マジック総帥の恋人 ~プロローグ~

「こんにちはー」
「あら、レイチェルちゃん。よく来たわね」
「お花買いたいんですけど」
 そう言った女の子は、年は、十歳前後か。ゆるく波打った黒い髪と、黒い瞳の、可愛らしい少女だ。
「はい、何が欲しい?」
「バラがほしいんですけど」
「どのくらい?」
「たくさん!」
「じゃ、ちょっと待っててね」
 花屋のおばさんは、バラをまとめて、花束にした。赤、黄、ピンク。それを、待っているレイチェルに手渡した。
「気に入った?」
「はい、とっても」
 バラの花束を手にしたレイチェルは、とても嬉しそうだ。花の妖精と言っても、違和感がないくらい。
 勘定を済ませ、さようなら、と店を後にした少女は、ご機嫌で道を歩いて行く。

 必死に走っている男がいる。
 二十代前半くらいの若い男。彼は、逃げているのだ。
 逃げている――でも、誰から?
 彼は、敵から逃げているのだ――ガンマ団総帥、マジックから。
 しかし――追い詰められてしまった。彼が逃げた先は、行き止まりになっていた。
 逃げ道を間違えた。男が舌打ちする。
「やあ、ランハくん」
 マジックが、二人の部下を引き連れて、現れた。
 赤いブレザーを着て、金色の髪を掻き上げ、撫でつけた、印象深い男。蒼い眼が鋭い。それに比べると、帽子と軍服を着た二人の男は、無個性に見える。
「私達のことをいろいろ嗅ぎ回っているようだねぇ」
「ああ。おまえらの秘密、全部公表してやるつもりだ」
「――こんなねずみが、私の周りには絶えん。だが、君は知り過ぎたようだ」
「俺を殺すつもりか? 俺が死ねば、おまえの知られたくない情報が、全世界に出回ることになるが」
「――トリスタンなら、死んだぞ」
 マジックの言葉に、ランハの目は見開かれた。
「な……なん……」
「私が、直接、殺した」
「何だって?」
「君も同じところへ行くんだ」
 マジックの、蒼い眼が光った。

 その瞬間、人の気配らしきものを、マジックは感じた。
 ――続いて、何かが倒れたような物音が。
「――待て」
 ランハは既にこときれている。
 マジックは部下達に命じると、後ろを振り返った。
 少し離れたところで、女の子が気を失っている。バラの花束がそばに落ちていた。
 今のを見られただろうか。
「総帥! この少女はどうしましょう!」
「――私が連れて行こう」
「殺さないのでありますか!」
「こんな小さな娘をどうしようと言うのだ。――こんな子供の言うことなど、誰も信じないだろう。証言能力がない」
「し、しかし……」
「まぁ、念の為と言ってはなんだが、とある筋の人間に引き取ってもらう。この娘が何者かを知らない人々のところに」
「総帥は、この娘のことはご存じないのですか?」
「ちっとも」
 マジックは少女を抱き上げた。顔をよく観察してから言った。
「ランハによく似ている。血縁かもしれん。バラは始末しておけ」
「はっ!」

 調べたところ、少女は、ランハの妹だと言うことが判明した。
 災いの芽は早いうちに潰す。それがマジックのいつものやり方であった。
 だが――この少女に対しては、そうする気になれなかった。何故だかはわからない。
 もしかしたら、惹かれていたのかもしれない。この、美しい少女に。
 少女の存在は、父親にすら、秘密にしておいた。

 ――数日後、少女には倒れてから一切の記憶がなくなっていたことが明らかになった。多分、ショックのせいだろう。
「好都合だ」
 報告を受け取ったマジックは、ばさっと上着を取った。
 いつか、真相を知った少女が仇打ちに来るかもしれない。それでも構わない。
 マジックにさえそう思わせるほど、あの少女は、可憐で、魅力的だった。たとえ、意識を失った姿でも。
 成長したら、どんなにか人を惹きつける存在になるだろう。――そう、思わせた。
 きらきらと、光を浴びながら、元気ではしゃぐ姿が見たい。それは、血も涙もない男、と多くの人に呼ばれたマジックですら願うことであった。

マジック総帥の恋人 1
BACK/HOME