士官学校物語・冬
4
「それー!」
 ハーレムがゲレンデを猛スピードの直滑降で滑って行く。
「嫌ですねぇ。馬鹿は猪突猛進が好きなんですから」
 そう言う高松も、その傍らにいるジャンも、ハーレムが、わざわざ人の少ないところを選んで滑っているを知っている――常識と言われればそれまでだが。
 今、ジャン達は、ガンマ団傘下のリゾートホテルに遊びに来ている。夏には自然が満喫できるらしいここは、冬はスキーヤー達のゲレンデと様変わりする。
 ジャンと高松は、マジックの紹介によって、来ることができたのだ。
 しかし――ジャンは生まれて初めてのスキーに少々手こずっていた。
「転ぶのが上達すれば、滑るのも上達しますよ。まずは転び方を覚えることですね」
 高松が言っていた。
「俺も滑ってこよう」
 ジャンがすーっとスキー板を移動させた。
「ジャン、ハの字、ハの字」
「止まんないんんだよー!!」
 スキー板は、ジャンの意思とは裏腹に、右にぐうっと曲がって行った。かなり速度がついている。
「どけー!」
 ぐあっしゃん!
 ジャンとハーレムは、まるでマンガみたいな転び方をした。
「あいたたた」
「気をつけろよな」
 ハーレムはさっさと起き上がると、そのまま、また去ってしまった。
「大丈夫ですか? ジャン」
「あ……ああ」
「今のは仕方ないですね」
 ハーレムは人を避けていたし、ジャンだって、ぶつける意図はなかったのだから。
 多分、小学生と思われる子供達が、カニ歩きで上へ上へ目指しているのが目についた。
「あ、あれ、面白そう」
 ジャンが指差した。
「そうですね。基本を習うことも勉強でしょうね。私達もやりましょう」
 いっちに、いっちに……。
 二人が地道な努力をしていた頃――。
「きゃー! すっごーい!」
 女性客が思わず嬌声を上げるスキーヤーが一人。
 綺麗なシュプールを描いてゲレンデの視線を独り占めしているのは、サービスだった。女性客はうっとりとし、男性客は嫉妬の眼差しで見ていた。
 最後まで滑りきったサービスは、ゴーグルを外した。
 やっぱり美形だったわねー、とか、夢みたい、あんな美少年がいるなんて、とか、私達も教えてもらいましょうか、などと女性達は言い合っている。事実、大胆な娘などは、サービスの前に群がっている。サービスは、困惑しているようだった。ジャンの視力では、表情までわかる。
「ちょっと、あの人を助けてあげましょう。サービスー」
 高松がストックを高々と上げて振った。
 じゃあ、友達が待っているんで、と言いながら、サービスはそこを後にする。
「高松、助かったよ。ありがとう」
「色男も楽じゃありませんね」
「……まぁね」
 サービスは軽く肯定した。
 だが、その美貌を必要以上に鼻にかけるようなことはしない。彼のそういうところを、ジャンは評価し、尊敬していた。
 高松だって、頭の良さを売りにし、他の人に嫌味めいたことも言うことがあるが、本当はとてもとても優しいことを、ジャンは知っている。
 彼らと友達になれて良かった、と、心の底から思った。
(後は、ハーレムとももうちょっと仲良くできるといいんだけどな――)
 今までの月日で、少しは心を開いてもらえたかな、とも思うが、クラスも違うハーレムは、ジャンにとっては少し遠い存在だった。
 半日経って、ジャンは、ようやくスキーのコツをつかんだ。

 部屋に帰って、ジャンはベッドに飛び込んだ。
 その後、むくりと起き上がって、まるでトランポリンで遊ぶように、飛び跳ね始めた。
「止めてくださいよ。ジャン。ベッドが壊れたらどうするんです」
 高松が窘める。
 ジャン、サービス、ハーレムの三人は、食事の後、高松の部屋に屯していた。それは、何となくである。
「ガキじゃあるめぇし」
「ハーレム、君だって、数年前は同じことしてたじゃないか」
「いつの話だよ!」
 ハーレムが、サービスに、ぽすっと枕を投げる。
「君だって、充分ガキじゃないか」
 サービスが、舌を出す。
「こいつ……」
 ハーレムが何かを言いかけたが、サービスが遮った。
「ジャン、ナイター行かないか?」
「おー、行く行くー♪」
「高松は?」
「私は休みますよ。お守りで少し疲れました」
「ごめんな、高松」
「いいんですよ。ジャン。それなりに楽しかったですから」
「でも、思いっきり滑ること、できなかったんじゃないか? ねぇ、ジャン、高松もスキーは得意なんだよ。僕には敵わないけどね」
「何、余計なことを喋っているんですか、サービス」
 高松がそんなことを言ったのも、照れ隠しらしい。青白い顔に、血の色がのぼる。
「俺は行こうかな」と、ハーレム。
「君も来るの?」
「んな露骨にやな顔すんじゃねぇッ! サービス!」
「じゃあ、早く行こうよ。ナイター終わっちゃうよ」
「うん、待ってて。サービス」
「俺は、もう準備しといたぜ」
「ハーレム、僕はジャンと一緒に行くよ」
「んじゃ、お先してっからな」

「あー、滑った滑った」
 ジャンとサービスは、側にスキー板を立て掛けておいて、雪の上に座って休んでいる。
 疲れを知らないハーレムは、今度はボーゲンを見事に滑っている。
「君、スキー上手くなったね」
「うん。子供達と一緒にやったから」
 途中、ジャンは、小学生達に混じってカニ歩きをして、転びながらも滑り下りた。コーチ役の先生が、びっくりしたようだったが、見ないふりをしてくれた。高松は、少し離れたところから見守り、滑るときは、子供達の邪魔にならないように誘導した。転んだときには、体勢を整えるまで待ってくれていた。
「……君には、恥ずかしいと思うことはないのかい?」
「え? それは、俺にだってあるよ。でも、いちいち恥を知ってちゃ、大切なもんを見失うからな」
「――羨ましいな」
「え?」
「馬鹿になれることが羨ましい」
「……サービス、それって皮肉?」
「そう聴こえるかもしれないけど、本心だよ。いいなぁ、君も――ハーレムも」
「ハーレムは馬鹿じゃないんじゃないかな」
「馬鹿だよ。でなければ、馬鹿になれる才能があるか」
「おまえの言うことは難しいな。馬鹿になれると、何かいいことがあるのか?」
「少なくとも、煮詰まることは少なくなると思うな。ほっと息がつけると言うか」
「なるほど」
 じゃあ、俺は、この才能を大事にしよう、とジャンは思った。単純かもしれないが。
「サービスも、ハーレムの前では、ちゃんと、ただの子供だったよ」
「……どういう意味だ」
「ん。こういう意味」
 ジャンが、いきなりサービスの頭を撫で出した。
「うわっ、やめてくれ、ジャン」
「へっへーん。おまえらなんか、俺にとっては、子供も同然なんだよー」
「幾つも違わないくせになんだよ。いくら僕が早生まれだからって。あれ? そういえば――」
「何?」
 ジャンは、手を止めた。
「おまえ、誕生日いつだったっけ」
「知らない、忘れた」
「――冗談言うな。自分の誕生日を忘れる奴なんて、滅多にいないと思うぞ」
「あんまり昔過ぎて忘れたなぁ」
「昨日のことも覚えてないんじゃないか?」
「まぁねぇ」
「僕の名前がわかるか?」
「――美貌の天才スキーヤー、だろ?」
「また、からかうんだから」
 サービスは、そっぽを向いた。ジャンの手が、サービスの頭から離れた。
「ほんとだよ」
 ジャンは真顔になった。
「俺、嘘ついたことないから」
「そんな訳あるか」
「嘘という名の真実を口にしたことはあるけど」
「なーんだ? それ」
 サービスが笑い出した。
「そうそう。その顔だよ。おまえ、あまりそんな風に笑わないからな。勿体ないぜ。こんな可愛い顔してんのに」
「男に可愛いなんて言われても、嬉しくないな。それに、子供扱いするなよ」
「いいんだよ、子供で」
「僕には、君の方が子供に見えるときがあるな」
「そりゃどうも。子供はいろいろ楽しいぞ。馬鹿になれるのも、いろいろ楽しいように」
「僕は、さっき君のこと馬鹿って言ったけど、子供、と言った方がふさわしいのかな」
「そうだな。馬鹿、と言う言葉は、あまりいい意味で使われないようだからな」
 そろそろナイターが終わる時間だ。二人は立ち上がった。ハーレムと合流して、彼らはホテルへ戻った。

 新学期――
「お久しぶりーッ! 双子の美人兄弟、ジャン、た・か・ま・つ」
「あやめさんッ!」
 高松は、弟野沢武司を送りに来たあやめの元に飛んで行った。
「お久しぶりです、あやめさん! ますます美しくなられて」
「やーだ、高松ったら、ほんとのこと言って」
「姉貴、わいはもう行くで」
「あっ、そう。行ってらっしゃい」
「――弟より、高松の方が大事か?」
「そうに決まってるじゃない。弟はいつか人の物になるけど、恋人は自分の物ですもんね。ねぇー、高松」
「ねぇー、あやめさん」
 高松も、いつもだったら、『物とは何ですか! 物とは!』と怒るところだったろうが、あやめには従順だ。むしろ、嬉しいらしい。
(うわー。これが恋の魔力なんだ)
 ジャンが、半ば茫然としながら思った。
「高松は逞しくなったわね」
「ええ。見てくださいよ。このスキー焼け」
「きゃあっ、見事に焼けてるわ。楽しかった?」
「ええ。それなりに」
「今度は私も連れて行ってね」
「もちろんですとも!」
「姉貴、高松、ええ加減にせい」
「何ですか? シスコン男」
「やぁねぇ、反抗期反抗期」
 高松とあやめの明るい笑い声が響いた。
「しょうもない奴らめ」
 野沢が引き下がった。しっかりしていて、いつも大人みたいな口をきくこの男も、あやめにかかっては形無しである。
 やっぱり、誰でも誰かにとって、子供であると言うことか。
 ジャンは、ソネに子供扱いされていたことを思い出した。ソネの方が、ずうっと年下のくせして。けれど、それが不思議と嫌じゃなかった。
 サービスに、僕達も間に合わなくなるぞ、と呼ばれて、ジャンは「はいはーい」と返事した。

士官学校物語・冬 第五話
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