マジック総帥の恋人
会ったとき、サービスとは意味ありげな視線を交わしたが、ジャンとは本当に初対面であった。 ジャンは、うなじが隠れるか隠れないかぐらいの髪の長さで、無限の哀しみを潜めた奥の深い目が優しい。エレーヌは、一目で好感を持った。 今回会うのは、ロベリア・レッテンビュー・ワーウィック。グレッグ・ウィリアム・ワーウィックの妻にして、ランハ・レッテンビューの母。 そして――レイチェル・リタ・ワーウィックの母親でもある。 (私は――ロベリアさんに受け入れてもらえるだろうか……) それにしてもレイチェルが羨ましい。父と兄が亡くなっても、母親がいるのだから。 目的地は、すぐそこまでだった。 ワーウィックの家は、こじんまりとしていた家である。ベランダには、机や椅子、パラソルなどがある。幸せだった頃の名残を留めている。 チャイムを押すと、ロベリアが迎えに出てきた。 「こんにちは、ロベリア・ワーウィックさん」 高松が言う。 「よく来てくださったわ。高松さん。――ジャンさんとサービスさんも、また遊びに来てくださいましたの?」 「こんにちは。ロベリアさん」 「こんにちは」 ジャンとサービスが、次々に挨拶をする。 「今日は、もう一人、お客がいるんですよ。エレーヌさん、入って来てください」 高松がぱんぱんと手を叩く。 それを合図に、ドアの陰に隠れていたエレーヌが、おずおずと出てきた。 「こちら、エレーヌさん。訳あって、深崎さんと言う方の養子となっています」 「は……初めまして。エレーヌ・ライラ・深崎です」 「お……おお……」 ロベリアは、エレーヌを見た途端、涙を流した。 「レイチェル……一日たりとも忘れたことはなかった……。成長したら、どんな娘に育っているかと、想像もしていた……あなたは、それにそっくりよ」 「まぁ……」 エレーヌも涙を滲ませた。 「私は、エレーヌさんがレイチェルさんだと思いますけどね。エレーヌさんには、子供の頃の記憶を失っているんですよ」 高松が説明した。 「……エレーヌさん……大変でしたわね」 「いえ……ロベリアさんに比べれば」 ワーウィック家に来れば、何かを感じるはずだと、エレーヌは考えていた。だが、何も、デジャブすら浮かばない。 今日は暖かい。ロベリアは四人にクランベリージュースを供した。彼らは、喜んで飲んだ。ロベリア自身も、ジュースを口にした。 「美味しいわ」 「ありがとう」 「うん。俺も旨いと思う」 「ジャンは、何でも美味しいと思うからな。味音痴なんだよ」 「なんだと、このぉ」 ジャンは、サービスに向かって、拳を振り上げる真似をした。サービスは、手を上げて、笑顔で制止するふりをした。 「おっと、これは失礼。僕も、このジュースは美味しいと思いますよ。ロベリアさん」 サービスは如才なく言った。 「サービスって、ジャンと仲いいのね」 微笑ましい光景を見ながら、エレーヌが言った。 「仲良くなんてないよ。腐れ縁てやつだ」 「まぁ」 エレーヌは、くすくすと笑った。 「あなた、私とも腐れ縁だと言ってましたよね」 「ああ。僕の周りには、腐れ縁ばかりだ」 サービスも、上機嫌だった。 「で、エレーヌさんのことなんですけど」 高松が、早速本題に入った。 「彼女は、十歳前後より以前の記憶がないんです。どうしてそうなのかは、わかりませんがね」 「ご苦労なさった?」 「いえ。深崎さんの家族はいい人でしたから。写真もあるけど、見ます?」 ロベリアに、エレーヌは写真を見せた。もうぼろぼろになっている。肌身離さず身につけていたのだ。 鼻の下に髭を生やした、オールバックの男性、年齢のせいか、少し肥った女性、母に似て、ぽっちゃりした、可愛い男の子――そして、 「これが私」 レイチェルが指差した。 「幸せそうね」 「ええ。でも、肉親にも会いたいって、ずーっと思ってたんです」 「エレーヌさんは、十歳以前の記憶がないんですよ」 「十一だったかもしれないわ。そこら辺、あやふやなんです」 高松の言葉に、エレーヌが訂正した。 「エレーヌは、十六なんだよね」 サービスは、心安だてに話しかけた。 「ええ」 「誕生日はわかるの?」 ロベリアが訊く。 「ええ。オーナーと会ったその日にしました」 「いつなのかしら?」 「十月七日です。――でも、本当の誕生日は、はっきりしないんです」 「それじゃ、俺と同じだ」 「ジャン、少し黙ってろ」 サービスが目を閉じながら、級友を咎める。 「レイチェルの誕生日は、九月二十九日だったわ。――何も特別なことのない日ね」 「そんなことありません。誕生は、どの人にとっても特別なものですよ!」 ジャンが熱を込めて言った。今度は、サービスも黙っていた。彼もまた、同じように感じていたから。 「エレーヌさん。会えて嬉しかったわ」 「いいえ。レイチェルさんが早く見つかるといいですね。それは、私かもしれないし――高松も言ってたけど」 「何か、思い出とかある?」 「それが全然。グレッグさんが、一回お店に来て、『レイチェル!』と呼んだことがあるけれど、私にはぴんと来ませんでした」 「まぁ、あの人ったら、そんなことを……ご迷惑おかけしたでしょう。それにしても、お店って――エレーヌさんは働いているの?」 「ええ……『大和撫子』という店で働いています。いかがわしい店ではないんですが、そこで歌ったり、踊ったりしています。ロベリアさんも、一度来てみませんか?」 エレーヌは商魂たくましく、ロベリアを誘った。 「私はいいわ。そういうところ苦手なのよ。ごめんなさいね」 「いいえ」 「ランハのお墓に行ってみませんか?」 高松の発言で、ロベリアを含めた五人は、若くして亡くなった男の墓の前に来ていた。 (ランハ・ワーウィック……もしかすると、私のお兄さんだった人――) 何も浮かんで来ないが、自分の肉親だった可能性もあると思うと、少し身近に感じられた。 高松に「レイチェルだ、レイチェルだ」と言われ続けて、本当にそうかもしれないと思いかけ始めたけれど――確たる証拠がない。第一、手ごたえがない。心の中で、「そうだ」と腑に落ちるものがない。エレーヌの思いは、不安で宙ぶらりんだ。 そのときである。 (レイチェル――) 声が聴こえた。 (え――?) まだ若い男の声だ。幻聴だろうか。 (あなたは――誰なの? ランハ?) エレーヌの心の中からの呼びかけに、だが、さっきの男の声は答えなかった。 (ランハ――) エレーヌは思う。ランハが、あの世からメッセージを送ってくれたのだろうか。 何故、自分の幼い頃のことが、ガラスケースに入っているような感触しか齎さないのか、わからない。 それでも、レイチェルがだんだん近づいてくる。 (レイチェル――あなた、私なの?) マジックさんに訊いてみようかしら。エレーヌは思ったが、打ち消した。何となく、彼にはその疑問を投げかけない方がいいと思った。 昔、己の幼い頃のことを尋ねてみたら、マジックは、難しい顔をして、「君は、そんなことを考えなくていいんだよ」と、答えた。 (何か、秘密でもあるのかしら) それは、知らない方が幸せなのかもしれない。けれど、グレッグの為に、ランハの為に、そして何より、家族に死なれたロベリアの為に、エレーヌは、自分の過去に決着をつけたかった。 自分の正体がレイチェルでなかったら、それでもいい。そうだったら、ロベリアと、茶飲み友達になろう。行方不明になった娘の話も聞いてやろう。娘の代わりをしてもいい。 しかし、それには、まず、記憶を取り戻さなければ! 「それでは、さようなら」 「また来てくださいね」 ロベリアが、玄関先まで送ってくれた。 「エレーヌさん。私には、あなたが他人とは思えないわ。訪ねてくれてありがとう」 「こちらこそ」 私には、他人としか思えなかった――とは、エレーヌは言えなかった。それが、彼女の優しさであっただろう。 マジック総帥の恋人 8 BACK/HOME |