マジック総帥の恋人
「この寮の大風呂のボイラーは、今故障している。汗を流してさっぱりしたいなら、自室のシャワーで我慢するか、でなければ、黒鳥館の大風呂へ行くこと」 田葛は、本当は『田葛教官』なのだが、自分から、「先生と呼びなさい」と言ったので、みんな「田葛先生」と呼んでいる。ちなみに、トーマス・トンプソンの場合は、生徒達からも自ずから、尊敬をもって、自然と「先生」と呼ばれているが。 サービスは、この男が嫌いではない。空振りもあるが、若くて、一生懸命だ。少し、理解し難いところはあるが――閑話休題。 自室のシャワーで済ますことについては、サービスにも、不満はなかった。もし、ジャンと高松に捕まらなかったら、大風呂に行くまでもないと思っている。 だが、サービスは、いわゆるカラスの行水ではない。入ったら、まず、一時間は出てこない。清潔さを、いつも心がけているのだ。髪や体を洗うのが趣味のひとつで、毎日やらなければ気が済まない。 (一人の方が落ち着くかな) と、サービスはいつも思う。 サービスが部屋で勉強をしていると、トントン、とノックの音がした。 数学の最後の一問が解けたら、シャワーを浴びて、寝るつもりだった。 (誰だろう、こんな時間に) ガチャッと扉を開けた。 「ほうら、やっぱりまだ起きてました。十円」 「ちぇっ」 ジャンが、高松に十円を渡した。 「何の用だ?」 サービスが眉間に皺を寄せるのにも応えず、高松は長閑な顔をして言った。 「お風呂に行きましょう。サービス」 「はぁ? 今からか?」 「そうです」 「大風呂のボイラーは壊れていると聞いたぞ」 「だから、黒鳥館へ行くんですよ」 「僕は嫌だぞ」 「何でですか。裸のお付き合いをしようじゃありませんか」 「いつものようにな」 ジャンは、にこにこしながら話に入る。 「この部屋の風呂で充分間に合う」 「聞きわけないですね。ジャン」 「おう」 サービスは、二人に両脇から固められ、押さえつけられた。 「何をする!」 ジャンはもちろんのこと、高松も結構、力がある。 「さぁ、レッツらゴー」 ジャンが、高松と一緒に、サービスを引きずりながら言った。 「ちょっと、僕には……」 勉強が~!という声が、辺りにこだました。 「黒鳥館てあれだろ? ハーレム達もいる」 腹を据えたサービスが、いつもの体勢に戻ると、二人に訊いた。 「ああ、そうか。ハーレムと鉢合わせするかもしれないな」 「じゃあ、そのときは、彼とも裸のお付き合いですか?」 「いいんじゃない?」 「僕は、うんざりするほど、あいつとも一緒に入浴したがな」 サービスが溜め息を吐く。 「へぇ~、いいなぁ、ハーレムのやつ」 「おまえらともいつも入ってるだろ。僕は」 ジャンの羨ましそうな台詞に、サービスは呆れながら返答する。 「あ、そうだ。タオルを持って来なくては」 「サービス。私の使っていいですよ」 「ありがとう。でも高松、おまえは?」 「扇風機で自動乾燥」 「黒鳥館の風呂場に、扇風機なんてあるかな」 「ありましたよ。いつぞや、ジャンと見ましたもの。ねぇ、ジャン」 「ねぇー」 「でも、今は寒いだろ」 「風呂場は暖かいですよ」 話しながら、三人は、大浴場に着いた。 「誰かいるみたいだよ?」 耳のいいジャンは、脱衣場でシャワーの音を聞きつけた。 「どうせ男だろう」 一度覚悟を決めたサービスは強い。 がらっと風呂場の扉を開けた。 シャワーを浴びているのは――ビリーだった。 その立ち姿は、惚れ惚れする程の――女性の裸身だった。 ビリーは青ざめた。 「き……」 きゃーーーーーーーっ!! ビリーが悲鳴を上げると同時に、高松が鼻血を噴いて倒れる。 「なんだなんだ?!」 「あの声、大風呂からだぞ!」 ドドドドッと、人の集まる気配がする。 「ジャン、バリケード!」 「了解!」 「ビリー、早く着替えて」 「わかった」 サービスが素早く指示を出す。そして、脱衣場の外に出ると、 「何でもありません、何でもありません!」 と、ジャンと共に弁明した。 「高松がのぼせて鼻血を噴いただけです!」 「じゃあ、何であんな悲鳴が上がったんだ?」 と、集まった野次馬の中の一人の声。 「俺です! 俺がびっくりして、驚きの声を上げただけです!」 「なぁんだ。ジャンか。人騒がせな」 「それにしても、結構甲高い声だったな」 その証拠を見せろよ、という人もあったが、ホラー映画のワンシーンを観たいのかい?とサービスが脅すと、すごすごと引き下がった。 ぞろぞろと人々は、三々五々、部屋に帰って行った。 一時間後――彼らはビリーの部屋にいた。脱衣場に残った高松の鼻血をすっかり綺麗に拭き取ってから。流れる鼻血は、幸いすぐに止まった。 「これは、どういうことなんだい? ビリー」 サービスの口調は、不思議でたまらない、といった様子であって、決して詰問調ではなかった。 「貴方、自分の立場がわかってるんですかぁ?」 高松は、少々間延びした声。 ジャンは、ビリーの反応を待っていた。 「えっと……この時間に大風呂に入る人はいないだろうと思って」 ビリーは、声色も使わずに答えた。 普通の女性の声で話す、髪の短いビリーは、男装の麗人のようである。――そうには違いなかったが。 「もうちょっと自重してもらわないと、困りますね」 「高松……おまえは知っていたのか? この人が女性だと」 「ここまで来たら、隠しだてしても仕様がありませんね。――ジャンは知ってましたか?」 「え、あ、ああ……」 サービスは、カッと顔を赤くした。 「おまえらは――全部知ってたのか? 僕だけつんぼ桟敷だったというわけか?!」 「或る意味ではそうですけどね。裸体を見たのは、今日が初めてです」 真面目な顔で、高松は言った。もう、鼻血は流さなかった。 「ビリー……すまなかった」 「何故謝るの? 悪いのは私なのに」 それにしても、この声は聞いたことがある――まさか、まさか! 「エレーヌ?!」 「そう」 「何でこんなところに?!」 「それは、企業秘密」 「高松!」 「悪いけど、このお嬢さんに口止めされていましてねぇ……」 「あやめさんのことでか?」 「まぁ、そうです」 「女性の裸見て、鼻血を出してると、あやめさんに愛想つかされるぞ!」 「本とかなら、平気なんですがねぇ……まぁ、おいおい慣れていくとしましょう」 「ジャンも知ってたの? 私のこと」 「うーん。君が女だってことはわかってたよ」 「じゃあ、私、私、なんだって、秘密を守る為に汲々してたんだかわかんないじゃないの、これじゃ」 女は、額に手をやる。 「あ、俺、こういうときにふさわしい言葉知ってる。『骨折り損のくたびれ儲け』」 「ジャン、おまえ少し黙ってろ。――ビリー……いや、エレーヌの秘密を知っているのは、僕達だけなんだから――」 サービスは、ぐるりを見回した。その視線は雄弁に、おまえらも協力するよな、と言っていた。 「私は乗りかかった船ですからねぇ」 「俺は、サービスや高松に悪影響が及ぼさなければ、文句は言わないよ」 「ありがとう、高松、ジャン――サービス」 「いやいや」 サービスが手をひらひらと振った。 「でも、サービス、アンタやけにビリーに優しいですねぇ。まさか、惚れたとか?」 「女性はいたわりなさい。先祖代々からの教えでね」 サービスが、ビリーに向かって、にこっと笑った。 そうすると、ビリーの表情が綻んだ。 「んー、俺としては、ちょっぴり複雑だな。俺も女だったら良かった」 「192センチメートルの大女かい? 遠慮しておくよ」 サービスの台詞に、ジャンは笑った。 「そうでなくてさ、ビリーみたいないい女さ」 「わかってる。今のは冗談さ。でも、確かに君が女性なら、考えないでもなかったな」 サービスの顔からは、はにかんだような笑顔が浮かんだままである。思わず、ジャンもどきっとしてしまいそうな。 (――それか、サービスが女だったら良かったのに) サービスがビリーに好意を持っていることを見て取り、ジャンはビリーにジェラシーを感じた。 その後――サービスは、ビリーに対して、滅法甘くなった。 「ビリー、それ重いから持ってあげるよ」 「授業でノート取ったかい? 僕の見せてあげようか?」 「わからないことがあったら、何でも訊いて」 ビリー、ビリー、ビリー――……。 噂はサービスの親衛隊にも届いていた。 「サービスがこんなに人に親切にすることができるとは、思わなかったなぁ」 野沢も、意味感心した目で眺めていた。 「サービス様はビリーが好きなんだ。僕のことなんかもう相手にしてくれないんだ」 ルネがわぁわぁ泣き出した。 「まぁまぁルネ、わいもちょっとびっくりしているとこなんや。上手く行くと、これはひょっとしてひょっとすると――」 「何ですか?」 「――まぁいい」 野沢は、ルネの頭をぽんと叩いた。 「サービスもやっと柔らかくなったところや。温かい目で見守ろ。な」 一方、高松は―― (サービスって、意外と女好きだったんですねぇ) という感想を抱いていた。 そして、ジャンは、ビリーの動静を伺っていた。 (サービスが、本当にビリーのことを好きなら――。ビリーが要注意人物でなかったら、今頃、祝杯を挙げたい気持ちになってたかもな。でも、相手が悪いよ。ビリーは危険人物かもしれないんだぜ、ちょうど――) 俺と同じように。 そう思うと、きゅうっと、胸が締め付けられるようになった。 あれ? なんだ? この感覚。俺は、どこも悪くないはずなのに――。 それぞれの思いを乗せて、時間は刻々と過ぎて行った。 マジック総帥の恋人 15 BACK/HOME |