士官学校物語・冬 ハーレムがゲレンデを猛スピードの直滑降で滑って行く。 「嫌ですねぇ。馬鹿は猪突猛進が好きなんですから」 そう言う高松も、その傍らにいるジャンも、ハーレムが、わざわざ人の少ないところを選んで滑っているを知っている――常識と言われればそれまでだが。 今、ジャン達は、ガンマ団傘下のリゾートホテルに遊びに来ている。夏には自然が満喫できるらしいここは、冬はスキーヤー達のゲレンデと様変わりする。 ジャンと高松は、マジックの紹介によって、来ることができたのだ。 しかし――ジャンは生まれて初めてのスキーに少々手こずっていた。 「転ぶのが上達すれば、滑るのも上達しますよ。まずは転び方を覚えることですね」 高松が言っていた。 「俺も滑ってこよう」 ジャンがすーっとスキー板を移動させた。 「ジャン、ハの字、ハの字」 「止まんないんんだよー!!」 スキー板は、ジャンの意思とは裏腹に、右にぐうっと曲がって行った。かなり速度がついている。 「どけー!」 ぐあっしゃん! ジャンとハーレムは、まるでマンガみたいな転び方をした。 「あいたたた」 「気をつけろよな」 ハーレムはさっさと起き上がると、そのまま、また去ってしまった。 「大丈夫ですか? ジャン」 「あ……ああ」 「今のは仕方ないですね」 ハーレムは人を避けていたし、ジャンだって、ぶつける意図はなかったのだから。 多分、小学生と思われる子供達が、カニ歩きで上へ上へ目指しているのが目についた。 「あ、あれ、面白そう」 ジャンが指差した。 「そうですね。基本を習うことも勉強でしょうね。私達もやりましょう」 いっちに、いっちに……。 二人が地道な努力をしていた頃――。 「きゃー! すっごーい!」 女性客が思わず嬌声を上げるスキーヤーが一人。 綺麗なシュプールを描いてゲレンデの視線を独り占めしているのは、サービスだった。女性客はうっとりとし、男性客は嫉妬の眼差しで見ていた。 最後まで滑りきったサービスは、ゴーグルを外した。 やっぱり美形だったわねー、とか、夢みたい、あんな美少年がいるなんて、とか、私達も教えてもらいましょうか、などと女性達は言い合っている。事実、大胆な娘などは、サービスの前に群がっている。サービスは、困惑しているようだった。ジャンの視力では、表情までわかる。 「ちょっと、あの人を助けてあげましょう。サービスー」 高松がストックを高々と上げて振った。 じゃあ、友達が待っているんで、と言いながら、サービスはそこを後にする。 「高松、助かったよ。ありがとう」 「色男も楽じゃありませんね」 「……まぁね」 サービスは軽く肯定した。 だが、その美貌を必要以上に鼻にかけるようなことはしない。彼のそういうところを、ジャンは評価し、尊敬していた。 高松だって、頭の良さを売りにし、他の人に嫌味めいたことも言うことがあるが、本当はとてもとても優しいことを、ジャンは知っている。 彼らと友達になれて良かった、と、心の底から思った。 (後は、ハーレムとももうちょっと仲良くできるといいんだけどな――) 今までの月日で、少しは心を開いてもらえたかな、とも思うが、クラスも違うハーレムは、ジャンにとっては少し遠い存在だった。 半日経って、ジャンは、ようやくスキーのコツをつかんだ。 部屋に帰って、ジャンはベッドに飛び込んだ。 その後、むくりと起き上がって、まるでトランポリンで遊ぶように、飛び跳ね始めた。 「止めてくださいよ。ジャン。ベッドが壊れたらどうするんです」 高松が窘める。 ジャン、サービス、ハーレムの三人は、食事の後、高松の部屋に屯していた。それは、何となくである。 「ガキじゃあるめぇし」 「ハーレム、君だって、数年前は同じことしてたじゃないか」 「いつの話だよ!」 ハーレムが、サービスに、ぽすっと枕を投げる。 「君だって、充分ガキじゃないか」 サービスが、舌を出す。 「こいつ……」 ハーレムが何かを言いかけたが、サービスが遮った。 「ジャン、ナイター行かないか?」 「おー、行く行くー♪」 「高松は?」 「私は休みますよ。お守りで少し疲れました」 「ごめんな、高松」 「いいんですよ。ジャン。それなりに楽しかったですから」 「でも、思いっきり滑ること、できなかったんじゃないか? ねぇ、ジャン、高松もスキーは得意なんだよ。僕には敵わないけどね」 「何、余計なことを喋っているんですか、サービス」 高松がそんなことを言ったのも、照れ隠しらしい。青白い顔に、血の色がのぼる。 「俺は行こうかな」と、ハーレム。 「君も来るの?」 「んな露骨にやな顔すんじゃねぇッ! サービス!」 「じゃあ、早く行こうよ。ナイター終わっちゃうよ」 「うん、待ってて。サービス」 「俺は、もう準備しといたぜ」 「ハーレム、僕はジャンと一緒に行くよ」 「んじゃ、お先してっからな」 「あー、滑った滑った」 ジャンとサービスは、側にスキー板を立て掛けておいて、雪の上に座って休んでいる。 疲れを知らないハーレムは、今度はボーゲンを見事に滑っている。 「君、スキー上手くなったね」 「うん。子供達と一緒にやったから」 途中、ジャンは、小学生達に混じってカニ歩きをして、転びながらも滑り下りた。コーチ役の先生が、びっくりしたようだったが、見ないふりをしてくれた。高松は、少し離れたところから見守り、滑るときは、子供達の邪魔にならないように誘導した。転んだときには、体勢を整えるまで待ってくれていた。 「……君には、恥ずかしいと思うことはないのかい?」 「え? それは、俺にだってあるよ。でも、いちいち恥を知ってちゃ、大切なもんを見失うからな」 「――羨ましいな」 「え?」 「馬鹿になれることが羨ましい」 「……サービス、それって皮肉?」 「そう聴こえるかもしれないけど、本心だよ。いいなぁ、君も――ハーレムも」 「ハーレムは馬鹿じゃないんじゃないかな」 「馬鹿だよ。でなければ、馬鹿になれる才能があるか」 「おまえの言うことは難しいな。馬鹿になれると、何かいいことがあるのか?」 「少なくとも、煮詰まることは少なくなると思うな。ほっと息がつけると言うか」 「なるほど」 じゃあ、俺は、この才能を大事にしよう、とジャンは思った。単純かもしれないが。 「サービスも、ハーレムの前では、ちゃんと、ただの子供だったよ」 「……どういう意味だ」 「ん。こういう意味」 ジャンが、いきなりサービスの頭を撫で出した。 「うわっ、やめてくれ、ジャン」 「へっへーん。おまえらなんか、俺にとっては、子供も同然なんだよー」 「幾つも違わないくせになんだよ。いくら僕が早生まれだからって。あれ? そういえば――」 「何?」 ジャンは、手を止めた。 「おまえ、誕生日いつだったっけ」 「知らない、忘れた」 「――冗談言うな。自分の誕生日を忘れる奴なんて、滅多にいないと思うぞ」 「あんまり昔過ぎて忘れたなぁ」 「昨日のことも覚えてないんじゃないか?」 「まぁねぇ」 「僕の名前がわかるか?」 「――美貌の天才スキーヤー、だろ?」 「また、からかうんだから」 サービスは、そっぽを向いた。ジャンの手が、サービスの頭から離れた。 「ほんとだよ」 ジャンは真顔になった。 「俺、嘘ついたことないから」 「そんな訳あるか」 「嘘という名の真実を口にしたことはあるけど」 「なーんだ? それ」 サービスが笑い出した。 「そうそう。その顔だよ。おまえ、あまりそんな風に笑わないからな。勿体ないぜ。こんな可愛い顔してんのに」 「男に可愛いなんて言われても、嬉しくないな。それに、子供扱いするなよ」 「いいんだよ、子供で」 「僕には、君の方が子供に見えるときがあるな」 「そりゃどうも。子供はいろいろ楽しいぞ。馬鹿になれるのも、いろいろ楽しいように」 「僕は、さっき君のこと馬鹿って言ったけど、子供、と言った方がふさわしいのかな」 「そうだな。馬鹿、と言う言葉は、あまりいい意味で使われないようだからな」 そろそろナイターが終わる時間だ。二人は立ち上がった。ハーレムと合流して、彼らはホテルへ戻った。 新学期―― 「お久しぶりーッ! 双子の美人兄弟、ジャン、た・か・ま・つ」 「あやめさんッ!」 高松は、弟野沢武司を送りに来たあやめの元に飛んで行った。 「お久しぶりです、あやめさん! ますます美しくなられて」 「やーだ、高松ったら、ほんとのこと言って」 「姉貴、わいはもう行くで」 「あっ、そう。行ってらっしゃい」 「――弟より、高松の方が大事か?」 「そうに決まってるじゃない。弟はいつか人の物になるけど、恋人は自分の物ですもんね。ねぇー、高松」 「ねぇー、あやめさん」 高松も、いつもだったら、『物とは何ですか! 物とは!』と怒るところだったろうが、あやめには従順だ。むしろ、嬉しいらしい。 (うわー。これが恋の魔力なんだ) ジャンが、半ば茫然としながら思った。 「高松は逞しくなったわね」 「ええ。見てくださいよ。このスキー焼け」 「きゃあっ、見事に焼けてるわ。楽しかった?」 「ええ。それなりに」 「今度は私も連れて行ってね」 「もちろんですとも!」 「姉貴、高松、ええ加減にせい」 「何ですか? シスコン男」 「やぁねぇ、反抗期反抗期」 高松とあやめの明るい笑い声が響いた。 「しょうもない奴らめ」 野沢が引き下がった。しっかりしていて、いつも大人みたいな口をきくこの男も、あやめにかかっては形無しである。 やっぱり、誰でも誰かにとって、子供であると言うことか。 ジャンは、ソネに子供扱いされていたことを思い出した。ソネの方が、ずうっと年下のくせして。けれど、それが不思議と嫌じゃなかった。 サービスに、僕達も間に合わなくなるぞ、と呼ばれて、ジャンは「はいはーい」と返事した。 士官学校物語・冬 第五話 BACK/HOME |