
 ドスのきいた声で、ハーレムが言った。
「いや、何でもありませんよ」
 ギュスターヴが、慌ててロッドから離れる。
「子供まで口説くのは感心せんな。ギュスターヴ」
「だって、飛龍ちゃんが相手にしてくれないんだもん」
「急に子供口調になるな。ったく。俺の部下にはこんな奴しかいないのか」
「アンタの器がせいぜいその程度だってことだよ」
「なにぃ?!」
「まぁまぁ、落ち着いて」
 ロッドが執り成そうとする。だが、心の中では、
(危なっかしいオッサン達だ)
 と思っている。
「へへっ。隊長をからかうのが、俺の楽しみのひとつなのよ」
 おー、気が合いそう。確かにからかい甲斐がありそうだ、もっと気が合ったら、掘られても構わないかな、とロッドは思った。
「ギュスターヴ、幹部にかけあって、給料下げてもらおうか?」
「へ。アンタが払うわけでなし」
「――逆らう気か」
「もうお止めください。二人とも」
 今度は、飛龍が仲裁に入った。
「飛龍ちゃんの言うことなら、聞かないわけにはいかないなぁ。ただし、条件が――」
「ロッド君、ギデオンが帰ってきたら、夕飯にしよう」
 飛龍は、ギュスターヴのことをあっさり無視した。
 短い黒髪の、熊を思わす男が、ぬっとテントの中に分け入ってきた。
「あ、紹介しよう。彼はギデオン。尤もハーレム隊長と仲が良くて、Gと呼ばれている。G、こちらが――」
「ロッドです。どうぞよろしく」
 ロッドが頭を下げた。何となく、そうした方がいいような気がしたからだ。
「よろしく」
 低い声で、Gが答えた。
(ねぇねぇ、飛龍さん)
 ロッドが囁いた。
(何だい?)
(あの人、怒ってんの?)
(いつもああだよ。彼は)
(ふぅん……)
「さぁ、Gも帰ってきたことだし、飯にするか!」
 ハーレムがぽんと手を叩いた。
「隊長じゃなくて、Gが作るんでしょうが。それを、何を偉そうに」
 ギュスターヴが独りごちた。
「ああ。偉そうに振る舞うよ。上官だからな」
 男の言葉を耳にしたらしいハーレムが舌を出した。
「ちょっとばかり上の地位にいるからって――年下のくせに生意気な」
 ギュスターヴも負けてはいない。
「あれ? ハーレム隊長って、ギュスターヴより年下なの?」
 ロッドが口を挟む。
「ああ。ギュスターヴは三十五だから、十くらい離れているかな」
「ま、これで腕が良くなきゃ、引っ繰り返して俺様の天下にするとこだけどなぁ」
 と、ギュスターヴ。手を頭の後ろで組みながら冗談っぽく。
「有能な上司で、悪ぅござんしたね。ざまぁ見ろ!」
 たは……。
 自分で自分のこと、有能な上司だって。隊長も言うねぇ。
 ギュスターヴ、一癖も二癖もありそうなのは、見てとれる。
 その男と軽口を叩きながら、しかも御することができるのなら、ハーレムもただ者ではない。
(と言うか、将来のオレの姿を見た感じ……)
 それは、己の未来を何となく読んだのだろうか。十数年後、ロッドはハーレムの部下の一人になっているのだ。だが、それは別の話である。
 ――閑話休題……いや、この話全体が閑話かもしれないが。
 Gが中華粥を持ってハーレムの天幕に再び現れた。
「Gも中華料理を作るようになったか」
 ハーレムの言葉に、
「私が教えたんです。早くレパートリーを増やしたいからと言って」
 と、飛龍が答えた。
「では、いただきます」
「いただきます」
 ロッドもキリスト教式に手を合わせた。半ば慣れである。
「Gさんはどこの出身?」
「ドイツだが……」
「やっぱりー。オレ、イタリア。ヨーロッパの国出身者同士だね!」
 ロッドが言うと、Gの口元が、僅かに緩んだ。
「どうだい。あの子。すっかり馴染んじゃって。でも、あの子は誰にもやらんぞ。いいな」
「別に取って食いやしないって」
「そうか? 飛龍。俺は、構わずに取って食うぞ」
 そう言って、ギュスターヴはガハハと笑った。
「ヨーロッパと言やぁ、俺様だってそうだよ。何せ、文化と芸術の都、パリの生まれなんだからな」
「その割には、美的センスはからっきしだけどな」
 ハーレムが茶々を入れる。ギュスターヴは無視した。
「おい。飛龍。酒はないだろうな」
「ありますよ。アンタと隊長にうるさく言われるだろうと思って」
「へへ。気がきくね」
「俺とギュスターヴの共通点だな。酒が好き、と言うのは」
 飛龍に酒を注がれ、ハーレムとギュスターヴは、子供のように無邪気な笑顔を見せた。

ナポリを見て死ね 5
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