マジック総帥の恋人
7
 エレーヌは、高松、サービス、そしてジャンと、ワーウィック家へ向かっていた。
 会ったとき、サービスとは意味ありげな視線を交わしたが、ジャンとは本当に初対面であった。
 ジャンは、うなじが隠れるか隠れないかぐらいの髪の長さで、無限の哀しみを潜めた奥の深い目が優しい。エレーヌは、一目で好感を持った。
 今回会うのは、ロベリア・レッテンビュー・ワーウィック。グレッグ・ウィリアム・ワーウィックの妻にして、ランハ・レッテンビューの母。
 そして――レイチェル・リタ・ワーウィックの母親でもある。
(私は――ロベリアさんに受け入れてもらえるだろうか……)

 それにしてもレイチェルが羨ましい。父と兄が亡くなっても、母親がいるのだから。
 目的地は、すぐそこまでだった。

 ワーウィックの家は、こじんまりとしていた家である。ベランダには、机や椅子、パラソルなどがある。幸せだった頃の名残を留めている。
 チャイムを押すと、ロベリアが迎えに出てきた。
「こんにちは、ロベリア・ワーウィックさん」
 高松が言う。
「よく来てくださったわ。高松さん。――ジャンさんとサービスさんも、また遊びに来てくださいましたの?」
「こんにちは。ロベリアさん」
「こんにちは」
 ジャンとサービスが、次々に挨拶をする。
「今日は、もう一人、お客がいるんですよ。エレーヌさん、入って来てください」
 高松がぱんぱんと手を叩く。
 それを合図に、ドアの陰に隠れていたエレーヌが、おずおずと出てきた。
「こちら、エレーヌさん。訳あって、深崎さんと言う方の養子となっています」
「は……初めまして。エレーヌ・ライラ・深崎です」
「お……おお……」
 ロベリアは、エレーヌを見た途端、涙を流した。
「レイチェル……一日たりとも忘れたことはなかった……。成長したら、どんな娘に育っているかと、想像もしていた……あなたは、それにそっくりよ」
「まぁ……」
 エレーヌも涙を滲ませた。
「私は、エレーヌさんがレイチェルさんだと思いますけどね。エレーヌさんには、子供の頃の記憶を失っているんですよ」
 高松が説明した。
「……エレーヌさん……大変でしたわね」
「いえ……ロベリアさんに比べれば」
 ワーウィック家に来れば、何かを感じるはずだと、エレーヌは考えていた。だが、何も、デジャブすら浮かばない。
 今日は暖かい。ロベリアは四人にクランベリージュースを供した。彼らは、喜んで飲んだ。ロベリア自身も、ジュースを口にした。
「美味しいわ」
「ありがとう」
「うん。俺も旨いと思う」
「ジャンは、何でも美味しいと思うからな。味音痴なんだよ」
「なんだと、このぉ」
 ジャンは、サービスに向かって、拳を振り上げる真似をした。サービスは、手を上げて、笑顔で制止するふりをした。
「おっと、これは失礼。僕も、このジュースは美味しいと思いますよ。ロベリアさん」
 サービスは如才なく言った。
「サービスって、ジャンと仲いいのね」
 微笑ましい光景を見ながら、エレーヌが言った。
「仲良くなんてないよ。腐れ縁てやつだ」
「まぁ」
 エレーヌは、くすくすと笑った。
「あなた、私とも腐れ縁だと言ってましたよね」
「ああ。僕の周りには、腐れ縁ばかりだ」
 サービスも、上機嫌だった。
「で、エレーヌさんのことなんですけど」
 高松が、早速本題に入った。
「彼女は、十歳前後より以前の記憶がないんです。どうしてそうなのかは、わかりませんがね」
「ご苦労なさった?」
「いえ。深崎さんの家族はいい人でしたから。写真もあるけど、見ます?」
 ロベリアに、エレーヌは写真を見せた。もうぼろぼろになっている。肌身離さず身につけていたのだ。
 鼻の下に髭を生やした、オールバックの男性、年齢のせいか、少し肥った女性、母に似て、ぽっちゃりした、可愛い男の子――そして、
「これが私」
 レイチェルが指差した。
「幸せそうね」
「ええ。でも、肉親にも会いたいって、ずーっと思ってたんです」
「エレーヌさんは、十歳以前の記憶がないんですよ」
「十一だったかもしれないわ。そこら辺、あやふやなんです」
 高松の言葉に、エレーヌが訂正した。
「エレーヌは、十六なんだよね」
 サービスは、心安だてに話しかけた。
「ええ」
「誕生日はわかるの?」
 ロベリアが訊く。
「ええ。オーナーと会ったその日にしました」
「いつなのかしら?」
「十月七日です。――でも、本当の誕生日は、はっきりしないんです」
「それじゃ、俺と同じだ」
「ジャン、少し黙ってろ」
 サービスが目を閉じながら、級友を咎める。
「レイチェルの誕生日は、九月二十九日だったわ。――何も特別なことのない日ね」
「そんなことありません。誕生は、どの人にとっても特別なものですよ!」
 ジャンが熱を込めて言った。今度は、サービスも黙っていた。彼もまた、同じように感じていたから。
「エレーヌさん。会えて嬉しかったわ」
「いいえ。レイチェルさんが早く見つかるといいですね。それは、私かもしれないし――高松も言ってたけど」
「何か、思い出とかある?」
「それが全然。グレッグさんが、一回お店に来て、『レイチェル!』と呼んだことがあるけれど、私にはぴんと来ませんでした」
「まぁ、あの人ったら、そんなことを……ご迷惑おかけしたでしょう。それにしても、お店って――エレーヌさんは働いているの?」
「ええ……『大和撫子』という店で働いています。いかがわしい店ではないんですが、そこで歌ったり、踊ったりしています。ロベリアさんも、一度来てみませんか?」
 エレーヌは商魂たくましく、ロベリアを誘った。
「私はいいわ。そういうところ苦手なのよ。ごめんなさいね」
「いいえ」

「ランハのお墓に行ってみませんか?」
 高松の発言で、ロベリアを含めた五人は、若くして亡くなった男の墓の前に来ていた。
(ランハ・ワーウィック……もしかすると、私のお兄さんだった人――)
 何も浮かんで来ないが、自分の肉親だった可能性もあると思うと、少し身近に感じられた。
 高松に「レイチェルだ、レイチェルだ」と言われ続けて、本当にそうかもしれないと思いかけ始めたけれど――確たる証拠がない。第一、手ごたえがない。心の中で、「そうだ」と腑に落ちるものがない。エレーヌの思いは、不安で宙ぶらりんだ。
 そのときである。
(レイチェル――)
 声が聴こえた。
(え――?)
 まだ若い男の声だ。幻聴だろうか。
(あなたは――誰なの? ランハ?)
 エレーヌの心の中からの呼びかけに、だが、さっきの男の声は答えなかった。
(ランハ――)
 エレーヌは思う。ランハが、あの世からメッセージを送ってくれたのだろうか。
 何故、自分の幼い頃のことが、ガラスケースに入っているような感触しか齎さないのか、わからない。
 それでも、レイチェルがだんだん近づいてくる。
(レイチェル――あなた、私なの?)
 マジックさんに訊いてみようかしら。エレーヌは思ったが、打ち消した。何となく、彼にはその疑問を投げかけない方がいいと思った。
 昔、己の幼い頃のことを尋ねてみたら、マジックは、難しい顔をして、「君は、そんなことを考えなくていいんだよ」と、答えた。
(何か、秘密でもあるのかしら)
 それは、知らない方が幸せなのかもしれない。けれど、グレッグの為に、ランハの為に、そして何より、家族に死なれたロベリアの為に、エレーヌは、自分の過去に決着をつけたかった。
 自分の正体がレイチェルでなかったら、それでもいい。そうだったら、ロベリアと、茶飲み友達になろう。行方不明になった娘の話も聞いてやろう。娘の代わりをしてもいい。
 しかし、それには、まず、記憶を取り戻さなければ!

「それでは、さようなら」
「また来てくださいね」
 ロベリアが、玄関先まで送ってくれた。
「エレーヌさん。私には、あなたが他人とは思えないわ。訪ねてくれてありがとう」
「こちらこそ」
 私には、他人としか思えなかった――とは、エレーヌは言えなかった。それが、彼女の優しさであっただろう。

マジック総帥の恋人 8
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