マジック総帥の恋人
4
 エレーヌと高松は、連絡先を交わして、その場は別れた。

「どうやら、今度の土曜日に行けそうですよ」
 高松が電話をかけてきた。挨拶だの、元気かどうかだの、お互いに言い合ってからである。
「行けそうって、どこへ?」
「やですねぇ、決まっているじゃありませんか。ワーウィック家ですよ」
「ああ、そうだったわね……アポイントメントは取ったの?」
「これから取るところですよ」
「わかったわ。こっちもオーナーに頼んでみる。それじゃあね」
 電話は切れた。

「エレーヌ。今週の土曜日、空けておいてくれないか」
 オーナーが、真剣な顔で言う。有無を言わさず、相手を納得させようとするときの表情だ。
「え? でも、私、その日は先約があるの」
「頼む、この通りだ!」
 オーナーが、エレーヌの目の前で、手を合わせて拝んだ。
「その約束は断わってくれ。なんなら、私が手続きしてもいい」
「――どうしたのよ。いったい」
「その人は、アンタをえらく気に入っているんだ。下手をすると、私の首が飛ぶ。いや、命が危ない」
「誰よ。オーナーにそんなにへりくだらせているのは」
「――マジック総帥だ」
 エレーヌは途端に笑い出した。
「あの人がそんなに怖いの? 紳士じゃない」
「表向きはね」
「私がマジック総帥に用があるから、と連絡入れましょうか?」
「いやいや、やめてくれ」
 オーナーが、ぶるぶると首を振った。
「マジック総帥はね、予定を狂わせられることが大嫌いなんだ。彼は、私の恩人でもあるしね」
「ふぅん……」
 エレーヌは、カールした髪を、指先で弄んだ。
「いつもと同じ、彼の誕生日に貸し切りの店で同席する。それだけで良くはないの?」
「ああ。あの人も、ついに本気になり出したらしい。――君に対して」
「私に?」
「ああ。家族を紹介すると言ってた」
「そう言われるてもねぇ……」
「先方の約束は、君にとって大事なことかもしれんが、私にとっても、総帥の家族をもてなすのは重大なことなんだ」
「結婚するわけじゃないし、別に構わないでしょう?」
「ところが、相手はそのつもりなんだ」
「そんな強引な人だとは知らなかったわ。そんな人のお嫁さんになるより、私、やっぱり、オーナーの二号さんになろうかしら」
「あれは冗談だよ……相手が悪過ぎる。総帥でなかったら、考えないこともなかったが」
「やっぱり、オーナーって、意気地なしね。いや、男性全般が意気地なしなのかしら。そんなに権威が重要だなんて」
「権威なんて問題じゃない。あの人はね……」
 言いかけて、オーナーは口を噤んだ。
「何よ。はっきり言ってくれなくちゃ、わからないじゃない。あの人が、この店のパトロンなの?」
「まぁ、穏やかに言えば、そういうことだ」
「なぁんだ。私はまたてっきり、言うこときかないと、ガンマ団に消される、という脅しがかかってるのかと思ったわ」
 冗談のつもりの、エレーヌが笑いながら言った台詞にオーナーは、目を見開いた。まるで、何かに怯えるように。
(あのマジックという男、きな臭くない?)
 ローザの話に、オーナーのこの態度。マジックと言う男は、そんなに恐ろしいのだろうか。
「――わかったわ。幸い話がそんなに進んでいないから、今だったら、取り消せるかも」
「お願いね」
 オーナーは、あたふたと姿を消した。
(私がこの店で働き始めてから一年余り――その前から、時々オーナーに連れられて、マジックと食事をしたわね)
 エレーヌは、ふと、遠い目をする。
(オーナーを紹介してくれたのも、マジックさんだったわ)
 そういう意味では、エレーヌにとっても、マジックは恩人である。
(まぁ、恩返しってとこね)
 そう思い、電話のダイヤルを回した。

 ところが、偶然ということはあるもので――
「ああ、エレーヌさん? 実は、メンバーの一人が行けなくなってしまって……今お伝えしようと思ってたんですが」
 電話の相手は、高松である。
「私も、急な用事があって、ワーウィックさんのところに訪ねることができなくなってしまったの」
「そうですか。まぁ、今は、その時じゃなかったのでしょう」
「ごめんなさいね」
「いえいえ。かえって早めにご連絡くださって、助かりました。ロベリアさんにアポイントメント取る前に」
「あなた方は、K国に行くの?」
「あなたが来ないんじゃあ、話になりませんでしょう」
「じゃあ、この次また」
「あ、そうそう。どうして、その人、行けなくなってしまったの?」
「何でも、身内のパーティーに誘われたそうです。いい御身分ですよね」
 そう言った高松の口調には、どこか苛立たしさがあった。
「で、あなたは?」
「あるお客様のために、予定空けておかなくてはならなくなったの」
「店で働くのも、大変ですね」
「ええ。一日休むのもままならないわ。もっとも、オーナーは寛大な方だけど。でも、今日は拝み倒されちゃったな」
「どうしようもない日もありますよ。お仕事がんばってください」
「ええ。ほんとに残念。とっても楽しみにしてたんだけど」
「それでは、また」
「――ありがとう」
 エレーヌは、受話器を置く間際、チュッと音を立てた。
「今のは男?」
 オーナーが早速詰め寄る。
「友達よ。ただの」
 エレーヌは、そ知らぬ顔でファーを直した。
「火遊びは止すんだね。相手の男、例え殺されても、あたしゃ知りません。同情なんかしませんよ」
「そんなんじゃないったら」
 エレーヌは、高松の垂れ目を思い出す。
(あやめさんと言う人は、面食いじゃなかったのね)
と、思った。高松とあやめが聞いたら、腹を立てて掴みかかられても仕方のないようなことだが。
(ま、好みは人それぞれだしね)
 そういう意味では、マジックの顔は、エレーヌの厳しいチェックに合格していたが、性格がいまいちよくわからない。
(私には、とてもいい人だけど、ローザやオーナー見てると、なんか、裏があるみたい――)
 振る舞い方が粋だから、そう嫌な感じはしなかった。もっとひどい男など、大勢いる。
 しかし――これは、誰にも言ったことはないが、マジックと向かい合っていると、それだけで、宙に浮くような不安定さを感じることがある。怖いというのではなく――床の底が抜け、宇宙に直接コンタクトしているような感覚。いっそ快いとも言えた。
 常時そうなるわけではないから、「そういうこともあるでしょ」と片付けていたけれど――。
 無害だと思ってたのは間違いで、実はとんでもない食わせ者なのかもしれない。
 たまには新聞やテレビで、最新情報とやらでも取り入れてみようか――そう考えるぐらいには、警戒心が疼いた。
 このような店でショーをやって稼いでいる女性の、警戒心というものが。

マジック総帥の恋人 5
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