キンタローの初恋 5

 居間に戻るとハーレムが新聞を読んでいた。葉巻を咥えながら。先程の続きを読んでいるのだろう。
「――よぉ」
「ハーレム……」
「……どうした」
 緊迫感が漂う。俺はハーレムの隣に座った。葉巻と新聞のインクの香りがする。
「……言いにくいことなんだけどな……あのな……」
「何だ。あんな大胆発言をしたお前に言いにくいことがあるなんて思わなかったぞ」
 そう言ってハーレムはくくっと鳩みたく笑う。――可愛いな、と思ったのは内緒だ。
「アンタ、俺の父さんとも寝たのか?」
 ハーレムが眉を顰めた。そして答えた。
「ノーコメント」
 それは認めたも同じだぞ。ハーレム……。
「俺がアンタと寝たら、俺は父さんからアンタを寝取ることになるのかな」
「下らねぇこと言ってんじゃねぇよ」
「俺は真剣だぞ。約束忘れてないよな! 俺は必ずアンタを口説き落とす」
「やってみな」
 ハーレムは葉巻を咥えたまま、にいっと笑った。
「言っとくけど俺はモテるぞ。男にも女にも――ガキにもな」
 ガキと言うのは――俺のことかな。いやいや、俺はもう、立派に成人男性だ。手淫のやり方も教わったし。――本番で早く漏れないように、ゆっくりゆっくり扱く。
 男や女にモテるのは、ハーレムの場合仕様がないと思う。だって、こんなにセクシーだものな。ハーレムは人の劣情を煽るところがある。父さんもそこに参ったのだろうか。
 ――いや、父さんはハーレムを操っている方だ。そう考えなければ、息子の俺が可哀想ではないか。
 責任は取ってもらうぞ。ハーレム。
 俺の前にあった性の扉を開くニンフとして。――ニンフとしては少々ごついが。
「――今、アンタに恋人がいるのは知ってる」
「ほう……シンタローにでも聞いたのか?」
「別れろ」
「嫌だね。お前の指図は受けない。お前がルーザーそっくりだからと言って、お前の言うことを聞く義理はない」
 そうして、ハーレムは首切りのジェスチャーをした。
「さっさと失せろ」
「ハーレム……」
「その顔は嫌いなんだ」
 俺の生まれつきの顔を嫌いだと言われても……長い髪の方が良かったのか?
「髪、長い方が良かったのか? ハーレム……シンタローのように」
 バサッ!
 ハーレムが新聞を取り落とした。ハーレムは葉巻を灰皿に押し付けると、新聞を拾った。
 ――動揺してる。ハーレムは……シンタローに恋しているんだ。
 どうしてだ、どうして――。
「ハーレム。シンタローはアンタのことなど何とも思っちゃいない」
 ――俺は嘘を吐いた。
「……わかってる……」
「…………」
 俺も新聞拾いを手伝う。手と手が触れ合った時、電流が流れたように、どきんとした。そして、また新聞を取り落とす。
「あーあー、何してんだよ。らしくねぇぞ。てめぇ」
「わ、悪い……」
 俺は変なんだ。何がどう変だかわからないけど変なんだ。――ハーレムの手が触れたところが熱い。
 どきんどきんどきん……。胸の鼓動が鳴っている。
「どうした? キンタロー」
「俺は父さんじゃない。俺を見てくれ――ハーレム。……いや、アンタはあの頃はちゃんと俺を見てくれていた気がする。俺が、アンタに出会った頃は――ひとつだけ訊きたい。何故俺に協力した」
「男は女以上に強い者に惹かれる――そう言ったはずだが?」
「それでは、俺よりシンタローの方が勝っていると言いたいように聞こえるが?」
「だったらシンタローに勝ってみろ」
 ハーレムは俺に顔を近づける。――この男は心臓に悪い。
「性戯で勝ってみせる」
「――いいのか? 海千山千だぜ。俺は」
「アンタの処女も父さんが奪ったのか?」
「……そうだと言ったら?」
「どうして――ん!」
 ハーレムがいきなりキスをした。
「今回のはそんぐらいだ。――おめーはまだまだガキだな」
 そして、新聞を畳むとふらりふらりとどこかへ行ってしまった。
 キス……熱い……。
 キスがこんなに熱いものだとは思わなかった。
 ジャンにディープキスされた時も、こんなに感じなかった。ハーレム、ほら、俺の胸はどきんどきんと高鳴っているぞ。心臓を抉り出して見せてやりたいぐらいだ。それで恋が叶うなら――。
 ハーレム。アンタは俺の初恋だった。
 父さんにも渡さない。ハーレム。お前は俺のものだ。――シンタローにも渡さない。絶対に。
 俺は、この恋を守ってみせる。
 ――俺はハーレムの後をつけて行った。

 薫風の吹く庭――。藤の花の咲く四阿。そういえば、もうそんな時期か――。
「座らねぇのか?」
「ああ、今、座るとこだ」
 ハーレムに促されて、間抜けな返事をしてしまった。
「この藤棚は、ルーザー兄貴が好きだった場所だ」
「……初めて聞いたな……」
「ああ。ここの連中は皆ルーザーのことを話したがらない。サービスも……高松も例外ではない。尤も、高松は喋りたくても喋れないのかもしれんがな」
「そうか――」
 俺は夥しい量の高松の鼻血を思い出した。確かにルーザーのことを話す度にあれでは、説明も頭に入らないだろう。――鼻血の処理に忙しくて。
 だから俺は、一度高松を捨てた。――いや、理由はそればかりでもないのだが。
 高松から自立したかった。グンマもそう思っていたらしい。
 俺は、早く自立したかった。――ハーレムからも。
(大人になりたい)
 シンタローの意識から流れ込んでくる思い。どうして今、甦ったのだろう。
 ――俺も、大人になりたい。
「ハーレム、キスしていいか?」
「……キスだけだぞ」
 葉巻の匂いのするキス。嫌いじゃない。これがハーレムの唇だと思うと――。
「ハーレム。――俺の体は今どうなってる? アンタを欲しくてたまらなくなっているか?」
「言わせんな。俺はそういう気分じゃない」
「アンタを口説き落とす。必ず。父さんもサービス叔父貴も……シンタローすらからも奪って――独り占めしたい」
 ハーレムはにやりと笑った。
「いいな。――昔のお前に戻って来たようだ。……お前、ルーザーの息子ということでいい子ぶってなかったか?」
 図星だった。何故、ハーレムには俺の心がわかったのだろう。
「ハーレム、どうしてそれを――」
「俺も……ルーザーに振り向いて欲しかったからさ……でも、あいつはサービスばかり見ていた」
「それは違う!」
 俺は四阿のテーブルを力いっぱい叩いた。
「それは、違う……父さんはアンタを愛してた……だから、俺も、愛してる……」
「ファザコンめ」
「違う! 好きなんだ! ハーレム!」
 俺はハーレムの唇を吸い取るようなキスをした。強く強く、相手の口を吸った。

2019.12.29

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