マジック総帥の恋人
グラウンドを走る少年がいる。 そのごく自然なフォームに、たまたま仕事に来ていたマジックは目を奪われた。 走り終えて、少年がタオルで汗を拭きながら、何とはなしに、マジックの方を見遣る。 (エレーヌ……!) 髪は短くなって、男のようになったが、澄んだ黒い瞳は、忘れはしない。 視線を逸らしたのは、エレーヌ、否、ビリーの方だった。 「マジック総帥!」 成海教官が、マジックに駆け寄ってきた。 「すごい逸材ですよ! あの子! このまま直接ガンマ団にお贈りしたいぐらいだ!」 「まだ若いだろう」 「ええ。十六だって言ってましたからね」 あの子が何故、士官学校を目指したのか、マジックにはすぐにはわかりかねた。 (信頼深い部下にでもなって、寝首をかこうとでも言うのかな) それだったら、何も士官学校へ行かなくても、直ちにガンマ団に来ればいい。 ふーむ、と言いながら、マジックは顎を撫でた。 だが、彼にしてみれば、どちらでも構わない。 「今回は私が直接面接したい。いいな」 「はっ!」 士官学校の試験は、多岐に渡る。 筆記試験に始まって、実技試験、面接などがある。 全部が平均点以上でも、面接で失敗したら、落第するし、逆に、一芸にだけ秀でているだけでも、合格することがある。 試験方法はその都度変わる。 マジックのワンマン経営だからできることだ。 さすがに、「今回は、私だけが面接をする」と発言したのは、異例のことだったが。 「失礼いたします」 入ってくるなり、ビリーは軍隊式の敬礼をした。 「まぁ、楽にしたまえ。ビリー・ピルグリム君」 「はっ!」 マジックに促され、ビリーは、彼と向かい合う形に置いてある椅子に腰をかけた。 「いい面構えだ」 「ありがとうございます!」 「合格だ」 「はっ……?!」 ビリーは耳を疑った。 「今、合格だと……」 「ああ。言った」 「で、でも、まだ何も訊かれてませんが」 「何か訊いて欲しいかね?」 「いえ、あの……」 ビリーは戸惑った。こんなに簡単にパスできるとは、思っても寄らなかったのだ。 (せっかく答えも用意したのに) 「不満そうだね。じゃあ、ひとつだけ訊こう。私が命を狙われたら、君はどうする?」 「――決まっております! 私が総帥の盾となり、総帥をお守りします。その為に、この学校に入って、技術を磨きます」 マジックは、退屈そうな表情になった。 「模範的だな。実に、模範的な答えだ」 (からかってるのか?!) ビリーはカッとなった。 「じゃあ、じゃあ何ですか? 『私は総帥を見捨てて、さっさと逃げます。だから逃げ足を鍛えます』と言ったらいいんですか?!」 マジックは、にやりと笑った。 「そうだな。その方がよっぽど正直で――面白い」 マジックは、ビリーの顔写真の上に、バンと判子を押した。 「困ったことがあったら、私のところへ来なさい。大抵のことなら、都合がつくと思うから」 「わかりました。いろいろありがとうございます」 「この学校は、女性は学食の賄い係や看護婦など、限られた者しかいない。生徒は全員男子だ。――尤も、もし君が女であるなら、話は別だがな」 マジックが、下から上目遣いに、ビリーを見た。 そのまま、しばらく沈黙が流れた。 ビリーは、からからに乾いた喉に、生唾を流しこんだ。そして、言った。 「私が、女性に見えるとでも?」 「そうは言ってない」 「私は、女性に見えることがコンプレックスなのです。髪を伸ばしたら美女になる、と言われたこともありました」 もちろん、演技である。女性であることを不満に思ったことはない。 ただ、女扱いされると、何かと不都合があるだろうと思って、そう言ったまでである。 「わかった。機嫌を損ねるようなことを言って、悪かった」 「謝らないでください。私が言い過ぎでした」 ビリーが頭を下げた。こんなことで、合格を取り消されては、かなわない。 「ここには、私の弟達もいる。仲良くしてやってくれ」 「はっ! それはもちろん」 「弟達のことは知ってるかな?」 「はっ……」 存じております、と言いかけて、ビリーは口を閉じた。 「ハーレムとサービスだ。この二人は、君と同じ学年だな」 「はい……」 彼らのことを知っているのはエレーヌだ。彼らに会ったことがあるのも、エレーヌだ。 ビリー・ピルグリムは、何も、知らない。何も……。 (そう。私は何も知らない) 「あの子達も、宜しく頼む」 「はい!」 「ハーレムは口は悪いがいい奴だ。サービスは優しい。きっと、君のいい友達になると思う」 「わかりました」 「では、もう外に出てよろしい」 「はっ!」 ビリーは立ち上がり、かっと靴を合わせて敬礼をした。 「そんなに形式ばらなくても良い」 「でも……」 「私は、君とは初めて会った気がしない」 ビリーの動悸が激しくなった。 (この人は……何もかも知っての上で、嬲っているのではないか) 「顔が青いぞ。どうした?」 「いえ。何でもありません」 外に出ると、ビリーははーっと息をついた。 (全く……心臓に悪い) 「面白くなりそうだな」 エレーヌの記憶が戻った、ということは、ランハのことも。思い出したのだろう。でなければ、ガンマ団に接触しようとするはずがない。 逃げるか、近付くか。ランハのことを知ったときに、エレーヌが取る行動は、どちらかだろうと思っていた。 エレーヌは近付く方を選んだ。 「本当に――これから、どうなることやら。楽しみだな」 こうなったら、絶対に逃さない。 マジックは、上機嫌である。アルカイックスマイルが、口元に現れた。 マジック総帥の恋人 12 BACK/HOME |