マジック総帥の恋人
9
「明けましておめでとうございます」
 振袖に身を包んだエレーヌが、新年の挨拶をした。赤を基調とした着物姿は、年相応で初々しい。
 良子と、オーナーの息子、修司も一緒に来ていた。
「パパー」
「はいはい」
 オーナーが屈むと、この深崎家の息子は、ほっぺにちゅーをした。
「おひげ、じゃま!」
 修司は五歳。エレーヌが引き取られたときとほぼ同時に生まれた。
 エレーヌは修司の遊び相手であり、相棒だった。修司は、将来は「エレーヌお姉ちゃんと結婚したいなぁ」というかわいい望みを持っている。
「普通はママと結婚したがるものなんだけどねぇ」
と、良子はぐちるのだが、一方では嬉しそうでもある。
 なにせ、エレーヌは、既に家族も同然である。年の差なんて気にせずに、結ばれれば、どんなにいいかと考えていた。
 尤も、こんなことは、子供時代の思い出であって、思春期になれば、忘れ去られるのだろうけれど。
 それに、今のエレーヌには、婚約者がいる。
 修司の着物姿は、子供なりに様になっている。
 オーナーだけが、蝶ネクタイにブラウスと黒いベストにズボンだった。
「ねぇ、エレーヌおねえちゃん。ぼく、ゆめがあるんだ」
「あら、どんな夢?」
「いつか、お父さんやお母さんみたいなスパイになること」
 そう言って修司は、「これっ」と良子に小突かれてしまった。
「まぁ。オーナー達って、スパイだったの?」
「昔の話よ」
「あなたは黙りなさい」
 オーナーは時々カマっぽい口調で話すが、良子も厳しい口調のことがあるので、まずは似合いの夫婦と言えるだろう。
「ぼく、ローザおばさんにもあいさつしてくる」
「まだ来てないわよ」
「じゃ、かぐやでまってる」
「修司。かぐやじゃないの。楽屋でしょ?」
「じゃ、かぐやひめは、がくやひめなの?」
 修司の質問に、エレーヌはぷっと吹き出した。
 エレーヌが、楽屋について、丁寧に説明すると、修司は、わかったような、わからない顔で、とにかく、そこに行けば、ローザに会えることを知っていたので、すぐさまそちらの方に向かった。
 オーナーがとろけそうな顔で言った。
「あの子ったら……あの年でもう愛人抱えちまってんだから」
 エレーヌも笑っていた。
 がくやひめ……楽屋に現れるお姫様などだろうか。そして、同時に、かぐや姫から、家具屋を連想した。
 エレーヌは、日本語が達者である。英語も話せるが、日本語の方が、情緒があって、好きだ。
 だから、家具屋姫……ではなく、かぐや姫の話も知っている。
「うーん」
「どうしたの? 良子さん」
 エレーヌは、プライベートでも、深崎修のことを《オーナー》、良子のことを《良子さん》と呼んでいる。
「なかなかうちとけないねぇ」
と、良子がこぼしていたことがある。エレーヌが、二人に恩を感じているのは確かであるが。心を開いているのは、修司に対してだけであろう。
 話を戻そう。
「着物はずん胴の方が似合うって言うけど、ありゃ嘘だねぇ。アンタはボンッキュッボーン!のナイスバディだけど、着物が似合うもの」
「これでも、いろいろ巻いて大変なんですよ」
「グラマーも、いいことばかりじゃないのね。その点、私は典型的日本人体型だから」
 良子は金ぴかの着物を着て、体格がいいのもあいまって、押し出しのいい姿である。
「良子さんは、風采がご立派だわ」
「褒めてくれてるの? ありがとう。ちょっと派手じゃないかと思ったんだけどねぇ」
「いいんだよ。正月だから。あまり地味なのを着られると、めでたさが半減するよ。地味なのは、葬式のときだけでいい……って、こりゃまた縁起でもないこと言っちまったな」
 オーナーは、はははと笑った。
「ところで、エレーヌ。その包みは?」
「え? これですか? おせち料理です。良子さんと一緒に……というか、良子さんが大部分を作りました」
「あら。謙遜しなくてもいいのよ。重要なところは、この子がほとんどやっちゃったんだから」
「エレーヌ」
 途端に、オーナーの顔が引き締まった。
「アンタ、あれから、マジック総帥と会っているかい?」
 思いがけない話の展開についていけず、エレーヌはちょっと口を噤んだ。
 実は、あのイブの日以来、彼の総帥には会っていないのだ。
「いいえ……」
「だめじゃない。玉の輿に乗れるかどうかがかかっているんだから。というわけで、このおせち、総帥の元へ持っていくこと」
(あ、話はそこに落ち着くわけね)
 エレーヌも、お礼はしなくてはならない、と考えていた。あれだけ高価な婚約指輪をいただいたのだから。
 しかし、あまり中途半端な物もあれだし、あと忙しかったりで、ついに年が明けてしまったのだ。
(わるかったかなぁ……)
「初日の出を一緒に見ないか?」という誘いも、家族で正月を迎えたいから、と断ってしまったし。
(私は、ちゃんとけじめをつけていなかった)
 あの日以来、マジックのことを考えると、少しゆううつになった。
 マジックのことは好き。でも、縛られたくない。
 マジックのような男は、他人に弱味を見せるのを最も嫌う。時には、相手を憎みさえする。それなのに、エレーヌに対しては、弱味を見せてもいいと思っているのか、誘いが来た。前より淡々としてはいたが。
(あの手の男が本気になると、厄介なんだよ)
 そう教えてくれたのは、オーナーのはず。それなのに、今回は彼こそが、エレーヌとマジックの結婚話を応援している――というより、強引に進めている。
 しかし、マジックに、礼は言わなくてはならない。指輪のこともある。大好きなヘリにも乗せてもらった。
 そして――彼は婚約者なのだ。
「わかりました。これは、ガンマ団に持って行きます」
「あらあら。修司に駄々をこねられたらどうしましょ。食べ物の恨みは、怖いのよ」
「あの子には、俺がちゃんとご馳走作ってやるって言え」
「あの子は、エレーヌの手料理が食べたいのよ」
「じゃあ、明日にでもなんか作っておくれ。……全く、ローザに浮気したくせに」
 ぶつくさとオーナーが言う。そんな二人に別れを告げて、エレーヌは『大和撫子』を出て行った。
 それが、長い別れとなろうとは――。

「お邪魔しまーす」
 ガンマ団の受付に、エレーヌは顔を出した。
「はい。どなたですか?」
「エレーヌ・ライラ・深崎です」
「え……エレーヌ様ッ?!」
 受付の、まだ紅顔の金髪美少年は、エレーヌの名前を聞くと、飛びあがらんばかりに驚いた。
「ささ、どうぞどうぞ。お話は伺っております」
「どういう風に?」
「エレーヌ・深崎様がお見えになりましたら、何も聞かずに通してくれ、と」
「まぁ、大げさね」
 エレーヌが微笑んだ。
「そ、総帥の執務室までご案内いたしましょうか?」
「それには及びませんわ。このおせちを届けに来ただけですし」
「総帥にはお会いにならないので?」
 このまま会わずに帰ろうか、とも思ったが、それではあまり意味がない。
「お仕事がお忙しいのでなければ」
「では、応接室でお待ちください。お荷物は私の方から届けますので」
 応接室の壁には、歴代のガンマ団総帥の肖像画が並んでいる。この組織は、以前は、K国に支配され、何かあると、戦争に駆り出されていた。しかし、それは、エレーヌの知らないことだ。
「あ、この人好み」
 それは、前代の総帥である。ライオンのような髪型をしている。
 そのときだった。ある音が聴こえてきたのは。
(――――)
 何かしら、これ。
 やがて、声らしきものが、耳で拾えるようになった。
(――だ。――こっちだ)
 なんだろう。好奇心が抑えきれなくなったエレーヌは、その声に導かれるように、ふらふらと部屋を出て行った。
(そう。こっちだ)
 声の言う方へ、言う方へと、彼女は進む。
(この部屋だ)
 重々しい扉がぎぃ……と開くと、豪華で、高価な調度品に囲まれた部屋が現れた。
 机に椅子、後ろには大きな本棚。その真向かいに、赤と白を基調にした、黒で六芒星と『G』のロゴの縁取った旗。そして、毛足の長い絨毯以外、何もないスペース。
 ここは――もしかして……。
(マジックの部屋だ)
 考えがまとまる前に、声が答えた。
 金色の台座の上に、蒼い宝玉が嵌め込まれている。
(――こっちに来い)
 声は、その石の方から聴こえる。
(現実――よね、これって)
 石が喋るなんて、聞いたこともない。
(さぁ……私に手を置け)
「こ……こう?」
 エレーヌは、どこから命じているのか知らない相手に訊く。
(面白いものを見せてやろう)
 エレーヌの目の前が、スパークした。

「あら、レイチェルちゃん、よく来たわね」
 何――。
「バラがほしいんですけど」
「どのくらい?」
「たくさん!」
 これは――。
「気に入った?」
「はい、とっても」
 やめて――――!
(…………)
 目の前の風景が、ガラスのように、割れて飛散した。
(お兄ちゃーん!!)
 ランハが目の前で死んでいた。
(嘘よ……嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ)
 大好きだったランハお兄ちゃん。レイチェルには、いつも優しくしてくれた……。
(そう――私は、レイチェル・リタ・ワーウィック……)
 頼りになる父、優しい母。
 思い描いていた、理想の家族。
 まさか、こんなところにあったなんて――。
「レイチェル!」
 老人の顔が目に浮かぶ。
(お父さん――!)
 そして、自分と同じ、黒髪のランハお兄ちゃん。
 優しくて、ちょっとドジで、夢に燃えていた青年。
(レイチェル……俺、おまえとそう会えなくなるけど、気を強く持って、しっかりな。――親父とお袋を頼む)
 そう言って、家を出たお兄ちゃん。
 ああ、こんなところにいたのね。
「私が、直接、殺した」
 マジック――?
 兄は……マジックに……殺されたの……?
(そうだ)
 声が答える。
「そんな……そんなそんなそんな」
(では、血塗れの手で、私の手を取ったの? 涼しい顔して、私と会ってたの?)
(そうだ)
(兄を殺したくせに!)
 何故、今まで思い出せなかったのだろう。
 チャンスはいくらでもあったはず。生家に行っても思い出せなかった、自分の過去。
 今なら、ありありと思い出せる。
 兄の死体。真っ赤なブレザー、金色の髪。
 あの印象的な蒼い眼は、見えなかったけれど。
(ほう。じゃあ、こうしたら、どうかな――)
 エレーヌは、ランハとなって、敵マジックから逃げている。
 彼は、『黒豹団』のリーダーだ。活動は主に情報収集。比較的穏健な組織だが、綱渡り的なのは間違いない。
「やあ、ランハくん」
(ここで――無駄死にしてたまるか!)

「トリスタンなら、死んだぞ。私が、直接、殺した」
(何――?!)
「君も同じところへ行くんだ」
 そして――マジックの瞳から、強烈な光が放たれた。

 ――気がついたら、元の部屋に戻っていた。
 これは――夢?
(夢ではない。それが、君にはよくわかっているはずだ)
 私にこんな経験をさせたのは――この石?
(そうだ……青の秘石。私はそう呼ばれているな)
「どうして……こんな記憶なら、ずっと封印しておきたかったわ!」
 エレーヌが大声で叫ぶ。
(まぁ、私としては、それでも構わなかったがね。けれど君は知りたがった。同時にランハの死に際も見せてやった。満足だろう)
 青い石が、冷静に思念派を出す。
「そうだったわ……ずっとずっと、知りたかった。自分が本当は何者であるか。でも、知らない方が良かったのね……」
(今更泣き言を言っても遅いぞ)
「あなたは何が目的なの? 人にこんな……こんな思いをさせて」
(観察――)
「観察? 人間なめるのもいい加減にして!」
(私は、君の潜在意識の目的に手を貸しただけだ。もちろん、あの男にも、私が力を貸している)
「マジックにも――?」
(そうだ。おかげで、世界征服の目的が、着々と進んでいるよ)
「K国一国、丸ごと傘下に置けなかったくせに!」
(今はその時ではないからだ。時が来たら、あの男は、K国の上層部に食らいつくぞ。虎の如くな)
「マジック――」
 許せない。
 目の前の青の秘石よりもっと。
 味方面して、私に近づいた。
 許せない。
 では、私は、彼の一番大切なものを奪ってやろう。
(ふふふ、なかなか面白いことを考えるね)
 この石は、私の心を読み取るらしい。けれど、構うものか!
「わ……私は、マジックに復讐する!」
(そうかい……)
 エレーヌは、さっと廊下へ走って行った。裾をからげながら。
(ふふふ……)
 青い石は、誰もいない部屋で、嗤っていた。

「あなた……あなた大変よ!」
「何だい? 良子」
 良子は、一旦家に帰っていた。疲れて寝てしまった修司を送るために戻っていたのである。それと、ソフィアに餌をやるために。
「こんな書き手紙が……『記憶が戻りました。今までお世話になりました。ありがとう』って。エレーヌの字よ」
「そうか……ついに記憶が……」
 オーナーは、普段よりしゃっきりしない足取りで、電話に向かう。マジックに報告するためだ。
 マジックは、不思議とオーナーを責めなかった。
 デスクには、エレーヌが持ってきたと言う重箱が置かれている。毒見をした部下が、「こんなに美味しいおせちは滅多にありません!」と感激していた。マジックも味を見たが、自分の作ったものと、微妙に味が違う。こちらの方がより風味が軽い。好きな味だ。エレーヌの置き土産だと思った。
 いつかこうなることを知っていた。今までが、あまりに幸せ過ぎた。真綿で首を絞められるように。
 こうなったら、いっそ早く来い。カタストロフ。

マジック総帥の恋人 10
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