マジック総帥の恋人

「良かったよ。エレーヌ」
「ありがとう」
「こっち来て座らないかい?」
『大和撫子』のオーナーの深崎に呼ばれ、エレーヌは勧められた席に座った。
「本当に、君はこの店の宝だね」
「まぁ。お上手ね」
「いやいや、ほんとに。声もいいし、芸も達者だし、まだ若いし綺麗だし――ねぇ、私と付き合わないかい?」
「オーナー……オーナーには奥さん子供がおありでしょ?」
「二号さんにしてあげる」
 ――数秒後、深崎オーナーは、机と椅子の下敷きになっていた。

(全く。男共ときたら、女と見たら口説くことしか能がないのかしら)
 呆れながら、エレーヌは一人ごちた。たとえ、養子として今まで育ててもらい、仕事も世話してくれた深崎修にも容赦がない。
「こんばんは。エレーヌ」
 深みのある低い声が聞こえた。人目をひく赤い服にきちんとセットした金髪――マジックだった。
「こんばんは、マジックさん」
 エレーヌはぶっきらぼうに挨拶に答えた。
「もう帰りかい?」
「ええ」
「残念。君のショーが見たかったんだがな――じゃあ、送っていくかい?」
「結構です」
「いつか君を、兄弟に紹介したいな。嫌かい?」
「どうぞご自由に。――ローザ」
 車が見えたので、エレーヌは駆けていった。
 ドアが開き、美人でも不美人でもない、年配の女が顔を出した。
「どうしたの? エレーヌ」
「何でもないわ。乗せてくれる?」
「いいわよ」
 エレーヌが乗ると、ローザが責めるような視線をマジックに投げた。
 そして、おざなりに、さようなら、と言った。
「ねぇ、エレーヌ」
 二人きりになると、ローザが言った。
「何?」
「あのマジックという男、きな臭くない?」
「どうして?」
 ときどき、冗談で口説いてくるという以外、エレーヌには、マジックは無害な男としか思えない。
(まぁ、服装はちょっとあれだけどね……)
と、エレーヌはこっそり思った。
「知らない? あの男、ガンマ団の総帥よ」
「殺し屋軍団のでしょ? でも、名前だけじゃないかしら? あの人に人が殺せるとは思えないけどね」
「あなたって、お人よしね」
「そう? でも、子供の頃から世話になってる人だもの。悪くは思えないわ」
「――エレーヌ、新聞見てる? テレビは?」
「――どっちもあんまり目にしない」
「だから、あなた、あの男を恐れないのね。K国を乗っ取ったのも、彼だと言う噂よ」
「噂はあくまで噂でしょ」
「情報を操作しているという話も聞いたわ」
「何それ」
「だからね、あまりあの男に近づかない方がいいわよ」
「あっちから来るんですもの。しょうがないじゃない」
「――まぁ、いいけどさ。私としては、友人を危険な目に合わせたくないの」
「心配してくれてありがとう。ローザ。でも、自分の身は自分で守るわ」
「そうね。あなた強いものね。――聞いたわよ。オーナーのこと。今日もまたやったのね」
「あら、耳が早い」
「見てたもの」
「あらあら」
「他人事のように言っていいの? マジックよりは、オーナーの方を応援したくなっちゃうけどね、私は」
「オーナーは既婚者よ」
「別に不倫なんて、この世界じゃ珍しくありませんわよーだ」
 ローザがわざと子供っぽく、唇を突き出す。
「それはわかるわ。けれど、育ての親だからそんな気になれないのよ」
「ふぅん。オーナーも不憫だわね。マジックに比べれば、安全だと思うけど――あの男、あなたに対しては、本気よ」
「まさか」
 エレーヌは低く笑った。マジックは、ハンサムだから、遊び慣れているだろう。
(その男が私に本気? あり得ないわ)
 ローザは、別れるとき、マジックだけは止めておきなさい、と念を押されて、排気ガスをまき散らす車と共に消えていった。

「おやおや。深崎くん、どうしたのだね、その顔は」
 マジックがオーナーに訊いた。
「ちょいと、エレーヌにやられましてね」
「仕様がないな。君は。私の女を取ろうとするからだ」
「冗談ですよ」
「――まぁ、それがわかっているからこそ、君に、彼女を託したんだからな」
「仕事も辞めてね」
 深崎修は、敏腕――というより、辣腕に近いが、ガンマ団に属する腕ききのスパイだった。今、そのときの頃のような凄みのある顔がのぞいた。
 それを、エレーヌを引き取るという条件で、長年夢だった店を始めるとき、出資してもらったのだ。
 深崎は、エレーヌが何者かよく知らない。また、知らなくてもよいと思っている。昔の情報網を調べれば一発でわかるだろうが、敢えて調べる気もない。マジックに忠誠を誓っているのだ。
「しかし、いい女になりましたよねぇ、彼女は」
「君は商売上手だな。この店もこんなに大きくなって」
 マジックは話題をすりかえた。
「いやいや。いつ、『無憂宮』のように潰されはしないかと、ひやひやですよ」
 蛇の道は蛇。飲食関係の仕事のことなら、嫌でも耳に入る。
 深崎のきわどい軽口に、マジックはふっと笑った。
「あいつらは、やり方が下手だったんだろう」
 マジックの台詞に、深崎は大いに賛成しながらも、心の隅で、『無憂宮』の経営者達に同情をおぼえた。
「今度、私の兄弟も連れてくるが、いいか?」
「はい」
 否も応もない。マジックの命令は絶対である。深崎は頷いた

マジック総帥の恋人 2
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