マジック総帥の恋人
13
「よお」
 ビリーがハーレムと出くわしたのは、高松と寮に帰ろうとしたときだった。
 この道は緑が濃い。だが、森林浴としゃれ込むには、ビリーの心には余裕がなかった。
「ビリー。アンタと話すのは初めてだったかな」
 高松を無視して、ハーレムが話しかける。
 頭の頂から足の先まで見回されて、ビリーは落ち着かない。ふと、彼と初めて会ったときの視線を思い出す。
(なんか――ジャンも少し怖かったけど、この人も、怖い)
 それは、正体がばれそうで、という恐れも含まれていたが、もっと根源的なものもある。
 ハーレムの眼が鋭くきらりと光った。
「まぁ、よろしく」
 ハーレムが手を差し出したので、ビリーも握り返す。
(ちょっと苦手だなぁ、この人)
 ビリーは内心そう思った。何か、本当のことを見抜かれそうだ。あの、異様に澄んだ、濃度の違う青い瞳に。
 仕方ないから、
「こちらこそ」
と、返事をしたが。
「ビリーさん。早く行きましょう」
「なんだ、高松。おまえ、こいつの友達か?」
(なんて、口が悪いの?)
 初対面、ということになるのだろうが、もう『こいつ』呼ばわりとは。
「友達ってことでもないですけど」
「じゃあ、恋人か?」
「恋人はあやめさんがいますからねぇ」
「ああ、弟とは全然似てない美人か」
「その物言いは、野沢さんに対して失礼ではないですか?」
「じゃあ、そっくりだとでも言うのかよ。そしたら、アンタ正気じゃないか、よっぽど目が悪いかだな」
「――なるほど、確かに」
 高松も、くすっと笑った。
 ビリーは、この二人、案外仲が良いのかもしれないな、と思った。片や不良風の少年、片や、慇懃無礼な秀才タイプ。共通点は全然ないのだが。
「でもなぁ……アンタ、誰かに似てるんだよなぁ」
 せっかく話題がそれたのに、ハーレムは、ビリーにとって、尤も訊かれたくないことを言う。
 今の自分と『エレーヌ』は、外見だけなら簡単に結びつかないと思うのだが。
「あ、そうか。ランハだ。おまえ見てると、ランハを思い出すんだ」
 意外なことを言われて、ビリーは思わず、「何ッ?」とするりと口から滑り出た。
「へぇ、アンタ、ランハを知ってるんですか」
「ああ。ちょっと調べてな」
「アンタでも、調査をすることがあるんですか」
「まぁな。あのジジィに殺されそうになってから、ランハのこともちょいと引っかかってたから。あいつの顔は新聞で見た」
 高松は、ビリーの代わりに、ハーレムと台詞の応酬をしている。
 あの、人の良いグレッグ、記憶のない自分を祝福してくれたグレッグのことを、「あのジジィ」呼ばわりされて、ビリーは、ますますハーレムに対する心証を悪くした。
 しかし、一方で――そうか、自分は兄に似ているのだ、と思うと、嬉しくなくもなかった。
「なるほど、ランハですか」
「ああ。赤の他人とは思えないほどだぜ」
「僕は、ランハなんか知らない」
 一応、ビリーは否定する。
「そうかぁ? その割には、なんか顔が輝いてないか?」
 ハーレムは不審そうだ。
「そ、それは……」
「ビリーは、ランハに憧れているんですよ」
「ええっ?! 一体どこに?」
「K国の方では、ランハは英雄なんですよ」
「わかんねぇなぁ……こそこそネズミみたいにガンマ団周辺を漁ってるのがバレて、あっさり兄貴に殺された男じゃねぇか」
「おいッ!」
「ビリー!」
 ビリーがハーレムの胸倉を掴んで近くの木に押しつけるのと、高松の叫んだのとは、ほぼ同時だった。
「二度と……あの人の悪口は言うな」
「……結構力あんだな」
「当たり前だ」
 もっと木の幹に擦り付けさせようとすると、ハーレムは、今度は難なくかわした。ビリーの手が、相手の襟元から離れる。
「だが、まだまだだな。俺だって、伊達にマジック兄貴の弟名乗っているわけではないんだぜ。だがまぁ……というか、だからまぁ、おまえの気持ちもわかるな。わるかったよ。もうランハの悪口は言わねぇ。言わないよう気をつける」
 そうして――そっぽを向いたのが照れ隠しだとわかると、ビリーはハーレムに、少し親近感を抱いた。
(そんなに――嫌な奴ではないのかもしれない)
 ハーレムだって、マジックの悪口を言われたら、さっきの自分みたいに怒るに違いない。そう思うと、ハーレムが身近に感じられた。
(ブラコンって言うのかなぁ……これって)
 複雑な気分になりかけたが。
「さ、おまえらに構っているのも飽きたし、俺は行くぜ。じゃあな」
 そうしてハーレムは遠ざかる。ゆっくり、ゆっくりと――鼻唄を歌いながら。
「はぁぁぁぁ~」
 ハーレムの姿が完全に見えなくなり――しばらくすると、どっと疲れが出た。
 あの男は、退屈はしないかもしれないが、心臓に悪い。
「ったく、アホのくせにカンはいいんですから。大丈夫ですか? ビリーさん」
「あ、――ああ」
「あなたも……あそこで怒るとは思わなかったですよ」
「家族の悪口が許せなかっただけだ」
「――家族思いなんですね」
「ああ。奴の兄のせいで、家族はバラバラにされた」
「にしては、いい表情してましたよ」
「るさい! 思い出したらふつふつと怒りが――」
「今日はもう帰った方がいいようですよ」
「そうだな。なんだか力が抜けた」
「私、白鳥館ですから、この森を抜けたらお別れですね。それとも、送っていきますか?」
「一人で帰れるから大丈夫だよ」
「そうですね。そこいらの男より強いですから」
「それって、女らしくないってこと?」
「そんなことありませんよ。でも、ここにいる限りにおいては、少々男勝りな方がいいかもしれませんよ。でもねぇ……」
 高松はチェシャー猫のような笑いを浮かべた。
「『大和撫子』の踊り子エレーヌが、とんだ乱暴者だったなんてね」
「こらっ! せめておてんばって言え!」
 ビリーが冗談で殴りかかろうとするのを、高松はわざと「あーれー」なんて言いながら避ける。
 目的が復讐でなかったら、そして、自分が男だったら、こんな生活も結構楽しめたかもしれない。
 だが――それはないものねだりと言うものである。

「だから、兄貴に繋いでくれよ」
「そんなこと言われましてもねぇ……」
「大至急伝えたいことがあるんだよ! ……あ、兄貴? もしもし?」
「なんだ? 相変わらず騒がしい奴だな。ハーレム」
「おい。ビリー・ピルグリムって、何者だ?」
「ああ。あの転入生か」
「よく落ち着いていられるな。いいか。あいつ、とんだ食わせ者だぞ! 女のくせに、男装して士官学校に乗り込んできやがった」
 マジックは、それを聞いたとき、こめかみに冷たい汗を感じた。ビリーの正体は知っている。その正体に、ハーレムが勘付いた、という事実に、焦りを禁じえなかったのである。
「大丈夫だ。それくらい。予想内のリスクだよ」
「――どういうことだ?」
「私が言えるのはそれだけだ。ハーレム、おまえは心配しなくていい」
「だけど……」
「もう切るぞ」
 そう言って、マジックは受話器を置いた。
 ハーレムは、そう頭は良くないが、その代わり、一度覚えたらなかなか忘れない。
 エレーヌのことも、記憶に残っていたという訳だ。
 もしかしたら、もっと他に、ビリーがエレーヌであることを知った者がいるかもしれない。
 厄介なことにならなければいいが、とマジックは思った。
(ビリー……エレーヌ……私がおまえを災いから退ける)

マジック総帥の恋人 14
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