マジック総帥の恋人
14
 点呼の時間、寮監の田葛先生は、白鳥館の生徒にこう言った。
「この寮の大風呂のボイラーは、今故障している。汗を流してさっぱりしたいなら、自室のシャワーで我慢するか、でなければ、黒鳥館の大風呂へ行くこと」
 田葛は、本当は『田葛教官』なのだが、自分から、「先生と呼びなさい」と言ったので、みんな「田葛先生」と呼んでいる。ちなみに、トーマス・トンプソンの場合は、生徒達からも自ずから、尊敬をもって、自然と「先生」と呼ばれているが。
 サービスは、この男が嫌いではない。空振りもあるが、若くて、一生懸命だ。少し、理解し難いところはあるが――閑話休題。
 自室のシャワーで済ますことについては、サービスにも、不満はなかった。もし、ジャンと高松に捕まらなかったら、大風呂に行くまでもないと思っている。
 だが、サービスは、いわゆるカラスの行水ではない。入ったら、まず、一時間は出てこない。清潔さを、いつも心がけているのだ。髪や体を洗うのが趣味のひとつで、毎日やらなければ気が済まない。
(一人の方が落ち着くかな)
と、サービスはいつも思う。

 サービスが部屋で勉強をしていると、トントン、とノックの音がした。
 数学の最後の一問が解けたら、シャワーを浴びて、寝るつもりだった。
(誰だろう、こんな時間に)
 ガチャッと扉を開けた。
「ほうら、やっぱりまだ起きてました。十円」
「ちぇっ」
 ジャンが、高松に十円を渡した。
「何の用だ?」
 サービスが眉間に皺を寄せるのにも応えず、高松は長閑な顔をして言った。
「お風呂に行きましょう。サービス」
「はぁ? 今からか?」
「そうです」
「大風呂のボイラーは壊れていると聞いたぞ」
「だから、黒鳥館へ行くんですよ」
「僕は嫌だぞ」
「何でですか。裸のお付き合いをしようじゃありませんか」
「いつものようにな」
 ジャンは、にこにこしながら話に入る。
「この部屋の風呂で充分間に合う」
「聞きわけないですね。ジャン」
「おう」
 サービスは、二人に両脇から固められ、押さえつけられた。
「何をする!」
 ジャンはもちろんのこと、高松も結構、力がある。
「さぁ、レッツらゴー」
 ジャンが、高松と一緒に、サービスを引きずりながら言った。
「ちょっと、僕には……」
 勉強が~!という声が、辺りにこだました。

「黒鳥館てあれだろ? ハーレム達もいる」
 腹を据えたサービスが、いつもの体勢に戻ると、二人に訊いた。
「ああ、そうか。ハーレムと鉢合わせするかもしれないな」
「じゃあ、そのときは、彼とも裸のお付き合いですか?」
「いいんじゃない?」
「僕は、うんざりするほど、あいつとも一緒に入浴したがな」
 サービスが溜め息を吐く。
「へぇ~、いいなぁ、ハーレムのやつ」
「おまえらともいつも入ってるだろ。僕は」
 ジャンの羨ましそうな台詞に、サービスは呆れながら返答する。
「あ、そうだ。タオルを持って来なくては」
「サービス。私の使っていいですよ」
「ありがとう。でも高松、おまえは?」
「扇風機で自動乾燥」
「黒鳥館の風呂場に、扇風機なんてあるかな」
「ありましたよ。いつぞや、ジャンと見ましたもの。ねぇ、ジャン」
「ねぇー」
「でも、今は寒いだろ」
「風呂場は暖かいですよ」
 話しながら、三人は、大浴場に着いた。
「誰かいるみたいだよ?」
 耳のいいジャンは、脱衣場でシャワーの音を聞きつけた。
「どうせ男だろう」
 一度覚悟を決めたサービスは強い。
 がらっと風呂場の扉を開けた。
 シャワーを浴びているのは――ビリーだった。
 その立ち姿は、惚れ惚れする程の――女性の裸身だった。
 ビリーは青ざめた。
「き……」
 きゃーーーーーーーっ!!

 ビリーが悲鳴を上げると同時に、高松が鼻血を噴いて倒れる。
「なんだなんだ?!」
「あの声、大風呂からだぞ!」
 ドドドドッと、人の集まる気配がする。
「ジャン、バリケード!」
「了解!」
「ビリー、早く着替えて」
「わかった」
 サービスが素早く指示を出す。そして、脱衣場の外に出ると、
「何でもありません、何でもありません!」
と、ジャンと共に弁明した。
「高松がのぼせて鼻血を噴いただけです!」
「じゃあ、何であんな悲鳴が上がったんだ?」
と、集まった野次馬の中の一人の声。
「俺です! 俺がびっくりして、驚きの声を上げただけです!」
「なぁんだ。ジャンか。人騒がせな」
「それにしても、結構甲高い声だったな」
 その証拠を見せろよ、という人もあったが、ホラー映画のワンシーンを観たいのかい?とサービスが脅すと、すごすごと引き下がった。
 ぞろぞろと人々は、三々五々、部屋に帰って行った。

 一時間後――彼らはビリーの部屋にいた。脱衣場に残った高松の鼻血をすっかり綺麗に拭き取ってから。流れる鼻血は、幸いすぐに止まった。
「これは、どういうことなんだい? ビリー」
 サービスの口調は、不思議でたまらない、といった様子であって、決して詰問調ではなかった。
「貴方、自分の立場がわかってるんですかぁ?」
 高松は、少々間延びした声。
 ジャンは、ビリーの反応を待っていた。
「えっと……この時間に大風呂に入る人はいないだろうと思って」
 ビリーは、声色も使わずに答えた。
 普通の女性の声で話す、髪の短いビリーは、男装の麗人のようである。――そうには違いなかったが。
「もうちょっと自重してもらわないと、困りますね」
「高松……おまえは知っていたのか? この人が女性だと」
「ここまで来たら、隠しだてしても仕様がありませんね。――ジャンは知ってましたか?」
「え、あ、ああ……」
 サービスは、カッと顔を赤くした。
「おまえらは――全部知ってたのか? 僕だけつんぼ桟敷だったというわけか?!」
「或る意味ではそうですけどね。裸体を見たのは、今日が初めてです」
 真面目な顔で、高松は言った。もう、鼻血は流さなかった。
「ビリー……すまなかった」
「何故謝るの? 悪いのは私なのに」
 それにしても、この声は聞いたことがある――まさか、まさか!
「エレーヌ?!」
「そう」
「何でこんなところに?!」
「それは、企業秘密」
「高松!」
「悪いけど、このお嬢さんに口止めされていましてねぇ……」
「あやめさんのことでか?」
「まぁ、そうです」
「女性の裸見て、鼻血を出してると、あやめさんに愛想つかされるぞ!」
「本とかなら、平気なんですがねぇ……まぁ、おいおい慣れていくとしましょう」
「ジャンも知ってたの? 私のこと」
「うーん。君が女だってことはわかってたよ」
「じゃあ、私、私、なんだって、秘密を守る為に汲々してたんだかわかんないじゃないの、これじゃ」
 女は、額に手をやる。
「あ、俺、こういうときにふさわしい言葉知ってる。『骨折り損のくたびれ儲け』」
「ジャン、おまえ少し黙ってろ。――ビリー……いや、エレーヌの秘密を知っているのは、僕達だけなんだから――」
 サービスは、ぐるりを見回した。その視線は雄弁に、おまえらも協力するよな、と言っていた。
「私は乗りかかった船ですからねぇ」
「俺は、サービスや高松に悪影響が及ぼさなければ、文句は言わないよ」
「ありがとう、高松、ジャン――サービス」
「いやいや」
 サービスが手をひらひらと振った。
「でも、サービス、アンタやけにビリーに優しいですねぇ。まさか、惚れたとか?」
「女性はいたわりなさい。先祖代々からの教えでね」
 サービスが、ビリーに向かって、にこっと笑った。
 そうすると、ビリーの表情が綻んだ。
「んー、俺としては、ちょっぴり複雑だな。俺も女だったら良かった」
「192センチメートルの大女かい? 遠慮しておくよ」
 サービスの台詞に、ジャンは笑った。
「そうでなくてさ、ビリーみたいないい女さ」
「わかってる。今のは冗談さ。でも、確かに君が女性なら、考えないでもなかったな」
 サービスの顔からは、はにかんだような笑顔が浮かんだままである。思わず、ジャンもどきっとしてしまいそうな。
(――それか、サービスが女だったら良かったのに)
 サービスがビリーに好意を持っていることを見て取り、ジャンはビリーにジェラシーを感じた。

 その後――サービスは、ビリーに対して、滅法甘くなった。
「ビリー、それ重いから持ってあげるよ」
「授業でノート取ったかい? 僕の見せてあげようか?」
「わからないことがあったら、何でも訊いて」
 ビリー、ビリー、ビリー――……。
 噂はサービスの親衛隊にも届いていた。
「サービスがこんなに人に親切にすることができるとは、思わなかったなぁ」
 野沢も、意味感心した目で眺めていた。
「サービス様はビリーが好きなんだ。僕のことなんかもう相手にしてくれないんだ」
 ルネがわぁわぁ泣き出した。
「まぁまぁルネ、わいもちょっとびっくりしているとこなんや。上手く行くと、これはひょっとしてひょっとすると――」
「何ですか?」
「――まぁいい」
 野沢は、ルネの頭をぽんと叩いた。
「サービスもやっと柔らかくなったところや。温かい目で見守ろ。な」
 一方、高松は――
(サービスって、意外と女好きだったんですねぇ)
という感想を抱いていた。
 そして、ジャンは、ビリーの動静を伺っていた。
(サービスが、本当にビリーのことを好きなら――。ビリーが要注意人物でなかったら、今頃、祝杯を挙げたい気持ちになってたかもな。でも、相手が悪いよ。ビリーは危険人物かもしれないんだぜ、ちょうど――)
 俺と同じように。
 そう思うと、きゅうっと、胸が締め付けられるようになった。
 あれ? なんだ? この感覚。俺は、どこも悪くないはずなのに――。

 それぞれの思いを乗せて、時間は刻々と過ぎて行った。

マジック総帥の恋人 15
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