マジック総帥の恋人
31
(旅客機が着陸に失敗して……生存者はいないって……)
 サービスの声が、切れ切れに頭の中で蘇る。
 ビリーはとるものもとりあえず、K国を発った。
 母にも、最低限の説明をしたが、気が動転していたので、どこまでわかってもらえたろうか。
 途中まで汽車やバスを乗り継ぎ、金がなくなった後は、事故の起きた空港へとその足で向かう。
(マジック……あのとき私が殺していればよかった……)
 事故なんかで生命を奪われるくらいなら。
 憎んでいた。殺したいくらい。
 愛していた。殺したいくらい。
「マジッーーーーーック!!」
 ビリーは歌で鍛えた喉で、大声で叫んだ。
 人々が何事かと振り返るのも気にしない。
「マジック! マジック……!」
 最後の方は、涙で不鮮明になっていた。
 伸びてきた前髪が、ふわふわと額を撫でる。少し痒い。体中から汗が出てきて、べたべたして、気持ち悪い。
 ビリーは頭を振りやった。
 着いたときには、昼過ぎになっていた。急いで来たつもりだが、そのぐらいはかかるらしい。
 空港は、事故の事後処理に追われていた。大事故だったらしい。
 号泣している女性、それを慰めている若い男。親子だろうか。
 あの人達の近しい人が、墜落した機に乗っていたのだろう。
 そして、マジックも――。
「ビリー……」
 サービスに呼ばれて振り返る。
「あ……」
 サービスの顔を見たら、また目から雫が流れ、伝い落ちてきた。
「こっちへ」
 ビリーは、サービスの後に従った。
 人通りのない廊下に来た。
 ビリーの悲しみは止まらない。
 サービスが、肩を抱こうとした。
「触らないで!」
 ビリーが鋭く拒否した。
「お願い、一人にしておいて……」
「わかったよ……ビリー……」
 サービスは心配そうな視線をくれたが、そのままビリーを残して去って行った。
 ビリーは、窓際のフェンスに寄り掛かる。鉄柵は冷たい。
「マジック、マジック……」
 それしか言えなくなったように、うっうっと嗚咽を洩らしながら呟いた。
 しばらく泣くと、そのままずるずるとしゃがみ込み、放心した。
(マジックはいない……)
 その事実が、ビリーの体の中に、ゆっくりと染みわたった。
 もう、ランハやグレッグのところへ行ってしまった。
 マジックを恐れることも、母をその男から護ることもない。
 もしかして……と思うこともあったが、体に力が入らない。
(もしかしたら、彼が死んだと言うのは間違いではないか)
(もしかしたら、彼はまだ生きているのではないか)
 だが、その希望に縋るほどの元気もなかった。
 私はもう、誰とも結婚しない。
 だって、マジックと婚約していたのだから……。
 マジックの企んだ方向付けは、これ以上ないと言うほど成功した。だが、それをビリーは知らない。
 ビリーにあるのは、悲しみと、自らの手で命を奪いたかったと言う、後悔だけ。いや、それすらも涙と共に流れて行ってしまったのかもしれない。
 いつの間にか、夜が更けていた。
「マジック……」
 小さな声で呟いた。
 すると――
「呼んだかね」
 赤いブレザーの上に、黒いコートを着たマジックが立っていた。
 これは――夢ではないだろうか。
 ビリーは目を丸くした。
「やぁ……ビリーくん」
「一体……今までどうして……あなたは幽霊? それとも幻覚?」
「違うな。両方とも。こっちもどたばたしてたので、着いたのがこの時刻になってしまった」
「飛行機事故で死ぬ前に、私が殺すべきだったわ」
「私も君に殺されたかった――その顔。君は私の為に泣いてくれたのかね」
「違うわ――」
 と口にしてから、
「ええ、そうよ」
 と言い直した。
「私は幸せ者だな。君にこんなに想ってもらえて」
「う……自惚れないでよ! アンタなんかアンタなんか――」
(愛してるんだから!)
 そう言いかけて、口を貝のように閉じる。
「そうだ。まだ帰ってきたときの挨拶をしていなかったね――ただいま」
「――お帰り」
 二人の間に、温かい空気が流れた。
 数秒か、数分ぐらい、互いは互いの目で、声にならない物語をした。
 そして――緊張の糸が解けた。
 マジックとビリーは走り寄り、抱きすくめ合った。
 ビリーは泣きじゃくった。彼女はビリー・ピルグリムであり、エレーヌであり、レイチェルであった。彼女は今、十歳の子供に返っていた。
(オマエノ成スベキコトヲ成セ――)
 それは、グレッグの声のようでもあり、ランハの声のようでもあり、どこか未知の声でもあった。
 ああ、そうだ。あの青い石から聴こえてきたもののようでもある。
 あれは、ただの石ではなかったのではないか。
 しかし、それもどうでもいい。
 マジックが、帰ってきてくれたのだから。
 もう、殺意はない。
「ビリー……」
「ん?」
「愛してる」
 マジックが、あの指輪はもっているかね、と訊いた。ビリーは、指輪の入ったケースをポケットから取り出した。
 寮を出たときから、肌身離さず持っていた物である。マジックを殺しに行ったときにも、変わらず携行していた。
(マジック……今思えば、あなたのおかげで、いろいろな人に出会えたわ)
 深崎オーナーとその家族。士官学校の仲間。サービス、ジャン、高松……。
 父と兄には謝らなければならない、とビリーは思った。
(私は、お父さんとお兄さんの敵を愛してしまいました――) 
 だが、瞼の裏では、ランハとグレッグが、笑って頷いたような気がした。
 私は、彼らに赦されたのだ――本当に。マジックのことも赦してくれると、なお喜ばしいのだけれど――いいや、彼らはもうマジックのことも赦している。何となくわかるのだ。思い込みかも知れなくとも。
 憎むことより、赦すことの方がずっと難しくて――でも、幸せなことなのだ。今ではビリーにも、それが実感できた。
「結婚しよう。ビリー」
 マジックのプロポーズに、ビリーは赤く頬を染めたまま、こくんと首を縦に振った。

後書き
ようやく終わりました。『マジック総帥の恋人』!
ビリーは、マジックに愛憎を抱き、しかも記憶喪失だった過去もあると言う難しいキャラでした。
しかし、これってコタローの境遇にちょっと似てますね。性格は全然違いますが。
矛盾点もいっぱいあると思います。ビリーには、私も振り回されました(笑)。結構行き当りばったりな方ですね。私もですが。
ちらと出てきた黒豹団。また出したいな、とも思いますが、はてさて、どうなることやら。
ハーレムをあまり書くことができなかったので、フラストレーション溜まりまくりでした(笑)。
あ、それから、今回は『視点ふらふら』と言うやつをやってみました。これって、上手い人がやるとぴたっとくるんですよね。私は……もっと練習します。
2009.8.23


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