ナポリを見て死ね
1
 ベルヒ――
 この小さな国で、二つの勢力が争っていた。
 ガンマ団と土着の人々。
 彼らは何度となく小競り合いをしていたが、まだ大戦争には至っていなかった。だが、日々緊張感は高まっていた。
 ところが――
「えー、おせんにキャラメル、武器、弾薬はいかがっすかぁー」
 間延びした声を上げて、車内販売よろしく売り物をしている少年が一人。
 なんだか、密かに物騒な物も売っているようだが……。
「あー、俺、弁当ひとつ」
「俺、コーヒーな」
「手溜団ひとつ」
 ――しかも売れてるし。
「まいどー」
 亜麻色の癖っ毛をした少年は嬉しそうににんまりした。
 少年の名はロッド。すっかり馴染んでいるようだが、実はこの国の出ではない。
 生まれ故郷はイタリア。父と母に連れられて、国から国へとさまよい歩いていたが、どこかではぐれてもう行方もわからない。
 それでも、明るく一日を暮らしている。
 涙なくしては聞けない話だが、案外本人はすましている。
 もっとも、そのことをネタにするだけの強かさは持っていたが。

「おばさーん、金ちょうだい」
 これ、と思った家に押し掛ける。
「ま、なんでしょ。汚い子だこと」
 太りじしの中年女性は、あからさまに嫌な顔をする。
「汚い子……」
 ロッドは、わざとショックを受けた顔をする。
「そうさ。オレは汚いさ。この国のいい家のぼんぼんに比べりゃあな」
 そして、顔を背ける。涙がきらりと光るように演出して。
「オレの両親は死んだのさ。ガンマ団に殺された……。パパは金持ちだった。ママはいい人だった……」
「まぁ――」
 ここまで来ればロッドの独壇場である。
「オレは、いつも親父の膝で、本を読んでもらったものさ。しかし、今はどうだい。オレは字が読めない。親父が生きていたら、教わったのになぁ……」
 少年は、微に入り細に渡り、幸せだった頃の自分の家庭を話した。
 すると、まるで自分が本当に裕福な家で、インテリでもある父と、優しくて美人の母親に囲まれて暮らしていたかのような感じがしたのだ。
(パパ、ママ――!)
 いつの間にか、その話が、嘘とは思えなくなっていたのだ。
 ロッドには、幸せな偽りを言っているのが一番好きだ。喋っているうちに、感情移入して、ほんのちょっとの間でも、夢の家を再現することができるのだから。
 この少年には、詐欺師の才能がある。
「オレ、いつも飢えてんだ。だから、アンタがあんまり親切そうなおばさんに見えたから……」
「まぁ、そうだったの」
 エプロンで顔を拭ったおかみさんは、「ちょっと待っててちょうだい」と奥へと一旦引き返した。
「さぁ、どうぞ。少ないけど、とっといておくれね」
「ありがとう、おばさん。おばさんはいい人だぁ……」
 そう言って顔を上げたロッドの目元には、大粒の涙が。本物の涙である。
「ガンマ団もひどい奴らだよね。こんないい子の両親を死なすなんてさぁ……元気をお出しよ。坊や」
 おかみさんは、ロッドを力づけようと抱き締め、とんとんと背中を軽く叩く。
「足りなくなったらまた来ておくれねー」
 おかみさんが手を振っている。
(――ちょろい)
 ロッドは人気のないところで札束を数えた。もうさっきの話など忘れている。
 こうなると、ガンマ団も価値あるよなぁ。
 ロッドは、ガンマ団を見たことがない。
 ただ、便利な『商売道具』と言う考えしかなかった。この頃は。
 札束は、ロッドが考えたより、多かった。
 うひょー。ガンマ団様々だぜ。全く。
 ロッドは金をバッグに入れた。
(でも、あんなに本気にしてくれたのに……悪かったかな……)
 ロッドの心の中に、自省の念が湧いてきたが、ぶんぶんと首を横に激しく振った。
 あのおかみさんには、可哀想な少年を助けた、と言う満足感を与えてやったではないか。
(オレにできることは、この金をできるだけ有意義に使ってやることだ)
 それで、両方、丸く収まる。
 言わば慈善事業だ。どちらに対しても。

 また、ロッドは軽業も得意だ。
 師匠がいた。その人は、マリア像の前で舞ったので、『聖母の軽業師』と呼ばれるようになった(アナトール・フランスか。古いねぇ)。

 ロッドの副業(?)はそれだけではない。
 死体漁りをして、金目の物を頂くのである。
 ここがいくら平和な戦場とは言え、戦っているのだから、死者も出てくる。
 それを狙うのが、俗に言う『禿鷹』と呼ばれる者どもである。ロッドもその一人だ。
 ロッドは今日、自分の視界で人が撃たれて倒れたのを見た。浜辺だった。
 気絶しただけで、死んではいなかったのだが、ロッドは、得意のスリの技で財布を頂戴した。
 中身は――紙幣が一枚、小銭がじゃらり。
(なんだ、しけてんな。ま、貧乏だから傭兵なんぞやってるんだろう……ん?)
 ロッドの手が紙切れに触った。何だろ。
 そこには、数字やロッドの知らない文字が書いてあった。
 なんだ。こんなもの。
 ロッドはそれを丸めて海に捨てた。波がそれをさらって行った。
 少年は知らなかったが、その紙は、マンハッタンの男女百五十名の運命を左右する程の重要な物であったのだ。
 ――だが、この物語には直接関係ないので、これ以上は触れない。

「おーい。ゴンじい」
 ぼろ家の玄関から、ロッドは呼ばわった。
「なんじゃね。騒々しい」
 ゴンじい、と呼ばれた男が、ぬっと現れた。
 この男が、ロッドの売りもの、武器や弾薬を作っている男である。元は花火師だ。
「頼んだモン、できたー?」
「できたぜ。ほらよっと」
 ゴンじいが手渡したのは、新型の手溜団五つ。
「ありがとよ。ゴンじい。ゴンじいは仕事が早いから助かるなぁ」
「まぁな」
「しかも、ただで渡してくれるなんてなぁ」
「子供から金は取れんよ」
 そう言うゴンじいの目には、慈しみが溢れていた。

 ロッドは、海を見るのが大好きだった。
 港の積み荷に腰を下ろす。
 ここから水平線を眺めていると、自分が世界の王様になったような気がする。
(オレは――いつかここを出て行って、世界中の海を見てやるんだ)
 それが、少年ロッドの密かな野望であった。

ナポリを見て死ね 2
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