マジック総帥の恋人
振袖に身を包んだエレーヌが、新年の挨拶をした。赤を基調とした着物姿は、年相応で初々しい。 良子と、オーナーの息子、修司も一緒に来ていた。 「パパー」 「はいはい」 オーナーが屈むと、この深崎家の息子は、ほっぺにちゅーをした。 「おひげ、じゃま!」 修司は五歳。エレーヌが引き取られたときとほぼ同時に生まれた。 エレーヌは修司の遊び相手であり、相棒だった。修司は、将来は「エレーヌお姉ちゃんと結婚したいなぁ」というかわいい望みを持っている。 「普通はママと結婚したがるものなんだけどねぇ」 と、良子はぐちるのだが、一方では嬉しそうでもある。 なにせ、エレーヌは、既に家族も同然である。年の差なんて気にせずに、結ばれれば、どんなにいいかと考えていた。 尤も、こんなことは、子供時代の思い出であって、思春期になれば、忘れ去られるのだろうけれど。 それに、今のエレーヌには、婚約者がいる。 修司の着物姿は、子供なりに様になっている。 オーナーだけが、蝶ネクタイにブラウスと黒いベストにズボンだった。 「ねぇ、エレーヌおねえちゃん。ぼく、ゆめがあるんだ」 「あら、どんな夢?」 「いつか、お父さんやお母さんみたいなスパイになること」 そう言って修司は、「これっ」と良子に小突かれてしまった。 「まぁ。オーナー達って、スパイだったの?」 「昔の話よ」 「あなたは黙りなさい」 オーナーは時々カマっぽい口調で話すが、良子も厳しい口調のことがあるので、まずは似合いの夫婦と言えるだろう。 「ぼく、ローザおばさんにもあいさつしてくる」 「まだ来てないわよ」 「じゃ、かぐやでまってる」 「修司。かぐやじゃないの。楽屋でしょ?」 「じゃ、かぐやひめは、がくやひめなの?」 修司の質問に、エレーヌはぷっと吹き出した。 エレーヌが、楽屋について、丁寧に説明すると、修司は、わかったような、わからない顔で、とにかく、そこに行けば、ローザに会えることを知っていたので、すぐさまそちらの方に向かった。 オーナーがとろけそうな顔で言った。 「あの子ったら……あの年でもう愛人抱えちまってんだから」 エレーヌも笑っていた。 がくやひめ……楽屋に現れるお姫様などだろうか。そして、同時に、かぐや姫から、家具屋を連想した。 エレーヌは、日本語が達者である。英語も話せるが、日本語の方が、情緒があって、好きだ。 だから、家具屋姫……ではなく、かぐや姫の話も知っている。 「うーん」 「どうしたの? 良子さん」 エレーヌは、プライベートでも、深崎修のことを《オーナー》、良子のことを《良子さん》と呼んでいる。 「なかなかうちとけないねぇ」 と、良子がこぼしていたことがある。エレーヌが、二人に恩を感じているのは確かであるが。心を開いているのは、修司に対してだけであろう。 話を戻そう。 「着物はずん胴の方が似合うって言うけど、ありゃ嘘だねぇ。アンタはボンッキュッボーン!のナイスバディだけど、着物が似合うもの」 「これでも、いろいろ巻いて大変なんですよ」 「グラマーも、いいことばかりじゃないのね。その点、私は典型的日本人体型だから」 良子は金ぴかの着物を着て、体格がいいのもあいまって、押し出しのいい姿である。 「良子さんは、風采がご立派だわ」 「褒めてくれてるの? ありがとう。ちょっと派手じゃないかと思ったんだけどねぇ」 「いいんだよ。正月だから。あまり地味なのを着られると、めでたさが半減するよ。地味なのは、葬式のときだけでいい……って、こりゃまた縁起でもないこと言っちまったな」 オーナーは、はははと笑った。 「ところで、エレーヌ。その包みは?」 「え? これですか? おせち料理です。良子さんと一緒に……というか、良子さんが大部分を作りました」 「あら。謙遜しなくてもいいのよ。重要なところは、この子がほとんどやっちゃったんだから」 「エレーヌ」 途端に、オーナーの顔が引き締まった。 「アンタ、あれから、マジック総帥と会っているかい?」 思いがけない話の展開についていけず、エレーヌはちょっと口を噤んだ。 実は、あのイブの日以来、彼の総帥には会っていないのだ。 「いいえ……」 「だめじゃない。玉の輿に乗れるかどうかがかかっているんだから。というわけで、このおせち、総帥の元へ持っていくこと」 (あ、話はそこに落ち着くわけね) エレーヌも、お礼はしなくてはならない、と考えていた。あれだけ高価な婚約指輪をいただいたのだから。 しかし、あまり中途半端な物もあれだし、あと忙しかったりで、ついに年が明けてしまったのだ。 (わるかったかなぁ……) 「初日の出を一緒に見ないか?」という誘いも、家族で正月を迎えたいから、と断ってしまったし。 (私は、ちゃんとけじめをつけていなかった) あの日以来、マジックのことを考えると、少しゆううつになった。 マジックのことは好き。でも、縛られたくない。 マジックのような男は、他人に弱味を見せるのを最も嫌う。時には、相手を憎みさえする。それなのに、エレーヌに対しては、弱味を見せてもいいと思っているのか、誘いが来た。前より淡々としてはいたが。 (あの手の男が本気になると、厄介なんだよ) そう教えてくれたのは、オーナーのはず。それなのに、今回は彼こそが、エレーヌとマジックの結婚話を応援している――というより、強引に進めている。 しかし、マジックに、礼は言わなくてはならない。指輪のこともある。大好きなヘリにも乗せてもらった。 そして――彼は婚約者なのだ。 「わかりました。これは、ガンマ団に持って行きます」 「あらあら。修司に駄々をこねられたらどうしましょ。食べ物の恨みは、怖いのよ」 「あの子には、俺がちゃんとご馳走作ってやるって言え」 「あの子は、エレーヌの手料理が食べたいのよ」 「じゃあ、明日にでもなんか作っておくれ。……全く、ローザに浮気したくせに」 ぶつくさとオーナーが言う。そんな二人に別れを告げて、エレーヌは『大和撫子』を出て行った。 それが、長い別れとなろうとは――。 「お邪魔しまーす」 ガンマ団の受付に、エレーヌは顔を出した。 「はい。どなたですか?」 「エレーヌ・ライラ・深崎です」 「え……エレーヌ様ッ?!」 受付の、まだ紅顔の金髪美少年は、エレーヌの名前を聞くと、飛びあがらんばかりに驚いた。 「ささ、どうぞどうぞ。お話は伺っております」 「どういう風に?」 「エレーヌ・深崎様がお見えになりましたら、何も聞かずに通してくれ、と」 「まぁ、大げさね」 エレーヌが微笑んだ。 「そ、総帥の執務室までご案内いたしましょうか?」 「それには及びませんわ。このおせちを届けに来ただけですし」 「総帥にはお会いにならないので?」 このまま会わずに帰ろうか、とも思ったが、それではあまり意味がない。 「お仕事がお忙しいのでなければ」 「では、応接室でお待ちください。お荷物は私の方から届けますので」 応接室の壁には、歴代のガンマ団総帥の肖像画が並んでいる。この組織は、以前は、K国に支配され、何かあると、戦争に駆り出されていた。しかし、それは、エレーヌの知らないことだ。 「あ、この人好み」 それは、前代の総帥である。ライオンのような髪型をしている。 そのときだった。ある音が聴こえてきたのは。 (――――) 何かしら、これ。 やがて、声らしきものが、耳で拾えるようになった。 (――だ。――こっちだ) なんだろう。好奇心が抑えきれなくなったエレーヌは、その声に導かれるように、ふらふらと部屋を出て行った。 (そう。こっちだ) 声の言う方へ、言う方へと、彼女は進む。 (この部屋だ) 重々しい扉がぎぃ……と開くと、豪華で、高価な調度品に囲まれた部屋が現れた。 机に椅子、後ろには大きな本棚。その真向かいに、赤と白を基調にした、黒で六芒星と『G』のロゴの縁取った旗。そして、毛足の長い絨毯以外、何もないスペース。 ここは――もしかして……。 (マジックの部屋だ) 考えがまとまる前に、声が答えた。 金色の台座の上に、蒼い宝玉が嵌め込まれている。 (――こっちに来い) 声は、その石の方から聴こえる。 (現実――よね、これって) 石が喋るなんて、聞いたこともない。 (さぁ……私に手を置け) 「こ……こう?」 エレーヌは、どこから命じているのか知らない相手に訊く。 (面白いものを見せてやろう) エレーヌの目の前が、スパークした。 「あら、レイチェルちゃん、よく来たわね」 何――。 「バラがほしいんですけど」 「どのくらい?」 「たくさん!」 これは――。 「気に入った?」 「はい、とっても」 やめて――――! (…………) 目の前の風景が、ガラスのように、割れて飛散した。 (お兄ちゃーん!!) ランハが目の前で死んでいた。 (嘘よ……嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ) 大好きだったランハお兄ちゃん。レイチェルには、いつも優しくしてくれた……。 (そう――私は、レイチェル・リタ・ワーウィック……) 頼りになる父、優しい母。 思い描いていた、理想の家族。 まさか、こんなところにあったなんて――。 「レイチェル!」 老人の顔が目に浮かぶ。 (お父さん――!) そして、自分と同じ、黒髪のランハお兄ちゃん。 優しくて、ちょっとドジで、夢に燃えていた青年。 (レイチェル……俺、おまえとそう会えなくなるけど、気を強く持って、しっかりな。――親父とお袋を頼む) そう言って、家を出たお兄ちゃん。 ああ、こんなところにいたのね。 「私が、直接、殺した」 マジック――? 兄は……マジックに……殺されたの……? (そうだ) 声が答える。 「そんな……そんなそんなそんな」 (では、血塗れの手で、私の手を取ったの? 涼しい顔して、私と会ってたの?) (そうだ) (兄を殺したくせに!) 何故、今まで思い出せなかったのだろう。 チャンスはいくらでもあったはず。生家に行っても思い出せなかった、自分の過去。 今なら、ありありと思い出せる。 兄の死体。真っ赤なブレザー、金色の髪。 あの印象的な蒼い眼は、見えなかったけれど。 (ほう。じゃあ、こうしたら、どうかな――) エレーヌは、ランハとなって、敵マジックから逃げている。 彼は、『黒豹団』のリーダーだ。活動は主に情報収集。比較的穏健な組織だが、綱渡り的なのは間違いない。 「やあ、ランハくん」 (ここで――無駄死にしてたまるか!) 「トリスタンなら、死んだぞ。私が、直接、殺した」 (何――?!) 「君も同じところへ行くんだ」 そして――マジックの瞳から、強烈な光が放たれた。 ――気がついたら、元の部屋に戻っていた。 これは――夢? (夢ではない。それが、君にはよくわかっているはずだ) 私にこんな経験をさせたのは――この石? (そうだ……青の秘石。私はそう呼ばれているな) 「どうして……こんな記憶なら、ずっと封印しておきたかったわ!」 エレーヌが大声で叫ぶ。 (まぁ、私としては、それでも構わなかったがね。けれど君は知りたがった。同時にランハの死に際も見せてやった。満足だろう) 青い石が、冷静に思念派を出す。 「そうだったわ……ずっとずっと、知りたかった。自分が本当は何者であるか。でも、知らない方が良かったのね……」 (今更泣き言を言っても遅いぞ) 「あなたは何が目的なの? 人にこんな……こんな思いをさせて」 (観察――) 「観察? 人間なめるのもいい加減にして!」 (私は、君の潜在意識の目的に手を貸しただけだ。もちろん、あの男にも、私が力を貸している) 「マジックにも――?」 (そうだ。おかげで、世界征服の目的が、着々と進んでいるよ) 「K国一国、丸ごと傘下に置けなかったくせに!」 (今はその時ではないからだ。時が来たら、あの男は、K国の上層部に食らいつくぞ。虎の如くな) 「マジック――」 許せない。 目の前の青の秘石よりもっと。 味方面して、私に近づいた。 許せない。 では、私は、彼の一番大切なものを奪ってやろう。 (ふふふ、なかなか面白いことを考えるね) この石は、私の心を読み取るらしい。けれど、構うものか! 「わ……私は、マジックに復讐する!」 (そうかい……) エレーヌは、さっと廊下へ走って行った。裾をからげながら。 (ふふふ……) 青い石は、誰もいない部屋で、嗤っていた。 「あなた……あなた大変よ!」 「何だい? 良子」 良子は、一旦家に帰っていた。疲れて寝てしまった修司を送るために戻っていたのである。それと、ソフィアに餌をやるために。 「こんな書き手紙が……『記憶が戻りました。今までお世話になりました。ありがとう』って。エレーヌの字よ」 「そうか……ついに記憶が……」 オーナーは、普段よりしゃっきりしない足取りで、電話に向かう。マジックに報告するためだ。 マジックは、不思議とオーナーを責めなかった。 デスクには、エレーヌが持ってきたと言う重箱が置かれている。毒見をした部下が、「こんなに美味しいおせちは滅多にありません!」と感激していた。マジックも味を見たが、自分の作ったものと、微妙に味が違う。こちらの方がより風味が軽い。好きな味だ。エレーヌの置き土産だと思った。 いつかこうなることを知っていた。今までが、あまりに幸せ過ぎた。真綿で首を絞められるように。 こうなったら、いっそ早く来い。カタストロフ。 マジック総帥の恋人 10 BACK/HOME |