マジック総帥の恋人
ビリーがハーレムと出くわしたのは、高松と寮に帰ろうとしたときだった。 この道は緑が濃い。だが、森林浴としゃれ込むには、ビリーの心には余裕がなかった。 「ビリー。アンタと話すのは初めてだったかな」 高松を無視して、ハーレムが話しかける。 頭の頂から足の先まで見回されて、ビリーは落ち着かない。ふと、彼と初めて会ったときの視線を思い出す。 (なんか――ジャンも少し怖かったけど、この人も、怖い) それは、正体がばれそうで、という恐れも含まれていたが、もっと根源的なものもある。 ハーレムの眼が鋭くきらりと光った。 「まぁ、よろしく」 ハーレムが手を差し出したので、ビリーも握り返す。 (ちょっと苦手だなぁ、この人) ビリーは内心そう思った。何か、本当のことを見抜かれそうだ。あの、異様に澄んだ、濃度の違う青い瞳に。 仕方ないから、 「こちらこそ」 と、返事をしたが。 「ビリーさん。早く行きましょう」 「なんだ、高松。おまえ、こいつの友達か?」 (なんて、口が悪いの?) 初対面、ということになるのだろうが、もう『こいつ』呼ばわりとは。 「友達ってことでもないですけど」 「じゃあ、恋人か?」 「恋人はあやめさんがいますからねぇ」 「ああ、弟とは全然似てない美人か」 「その物言いは、野沢さんに対して失礼ではないですか?」 「じゃあ、そっくりだとでも言うのかよ。そしたら、アンタ正気じゃないか、よっぽど目が悪いかだな」 「――なるほど、確かに」 高松も、くすっと笑った。 ビリーは、この二人、案外仲が良いのかもしれないな、と思った。片や不良風の少年、片や、慇懃無礼な秀才タイプ。共通点は全然ないのだが。 「でもなぁ……アンタ、誰かに似てるんだよなぁ」 せっかく話題がそれたのに、ハーレムは、ビリーにとって、尤も訊かれたくないことを言う。 今の自分と『エレーヌ』は、外見だけなら簡単に結びつかないと思うのだが。 「あ、そうか。ランハだ。おまえ見てると、ランハを思い出すんだ」 意外なことを言われて、ビリーは思わず、「何ッ?」とするりと口から滑り出た。 「へぇ、アンタ、ランハを知ってるんですか」 「ああ。ちょっと調べてな」 「アンタでも、調査をすることがあるんですか」 「まぁな。あのジジィに殺されそうになってから、ランハのこともちょいと引っかかってたから。あいつの顔は新聞で見た」 高松は、ビリーの代わりに、ハーレムと台詞の応酬をしている。 あの、人の良いグレッグ、記憶のない自分を祝福してくれたグレッグのことを、「あのジジィ」呼ばわりされて、ビリーは、ますますハーレムに対する心証を悪くした。 しかし、一方で――そうか、自分は兄に似ているのだ、と思うと、嬉しくなくもなかった。 「なるほど、ランハですか」 「ああ。赤の他人とは思えないほどだぜ」 「僕は、ランハなんか知らない」 一応、ビリーは否定する。 「そうかぁ? その割には、なんか顔が輝いてないか?」 ハーレムは不審そうだ。 「そ、それは……」 「ビリーは、ランハに憧れているんですよ」 「ええっ?! 一体どこに?」 「K国の方では、ランハは英雄なんですよ」 「わかんねぇなぁ……こそこそネズミみたいにガンマ団周辺を漁ってるのがバレて、あっさり兄貴に殺された男じゃねぇか」 「おいッ!」 「ビリー!」 ビリーがハーレムの胸倉を掴んで近くの木に押しつけるのと、高松の叫んだのとは、ほぼ同時だった。 「二度と……あの人の悪口は言うな」 「……結構力あんだな」 「当たり前だ」 もっと木の幹に擦り付けさせようとすると、ハーレムは、今度は難なくかわした。ビリーの手が、相手の襟元から離れる。 「だが、まだまだだな。俺だって、伊達にマジック兄貴の弟名乗っているわけではないんだぜ。だがまぁ……というか、だからまぁ、おまえの気持ちもわかるな。わるかったよ。もうランハの悪口は言わねぇ。言わないよう気をつける」 そうして――そっぽを向いたのが照れ隠しだとわかると、ビリーはハーレムに、少し親近感を抱いた。 (そんなに――嫌な奴ではないのかもしれない) ハーレムだって、マジックの悪口を言われたら、さっきの自分みたいに怒るに違いない。そう思うと、ハーレムが身近に感じられた。 (ブラコンって言うのかなぁ……これって) 複雑な気分になりかけたが。 「さ、おまえらに構っているのも飽きたし、俺は行くぜ。じゃあな」 そうしてハーレムは遠ざかる。ゆっくり、ゆっくりと――鼻唄を歌いながら。 「はぁぁぁぁ~」 ハーレムの姿が完全に見えなくなり――しばらくすると、どっと疲れが出た。 あの男は、退屈はしないかもしれないが、心臓に悪い。 「ったく、アホのくせにカンはいいんですから。大丈夫ですか? ビリーさん」 「あ、――ああ」 「あなたも……あそこで怒るとは思わなかったですよ」 「家族の悪口が許せなかっただけだ」 「――家族思いなんですね」 「ああ。奴の兄のせいで、家族はバラバラにされた」 「にしては、いい表情してましたよ」 「るさい! 思い出したらふつふつと怒りが――」 「今日はもう帰った方がいいようですよ」 「そうだな。なんだか力が抜けた」 「私、白鳥館ですから、この森を抜けたらお別れですね。それとも、送っていきますか?」 「一人で帰れるから大丈夫だよ」 「そうですね。そこいらの男より強いですから」 「それって、女らしくないってこと?」 「そんなことありませんよ。でも、ここにいる限りにおいては、少々男勝りな方がいいかもしれませんよ。でもねぇ……」 高松はチェシャー猫のような笑いを浮かべた。 「『大和撫子』の踊り子エレーヌが、とんだ乱暴者だったなんてね」 「こらっ! せめておてんばって言え!」 ビリーが冗談で殴りかかろうとするのを、高松はわざと「あーれー」なんて言いながら避ける。 目的が復讐でなかったら、そして、自分が男だったら、こんな生活も結構楽しめたかもしれない。 だが――それはないものねだりと言うものである。 「だから、兄貴に繋いでくれよ」 「そんなこと言われましてもねぇ……」 「大至急伝えたいことがあるんだよ! ……あ、兄貴? もしもし?」 「なんだ? 相変わらず騒がしい奴だな。ハーレム」 「おい。ビリー・ピルグリムって、何者だ?」 「ああ。あの転入生か」 「よく落ち着いていられるな。いいか。あいつ、とんだ食わせ者だぞ! 女のくせに、男装して士官学校に乗り込んできやがった」 マジックは、それを聞いたとき、こめかみに冷たい汗を感じた。ビリーの正体は知っている。その正体に、ハーレムが勘付いた、という事実に、焦りを禁じえなかったのである。 「大丈夫だ。それくらい。予想内のリスクだよ」 「――どういうことだ?」 「私が言えるのはそれだけだ。ハーレム、おまえは心配しなくていい」 「だけど……」 「もう切るぞ」 そう言って、マジックは受話器を置いた。 ハーレムは、そう頭は良くないが、その代わり、一度覚えたらなかなか忘れない。 エレーヌのことも、記憶に残っていたという訳だ。 もしかしたら、もっと他に、ビリーがエレーヌであることを知った者がいるかもしれない。 厄介なことにならなければいいが、とマジックは思った。 (ビリー……エレーヌ……私がおまえを災いから退ける) マジック総帥の恋人 14 BACK/HOME |