キンタローの初恋 9

「……まだハーレムは来ないのか?」
 シンタローが苛々している。しかし、ハーレムは寝起きが悪い。寝坊なんて大したことじゃない。それがわかっていても、シンタローが気を揉んでいるのは――せっかくご馳走を料理したのに待たせられているからだろう。
 時々、シンタローは突発的に豪華な料理を作る。多分、ストレス発散法なのだろう。――俺も料理は得意だが。
 シンタローは、パプワにしごかれて以来、料理の楽しさに目覚めたらしい。今日も、さっきまではご機嫌だったのだ。……ハーレムが来ないことを除けば。
「おい、キンタロー。見に行ってやれ」
「え、でも……いいのか?」
「おう、お前がルーザー叔父さんの真似をしたら、ハーレムは二度と寝坊しないだろうぜ」
 ――人の父親を何だと思ってるんだ。ったく。
 後ろでは、そのルーザーの真似をした俺を想像したらしい高松が鼻血を噴いて倒れた。
「高松、高松」
 グンマが心配そうに叫んでいたが、高松はすぐに元気になるに違いない。――案の定、高松は未だに鼻血を垂らしながらも立ち上がった。
「……ああ、済みません。グンマ様……私だったらすぐにでも起きるでしょう」
「ハーレムが起きなきゃ意味ねぇんだよ」
 シンタローが尤もなツッコミを入れた。
「では、ちょっと服を見繕ってみます!」
 高松は走り去っていった。
「楽しんでいるな。ありゃ」
 シンタローの言葉に、グンマと、グンマの隣にいたマジックが親子でうんうんと頷いた。

「何だ、これは」
「ルーザー様がよく着てらした洋服です。仕上げにこれを」
 俺はしゅっと高松に何かを吹き付けられた。変な薬品かと思ったが、香水だった。
「ブルガリのプールオムです。ルーザー様がよく纏われた香りですよ」
「さっすが高松♪ 香水にまで神経使うなんて」
「あはは、お任せください。グンマ様」
 ドボボボ……と、高松は物凄い量の鼻血を流す。くそっ。新しいスーツが血まみれじゃないか。……グンマは服が汚れるのも気にせず、高松に抱き着いているが。
 シンタローとマジックは(またか……)という目で見ている。慣れてるんだろうな。尤も、こいつらも大切な人の前では鼻血を流すので、同類かもしれない。
 ――俺は、ハーレムの部屋の前に来た。
 ……ハーレムの気配がない。いないのかな。
 いや、俺のセンサーが、ハーレムはここにいる、と告げている。ただし、生体反応は、ない。
 ――何かあったのか?!
「ハーレム!」
 俺はドアを蹴破った。ハーレムはベッドに横たわっていた。
「何だ。ハーレム。いるならいると――」
 けれど、何かがおかしい……。
「――ハーレム?」
 俺はハーレムの元へ駆け寄った。プールオムの香り。でも、これは、俺の香りじゃない。この香りは、プールオムのラストノートだ。
 ここまで来れば、いつもだとハーレムは俺の気配を察して起きるのに――まだ眠ったままだ。
「ハーレム!」
 俺は叫んだ。そして、ハーレムを揺すぶる。ハーレムは起きない。
 脈は……ある。息もある。けれど、意識がない。
「ハーレム! 大変だ! シンタロー!」
 俺は……情けない話だが、シンタローに頼るしかなかった。シンタローはしっかりしているし、行動力もある。リーダーの資質も持っている。俺は……己がシンタローに勝てないのをよく知っている。
「シンタロー! 来てくれ!」
「どうした! キンタロー!」
「ハーレムが……目覚めない。気を失っている」
「ちっ! あのオッサンめ、いつまでいぎたなく眠ってやがる!」
 シンタローはそう言っていたが、不安を感じているのは明らかだった。――マジック伯父貴が言葉を継いだ。
「……ハーレムが起きない? そんなこと、いつものことだろう」
「……意識がない」
「取り敢えずあの男の部屋に行きましょう。……キンタロー様が部屋に行っても目覚めないなんてよっぽどです」
 知ってたのか。高松……高松は俺の視線を感じたのか、ふっと笑った。
「キンタロー様。私は貴方よりハーレムとの付き合いは長いんですよ。あの男のことぐらいわかります」
「どうしたんだい? 皆」
 サービス叔父貴が来た。いつもと変わらぬ美しさだ。
「ふぁ~あ、もう少し寝てようって言ったのに、サービスったら……」
 ――サービス叔父黄とジャン。同じ方向から来たと言うことは……。
「サービス叔父貴。ジャンと今まで同衾してたのか?」
 俺が訊くと、サービス叔父貴が黙って眉を顰める。ジャンが、「うん、そうだぜぇ」と言ってにへらと笑った。
「ジャン……許さん……俺と同じ顔であっても……よくもサービス叔父さんと……」
 いいんだけどな……シンタロー。お前も同じようなことをしたの、忘れてるな……お前には、ハーレムがいるだろうが。それとも、俺がお前からハーレムを取っていいのか? 略奪愛だって、俺は辞さないぞ。
 マジック伯父貴とグンマも追って来た。
「ややっ。ドアが壊れてるじゃないか。愚弟め、何をしたッ!」
「マジック伯父貴。それは俺が壊したんだ」
 俺が自白した。
「ええっ?! 駄目じゃないか。キンちゃん……」
「そんなことは後でいい。――ハーレムを医務室まで運ぶぞ」
「待て。シンタロー。高松がハーレムをまともに診察すると思うか?」
「キンタローまでそう言うな。……高松が鼻血を流しながら泣いてるぞ」
 シンタローの言う通り、高松が鼻血の筋を垂らして泣いていた。しかし、これは一応シリアスな場面なのだ。もしかしたら――ハーレムを仇なすヤツがいるのかもしれないのだから。
「ハーレム、しっかりしてください。――はい。ジャン。担架持って来て」
 てきぱきと指示を出す辺り、高松は流石だと思う。ただの変態じゃないと言う訳だ。
「何で俺が……」
 ぶつぶつ言いながらも、ジャンは部屋を後にする。
 医務室でハーレムの脳波を計ってみたが、睡眠中の脳波だった。昏睡状態に落ち込んでいるという訳か……。何の病にかかったんだ? ハーレム! だから、酒は控えろといつも言っていたじゃないか……。
「ハーレム……」
 高松が泣き出しそうな顔をしている。珍しい。
「そういえば……部屋には、俺と同じ香りがあった。残り香として」
「ハーレムにブルガリですか? それはまぁいいとして――ハーレムはまだルーザー様にアレルギー反応起こしているのですよ。同じ香りを身に纏うはず、ないじゃないですか」
 高松の言う通りだ。でも、じゃあ、どうして――。
(犯人だよ。私が)
 えっ? 嘘だろう? この声は――。父さん!
(ほら、早くしないと、私がハーレムを連れて行ってしまうよ)
 待ってくれ! 父さん! どうしてハーレムを眠らせておくんだ。
(ハーレムの魂をあの世へと連れて行く為さ――私だけじゃ寂しいからね)
 どうして、そんなことをするんだ……父さん……そんな死神みたいなこと――。
(ハーレムを愛しているんだ。私は――まだね)
 それじゃあ、母さんはどうなるんだ!
(母さんは母さんで愛しているさ。けれども、私はハーレムの全てを奪った最初の男だからね)
 馬鹿野郎! それではミツヤとか言う男と一緒じゃないか!
(――ハーレムを取り返したくば、黄泉まで追って来るんだね。それじゃ……)
 父さん――ルーザーの声が聞こえなくなった。何故だ。何故なんだ、父さん。あんなに優しくて、慈悲に満ちていた貴方が――。
 俺は、死に際の父のことしか知らないが。
「――はっ!」
 俺はベッドの上で目を覚ました。シンタローが懸念を浮かべて俺を見下ろしている。何だよ。シンタロー。そんな顔はお前には似合わないぞ。――そんな顔をさせているのが、例え俺であったとしてもだ。
「シンタロー、泣くな……」
「泣いてねぇ……ただ、お前まで意識を失った時はびっくりしたぞ」
「ハーレムはルーザー……父さんに連れていかれた。俺も行く」
「待ってくれ、行くな、キンタロー……」
 俺の手を掴んだシンタローが、高松に止められた。シンタローが高松の方を向くと、高松は静かに首を横に振った。――俺は、すうっと寝入りそうになる。そして、暗転。

2020.02.17

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