マジック総帥の恋人
8
 十二月二十四日――
 日本と同じく、クリスマスイブは、恋人たちの一大イベントである。『大和撫子』のかきいれ時でもある。
 エレーヌは、サテンのピンクのドレスに、シースルーのショールといった格好で現れた。
「今日は一段と綺麗だなぁ……エレーヌさん」
 ギャルソン達が噂し合うのを後目に、エレーヌは、あるテーブルの方へと歩み寄った。
「こんばんは。あなたですか。私を呼んだのは」
「そう。私だ」
 いつも通り、真っ赤な総帥服を着たマジックが言った。彼は立ち上がって、椅子を引いた。
「どうもありがとう」
「レディーには気を使わなくてはね。なかなか似合っているじゃないか、その服」
「あなたも素敵よ」
「ありがとう」
 満更お世辞でもない。マジックはなかなかの男前である。掻き上げて撫でつけた髪は、オールバックではない。前髪を一房垂らしている。白人だが、程良く日焼けしている。濃い黄金色の髪と、赤いブレザーが、良く調和している。精悍で整った、男らしい顔。きりりと真っ直ぐに吊り上がった眉。そして――一番印象的なのは、藍色に近い青い目。まるでそれ自体、生命を持っているかのようだ。
「いらっしゃいませ」
 ローザがやってきた。真っ赤な口紅をつけて、同じ色のカクテルドレスにショートボレロを着て、そうすると、年よりも若く見える。
「今日は何の用で来ましたの? マジック総帥」
 ローザは、敵意をオブラードに包み込んで、そう訊いた。
「ああ。君にも関係があるかな。実は……」
「今回は貸し切りにしないのですね。前のときみたいに」
 一見、普通の台詞のように聞こえるが、ローザの態度には棘がある。
「さすがに、今日貸し切りにするのは、ここでイブを祝おうとする人々に気の毒ですからね」
 マジックは如才なく答えた。
「エレーヌは……私はエレーヌ、と呼び習わしているのですが、この娘、結構忙しいのですよ」
 ローザはエレーヌとマジックを引き離そうとしているのだ、とマジックは悟った。
「ローザさん、クルルさんが呼んでますよ」
 オーナーがそばに来て言った。
「いや、ローザさんもそのままで。ギャラリーは多い方がいい。実は、今日は、エレーヌさんに婚約を申し込みに来ました」
 マジックが高らかに宣言した。
「ええっ?!」
 エレーヌは、驚いて声を上げた。
「そんな……いつ頃から?」
「君がもっとずっと小さいときから。大人になるのを待って、結婚しようと思った」
「あなたはロリータ・コンプレックスなの? この子は、今年十六になったばかりですのよ」
 ローザが、きつい口調で話に割って入った。
「知ってる。だが、私も二十代の前半だ。釣り合わないことはないと思うが?」
「この娘は、まだ子供なんですよ」
「十六なら、私がもう初陣を済ませていた頃だ」
 そして、懐から小箱を取り出した。
「婚約指輪だ。受け取ってくれないか?」
「わ、私……」
 エレーヌは、どう反応したらいいかわからない。
 マジックは嫌いではない。
 でも、こんな強引に出る人だとは思わなかった。おかしな話だが――彼のその行動で、エレーヌは、マジックに強い力で惹き付けられた。
 男らしく、ぐいぐい引っ張ってくれる人が、エレーヌの理想であった。
 マジックのことを、ただの保護者代わり、面倒を見てくれる人、ときどき挨拶代わりに口説く男、としか思っていなかったエレーヌは、マジックの真剣さに圧倒されていた。
(マジック総帥……)
 エレーヌの心に、マジックに対する、恋心のようなものが芽生えていた。
 それは、熱く激しく――マジックが何者でも、ついていきたくなるような、誘惑を潜めていた。
 小箱が開く。シンプルだが、意匠をこらした指輪が出てきた。
 マジックが、もっと豪華な指輪を買おうとするのを、『婚約指輪』なんだからと、ルーザーが止めたのだ。
 こんな物、エレーヌには似合いませんわ、そう言って、ローザは小箱ごと、マジックの手からはたき落した。
「な、なんてことするんだ! 君!」
 オーナーが叫ぶのを、マジックが止めた。
「やれやれ。すっかりこのご婦人のご不興を買ってしまったな。ローザ、と言ったね。君が男だったら、容赦しないところだ」
 微笑んではいたが、目が笑っていなかった。マジックは本気だ。
 オーナーは、小箱を拾い上げると、ほこりを落して、マジックにまた手渡した。
「ありがとう、オーナー。――さぁ、エレーヌ、受け取っておくれ」
「――どうしても、受け取らないと、だめですか?」
「嫌なら嫌で構わない。ただし、次のチャンスはないと思え」
 マジックは命令調で言った。
(どうしよう……)
 たった今、マジックへの恋心を自覚したばかりのエレーヌなのだ。小さい頃からお世話になっていたが、こんなに彼のことを(怖い……)と思ったのは初めてだった。その怖ささえ、恋に結びついているのだが。
 然りか、否か。エレーヌの選択肢には、それしか残されていない。
「か……考える時間はありませんの?」
「ない。私は手に入れたいものは、どんな手を使っても手に入れる」
 ガンマ団の総帥マジックとしての顔が、垣間見えた瞬間だった。
(この人、本当に独占欲が強かったんだわ)
 サービスとの会話が思い出された。サービスは、ガンマ団を統べるのと、独占欲とは、関係ないというような答えをしていたが、実は、マジックという男は、強い独占力があるからこそ、ガンマ団の総帥になったのではないか。
 そして、彼がまことに独占したいと願うのは――世界。
(私も、彼の駒のひとつにされるの……?)
 エレーヌは、さっきから、がくがくとふるえが止まらなかった。
 マジックは、ふっと笑った。
「私には、秘密があってね……それが明らかになっても、君が離れていかないように、繋ぎ止めておきたいんだ……」
 そして、一転、寂しそうな表情になる。
(マジック……)
「君といた時間が、一番楽しかった。いつまでも、この時間が続けばいいと思った。でも、そんなことは不可能だ。君も、いずれ、結婚を考えなければいけない年齢になる。その前に、私のものにしておきたかったんだ……」
(なんだろう……可哀想……この人が……)
 エレーヌ自身も含めて、マジックには、理解者という者がないのであろう。
 ローザが、手真似で、「だめ、受けちゃいけない」と言っている。
「私……私、結婚しません。一生。一生この店で働きます!」
「こっちはお断りだよ」
 オーナーが、青い顔をして言った。
「マジックと婚約なさい。エレーヌ」
「じゃあ、じゃあ……私、オーナーの二号さんになれなくてよ」
「あれは冗談だよ。私は妻と息子を愛している」
 オーナーがそう言うと、エレーヌは、泣き出した。何か、見捨てられたような気がして。
「泣かないで。これは、あくまで婚約であって、プロポーズではないのだから。うまくいかなくなったら、私のところへいらっしゃい」
 ローザが優しくいたわった。
「そんなことになったら、ローザ、君もクビにするぞ」
「したらいいわ! オーナー! あなたがこんなにしっこしがないなんて、思わなかったわ! まだ十六の娘相手に結婚するのしないの、そう急に決断迫られたって、答えられるわけないじゃないの!」
「君ッ!」
 オーナーがローザを叱り、言葉を継ごうとしたときだ。
「……ローザ、君の言う通りだ」
 マジックが力なく言った。さっきの強引さは消えていたが、代わりに、母性本能を擽るような心許なさが、全体に現れていた。
「私は……焦っていた。本当に結婚したいなら、エレーヌが振り向いてくれるまで、待っていればよかったんだ……」
 エレーヌの心の中に、マジックへの同情が、少しずつ、ひたひたと押し寄せてきた。
(マジックさんは……幼い頃から私に良くしてくれた……私はそれに、答えなくてはならないのだわ……ああ、でも、怖い。強気なあなたと弱気なあなた、どちらが本当のあなたなの……?)
「婚約指輪ぐらい、受け取ってあげなさい。さっき言ったのは……嘘だ。もし、君が結婚したくないのなら、また自由にこの店に戻っていいからね」
「オーナー……」
「私は、君のことを手に入れたい。けれど、やはり君はまだ子供だった。どうだい? 猶予期間を与えるから、その間、じっくりと、私とつきあってくれないかい?」
「マジックさん……」
 エレーヌは、なおしばらく迷っていたが、やがて口を開いた。
「わかったわ。婚約の申し込み、お受けいたします」
 すると、あちこちから、盛大な拍手が起こった。
「よかったな! エレーヌ!」
「マジックさん! その嬢さんを幸せにしてあげなよー!」
「やれやれ。ここは格調高いところが売りだと聞いていたがな」
「いいじゃないですか。みんな嬉しいんだよ。私からも、おめでとうを言わせてもらいますよ。マジック総帥」
「ああ。嬉しいよ。深崎くん」
(オーナーは、昔からマジックさんに頭が上がらないみたいだけど、どうしてかしら……?)
 それは、以前から何度も首を擡げていた疑問だったが、いつも、どこかで答えは途切れていた。エレーヌが、あまり詮索しなかった、ということもあるが。
「さあ、指輪を嵌めてあげよう」
 マジックがエレーヌの手を取って、婚約指輪を彼女の薬指に嵌めた。
 ローザは、底深い哀しみを湛えて、それでも、どこか安堵したような顔つきで、その光景を見遣っていた。
「ぴったり……でも、なんで?」
「冗談で君の指のサイズを測ったことがあっただろう?」
「ああ。あのときの!」
 マジック達がこの店を貸し切りにしたとき、ダンスの合間に、マジックはエレーヌの指を見つめ、
「随分細いんだな。君の指は。ほら、このぐらいしかない」
と、若き踊り子の薬指に、自分の人差し指と親指を巻きつけるようにして囲んだことがある。
(あのとき、ちょっとドキドキしたっけ……)
 なんだか、この婚約も、嫌なことばかりではないかもしれない、とエレーヌは考えた。
 この日のために招んだオーケストラが、陽気な音楽を奏で出した。皆は踊り始めたが、マジックはエレーヌと、お互い見つめ合っていた。

「今日は送るよ。何もしないから」
 うっすらと微笑みを浮かべたマジックが、車の助手席にエレーヌを乗せて、運転し出した。
「ヘリポートまで行くよ」
(ヘリポート? 何の用があるのかしら)
 エレーヌが考え事をしていると、ヘリ専用の発着場に着いた。風が強い。
「私のヘリを用意してもらったから」
「あっ……!」
(久々に乗れるんだ! マジックさんのヘリコプターに!)
 上空から見下ろす夜景はさぞかし綺麗だろう。今までは、日の出ている間しか、乗せてもらえなかったから。
「君への、イブのプレゼントだ」
「え? でも、私、あなたに贈り物を用意していないわ。困ったわ……指輪ももらったのに……」
 エレーヌが戸惑っていると、マジックがふっと笑った。
「君の存在自体が、私へのプレゼントだよ。もっとも、今日は手出しはしないと誓ったから、何もしないがね」
「その台詞、今まで何人の人に言ったの?」
「君は僕をプレイボーイみたいに思っているようだね」
「だって、モテないわけないじゃない。お金持ちで、気前がよくて、格好よくて……」
「嬉しいね。君は僕をそんな風に思っていたのか」
「あ、今日はちょっと怖かったわね」
「そうか……怖かったか」
「魅力的だったけれどね」
「怖いのが魅力的か。嫌よ嫌よも好きのうち、かい? 乙女心は複雑だな」
「ねぇ、早く乗せて」
「待って待って。こういうところは子供のときから変わってないな。体は大人になったというのに」
「あらやだ、エッチ!」
「そういう意味で言ったんじゃないよ……まぁ、ちょっとはあるかな」
 二人は、はははは、と笑って、ヘリに乗り込んだ。
 上空から見た街は、さながら巨大なイルミネーションが輝いているようだった。
「まぁ……綺麗」
 エレーヌが溜め息を吐いた。
「喜んでくれたかい? ――音が邪魔だな」
「いいのよ。ヘリの音って、好きよ」
 エレーヌは、ヘリの音に関しては、本能的に良い感情を抱いている。
「そうか。ヘリの音好きなのか。男だったら、ヘリの操縦士として、ガンマ団に雇ってあげられたのだがな」
「素敵!」
「冗談冗談。君ならもっと高い位置につけるよ。――幹部とかな」
「殺し屋集団の幹部なんて、私は嫌。ヘリの操縦士がいい」
「我儘なんだな。そんなところが、私は好きだが」
「私の兄も殺されたんですって。実感が湧かないけど」
 エレーヌの言葉に、マジックは心臓を射抜かれた。
「あなたは、人を殺してないわよね」
「いや……戦場では、ずいぶん殺したよ」
「でも、それ以外には?」
「――それ以外にもだ」
 マジックは、過去の傷に触れられたような痛みを感じた。自然、それが顔にも出る。
「可哀想」
 エレーヌがマジックの頭を撫でた。
「可哀想。私が癒してあげれればいいのだけれど」
「エレーヌ……ありがとう」
 マジックはここしばらく流さなかった、演技ではない本物の涙を流した。一滴、二滴。涙が、マジックの赤いズボンを濡らした。
(事の真相を知れば、エレーヌ、いや、レイチェルは私を憎む。――この少女の純情さを、このままにしておきたい。憎しみで汚したくはない)
 虫のいい話だ、と、マジック自身も思う。憎まれるのには慣れている。――そう、肉親と、好きになった人々以外には。
 今、マジックは祈らずにはいられなかった。
 神という存在がもしいるのなら、私からこの娘を取らないでくれ。それ以外なら、どんな悲劇が待ちうけていてもいいから、と。

マジック総帥の恋人 9
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