マジック総帥の恋人
26
 ビリーは、小柄な可愛い女の子と一緒に歩いていた。名前もわからないくせに、ビリーは彼女のことをよく知っていると思った。
「ビリーには恋人いないの?」
「いないわ」
 間髪入れずにビリーは答えた。
「でも、マジック総帥は?」
「最低の男よ。私の兄は殺すし。あの人は紳士ぶってただけなのよ」
「婚約までしたのに?」
「あんな男だと知ってたら、しなかったわ」
「――君、ダメじゃないか」
 少女の顔は、いつの間にかミツヤの顔に変わった。
「君のような娼婦がマジックの悪口を言っては――」
 ――いけないよ。
 ミツヤが口を動かすと同時に、目覚まし時計が鳴った。
「――はぁ」
 ビリーは、ベルの音を止めて、安堵の吐息を洩らした。
(夢で良かった――)
 まさか、またミツヤが出てくるなんて、思いもよらなかった。
(にしても、娼婦なんて――私はまだ処女なのに……)
 いささか心外だった。思い出すと腹も立ってくる。
(ミツヤだって、マジックとデキてたんじゃないかしら……?)
 有り得ないことではないかもしれない。今でもこだわっているところを見ると。
 ビリーは、ミツヤのことを実在していた人物であると信じて疑わない。彼女には、自分でもよくわからない不思議な力が備わっている。
(ああ、こんなことしている場合ではなかったわ。早く用意しないと)
 ビリーは顔を洗い歯を磨いてパジャマを脱ぐ。
 きつく晒しを巻く。豊満な彼女の胸が隠れていく。
 サイズが大きめのブラウスを羽織る。上衣を着れば、どこからどう見ても美少年だ。
 もちろん、女だと言うことを知られない為、着替え中に誰も入らないように、きちんと施錠してある。
 髪は念入りに溶かす。『エレーヌ』だった頃からの習慣だ。
 今日からテストがある。期末試験だ。
 その緊張で、あんな夢を見たのかとも思う。けれど、ビリーはテストは嫌いではないし、そんなことで不安定になるほど、神経細くもない。
(準備よし! さあ! 出撃だ!)

 ジャン、サービス、高松が、学校に来たビリーに挨拶した。
「おはよう。君達。今日も早いね」
 ビリーもそう言って挨拶に答える。
「まぁね」
 サービスは、当たり前、と言いたそうにしている。
「俺、故郷ではもっと早くから動き出していたぜ」
と、ジャンが言う。
 ジャンの故郷――詳細はわからないが、とても美しい場所だと聞く。
 ジャンはサービスをそこに連れて行きたいだろうか……。
 サービスなら、何となくその美しいところに行けそうな気がする。
 自分は無理だろう――と、ビリーは思う。
 確かに、そこには行けずに亡くなってしまう運命が待っているのだが、彼女はそのことを知らない。自分には楽園は似合わないであろうと漠然と思っているだけだ。
 マジックに復讐をしようと心に誓った彼女には。
 白い綺麗な手は、血に染まって赤くなる。
 いつか――いつか、私はマジックを殺す……。
「――ビリー、ビリー」
 サービスの声に、ビリーははっと白昼夢から覚めた。
「まだ寝ぼけているんですか? ビリー」
 高松は眉を顰めた。
「何か見えたのか?」
 ジャンが訊く。
「おまえじゃあるまいし」
 サービスが呆れている。
「俺もいろんなもん見えるぜ。きっと仲間なんだな」
 仲間……。
 そうか。ジャンもただ者ではないんだ。
 どこがどうとは、言えないけれど――。
「ジャン。ビリーをおまえと同類にするな」
「へーい」
 サービスにはジャンも弱い。仕方なさそうに返事して、肩を竦める。
「急ぎましょう。理由もないのに時間に遅れては弁解の仕様がありませんしね」
 高松の声に、彼を含めた四人の生徒は教室へと歩いた。

 テスト期間はあっという間に終わった。ビリーは確かな手応えを感じた――。
 サービス達の教え方もさることながら、やっぱり『大和撫子』のみんなに、暇な時間、勉強みてもらってよかったな、とビリーは脳裏を巡る懐かしい人々の顔に感謝した。

 ビリーは放課後、グレッグの墓参りに来ていた。
 色とりどりの花束が置かれている。
(誰が来たんだろう……)
 時々、花束が墓前に捧げられている。ビリーは首を傾げながらも、見知らぬ誰かにお礼を言った。
(どこのどなたか知りませんが、ありがとうございます……)
 今度来るときは、私も花を持って行こう。そう決心したときだった。
 ざっ。
 誰か、いる。
 人の気配には気付いていたが、他の誰かの墓に用事なのだろうと、特に気にも留めなかった。
 だが――こっちに近付いている。明らかにビリーが目当てだ。
 ビリーは振り向いた。
 そこにいたのはルネだった。
「やぁ……」
 ルネの笑顔はどことなくわざとらしい。
「ルネ……」
 ビリーはルネに会えたことが嬉しくて、ルネの不自然さを意識の片隅に追いやってしまった。
「ビリー……この間はごめんなさい」
「ううん。気にしなくていいよ」
「『死んでしまえ』なんて、本気じゃないからね」
「わかってるよ……」
 感激にうっすらと涙が滲んだ。
(ローザの言う通りだったんだわ、きっと……)
「でね、今日は僕の友達を紹介したいんだけど」
「誰?」
「ドーリ、こっちだよ」
 木の影から一人の少年が現れた。
 背は高い方だ。目鼻立ちは人形のようで、どことなく酷薄な感じだ。
 嫌な予感を覚えた。警戒心も働いている。
 ルネとは――そう、世界が違う感じだ。
 何故この二人が仲良くなったのか――さっぱり飲み込めない。
「どうも。島谷道理です」
「島谷さん?」
「友達はみんなドーリ、と」
「ああ」
「君もドーリと呼んでください」
「わかりました。ドーリ」
「タメ口で結構。僕もこれからはそうするから」
「わかった……」
「君のことはよく知ってる。ビリー・ピルグリム」
「そう……」
 ドーリの言葉に答え、頷きながらも、心の中の冷たい汗は止まらない。
 いきなり馴れ馴れしくする他人には気をつけろって、オーナーも言っていた。
「君のこと、ドーリのお兄さんにも紹介したいんだけど」
 そう言ったルネに対して、ビリーがわるいけど――の「わ」を口にしかけたときだった。
「ルネ。悪いよ。今会ったばかりの人に、そんな不躾なことを言っては」
 ドーリはアルカイックスマイルを浮かべた。
 そう言われるとこの人の兄に会いたくなる。好奇心が湧いてきた。
「どこにいるんだい? 君のお兄さんは」
「僕が兄のところに連れて行くよ」
「ここにいるんじゃないの?」
「兄はちょっと離れたところにいてね。なに、僕らの車ならすぐだよ」
「あ……ああ」
 ビリーは後悔しかけたが、背に腹はかえられない。ルネとドーリの後に従った。

マジック総帥の恋人 27
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