マジック総帥の恋人
「総帥……もう、もう落ち着きました」 ルネが目元を拭い、鼻をかんだ。 「そう。それは良かった」 「でも意外でした」 「何が?」 「マジック総帥が僕に対してこんなに親切なんて。僕は、体を投げ出す覚悟で来ましたのに」 「自暴自棄の子供を抱くほど、飢えてはいない。本当に抱きたかったら、こんなところでのんびり話などしてはいない。それに、私が手にしたいのは、今のところ一人だけだ」 「総帥。恋人に操立てでもしてらっしゃるのですか?」 「まぁ、そんなところだ」 マジックはにやっと笑った。 「妬けますね。そんな方がいるなんて。一体どなたです?」 「初恋の人さ。――チェックメイト」 「うわぁ、ずるいです」 「何を言っているんだ。公平な戦いじゃないか。それとももう一回やるか?」 「もちろんです」 ルネは、マジックとのチェスにハマったらしかった。 「兄弟達ともチェスをしているんだよ。ルーザーが強くてね。私など、敵わないことが多い。あの子は天才だからね」 「ルーザー様もチェスを……知的なゲームですものね。得意なのも頷けます」 「ああ……」 ルーザーは、ミツヤから手ほどきを受けていたんだっけ。 尤も、チェスを教えてもらっていたのか、殺人を教唆されていたのか、よくわからないがね――マジックは思った。 「サービス様も……このゲームはお好きなんですか?」 「大好きだよ。一度大会に出たことがある。準優勝まで行ったよ」 「すごいですね!」 ルネは、目をきらきら輝かせた。涙はもう乾いていた。 「サービスの話をすると、途端に元気になったな。そんなにあの子が好きかい?」 「大好きです!」 「ふぅむ。サービスもビリーではなく、君を好きになれば良かったのにな」 「でも……サービス様は女性の方が好きみたいです。……ビリーも男なのに」 「ビリーは女だよ」 さらっとマジックは言った。 「え?! でも、声と言い、姿形といい、男の子そのもの……そりゃあ、女顔負けの綺麗な顔をしてらっしゃいますが……」 「君だから言う。ビリーは、女だ」 「でも、でも……」 ガンマ団の生徒は、男性しか受け入れない原則では――その質問を見越して、マジックが答えた。 「そう。彼女は特例だ」 「でも、何で?」 「『でも』しか言えないのかい? 君は――恋の魔力は、男を惑わす」 「では、では、マジック総帥もビリーを……」 「目下最愛の相手だね」 「ビリーばっかり……ずるい」 僕も、女だったら、サービス様にも相手してもらえたのだろうか――拗ねながら、ルネは言った。 「いやいや。ビリーには少々特殊な事情があってね……それはこの際いいのだが。だから、サービスが宗旨変えしたわけでも、私が新しいお小姓として注目しているわけでもない。私はあれと結婚がしたいのだ」 「教えてください! ビリーには何があるのですか?!」 「……私は、少し喋り過ぎたようだ」 マジックは口にチャックのジェスチャーをした。 結局マジックは、一晩中ルネとチェスをしただけで手は出さなかった。 朝――。 ルネは、学校でビリーの姿を見かけた。いや、正確には、ビリー達の、であるが。 サービス、ジャン、高松とふざけながら、艶然と微笑んでいる。 女王様のように、ルネには思えた。 ただ、女だと言うだけであんなにサービスに愛されるなんて――許せない。 「あ、ちょっとノートを忘れてしまったようだ」 「行ってらっしゃい。私達はここで待っていますから」 高松達に見送られ、ビリーは一人、教室に戻った。 ルネも追いかけて行った。 ビリーは、自分の机でノートを探している。 「ビリー!」 ルネは叫んだ。 「アンタなんか死んでしまえばいいんだ!」 「何ッ?!」 ビリーが振り向いたとき、ルネはもういなくなっていた。 「ルネ……」 昼休みになった。 校庭はカップルが多い。いつか、自分もサービス様と……己が男好きする可愛い顔をしているとの自覚もあるルネは思ったものだった。 「死んでしまえ!」 と、ビリーに言った言葉は、八当たりに近い。 それでも一言、言いたかったのだ。 男達に囲まれ、いい気になっているあの女に。 「ルネ……」 当のビリーが現れた。 ベンチに座っていたルネが、びくっとなった。 「隣、いいかい?」 「嫌だと言っても、座るんでしょ」 「――やっぱり面白いな。君は」 「面白い、ですって?」 ルネの顔が強張る。 この人は、自分を嬲りに来たのだろうか。 「死んでしまえば良い……僕にもわかる気がするよ」 「どこがわかるんですか?」 「僕にも、覚えがあるんでね。食堂で何か食べないかい?」 「食欲がありません」 「そう……」 ビリーは、ぽっかり浮かんだ雲を眺めている。 ルネは、或ることを思い出した。 「あなた……総帥の命を狙ったんですよね」 「――そうだけど?」 「それなのに、総帥から許されるなんて。普通なら私刑ですよ」 「だろうね――でも、あの男は変わっているね」 「どこがですか?」 「『殺されてみたい』と言ったんだ」 「相手があなただからでしょう!」 「ルネ……」 「ビリー、僕の前にはあなたがはだかっている! 僕は平凡な一生徒だ……残念ながら。でも、選ばれなかったことに対して悔しがることに、許可はいらないだろう?!」 「それは……もちろん」 けれど、『選ばれてあること』にも苦痛が伴うことを知るには、ルネは若過ぎた。 「……僕は君に酷いことを言った。死んでしまえばいいなんて、本心じゃない」 「……わかっているよ。君が訳もなくそんなこと言う人だとは、思えないもの。――何かあったんだろう?」 ビリーの顔に、うっすらと微笑みが浮かんだ。 ルネの頭に血が上った 「何故、親切を装うんだ! 君は――君は偽善者だ!」 そう言ってルネは、ベンチから立ち上って、逃げて行った。 (あれじゃ……あれじゃ、僕も君を嫌えないじゃないか。悪いのは僕だ。君さえいなければ、こんな感情、気付かずにいられたのに。ビリーの馬鹿……) ルネは、ぐちゃぐちゃの論旨を放埒に考える。 校舎の裏には誰もいない。 ルネは、溢れそうな涙をぐっと堪えた。 今泣いたら、何かに負けそうな気がするから。 (サービス様のあの目……僕は、ずっと前から気付いていた。サービス様が、愛しそうな目で彼――彼女を見つめていたこと。僕は、その目でサービス様に見て欲しかったのに……) そして、マジック総帥もビリーのことを好きだと言っていた。 ルネは、二人の恋の鞘当てなんて見たくなかった。 「ルネくん」 一人の生徒が声をかけてきた。 「あ……」 何度か見かけたことがある少年だ。高く通った鼻筋。繊細な顔立ち。 「君は……」 「ああ。僕は、二年の島谷道理――ドーリ、って、呼んでください。李道成の弟です」 マジック総帥の恋人 25 BACK/HOME |