マジック総帥の恋人
18
 二月も終わる頃、士官学校理事長も兼任しているマジックが、授業の視察に来ていた。
 その日は体育だった。
 ビリーは、
(憎しみで人が殺せたら……!)
と恨みに満ちた視線を、教官となれ合っているマジックに送っていた。
 そんな彼――いや、彼女を見ている人物が一人。
 その人は、いささか心配そうにしていた。
 マジックが帰ると、ビリーは、その人物――ジャンに呼び止められた。
「ああ、良かった、ビリー。俺、今にアンタが総帥に食いつかないかと思ってはらはらしてたよ」
「そんなことはしないさ。もしやるんだったら、闇に紛れて……」
「んな物騒な。アンタ、マジック総帥のことばっかり見てたろ?」
「え? そうだったか?」
 ビリーは、自分の心を隠し通せたつもりだった。けれど、実際にはバレバレだったなんて!
「アンタ、本当に総帥のこと好きなんだな」
「ば、馬鹿言うな! あいつは――」
 家族の敵なんだ。
 喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「じゃあ、アンタ、総帥のこと、恨んでいるのかい?」
「い、いや……」
「隠さなくたっていい。アンタは、総帥のこと、愛しているか、憎んでいるかのどっちかなんだ」
「あ、愛だってぇ?!」
 憎んでいる、というのが見透かされるのはわかる。でも、愛してるとは!
 ビリーは、涙が出るほど笑った。
 その間、ジャンは何も言わずに黙っていた。
「君も悪い冗談言うな。僕が、マジック総帥を愛、愛してるって……」
「俺にはわかるんだよ」
 ジャンが真顔で言った。
(あ、ジャン、珍しく真剣――)
 ビリーも笑うのをやめて、真面目な顔で次の台詞を待った。
「おまえがどうして士官学校に入ったか、俺は知らない。――まぁ、想像はつくけどな」
 ジャンが言った。
「……高松から聞いたのか?」
「いや、俺の予想だ」
 仇打ちに来たことがわかったのか?
 ジャンてば、意外に頭いいからな――厄介な相手に睨まれたもんだとビリーは思った。
 もしかしたら、ジャンはマジックのこと好きなのかな?
「おまえ……もしかして、俺とマジックの仲を疑ってる?」
 心の中を読まれたのか?
「俺は、おまえが俺の同類であることを知っているだけだぜ」
「遠回しに言ってないで、本音を吐いたらどうだ」
 ビリーは伸びてきた髪を掻きあげた。
「おまえの心は、総帥のことを何とも想ってないかもしれない。でも、魂は、確実に惹かれている。いくら男装してここに潜り込んだって、何を企んでいたって、おまえはマジック総帥の恋人のままなんだよ」
 不意に――
 ビリーの脳裏に、マジック総帥だけを見つめている自分の姿が過ぎった。
 他の生徒も二、三人いたが、ビリーの視界には映らない。
 逆光で表情もわからないマジックが、手を振る。
 そこで、物思いから目が覚めた。
「魂の恋人――」
「魂の恋人?」
 ジャンの呟きに、ビリーが呼応した。
「俺にもいるんだ、そんな相手」
「誰だい?」
「サービスさ」
「サービス――」
 ビリーは考え込んでしまった。
 サービスは、女好きではなかったのか?
 自分に対する態度からして、丁重過ぎるほどレディとして扱っている。
「相手が誰を想っているかは問題ではないのさ。俺の場合は――ま、今のところ片思いだな」
 けれど、魂が恋い焦がれて、求め続けて止まらない。
 そんな気持ちを味わっているように、ジャンは唇を噛みしめた。
「ジャン――」
「あ、おまえにサービスを取られたって、俺、恨んだりしないよ。忘れもしないけどね」
「きっちり恨んでるんじゃないか」
「あは、そうだな」
 気がつけば、いつもの闊達なジャンに戻っていた。
「それに……俺自身も深入りはしない方がいいのかもしれない」
「え?」
「ほら、俺も訳ありだからさ。ここに来るのは、一癖も二癖も変わった過去の奴が多いけどさ」
 ジャンがポリポリとこめかみを掻いた。
 彼は、どうしてこの学校に来たのだろう――だが、その質問はしてはいけないような気がした。言ったら、自分も話さなくてはいけない。それに、大よそのことは、喋らなくても伝わっている。
 視線が一瞬かち合った。同じような悩みを持つ者同士として。だが、どうしてビリーも、ジャンが仲間だと思えたのか、上手く説明できない。
「あ、じゃあ、僕行くよ。次の授業があるしな」
「うん。部活にも来るだろ?」
「もちろん。――射撃の腕も、少しは上がっただろ?」
 ビリーは射撃部に入ったのである。
「俺のときはもっと下手だったから、おまえはやっぱり大した奴だよ」
 ジャンが笑顔でビリーの背中を思いっきり叩いた。
 サービスといるときは、何となく自分が女だと言うことを意識させられて戸惑っていたが、ジャン相手なら、男友達として、普通に話せる。
(こんなところ見ても、サービスは勘違いしないだろうな)
 それが、安心でもあり、ちょっぴり残念でもある。
 ジャンに焼き餅を焼くサービスも見てみたい――と、一瞬思ってしまったのだ。
(いけないことだとは思うけれど――)
 ビリーは、なんだか自分が魔性の女になったような気がしてたまらなかった。
(でも、私、サービスも好きだし)
 魔性は、マジック相手にしてこそ、発揮する道もあるというものだ。ただ殺すだけでは飽き足らない、あの男。
 超然として、人を殺すことも厭わない――
 覇王。
 あの赤いブレザーさえ、死者の血で染められている気がする。
 人畜無害だとか、天涯孤独の自分に良くしてくれる、なんて好いていた自分が馬鹿みたいだ。
(ローザの言う通りね)
 さすがに、彼女は人を見る目がある。会ってからまだ日が浅いけれど、何かと良くしてくれた。彼女が元気でいてくれていると思って、ビリーの心の中に、僅かながら火が灯った。
(ローザ……会いたい……修司……良子ママ……ああ、そうそう、ついでにオーナーも)
「私はついでか」と苦笑されそうだな、とビリーは考えて、目を眇めた。
 今日こそ、今日こそ、あの指輪を捨てよう。
 そう決意するが、それが実行されることはなかった。
(私だって、やればできるんだから。マジックへの復讐が終わったら、サービスも諦めて、うんといい男つかまえて結婚してやるんだから)
 しかし、そんなことを思案しても、マジックよりいい男など見たことがなかった。
 暗殺集団のボスと言ったって、彼はひとかどの男なのだ。
 記憶さえ戻らなかったら、結婚してもいいと思った相手である。
 しかし、あのときより今の方が、マジックのことを考えることが多くなった気がする。
 愛と憎しみは、正反対のものではない、と言ったのは誰だっけ? 憎しみは愛に、愛は憎しみに変わりやすいと言ったのは。
 しかし、今は考えるのは止そう。
 ビリーは学校目指して走って行った。

マジック総帥の恋人 19
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