マジック総帥の恋人
10
「本当にこれでいいんですか?」
 恐る恐る、といったように、散髪屋が訊く。
「ああ。いいんだ。やってちょうだい――いや、やってくれ」
「でも、これだと……まるで男ですよ」
「それでいいんだ」
「でも……」
 勿体ない――そう続けようとした男に、相手は叫んだ。
「いいったら! 文句を言うなら、他の奴に頼むよ!」
 わかりました、と応え、男は、相手の髪に鋏を入れた。
 今まさに、男の髪型になろうとしている人物は、鏡を見て、密かにほくそ笑んだ。

(さよなら、エレーヌ……)

 士官学校で、優秀な成績で編入してきた生徒がいる。
 その事実は、ちょっとしたセンセーションを巻き起こした。
「やぁ、ジャン、高松」
「やぁ、サービス。――今度転入生が来るんだって。優秀だと評判みたいだよ。ニールから聞いてきた」
 ジャンが言った。
「それに、あなたと張り合えるような美形ですよ。ちょっと見てきましたがね」
 この慇懃な口調は高松。
「ふうん」
「今からファンもついてますからね。サービス、負けないでくださいよ」
「仰せの通りにするさ」
 サービスは、凄艶な笑顔を見せた。そうすると、マジックそっくりに見える。
 高松の横で、一瞬ぽーっとなったジャンは、我に返ると、
「サービス、俺、サービスのこと応援してるからな!」
と、相手の手を取って、ぶんぶん振り回した。
「――ありがとう」
 サービスが苦笑しながら言った。

 転入生は、1年A組――つまり、高松達のクラスにやってきた。
「ビリー・ピルグリム君だ。みんな、宜しく頼む」
 担任の田葛が言った。
「ビリーです。宜しく」
 その美貌に、見る者のは讃嘆した。
「うわあ」
「綺麗な人だなぁ」
「男だなんて、勿体ない」
「お、授業が始まったな。じゃ、ビリー君、高松の隣に座り給え」
「いいか。みんな。いくらビリーが美しいからと言って、黒板を見ずに、彼の顔ばっかり見てたら、評価がどうなるか、わかっているだろうな」
 田葛の台詞に、みんなは、はーい、と答えた。

 授業が終わると、クラスの生徒達の何人かは、ビリーの周りに集まってきた。
「なぁ、水泳以外は優秀な成績で試験通過したって噂だけど、ほんとかい?」
「どうやら、そうみたいだね」
 ビリーは、他人事のように微笑んで言った。
 その笑顔に、取り巻き達はくらくらした。
「水泳、やんなかったのか?」
「ああ」
 士官学校には、屋内プールもあるのだ。水泳の試験は、大抵そこでやる。
「何でだ?」
「医者に止められてね」
 ビリーは何でもないことのようにかわした。
「ビリーさん、校内にはさぞお詳しくなったでしょう。試験のとき、あちこち引っ張り回されて」
 高松が皮肉げに言った。
「他にも知らないところがあるけどね」
「じゃ、案内してやるよ」
 情報通を気取るニールの顔が、ぱっと明るくなる。
「その前に、ビリーさんにちょっと話があるんですが……同行してもらえませんでしょうか?」
 高松は慇懃に、だが、断りづらい口調で申し出た。
「一体何の用だよ。怪しいなぁ」
「俺も行く!」
「僕も僕も!」
「いいから、アンタ達はついて来ないでください。下心満々で来られちゃ迷惑です」
「あんなこと言って、高松も君を口説く気だぜ」
「シャラーップ! 私にはあやめさんと言う恋人がいるんですからね!」
「じゃ、あれだ。浮気する気だー!!」
 ぎゃあーっと叫び声が響く。女子高生なら、黄色い声と称したいところだが、生憎、叫んだのは、むさ苦しい男どもである。
 田葛ですら、なんだ? どうしたどうした? と、災害を想定して駆け付けたほどである。
「いいから、来てください、ビリーさん」
「やっぱり告白する気?!」
「高松って、ルーザーさんとも仲良かったよね」
「畜生! こいつばかりが何故モテる!」
「――行きましょう。ビリーさん。このままだと、士官学校は馬鹿ばかりだと思われそうだ」
「とっくに思っているよ」
「高松。僕達も行ってはいけないかい?」
 サービスが訊いてきた。
「ええ。二人きりで話がしたいので、できれば」
「ふうん」
 サービスは何かを考えていたが、
「わかった。その可愛い転入生に、怪我をさせるんじゃないぞ」
「わかってます」
「高松――」
 今度はジャンが高松に話しかけてきた。
「その子――」
「大丈夫です。アンタには、何の邪魔もさせませんから。だから、この子に関しては、目を瞑っていてください」
 高松は、他の生徒には意味不明な言葉をジャンに告げた。

 ビリーは、高松に、外へと連れ出された。
「この桜の木はね、春が訪れると一斉に咲くんですよ。それはもう、見事なもんですよ」
 高松が、今はまだ、枯れ木ばかりの辺りを歩きながら、説明する。ビリーは、
「そうかい。僕も見てみたいな」
と、当たり障りのないことを言った。
「まぁ、その時まで、女だってことがバレなければね。――エレーヌさん」
 ビリーの心臓に、衝撃が走った。
(見破られた――! 早速!)
「何のことかな?」
「とぼけないでください。アンタの正体はわかっているんですよ」
「僕はビリーだ。エレーヌ・深崎なんて知らないよ」
「へぇ、アンタ、エレーヌさんのラストネームをご存知なんですか」
「あ……ああ。有名人だからな」
「ふぅん、ま、そういうことにしておいてあげましょう」
「そういうこともどういうことも、一体どうしてそんな女と僕のことを!」
「おっと。あまり喋り過ぎない方がいいんじゃありませんか? 語るに落ちるという言葉もあるくらいですから」
「――何が言いたい」
「あなたがどうしてここへ入学したのか、知りたいんですよ」
「僕も、どうしてエレーヌと僕が同一人物だと、君が結びつけたのか知りたいね」
「ああ、それは、匂いでわかりましたよ」
「匂いで……」
 香水は別のをつけてきたはずだし……と思い巡らしていると、
「女の匂いがするんですよ。あなたには」
と、高松が教えてくれた。
「おまえは犬か!」
「光栄です。今の仕事、鼻が良くなければやっていけません」
「――臭いか?」
「いいえ、全然。かえって、芳しい匂いですよ。他の人には、気付かれないと思いますよ。多分ね」
「そうか……」
「今度は、あなたが私の質問に答える番です。あなたの目論見は何でしょう。答えによっては、あなたをマジック総帥の元へ突き出します」
 高松とビリーは見つめ合った。さわさわと、この季節には珍しい、爽やかな風が吹いている。
「――復讐だ」
「どなたにですか?」
 高松の垂れ目がちな瞳が、剣呑な輝きを帯びた。
「――マジックに」
「ほう」
 高松が片方の眉を上げた。物騒な雰囲気は失せ、その代わりに、共感めいたものが現れた。
「わかりました。確かにあなたはビリー・ピルグリムです。エレーヌ・深崎なんかじゃありませんね」
「見逃すのか? 私を」
「ええ。どうして士官学校を目指したのかは――訊かないことにします。私にもわからないわけじゃありませんしね。ただ――」
「ただ?」
「あやめさんやルーザー様に害をなしたら、許しませんよ」
「ああ。それはもう――」
 ビリーの顔が、目に見えて穏やかになった。
「総帥は――あの人のことですから、一人くらい敵が増えたって、どうってことないでしょう。それから、サービスとジャンにも手を出さないでくださいね。腐れ縁でも、一応私の友人ですから」
「わかった。約束する」
「ああ、それから――これは、口止め料です」
 そう言って、高松はビリーに口づけした。
「なっ……なっ……」
「こういうところではなかなか機会がなくてねぇ……」
「あやめさんとやらに言うぞ!」
「だから、これは口止め料ですってば。あやめさんに言ったら、私もあなたの正体ばらしますよ」
「卑怯者!」
「これだから、女って嫌なんですよね。いざと言うとき騒ぎますから」
 ビリーは、高松に何かをぶつけてやりたい気持ちに駆られた。が、辺りには枯れ枝しかない。高松は勝ち誇った笑いをたてて、その場を後にした。
 ビリーは腹立ち紛れにバキッと木の枝を折った。

 夜、ビリーは部屋で、シャワーを浴び、ベッドに座った。
 一人部屋を所望したら、受け入れられた。ここには二人部屋もあるのだが。
(黒鳥館――この僕にぴったりかも)
 マジックの心臓を狙う、不敵で醜い黒い鳥――あの日から、ビリー、否、エレーヌの心の中に住んだ鳥だった。
 ビリーになりきろう。そう思った。
 高松には正体を知られてしまったが――なんの、あの男が特例だっただけだ。
 いつの日か、ガンマ団の幹部に昇りつめ――この組織を乗っ取ろう。
 それよりも、マジックを殺すことが先か。
(とにかく、この学校を卒業してからだ)
 それまでには、マジックの弱点も、わかるかもしれない。
(この指輪も――)
 鏡台に置いてある小箱をぱかっと開けた。
 それは、マジックからもらった婚約指輪だった。彼からもらった物は何もかも捨てたが、これだけは残しておいた。
 ビリーは、それを鏡に投げつけようとして思い直し、貴重品入れの中にしまっておいた。

マジック総帥の恋人 11
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