キンタローの初恋 6

「ふ……あ……」
 唇を離すと唾液が繋がった。銀糸が落ちた。
「兄貴……」
「ハーレム……俺は父さんじゃない。父さんからもアンタを奪って見せる!」
 ――ハーレムは普賢菩薩のような顔をした。俺の心臓はどきっと高鳴った。ハーレムは何も答えない。
 父さん、父さん、どうして――。
 どうしてハーレムなんかに恋したんですか。……いや、それはわかるような気はするけど……。俺の欲しいのはハーレムの慈悲じゃない。情欲に乱れた顔だった。
 尤も、そんなもん、DVDや写真でしか見たことはないのだが。それに、男優はハーレムではない。
「そうだな。お前さんはてめぇの親父よりいい男になる。そして、俺のことは忘れろ」
 命じるような口調で、ハーレムは俺に言い放った。――雨が降って来た。
「それは嫌だ」
 それだけは譲れない。ハーレムのことだけは譲れない。例え、ハーレムが何と言ってもだ。
「ここで、父さんに抱かれたことがあるのか?」
 カマをかけたつもりだった。――そこで、ハーレムはかっと赤くなった。図星だな。
 俺は――許せない。今でもハーレムの心を掴んでいる父さんが許せない。俺は父さんの代わりじゃない。それがわかってるから、ハーレムも『俺のことは忘れろ』と言ったのだ。
 ハーレムは父さんを悪く言うことが多い。けれど、ハーレムは本当は……父さんのことが好きだったんじゃないか?
 父さんの墓の前で泣いたことだって知ってる。それは、こんな雨の日だった。
 悔しそうに泣いてたな。ハーレム……。父さんが死んだのに自分が生き残っているのが許せないのだろう。
 高松にさえ、父さんと間違われることの多い俺だ。俺を見ていたハーレムは、どんなに辛かったことだろう。
 でも、俺は、父さんじゃない。何度も言うようだが、父さんじゃない。父さんと重ね合わせて見られる辛さは俺以外わかるまい。
 だったら、髪を伸ばせばいいのかもしれないが、それでは根本的な解決にはならない。
 一時は、確かに俺も父さんに憧れたのだから――。
 ハーレムが四阿を後にしようとした。俺は言った。
「……濡れるぞ」
「大丈夫だ。――体は丈夫な方だ」
「けれど、肺炎になったりしたら――」
 しかも、ハーレムはもう年だ。
「お前、ルーザーみたいなこと言うんだな」
 そう言いながら、ハーレムは力なく笑った。俺は、その顔に何も言えなくなる。
 あのセリフは俺じゃない。父さんに言ったんだ。
「――俺も行く」
 俺達は二人、ずぶ濡れになりながら歩いて行った。

「キンちゃん。どうしたの? こんなに濡れて。待って。タオル、タオル――」
 グンマが心配そうにタオルを持ってきて俺の体を拭いてくれる。――ハーレムは自分の部屋に戻って行った。
 甘い匂い。グンマの匂いだ。
 俺は、グンマか、シンタローか、或いは数多の美女に惚れてたら幸せになれていたかもしれない。けれど、ハーレムのいない幸せなんて、くそくらえだ。
「何か――泣きたそうだね。キンちゃん」
「ん? そうか? わかるか?」
「うん。だって、キンちゃんは僕の従兄弟だもんね」
 グンマはにこっと笑った。俺を力づけてくれようとしているのだろう。
「その笑顔は――高松の為にとっときな」
「それね、高松だって、僕よりキンちゃんの方が好きなんだ。きっと。――ううん。高松はルーザー叔父様しか見てないんだ。本当は」
 そうだ。あいつの心は父さんに捕らわれている。不幸な男だ。ハーレムは父さんしか見てなくて、父さんもきっと――。
 だから、死の間際に、父さんはハーレムに何も言わなかったんだ。ハーレムには俺がいるのを知っていたから。違うだろうか。これは俺自身に都合の良い解釈だろうか。
 でも、それなら、俺は父さんの代わりでもいい。
 父さんに代わって、俺が、ハーレムの面倒を見たって構わない。最期の時は看取ってやろう。
「キンちゃん、考え事?」
 グンマの問いに、俺は、「ああ」と答えた。

「だから、何で執務中に電話で呼び出して来るんだ。お前は」
「だって……キンちゃんのことが心配だったし」
「お前がいくらキンタローのこと気になったってなぁ……あいつの心はどうせハーレムのもんだろ。てめぇのもんにならねぇだろ? それなのに、キンタローの世話を焼く気か?」
「う……シンちゃんだってキンちゃんの世話焼いてるじゃない」
 俺は、シンタローとグンマの話しているところを偶然耳にしてしまった。
「ハーレム叔父さんのこと好きなのは、シンちゃんもでしょ?」
「俺のことはいいんだよ。――全く。あの男にも困ったもんだ。初めはいかれた親父とも思っていても、いつの間にか恋に陥れる。あの男、縛って金庫の中に入れたくなるぜ」
「シンちゃん……」
 俺もだ。シンタロー。
 その気持ちがわかるということは、俺とお前は同類だと言うことだな。
 けれど、俺は、元気にはしゃぐハーレムの笑顔が見てみたい。自由を愛し、自由に空を飛び回るハーレムを見ていたい。閉じ込めたい。解放したい。
 俺も――死ねばいいのか? ハーレム……。父さんみたく。
 いや、それはダメだな。そんなことしたら、俺に関わった人達を悲しませることになる。ハーレムを……泣かせてしまう。
 ハーレム……好きという言葉だけでは止まらなくなっている。俺は――アンタが欲しい。絶対に。
 だから、口説いてみせる。
 口説くということがまだどういうことかわからないが――あの男に訊けばわかるだろうか。あの、ジャンに。
 あの男もサービスの心を掴んだのだ。そのコツを伝授させてもらおうか。
 ――いや、人を頼ってはダメだ。俺は、俺の言葉で、俺の力でハーレムを手に入れねば。
 俺は、ずっと人を頼っていた。だから、今度は俺自身の力で幸せを――。
 俺は物陰から姿を現す。
「キンちゃん……! 聞いてたの?」
 グンマが口元に手をやりながら立ち上がる。ああ――グンマ。お前にも迷惑かけたな……。
「シンタロー、グンマ、今までありがとう」
「そんな……僕、何もしてないよ……」
「そうだぞ。俺だって、諦めた訳じゃねぇんだからな。諦めた方がいいとわかってはいても――親父も孫を抱きたがってたし……けど、こればっかりは、どうしようもねぇんだ」
「僕、キンちゃんと発明してるのが楽しいの。だからお願い。元のキンちゃんに戻って」
「お前ら……」
 俺はシンタローとグンマを同時に抱き締めた。おかげで円陣を組んだような形になった。
「おわっぷ。何だよ、キン」
「キンちゃん……?」
「お前ら――好きだぞ。愛してる」
「どうしたんだよ。キンタロー……お前……」
「俺は、ハーレムに恋したおかげで、周囲の人々の愛を知った。ハーレムがいなかったら、俺はまだ暴走していたことだろう。あいつはきっと、俺を止める為に神が遣わした男なんだ」
「神、ねぇ……てめぇの柄じゃねぇだろ」
「そして、お前らがいたからこそ、己のハーレムへの気持ちに気づいた」
「ああ、そりゃ、まぁ……だって、お前わかりやすいし……」
「――ありがとう」
 シンタロー、ありがとう。恋敵の俺に正面からぶつかってくれて。それに、俺のことを一生懸命支えてもくれたよな。
 グンマ、ありがとう。俺の従兄弟というだけで、俺の世話を一生懸命焼いてくれて。
 お前らが――愛しい。それは、ハーレムへの恋心へと繋がっている。
 ハーレム……もういいぞ。お前が父さんにまだ捕らわれていると知っても、それはそれで――。だって、お前の心の片隅には俺の為の席も用意してあるだろう?
 けれど、いつか、アンタも父さんから解放されたらいいよな。
 俺か? 俺は、アンタを想い続ける。だけど、無理に抱く必要はなくなった。時が来ればチャンスは向こうからやってくるさ。
 俺は悠長か? それでも構わない。アンタは好きだけれど、他の存在も、まとめて愛している。きっと、ジャンだってそういう男なのだ。
 父さんのことも愛している。例え恋敵でも。結果的にオイディプス王の悲劇みたいになったとしても。
 俺は、全てを手に入れたい。――ハーレムに負けず劣らず、強欲なんだろう。俺は。マジック伯父貴にそっくりだ。
「シンタロー、俺は今、ハーレムの部屋に行って来る」
「はぁ? お前どうしてそれを俺に――」
「黙って行っても良かったんだが……抜け駆けするようで悪いからな。一緒に来るか?」
 いいや――と、シンタローは首を横に振った。そして、すっきりとした顔になったヤツは、総帥としての役目を果たす為に執務室へと戻って行った。

2020.01.11

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