マジック総帥の恋人
「どうやら、今度の土曜日に行けそうですよ」 高松が電話をかけてきた。挨拶だの、元気かどうかだの、お互いに言い合ってからである。 「行けそうって、どこへ?」 「やですねぇ、決まっているじゃありませんか。ワーウィック家ですよ」 「ああ、そうだったわね……アポイントメントは取ったの?」 「これから取るところですよ」 「わかったわ。こっちもオーナーに頼んでみる。それじゃあね」 電話は切れた。 「エレーヌ。今週の土曜日、空けておいてくれないか」 オーナーが、真剣な顔で言う。有無を言わさず、相手を納得させようとするときの表情だ。 「え? でも、私、その日は先約があるの」 「頼む、この通りだ!」 オーナーが、エレーヌの目の前で、手を合わせて拝んだ。 「その約束は断わってくれ。なんなら、私が手続きしてもいい」 「――どうしたのよ。いったい」 「その人は、アンタをえらく気に入っているんだ。下手をすると、私の首が飛ぶ。いや、命が危ない」 「誰よ。オーナーにそんなにへりくだらせているのは」 「――マジック総帥だ」 エレーヌは途端に笑い出した。 「あの人がそんなに怖いの? 紳士じゃない」 「表向きはね」 「私がマジック総帥に用があるから、と連絡入れましょうか?」 「いやいや、やめてくれ」 オーナーが、ぶるぶると首を振った。 「マジック総帥はね、予定を狂わせられることが大嫌いなんだ。彼は、私の恩人でもあるしね」 「ふぅん……」 エレーヌは、カールした髪を、指先で弄んだ。 「いつもと同じ、彼の誕生日に貸し切りの店で同席する。それだけで良くはないの?」 「ああ。あの人も、ついに本気になり出したらしい。――君に対して」 「私に?」 「ああ。家族を紹介すると言ってた」 「そう言われるてもねぇ……」 「先方の約束は、君にとって大事なことかもしれんが、私にとっても、総帥の家族をもてなすのは重大なことなんだ」 「結婚するわけじゃないし、別に構わないでしょう?」 「ところが、相手はそのつもりなんだ」 「そんな強引な人だとは知らなかったわ。そんな人のお嫁さんになるより、私、やっぱり、オーナーの二号さんになろうかしら」 「あれは冗談だよ……相手が悪過ぎる。総帥でなかったら、考えないこともなかったが」 「やっぱり、オーナーって、意気地なしね。いや、男性全般が意気地なしなのかしら。そんなに権威が重要だなんて」 「権威なんて問題じゃない。あの人はね……」 言いかけて、オーナーは口を噤んだ。 「何よ。はっきり言ってくれなくちゃ、わからないじゃない。あの人が、この店のパトロンなの?」 「まぁ、穏やかに言えば、そういうことだ」 「なぁんだ。私はまたてっきり、言うこときかないと、ガンマ団に消される、という脅しがかかってるのかと思ったわ」 冗談のつもりの、エレーヌが笑いながら言った台詞にオーナーは、目を見開いた。まるで、何かに怯えるように。 (あのマジックという男、きな臭くない?) ローザの話に、オーナーのこの態度。マジックと言う男は、そんなに恐ろしいのだろうか。 「――わかったわ。幸い話がそんなに進んでいないから、今だったら、取り消せるかも」 「お願いね」 オーナーは、あたふたと姿を消した。 (私がこの店で働き始めてから一年余り――その前から、時々オーナーに連れられて、マジックと食事をしたわね) エレーヌは、ふと、遠い目をする。 (オーナーを紹介してくれたのも、マジックさんだったわ) そういう意味では、エレーヌにとっても、マジックは恩人である。 (まぁ、恩返しってとこね) そう思い、電話のダイヤルを回した。 ところが、偶然ということはあるもので―― 「ああ、エレーヌさん? 実は、メンバーの一人が行けなくなってしまって……今お伝えしようと思ってたんですが」 電話の相手は、高松である。 「私も、急な用事があって、ワーウィックさんのところに訪ねることができなくなってしまったの」 「そうですか。まぁ、今は、その時じゃなかったのでしょう」 「ごめんなさいね」 「いえいえ。かえって早めにご連絡くださって、助かりました。ロベリアさんにアポイントメント取る前に」 「あなた方は、K国に行くの?」 「あなたが来ないんじゃあ、話になりませんでしょう」 「じゃあ、この次また」 「あ、そうそう。どうして、その人、行けなくなってしまったの?」 「何でも、身内のパーティーに誘われたそうです。いい御身分ですよね」 そう言った高松の口調には、どこか苛立たしさがあった。 「で、あなたは?」 「あるお客様のために、予定空けておかなくてはならなくなったの」 「店で働くのも、大変ですね」 「ええ。一日休むのもままならないわ。もっとも、オーナーは寛大な方だけど。でも、今日は拝み倒されちゃったな」 「どうしようもない日もありますよ。お仕事がんばってください」 「ええ。ほんとに残念。とっても楽しみにしてたんだけど」 「それでは、また」 「――ありがとう」 エレーヌは、受話器を置く間際、チュッと音を立てた。 「今のは男?」 オーナーが早速詰め寄る。 「友達よ。ただの」 エレーヌは、そ知らぬ顔でファーを直した。 「火遊びは止すんだね。相手の男、例え殺されても、あたしゃ知りません。同情なんかしませんよ」 「そんなんじゃないったら」 エレーヌは、高松の垂れ目を思い出す。 (あやめさんと言う人は、面食いじゃなかったのね) と、思った。高松とあやめが聞いたら、腹を立てて掴みかかられても仕方のないようなことだが。 (ま、好みは人それぞれだしね) そういう意味では、マジックの顔は、エレーヌの厳しいチェックに合格していたが、性格がいまいちよくわからない。 (私には、とてもいい人だけど、ローザやオーナー見てると、なんか、裏があるみたい――) 振る舞い方が粋だから、そう嫌な感じはしなかった。もっとひどい男など、大勢いる。 しかし――これは、誰にも言ったことはないが、マジックと向かい合っていると、それだけで、宙に浮くような不安定さを感じることがある。怖いというのではなく――床の底が抜け、宇宙に直接コンタクトしているような感覚。いっそ快いとも言えた。 常時そうなるわけではないから、「そういうこともあるでしょ」と片付けていたけれど――。 無害だと思ってたのは間違いで、実はとんでもない食わせ者なのかもしれない。 たまには新聞やテレビで、最新情報とやらでも取り入れてみようか――そう考えるぐらいには、警戒心が疼いた。 このような店でショーをやって稼いでいる女性の、警戒心というものが。 マジック総帥の恋人 5 BACK/HOME |