マジック総帥の恋人
16
 ビリーは、部屋のベッドに寝ていた。
 病気ではない。月一回のあの日である。
 ドアに、ノックと共にジャンの声がした。
「ビリー、雪合戦やらないか?」
 こんなときに雪合戦も何もないと思ったが、ビリーは一応声を張り上げて答えた。
「今日は、具合が悪いんだよ」
「へぇー、声は元気そうだけどな」
 ビリーは、ドアを開けて、ジャンに言った。
「誘ってくれてありがとう。大したことはないから」
「うん。わかったよ」
 大事にな――そう言うと、ジャンは去って行った。
 ジャンのことは、少し苦手だが、いい奴だとは思う。
(あ、鍵かけなくちゃ)
 夢うつつにそう思った。だが、その為に寝床を出るのは億劫な気がする。
(ちょっと眠ってからでもいいか――)
 うつらうつらしていたが、やがて本格的に寝入ってしまった。
 しばらくは、意味のない夢が続いた。
「ビリー……」
 暗黒の中から見知らぬ男が、ビリーの名を呼んだ。
「いや、エレーヌ、と言った方がいいかな」
「誰なの? あなた」
「僕かい? 僕はミツヤ」
 フレームレスの眼鏡をかけた、金髪の、ガンマ団の制服を着た、笑顔の似合う青年が名乗った。
「ミツヤ……?」
「そう。マジックの友達だよ」
 マジックなんかと友達になれる存在がいるのであろうか。あの極悪非道な男と――……。
 不吉な予感がした。
 心臓をぎゅっと掴まれたような気がする。
(バカね私、こんな優男に何ができるっていうの――?)
 そう思っても、膝が笑うのが止められない。
 ミツヤには軋みを感じた。それを生ぜしめているのは歪み。
 その歪みを生んでいるのは――狂気!
 別段マジックに友達がいても構わないのであるが、この男は――。
「そのマジックの友達が、私――僕に何の用なんだい?」
「無理して男言葉使わなくていいよ。僕は、君の正体を知っているんだからね」
 背筋がひやり、とした。
「私の、正体……?」
「君が、どんな目的でマジックに近づいたかもわかっているよ」
「そんな……私はただ……」
「ガンマ団に憧れて、かい? そんな嘘はつかない方がいいよ」
 にこやかな笑顔でずばりと核心を突く。ビリーはぬるい生唾を飲み込んだ。
「それにしても――マジックの一番の親友の僕が殺されて、君のようにマジックに害をなす為に来た女が、彼に気に入られるなんて、解せないね。全くもって、ナンセンスだよ」
「マジックは――私の正体を知っているの?」
「ああ。彼は、何だって知っているからね」
 これは、夢だ。夢だということがわかるのに、目覚めることができない。
 ミツヤの言うことにも、真実はあるのかもしれない。けれど、それは信じたくなかった。
 マジックが――私の正体を知っていながら、士官学校から追い出さないなんて。それではまるで飼い殺しではないか。
「全く……マジックも君みたいな女のどこがいいんだか」
 ミツヤは、ふぅと溜め息をついた。
「君みたいな、男に媚を売る女性など――」
「わ、私は、媚を売ったことなんてないわ!」
 ビリーは、思わず叫んだ。
「そうかい。でもね、君はマジックにふさわしい女性ではない。マジックの恋人を気取ることも許さない」
「だ、誰があんな男――」
「君の兄の仇だったんだよね。僕は――君の兄さんと同じさ」
「同じって……」
「僕も、マジックに殺されたんだよ。ねぇ、有り得ないと思わないかい? 彼の弟を役に立つようにあそこまで育て上げたのは僕だと言うのに――マジックは僕よりも弟を選んだんだ。そして――」
 ミツヤは相変わらず虫をも殺さぬ顔をしていたが、その目には、憎悪の炎が閃いていた。
「君もマジックに選ばれたんだ――でも、僕は君を罰する」
 ミツヤの青い眼が、ぎらっと光った。
「――君も僕のようにあの世に連れてってやる」
 ぞくっとした。
 この男ならやりかねない。
「いや……来ないで」
 一歩一歩、じりじりと、ミツヤは迫ってくる。ビリーは後ずさりした。
 恐怖で、汗が全身から噴き出てくる。
「さぁ、僕と一緒に行こうね……」
 どうして――
「いや……いや……」
 なんで、こんな夢を見なければならないの?
 なんで、こんな目に合わなくちゃならないの?
「来ないでーーーーーー!」
 気が付くと、そこは、いつものベッドの上だった。
 サービスが顔を覗き込んでいた。
「どうしたんだい、ビリー」
 きっと、さっきの大声で駆け付けたのに違いない。
「サービス!」
 無意識のうちに、ビリーはサービスに抱きついた。
「ビリー……」
 サービスの中で、何かが弾けた。
 彼だって、これが初恋というわけではない。
 不覚にもジャンにときめいたこともある。
 そんな過去を消そうとする僕は誠実ではない。
 ああ、だがそんなこともどうでもいい。
 この華奢な体を手にすることができるのであれば――!
 サービスは、ビリーの体を抱き返した。爽やかなシャンプーの香りがした。

「おい」
 どすのきいた、低めの声がした。
 いつもだったら、快く感じないこともないその声が、怒りの色に染まっていた。
「サービスに何しやがる! この女狐め!」
 それは、ハーレムの声だった。
 ビリーは、サービスから引きはがされた。
 女狐――。
 それは、ハーレムがビリーを女だと知っているから、言えた文句ではないか。
 それとも、ただ単に、ビリーが女役をやっていると思ったからそんな言葉が唇から出たのか。
「ハーレム……僕達は何もやってないよ」
 ビリーが言った。
「ふん。……どうだかな」
「やめろよ。僕達の仲を勘ぐるのは」
 サービスが厳しい声でぴしりと言った。
 双子の兄が出て来たのは、彼にとって計算外だった。
 サービスは、部屋のドアを開けたままにしていた。彼が、ビリーを異性扱いしていたことの証である。女性と一対一になったときは、それがマナーだと思っていたからだ。それに、正気の箍が外れたときには、誰かに止めて欲しいという、心の奥底の願いもあった。
 それがハーレムであったことは、予想していなかったが。
「出て行ってくれないか。ハーレム。僕も一緒に行くから」
「――……サービス。気持ちはわからんでもない。だが、こいつは……」
 ハーレムがそこまで口にしたときだった。
「ビリー!」
 ジャンと高松が開け放ったドアから入ってきた。
「なんだ。ハーレム。アンタもいたんですか」
 高松はのんびりした口調だ。
「二人きりでなければ大丈夫だな。おい。ジャン、高松。その二人を頼む」
 ハーレムは出て行った。
「なんだ、あれ」
「ハーレムが『頼む』なんて、珍しいですねぇ」
 ジャンと高松が言った。
「おまえら、何しに来たんだ?」
 サービスが訊いた。
「あ、そうそう。生理用の薬を持ってきましたよ」
「どこから?」
「医務室からです」
「いったい誰が使うんだい?」
「女性も少しは働いてるでしょうが。ここで。あの食堂のおばちゃんとか」
「へぇ……あのおばさん、まだあったのか」
「たとえですよ。本気にしないでください。まぁ、あってもおかしくはありませんよ。まだね」
「ともあれ、どうやってもらったんだい? 医務室の薬を」
「まぁ、そこはそれ。私はえらく信用されてますからねぇ」
「嘘つけ」
「嘘じゃありませんよ」
「高松、なんで僕が生理だと?」
と、二人の会話を遮って、ビリーは不思議に思ったことを尋ねた。
「ジャンの台詞からの推理ですよ」
「……なるほどね」
「水持って来てやるよ。ないと飲みづらいだろ?」
 ジャンが言い、水を持って来てくれた。
「ありがとう」
「じゃ、私達は帰りますね」
 高松、ジャン、サービスは、部屋を後にした。
「ふぅ……」
 ビリーは額を拭った。
「ミツヤ……か」
 あの男のことが、頭に焼きついて離れない。
 いつもなら、見た夢はすぐ忘れるビリーであったが。
(もしかして、マジックに殺された人物が、幽霊になって夢の中に現れたのかな――なんてね)
 けれど、もしそうだとしたら、マジックの元に現れてくれないか、とビリーは思った。
 サービスにも心配をかけた。悪いことをした。
 うらうらと、沈みかけた夕日が揺らいでいる。
 ビリーはまたあの怖い夢を見たくないから、寝たくはなかったが、体は意志に反するように、眠りへと陥っていった。

マジック総帥の恋人 17
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