マジック総帥の恋人
11
 ここで話は、ビリーことエレーヌの士官学校編入試験の時点まで遡る。

 グラウンドを走る少年がいる。
 そのごく自然なフォームに、たまたま仕事に来ていたマジックは目を奪われた。
 走り終えて、少年がタオルで汗を拭きながら、何とはなしに、マジックの方を見遣る。
(エレーヌ……!)
 髪は短くなって、男のようになったが、澄んだ黒い瞳は、忘れはしない。
 視線を逸らしたのは、エレーヌ、否、ビリーの方だった。
「マジック総帥!」
 成海教官が、マジックに駆け寄ってきた。
「すごい逸材ですよ! あの子! このまま直接ガンマ団にお贈りしたいぐらいだ!」
「まだ若いだろう」
「ええ。十六だって言ってましたからね」
 あの子が何故、士官学校を目指したのか、マジックにはすぐにはわかりかねた。
(信頼深い部下にでもなって、寝首をかこうとでも言うのかな)
 それだったら、何も士官学校へ行かなくても、直ちにガンマ団に来ればいい。
 ふーむ、と言いながら、マジックは顎を撫でた。
 だが、彼にしてみれば、どちらでも構わない。
「今回は私が直接面接したい。いいな」
「はっ!」

 士官学校の試験は、多岐に渡る。
 筆記試験に始まって、実技試験、面接などがある。
 全部が平均点以上でも、面接で失敗したら、落第するし、逆に、一芸にだけ秀でているだけでも、合格することがある。
 試験方法はその都度変わる。
 マジックのワンマン経営だからできることだ。
 さすがに、「今回は、私だけが面接をする」と発言したのは、異例のことだったが。

「失礼いたします」
 入ってくるなり、ビリーは軍隊式の敬礼をした。
「まぁ、楽にしたまえ。ビリー・ピルグリム君」
「はっ!」
 マジックに促され、ビリーは、彼と向かい合う形に置いてある椅子に腰をかけた。
「いい面構えだ」
「ありがとうございます!」
「合格だ」
「はっ……?!」
 ビリーは耳を疑った。
「今、合格だと……」
「ああ。言った」
「で、でも、まだ何も訊かれてませんが」
「何か訊いて欲しいかね?」
「いえ、あの……」
 ビリーは戸惑った。こんなに簡単にパスできるとは、思っても寄らなかったのだ。
(せっかく答えも用意したのに)
「不満そうだね。じゃあ、ひとつだけ訊こう。私が命を狙われたら、君はどうする?」
「――決まっております! 私が総帥の盾となり、総帥をお守りします。その為に、この学校に入って、技術を磨きます」
 マジックは、退屈そうな表情になった。
「模範的だな。実に、模範的な答えだ」
(からかってるのか?!)
 ビリーはカッとなった。
「じゃあ、じゃあ何ですか? 『私は総帥を見捨てて、さっさと逃げます。だから逃げ足を鍛えます』と言ったらいいんですか?!」
 マジックは、にやりと笑った。
「そうだな。その方がよっぽど正直で――面白い」
 マジックは、ビリーの顔写真の上に、バンと判子を押した。
「困ったことがあったら、私のところへ来なさい。大抵のことなら、都合がつくと思うから」
「わかりました。いろいろありがとうございます」
「この学校は、女性は学食の賄い係や看護婦など、限られた者しかいない。生徒は全員男子だ。――尤も、もし君が女であるなら、話は別だがな」
 マジックが、下から上目遣いに、ビリーを見た。
 そのまま、しばらく沈黙が流れた。
 ビリーは、からからに乾いた喉に、生唾を流しこんだ。そして、言った。
「私が、女性に見えるとでも?」
「そうは言ってない」
「私は、女性に見えることがコンプレックスなのです。髪を伸ばしたら美女になる、と言われたこともありました」
 もちろん、演技である。女性であることを不満に思ったことはない。
 ただ、女扱いされると、何かと不都合があるだろうと思って、そう言ったまでである。
「わかった。機嫌を損ねるようなことを言って、悪かった」
「謝らないでください。私が言い過ぎでした」
 ビリーが頭を下げた。こんなことで、合格を取り消されては、かなわない。
「ここには、私の弟達もいる。仲良くしてやってくれ」
「はっ! それはもちろん」
「弟達のことは知ってるかな?」
「はっ……」
 存じております、と言いかけて、ビリーは口を閉じた。
「ハーレムとサービスだ。この二人は、君と同じ学年だな」
「はい……」
 彼らのことを知っているのはエレーヌだ。彼らに会ったことがあるのも、エレーヌだ。
 ビリー・ピルグリムは、何も、知らない。何も……。
(そう。私は何も知らない)
「あの子達も、宜しく頼む」
「はい!」
「ハーレムは口は悪いがいい奴だ。サービスは優しい。きっと、君のいい友達になると思う」
「わかりました」
「では、もう外に出てよろしい」
「はっ!」
 ビリーは立ち上がり、かっと靴を合わせて敬礼をした。
「そんなに形式ばらなくても良い」
「でも……」
「私は、君とは初めて会った気がしない」
 ビリーの動悸が激しくなった。
(この人は……何もかも知っての上で、嬲っているのではないか)
「顔が青いぞ。どうした?」
「いえ。何でもありません」
 外に出ると、ビリーははーっと息をついた。
(全く……心臓に悪い)

「面白くなりそうだな」
 エレーヌの記憶が戻った、ということは、ランハのことも。思い出したのだろう。でなければ、ガンマ団に接触しようとするはずがない。
 逃げるか、近付くか。ランハのことを知ったときに、エレーヌが取る行動は、どちらかだろうと思っていた。
 エレーヌは近付く方を選んだ。
「本当に――これから、どうなることやら。楽しみだな」
 こうなったら、絶対に逃さない。
 マジックは、上機嫌である。アルカイックスマイルが、口元に現れた。

マジック総帥の恋人 12
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